「2018年長野県ものづくり大賞 グランプリは・・・・・」

「株式会社・・・・」
 そして
「セ・ル・コ」
・・・と続いた。
 まさかのグランプリ受賞・・・であった。
 今年6月に長野県 佐久地域振興局商工観光課 課長補佐兼工業係長 足立 昌洋氏が当社に来社され、この「ものづくり大賞」に応募をするための打ち合わせをした。
 原稿としては、昨年のものづくり補助金を貰う時の申請書があったため、さほど時間はかからなかったし、足立氏が必要事項、要点等の体裁は全て整えて戴いたため、私としてはさほどこの賞についての「努力感」が無く、9月に「ものづくり大賞」の三社に選ばれたと聞いた時もさほど感激もなかったし、その内の一社が先週講演に行った飯島町の南信精機さんと知り、当社はその南信精機さんにはとてもかなわないと思っていたため、「グランプリは無理!」と最初から思い込んでいた。
 南信精機さんは、先日の講演でも話したが、我々中小企業がこれから向かうべき姿を既に実現している私にとっては“あこがれの姿”であり、はっきり言ってその"格“が違う。
 私はこれまでもブログや本で主張してきたが、まず大企業はモノ造りを日本ですべき、そして日本の中小零細が造った部品を使う、そしてその中小零細は自分の持つ特殊技術を機械屋さんとかでは無くできれば自社でノウハウを蓄積、自動化し、世界のどこよりも安くて高品質の”メイド・イン・ジャパンの部品“を造る・・・そして海外は海外でこれも自動化対応し、日本のマザー工場での改善改革された自動化ノウハウをそのまま移行して対応すべし・・・・。
 これを全てやってのけているのがこの南信精機という会社であり、片桐社長なのだ。
 そんなことで、私はからこの”グランプリ”は諦めていた。
 未だ他の企業であれば、結構期待したかもしれないが、この南信精機さんには勝てないと思っていた。
そしてまたこの日は年に一度の「いとこ会」開催の日で、今年は白馬のロッジホテル「シェラリーゾート白馬」に行くことになっており、出来ればタイから帰ってきている兄と一緒に行こうと思っていたし、早く従妹の人達とも会いたかった。
 また前日まで大連で結構ハードなスケジュールをこなしてその夜帰ってきており、一週間の締めくくりの日は、できれば朝礼だけでも顔を出しておきたかった。
 ところが9時半までに長野の会場に展示品を準備するようにと案内書に書いてあることを大連で知り、展示品となるコイルを用意して置いてもらい、朝7時にこれを取りに会社に行き、女房と共に「いとこ会」参加の準備をし、いそいそと長野の冬季オリンピック競技の会場だったビッグハットへ向かった。
結構長野市内は朝の出勤渋滞でノロノロ運転だったが9時20分頃には会場に着き、展示品を並べ、どうにか体裁を整えた。
 ・・・と云うことで、私の頭の中は、10時から12時までというこのセレモニーを早く終えて、白馬に向かい、途中信州新町で久しぶりに有名なマトンの焼肉を食べて白馬に向かうというゴールデンスケジュールで満たされていたのであった。
ところが、この突然のグランプリ受賞である。
 
 受賞の可能性があれば、事前に気の利いた言葉でも用意しておいたが、余りの突然なことで気持ちの整理も付かず、信越放送=SBCの美人アナウンサーからの質問にも、おざなりのことしか答えられなかった。
 しかもこのアナウンサーから突然「おやじバンド」の件を持ち出されてこれまた困惑した。
受賞して表彰状、盾、そしてトロフィーを貰った。
 このトロフィーはガラスの巨大なビー玉の長細いようなトロフィーであり、この結構重いトロフィ―を持って何度も写真撮影に応じた。
 その他、長野県工業技術総合センターの北沢さん等から受賞のお祝いの言葉を戴いた。
未だ私がセルコの社長なって間もないころ、マイクロストーン社の白鳥社長から、これからの中小は開発とか研究をしなければだめだ・・・と言われ、当時の工業試験場とか信州大学工学部にお願いし、コラボで新規開発品の開発をしたりしたことを思い出した。
 その頃のセルコと比べれば、今はまあどうにか格好は着いた会社にはなっている。
今回の受賞も、対象が「高密度圧縮成形コイル」という当社がこれまでのナイーブなコイルの常識を打ち破り、コイルを圧縮したり、曲げたり、一体モールドしたりする技術をこの10数年確立してきたが、業界ではこの技術は、被膜をキズつけるのではないか?という”危ない技術“と思われていたようで、なかなか採用されなかったが、今や、この技術を使って他社との差別化を計り飛躍し始めている会社が複数出始めており、私はこれから様々な場面でこのコイルが使われると思っている。
「高密度コイル」という言葉も、私が10数年前に言い出した言葉であるが、ネットを見るとあっちこっちで使われている。
 ただ当社の高密度コイルの定義は、占積率90%以上=すなわち丸線を使ったコイルを圧縮したモノを指すが、一般的には「きちっと巻かれているコイル」を指しており、多少意味合いは違っているが・・・・。
 又今回はその圧縮の特許技術を更に進化させ、プラスチック成型と同じようにコイルを希望の形、寸法に成型してしまおう・・・という全く常識破りのコイル技術であり、これまでは考えられないような画期的な技術である。
 これが今回受賞の理由・・・と云うことになれば、セルコが特化してきたこの技術が、世の中に認知された・・・と云うことになるのかも知れない。
いよいよ「高密度コイルのセルコ」の時代が始まる・・・と云うことになる。
 
 後、長野県産業労働部産業政策課の課長さんと主事の方がお二人名刺交換しながらご挨拶したが、恐らくこの方達が、佐久の商工課の足立さん等と共にセルコグランプリの受賞を強く推してくださったのであろうと想像する。
感謝‼感謝‼である。
 
 会場には何故か当社の監査役、太陽光発電のサンジュニアの西原会長が居た。
この授賞式と共に会場では「産業フェアin信州」という展示会が26,27日と2日間開かれており、商品の展示に来ているとのことであったが知らない人達ばかりの会場で会えてとても心強かった。
 西原さんからはいつもの調子で「賞金は無いのか?」・・・と聴かれたが、そういえば残念ながら賞金は無かった。同時に経理部長の顔が思い浮かんだ。
 テレビ局、新聞社のインタビューも受けた。
 そういえば、昔はテレビ、新聞の取材はしょっちゅうあり、取材慣れしてポンポンと受け答えしていたりしたが最近では珍しい。
 
 結局、展示品は1時まで展示して置くように・・・とのことで、まさかグランプリの会社がその前に撤収もできないため、西原さんの提案で、会場の食品の展示場での試食品を食べ歩いて昼の代わりにしようとしたが、結局それでは物足りず、おにぎり一個とお茶を買って、信州新町のマトンは諦めた。
 
 一時きっかりに展示品の撤収をしたが、それでも受賞企業とエクセレンス認定企業の10数社の中で一番早い撤収となった。
 
 私以上に驚いた女房と会場を後にし、白馬のホテルへ向かった。
会社や友人へは、メールやラインでできるだけ受賞の連絡をした。
いとこ会へは女房が「いとこ会グループメール」で送ってあり、ホテルで会うとみなさんから「おめでとう!」の嵐となった。
 ゴルフのホールインワンよろしく、その日の飲み物は私のおごりとなった。

久々の講演

2018-10-19 12:53 : カテゴリ : 
社長の部屋
執筆 : 
selco
 
 久々に講演をした。
お招きいただいたのは長野県飯島町の商工会と中川村商工会の皆さん。
 実は今年の1月23日に講演予定だったのが昨日10月18日に延期された講演だった。
 1月23日は本当にドタキャンだった。
 若い頃、私は”小諸のジュリー“と言われステージ付きのスナックへ行っては「勝手にしあがれ」で帽子を飛ばしていたが、昨日の沢田研二=ジュリーのドタキャンのように来場者が少ないから講演しないということはない。私は一人でも二人でも私の話を聴いてくれる人がいればいくらでも話す。
 1月23日の時は、その頃猛威を振るっていたインフルエンザに罹ってしまい、どうしようもなくドタキャンしたのだった。
 私は社員に私はEMを飲んでおり免疫が強いため、風邪はひかないと常々言っており、多少風邪気味になってもまず会社を休むことはない。
 その時もただの風邪であれば強行したと思うが、インフルエンザでは如何ともし難かった。
 この講演は南信精機の片桐社長さんが商工会に持ちかけた講演であった。
 片桐社長さんとは二年前の安部知事とベトナム視察旅行というツアーに参加した時、成田で最初に知り合った同ツアー参加の人が片桐社長だったことで、その後旅行中、旅行後もお付き合いさせて戴いていた。
この南信精機さんの工場を見せてもらって驚いた。
この会社は精密プレス金型、精密プラスチック成形金型を自社で手掛け、それぞれ精密プレス品、精密成形品を造っているが、凄いのは、この製品を連結しオール自動化し「プレスチックス」という独特の名称で精密プレスと精密プラスチックをモジュール化した精密機構部品を大量生産していることだ。
聞くと、中国、ベトナムに工場があり、こちらもほぼ自動化しているとのことである。
これは、私が常々言っていた「国内自動化」を実現し、それを更に海外にも展開している(自動化で地消地産)を既に実行していている会社だった。
この会社には当然、これからの車のEV化の波による様々な精密にして大量な注文が入り込んでいる。
これからは更に多くの引き合いが舞い込んで来るはずである。
 
この未だ若い片桐社長が紹介し実現したこの講演会で、私は10年前の「おやじバンドでNHK出演」したビデオで、まず私のキャラを売り込むと同時に、7分間ビデオの中で会社の紹介を結構丁寧にしてあるため、ある程度の会社案内ができてしまうのだ
そして次に当社の創業以来の売上、利益の棒グラフで会社の歴史を説明。
下請け制度というシステムがいかに親会社は子会社を「生かさず殺さず」で使ってきたか=結局、品質、価格、納期のQCDをメチャ厳しくし、ライバル会社と競わせてただただ何も考えずに、親会社に従わせるシステムであったという説明をした。
そして海外取引の悲惨さも説明したし、円高、リーマンショック、大震災等の経済ショックは我々中小はまともに受ける様を説明、インダクタンス±1%以下という難易度の高い特性をクリアーしたことで大量のコイルが受注出来、安定に向かったことも説明した。
 
下請け制度の枠から這いだすためには、独自の技術が必要だ。
当社は「高密度コイル」という何の変哲もないコイルに付加価値を付けたことによる特殊技術一本でこの時代という荒波を乗り越えて来た。
我々中小零細はこれからどこに向かえばいいのか?
政府に期待しても無理だ。
自分で考え、自分でPRし、自分で切り拓くしか方法は無い。
世の中の趨勢を良く観察し、自社に何かそれに合った技術とか特徴はないか?を考え、これを伸ばして行くより術はない。
モノ造りをやらずに新しいモノを設計しようとする技術者、メーカーには明日が無い。
 
そして最後は「逆ピラミッド組織」の話をした。
9月から始めて1ケ月半、当社の組織はとてもすっきりして来て、4人の女性の生産管理担当者と各ライングループのグループリーダーが会社の通常業務を仕切り始め、概ね良好。
当初居場所が無いように思えた管理者らも、次第にこのシステムの中で自分の持つ職能を発揮し始めている。
 
講演終了後、懇親会にて個別に話をすることができた。
皆さん若い経営者が多く好奇心も旺盛で、この地域は南信精機さんを始めなかなか素晴らしい企業が集まっていると感じた。

  

逆ピラミッドの組織

2018-9-1 12:10 : カテゴリ : 
社長の部屋
執筆 : 
selco

 9月1日より当社の組織がガラッと変わった。


 従来のピラミッド型組織が、ひっくり返り「逆ピラミッド型」の組織となった。

逆ピラミッド型の組織!?と困惑される方もおられるかと思うため、若干解説をするが、その前に、当社では何故従来の普通の組織ではダメなのか?という説明をする。

 セルコの社名はセルフコントロールという言葉が元となった社名であり、経営理念も“Harmony & Prosperityy in Self-Controlled people”(自らをコントロールし調和と繁栄をもたらす)という理念を掲げている。

 セルフコントロールというのは、「他から命令、指示されて動くのではなく、自ら積極的に考え、自己管理の下に動きなさい」ということであり、これまで続けて来たピラミッド型組織による上から下への情報伝達と矛盾し、動ける人は自由に自分の部署以外の仕事をしたりしていたため、何か起きた場合、社内各所で一体誰が動くのだ、誰の責任だ・・・という問題が常に起きていた。

 そういった意味では、組織があってないような状態だったということになる。

 そこでそういったことを全て解消する手段がこの逆ピラミッド型組織であった。

 よくよく考えてみれば、通常の量産品の生産の流れは、別に命令や指示でなくても迅速且つ正確な連絡網があればこと足りる。

 

 この逆ピラミッドの組織の意味するところは、当社では、あくまでモノ造りに携わる各担当者が主役であり、その他の役職者はそのサポーターになるということだ。

 従って一番最下部に位置する社長は「スーパーサポーター」であり全従業員を迅速かつ適切に、しっかりとサポートすると云うことになり、常務、部長、課長といった役職者はそれに準じて上級サポーターとしての力を発揮する必要があるということだ。

 

 この組織の目的は、特に製造部内=モノ造りに関する組織の簡素化、フラット化であり、通常業務(量産品)に関する全てのやり取りを担当者レベルで遂行できるようにするためのシステム構築を目指したものである。

 その方法として管理部内の4名の生産管理担当者を各得意先別に定め、内示、受注から部材の発注管理、外部調達の管理、社内ライン、検査ラインとの完製品納入に至る全ての生産活動を一気通貫で責任を持って管理してもらう。

 従って、基本的には量産品の顧客窓口と納入業者窓口は各生産担当者ということになり、通常量産品のやりとりは全て生産管理担当者が行う。

 但し品質に関しては、各顧客毎に品質保証担当者を定め対応する。ただ生産管理担当者に品質情報を伝えても責任を持って対応し、解決が難しい問題が発生した際は、担当者と共にサポーターである管理者も加わり、問題に対し迅速に対応する。

 そして各製品別グループ毎にグループ長を選出(一年毎に再選出)し、グループ長は自分の生産ラインの生産状況、品質状況全てを把握し、常に生産管理担当者とコミュニケーションを取り、情報を共有するようにする。

 役職者は全員、これらのラインのサポーターとして当面は社長の指示、依頼で様々な問題解決に当たる。

 従って各ラインで、不良、生産遅延、その他の問題が発生した場合は、各生産担当者から社長に報告、社長はその時の判断で各サポーターに指示、依頼する。状況によっては社長自身が動き、問題の早期解決を図る。

 社長は、当面は采配を振るいながら、出来るところから当システム及び会社全体の整備をし、それぞれ制度化を図って行く。➡適材適所の人員配置、最適システムの構築、スーパー連絡網の整備をし、最終的には殆どの業務は自分達でこなし、社長には必要な情報だけが入いるような状態までに持って行く。(目標1年)

 一方、役職者は、通常のライン仕事からは離れ、不良問題、生産遅延問題等の異常時の対応(当面は社長からの指示、依頼による)をすると共に、新規受注、新規顧客の確保に全力を尽くし、常に「新たなる柱」構築のために努力する。

 

 社内機構の改革は、当社のような小さな会社でも大変である。

 それも今回のように、組織を180℃ひっくり返してしまったのだから、特にこれまで管理者であった”役職者“は困惑するかと思う。

 これは”意識改革“が必要になる。

 私の考え方は、「役職者」は決して偉くなはない。

 ただ組織の中の一つの役割に過ぎない。

 会社が役職につける意図としては、スキルの高さとか功績とか人徳とか…いろいろな要素があるが、役職に付いても付かなくても同じ人間であり、急に神様のような偉い人間になるわけでは無い。

 それなりの責任が出て来るため、それなりに給与も上がる。

 今回の組織における役職者の役割は只管“サポーター”という役割だ。

 上に行けば行く程、担当者等が気持ちよく働ける環境を提供するのが自分達の役割だ・・・と認識すれば全て上手く行くはずだ。

 逆に言うと、このサポートが上手くできる人程、上級役職者になれるということになる。

 従って、スーパーサポーターたる社長は、社内の誰よりもスキル高くサポートできなくてはならない。

 しかし私を含め役職者は自分ができなくても心配はない、出来る誰かに指示したり、依頼してそのサポートを完遂させる力があればよいのだ。
「貼ってすっきりセルパップ!」が楽天市場に・・・
 
当社のセルパップコイルがようやく楽天市場に出展した。
 このコイルは、コイルを一層10数回巻いたところで、逆にもう一層巻くというゼロ地場構造となっており、人間に流れる微弱電流の乱れとか滞りを解消するコイル・・・として、これまで8年余り、全国レベルで様々な人達が、ビックリするような体験をし、その実績から「間違いのない製品」と私が太鼓判を押せる健康グッズです。
 ただこれがいくら様々な成功事例があるから言って、「肩凝りに効きます!」、「腰痛に効きます」、「こむら返りには抜群です!」と謳うと、薬事法違反で訴えられたり、逮捕される可能性があるため、宣伝には大変気を使います。
 ですから、このコイルは「肩凝り、腰痛に効果抜群のセルパップコイル!!」とは言えず。「貼ってすっきりセルパップ!」、「軽やかコイルセルパップ!」というような表現しか使えない。
 私の人生は、48歳の時に出会ったEM(有用微生物群)と62歳の時のこのセルパップによって、支えられてきている。
 EM(以前にブログに二度ほど載せている「健康になるために参照」)により、私の身体(腸)に蓄積していた化学物質を洗い流し、病弱で年がら年中風邪を引いていた私は、その後驚異的な健康体となり、30年以上、医者要らず、薬要らずの生活を送ってきた。しかし、内臓とか血とかはEMで良くなっていたが、肩の痛みとか、腰の痛みはどうしようもなかった。
 以前白樺湖の向こうの茅野というところにあったプレス金型のおやじさんが日本の3本の指に入るというあるカイロプラテックグループの幹部の人で、時々腰が痛い時は、簡易式のベッドを会社まで持ってきてくれて、ボキッと一瞬で腰の痛みを解消してくれていたが、その社長が未だ60前に突然死してしまい、数年の間私は、腰痛、肩の痛みにさいなまれていた時期があった。
 特に肩の痛みはひどく、小諸、佐久、上田近辺で評判がいい整体、針、ほねつぎ等々、1週間毎に3000円〜4000円かけて通っていた。
 最後は隣の群馬県前橋まで、毎週通ったことがあった。
 しかし、これらの施術は、その直後はとてもいい具合になるが、2〜3日経つと、またぶり返すため、結局、毎週通うことになる。
 私の肩が治ったのは、このセルパップコイルだった。
 トリガーポイント(痛さとかの本元のツボ)が肩甲骨の裏の辺にあり、そこに到達するまでにかなり時間がかかったが、トリガーポイントに貼った途端、2年間上がらなかった腕がホンの数分でスーッと上に上がり、半信半疑だった私がこのセルパップを信じる契機になった。
 このセルパップは仙台の丸山アレルギークリニックというクリニックの丸山先生が最初セルコに治療用コイルを発注して来たのを、私がコイル構造をゼロ地場構造に変えて作ったのがこのセルパップコイルであり、丸山アレルギークリニックでは、このコイルを毎日100数十名来ていた患者に治療用として施したところ、患者が激減してしまい、即このコイルでの施術を止めた・・・という逸話も残っている。
 
 その後、朝、こむら返りが毎日起きた信州大学の名誉教授が、これを使ってこむら返りが起きなくなったと言って、あちこち宣伝してくれたり、知人のおばあさんがリュウマチで何年も全く指が動かなかったのが、貼った途端に動いたとか、耳鳴りと低体温で長年苦しんでいたお客のおばあさんが、耳の後ろのÅ点に貼ったら体温が上がり耳直りが治ったと、電話で30分以上も喜びの声を聴かせてくれたとか、その様な話はとても書ききれない。
 しかしこのコイルの売れ行きは?と言うと鳴かず飛ばずの状態で、私の女房が一日2時間位会社に来て、このコイルを売り始めた頃の雑誌「安心」で得たお客様関連のお客からの注文を処理するだけの状態であった。
 先般のワールドカップのサッカーとか、駅伝マラソンの選手らが、肝心なところで足が攣って動けなくなるような場面を見る度に、私はセルパップコイル一粒ふくらはぎに貼っていたら、あのようなことが防げたのではないか?と思う。
 
 このコイルが楽天市場で、もしブレイクしたら、これは凄いことになるのではないか?と密かに期待しているが、果たしてどうなるか?は今のところ分からない。
 しかし、この記事をお読みの皆さんが、「楽天市場 セルパップコイル」と検索して戴くことによって、間違いなくその順位は上がって、より多くのお客様の目に留まることは間違いない。

 ご協力をお願い致したい。 

腰痛と合唱録音とスクート航空

2018-7-1 9:40 : カテゴリ : 
社長の部屋
執筆 : 
selco
プロローグ

先般の地震の時に大阪行きで合計11時間、ほぼ座りっ放しで、次の日は三重の得意先まで行って帰り、それから4日後、突然7,8年ぶりにギックリ腰になった。

 久しぶりのギックリ腰、それもかなりの激痛に、一時「これはもうずっと立てなくなるのではないか?との恐怖感が頭をよぎった。

 私は25,6歳の頃に高校時代迄やっていた卓球を会社の先輩(六大学リーグに出ていた人)のスマッシュを取ろうとしてグギッとやってから、ずっと腰痛に悩んでいた。

 そして50を過ぎると、年に2度位はちょっと腰をひねったリ、重いモノを持とうとした拍子にギックリ腰をやり、1〜2日間は全く立てない状態を経験していた。

 しかし当社で販売しているセルパップコイルに出会い、セルパップコイルを腰に当てながら生活するようになってからは、腰痛はあってもギックリ腰で動けなくなるようなことは一度もなかった。

 それが突然、この状態である。

 これは先般の大阪行き新幹線閉じ込められ事件の後遺症・・とずっと思っていたが、よくよく考えたら、それもあったかもしれないが、直接の原因は息子が買ってきた、床に這いつくばりながら取手のついたローラーを転がすジム用のトレーニンググッズを年がいもなく毎日30回も頑張ってしまったせいであった。

 最近腹回りが気になる私は、腹筋に効くこのマシーンでどうにか早く効果を出したかったが、同時に肩から背中、腰へはそれ以上に負担がかかっており、今までに無いようなギックリ腰になってしまったようだ。

 年寄りの冷や水・・・と云うことだ。

 

「My heart of YUI」(結いの心)=私が作詞した楽曲の録音)

 ギックリ腰の場合は、とにかくそのままじっとしているしか方法が無い。じたばたしても簡単には復帰できない。

 しかしこの日は小諸から約1時間のラクビ―の合宿とかで有名な菅平スキー場のホテルにあるスタジオで私が作詞した曲を半年も前にお願いしていた合唱団に歌ってもらい録音する大事な日であった。

 無駄な抵抗ではあるが、腰を伸ばしたり、セルパップを何枚も貼ったリ重ねたりして、どうにか運転をして菅平まで行った。

 合唱団の指揮者の森さんは熱心で、私と録音技師(PAと呼ぶ)の岡本さんと共に菅平のマッキンレーというホテルのスタジオに着くと、既に会場に到着していた。

 前の週に下見をしてあったため、どのような装置でどう録音するか?は岡本さんが決めていたため、準備はスムースに進み、予定の1時半には15名の合唱の人達も集まって来て録音が始まった。

 全く素人の私が書いた曲がちゃんと編曲され、楽譜化され、大勢の人達に歌われると何かこの曲は自分を離れこの歌っている人達のモノに思え、何ケ所か「ちょっと違うなぁ」と思った箇所があったが指摘せずにいたが、後から駆けつけた作曲者の神原恵里子さんがきちっと指摘し、違和感のある部分は訂正され、無事に録音が終わった。

 これはまた次のブログでゆっくり聴いて戴きたいが、詞をここに載せておく。

 

 ― 結いの里テーマソング −

「結いのこころ」(My heart of YUI )

    作詞:小林延行 作曲:神原恵里子      

                                 

人と人とが めぐり合って何かを 

互いに感じ合って 近づいて行く

 

明日の夢を 語り合って心を 

互いに見つめ合って 繋がって行く

生きてる意味を 探し求めて

迷う心で 探し続けて

巡りあった 「結いのこころ」

固い絆で 結ばれてく

My heart of YUI

 

 (間奏)

 

人と人とが 譲りあって何かを

互いに与え合って 近づいて行く 

 

一人一人を 認め合って心を

互いに通わせ合って 繋がって行く 

 

信じる意味を 探し求めて

悩みながら 探し続けて

巡りあった 「結いのこころ」

強い絆で 結ばれてく

My heart of YUI

 

My heart of YUI

 

My heart of YUI

 

 とにかく、素晴らしい出来で、フェイスブックをやっている神原さんから3日で420人の人達が聴いた・・・と興奮気味にラインが来る。結局、彼女と相談し、CDを作ることにした。

 私の曲は私が62歳の時のセルパップブラザーズの小泉さんに始まり、井上隆さんという殆どプロの作曲家、そして神原さん、その他2名、計5名の作曲者に曲を付けてもらい合計17曲になるが、今回は長年の懸案だった合唱曲「My Heart of YUI」(結いの心)の録音がようやく叶ったのであった。

 

タイ行き 

 素晴らしい録音に気を取られているうちは良かったが、おちつくと腰が痛い。

 日曜日は一日家でおとなしくしていたが、翌々日=火曜日の夜中水曜午前3時に中央タクシーという乗り合いのタクシーが迎えに来て成田迄約4時間、それからタイまで約6時間、座ったままで行かなければならない。

 さすがにじっとはしておられず、特殊な治療をしてくれる当社の治具を作る会社の元社長に無理やり頼み、夕方治療をしてもらい、それまでよりは大分良くなったが、未だ未だ完璧とはいかない。

 

セルコの朝礼

 月曜日は会社の朝礼があり、私が元気よく気合いを入れる日である。

 よっぽどギックリ腰で・・・と従業員に打ち明けようか?と思ったが、結局は黙りとおした。

 当社の朝礼はちょっと面白い、経営理念をみんなで唱和し、私がお得意の教訓を述べた後体操し、みんなで事務所を囲んで輪になって、連絡事項が終わった後、私のセルパップ時代、世の中を風靡した(?)オリジナルロック曲=NHKに三回,民放にニ回、内一回は「おはよう日本」にテレビ出演した曲・・・「中小零細Q.C.D.」を大音量で流し、一人一人と握手をして回るというパフォーマンスがあり、これが終わった後、毎日順番に一人一人が自分の言葉=「暑さに負けずに頑張ろう!」とか、「目標達成するぞー!おぉー!」とか・・・をみんなで気合いを入れてから仕事が始まる。

これも腰の痛さをおくびにも出さず、やってのけた。

 しかし、しばらく座っていて立とうとするとメチャ痛い。

 だから、無理やりちょこちょこ席を立ちながら仕事をし続けた。

 2日間、そんなことをしながら会社に居たが、いよいよ出発の夜がやって来た。

 早めに寝て夜中の2時に起きようと思ったが、腰の痛さが気になり、なかなか寝付かれず、どの位寝たか?結局1時頃眼がさめてしまった。

 前の日の100円ショップで300円の首に巻くクッションを買い、これを腰に当てながら午前3時前、タクシーに乗り込む。

 今回は品保の祢津課長も一緒に行った。

 

スクート航空

 このタイ行きの飛行機の話は腰が痛くなるずっと前に遡る。

 仕事仲間のある会社の常務から、タイに行くにはとても安くていい飛行機がある・・・と聞いた。

 それはスクート航空といってシンガポール航空の格安航空会社で、通常7万円以上するチケットが3万円位で買えるとのこと。

  最近はできるだけ炭素繊維使用でエコノミーでも座席の間がちょっと広い787型を使っているJALに載るようにしていた私は、このスクート航空も787型機と聴いて、飛び付いた。

 34,000円とウソのような価格だ。

 後から行くことに決まった祢津課長にも同じ便を使うようにした。

 ・・・と云う伏線があって、これからの話を聴いてもらいたい。

 タクシーの中では、一番前の席に座り、足を放り出し、腰をできるだけ伸ばすようにしたり、手すりにつかまって腰を伸ばしたり、ストレッチしながら座っていた。

 タクシーは時間に余裕があったらしく、途中3回もトイレタイムを取ってくれたのは腰痛持ちには嬉しかった。

 結局、タクシーは10時のフライトに対し3時間前の7時に空港に着き、時間をやり過ごしていた。

 祢津課長が、飛行機のアップグレードでビジネスクラスはプラス6000円だというので、搭乗手続きの時に聴いてみたら、倍以上の14,000円だという。

 ここで渋るのも社長として恰好悪いし、何しろ腰痛の件があるため、太っ腹で二人共、アップグレードのビジネスクラスになった。

 私は一度だけ、エコノミーチケットでサービスアップグレードしてシンガポール航空の飛行機に乗ったことがあるが、その時のCAがとても綺麗で、チラチラ見ていると目があってしまい、「何か御用ですか?」と英語で聴かれ、調子に乗って「ワインプリーズ!」を連発し、飲めもしないワインをたらふく飲んだ経験があるが、その別世界を夢見て二人で85番ゲートに向かった。

 時間が迫って来ていつもうらやましい気持ちで眺めている「優先搭乗」で早速とビジネスクラスに乗り込もうとしたら、場内アナウンスが言う「本日は成田空港強風のため、飛行機が降りられず、遅れていたこの便は名古屋空港に着陸することになりました」とのこと。

 大体飛行機と云うものは、出発搭乗時間までにはゲートに入っており点検整備をしてからお客を迎え入れるものだが、今これから名古屋空港に着陸するというから初めから何かがおかしい。

 そういえば、タクシーの中で祢津課長が変なことを言っていた。

「僕は雨男で、いつも出かける時は暴風雨だったり強風だったりしますので、よろしくお願いします」

そうは言っていたが、まさか今日は良く晴れているし、そんな心配は一切せずに来たが、その嫌な言葉が現実になって来た。

 出発時間の10時に名古屋空港に着陸、それから風が収まって名古屋を飛び立っても2時間はかかり、それから整備点検で3時間・・・・・一体いつ飛び立つのか?分からなくなって来た。

 その内に85番ゲートがお客の名前を呼び出し、我々も呼ばれた。

 まずビジネスクラスの人達から他の飛行機に乗り換えをしますとのこと。

 この時は、ビジネスクラスにアップグレードしたことを二人で喜んだ。

 カウンターの前で、エコノミーのお客らしい人が、怒鳴り出した。「何をやってるんだよー!まだこの時間に飛行機は名古屋を飛び立っていないと言ってるじゃないか!いつになったら乗れるんだよー!」

 これは尤もだ。

 この調子でこの所定の飛行機を待っていたら今日中に飛びたてるか?どうか分からない。

 あちらの方でも外国の女性が何やら同じようなクレームで大声を出している。

 係員も総出でお客に当たっているが、烏合の衆よろしく実際に動いているのはほんの2,3人だ。観ていてモタモタモタモタで、これではお客にガミガミ言われても仕方ない。

 

 どうにか今日中には着きたい我々はたまたまのアップグレードに助けられ、83番ゲートの同じスクート航空の飛行機に乗り込むことになった。

 ビジネスクラス・・・である。

 颯爽と乗り込んだ・・・・が、そうあんまりビジネス・・・と言う感じがしないシートだ。

 テレビ画面も付いていない。

 それでもまあ、ビジネスクラスだ。

 乗り込んでからがまた大変だ。

 強風のため、飛行機離陸のための順番待ち・・・と云うことでこれから1時間はかかります・・・とのこと。

 10時出発のはずが、3時間を要して、ようやく便を変えて乗り込んだ・・がまたここでも「待ちぼうけ」

 1時時間が過ぎようとした頃に、また場内アナウンスで、更に一時間・・と来た。

 結局、格安航空便は空港利用料も値切っているだろうから、何か問題があった場合は、一番後回しにされるということだろう・・・と理解した。

 

 ここで私は、何かどこかで同じようなことがあった!事を思い出した。

 先週の大阪行きの新幹線だ。

 あの時も、出発しそうで出発しない、ずるずるずるずるやっていて、丸一日を無駄にした。

 どうも今日も、その時と同じようなパターンが漂ってきた。

 

 普段は有料の昼飯と飲み物一品がサービスで出て来た。

 後は有料だ・・・とのこと。

 ケチケチしている割にはグングン冷えて来て、寒くなったので、ブランケットを要求すると、何とこれも有料・・・とのこと。それも$22=2400円、持って帰れてかわいい絵が付いているとのことだが、それはあんまり買おうと思うインパクトにはならない。

 なるほど、チケットは安いが、機内を寒してブランケット販売で稼ごうという企業戦略を垣間見た私は、その戦略には引っかかることなく、頭上のバッグを降ろし搭乗前に買ったタイで着ようと思っていたTシャツを引っ張りだし、ひざ掛けの代わりとした。

 食事が運ばれて来たが、トレーがなんとなく斜めに傾いている。

 これはひじ掛けから引っ張り出す方式の簡易トレーが、よたって傾いているのだ。

 ただ置くと滑り落ちそうなコーヒーを握りしめながらの片手での昼食もスリルを味わえる。

 その後、テレビも無い、本も読みつくしてやることもなく、かれこれ4時になる。バッグのコンピュータを引っ張りだし、このブログを書き始めたが、何せこの簡易トレーの傾きが気になる。

 通りかかったCAのお姉さんに空いている前の席に移って良いか?尋ねると、お姉さんは慣れたもんで、その席の簡易トレーを引っ張り出し、「ハイ、こちらも傾いています!」・・・・とのことだが、隣はかなり幅の大きい人が座っていたため、両隣に誰も座ってないそちらの席に移ることにした。

 結局はそのトレーをばたんと開かずに、開く前のままにしてコンピュータを置くと、結構安定感があり、問題なく文字が打てた。

 どんな困難に出会おうとも、常にベストを尽くす精神の私は、今回も見事様々な困難を克服したのであった。

 結局、10時発のフライトが、4時30分、この飛行機はようやく飛び立ってタイのドングァン空港(以前の国際空港で、今は通常はスワナンプール空港だがこれもやはり空港利用税が安いのだろう)に無事に離陸した。

 結局、タイ時間で午後3時着が9時(日本時間で11時)着、タクシーに乗ってホテルに向かった。

 

 タイでは現在当社のメインのお客様対応で、2日間に亘り色々と協議し、それなりの成果を得た。

 その中で今回の仕事の設計者の人が来ており、当社採用の際の話を聴くことができた。

 その一番の基になったのが、私の書いたブログだという。

 私のブログは、殆どは前回、今回のように私の失敗談とか音楽、新老人の会等の行事が多いが、要所要所に当社の高密度コイルのことを書いている。

 恐らくこの方は、この高密度コイルに関する私の考え方を6〜7年前に読んだものと思われる。

 そして当社に白羽の矢を当てた。

 しかし、社会インフラとなるこの仕事、技術だけはあるが、他のものは何もない当社を採用するということにはかなりの難があり、社内ではかなりの批判、軋轢があったようだ。

 その頃の当社は、とにかく売り上げは限りなくゼロからただただ技術力を頼りに生き延びて来た当社は、体制面、経営面・・・特に借入金とか不良債権とかの問題があり、普通の大手では敬遠するような内容であった。実際、試作をやる段になり、財務チェックで「お宅とはお付き合いで来ません」と断れたメーカーもあった。

四面楚歌の中でも、この技術者の方は、自分達の設計を完遂させるためにはセルコしかない・・・と云う思いで頑張ったようだ。

 私は私で、こんな大きな話が当社にすんなり来るわけがない!技術を盗まれるだけで終わるのではないか?と危惧していたが、そのままスムースに大きな仕事に繋がっていたため、何らかの神風が吹いたのだと不思議に思っていたが、このことを聴いて腑に落ちた。

 

 果たしてこの仕事は、想像以上に規格が厳しくコイルのインダクタンスを±1以内というトンデモナイ規格が示された。抵抗、インダクタンスは通常±5%、いくら頑張っても±3%が限度、±1%と云うのはまず当社を含め、全てのコイル生産者はNOというレベルだった。

 私は勿論そんなバカげた規格は無理なため、営業担当者に断るように言った。

 もし試作でチャンピオンコイルを出して通過しても、量産で不良の山になった場合は、どうしようもないからだ。

 但し一つだけ、私にはアイデアがあり、どうでもならそれをやってみるように言ったが、それはもっと大きなコイルだったら出来るが、これは細くて小さいなコイルのため、無理だという。

 しかし最終的には、結局、その方法をトライしてみることになった。

 ボビン金型に関係しているため、金型を作りトライした。

 大分苦労したようであるが、どうにかインダクタンス±1%をクリアーした。

 また、コイルとの組み合わせになるフェライトコアの規格も同じように厳しかった。

 最初、台湾企業、中国生産のこの企業の日本人技術者からは、これは何かの間違いではないか?と言う。フェライトコアにこれだけの規格の要求はありえないとのこと。

 こちらも断られる寸前まで行ったが、タイの会長(兄)と私で先方迄出かけて行き、どうにか説得し、やってもらうことになった。

 結局、このお客さんの技術の方の選択は正しかった。

 ±1%のインダクタンスは±0・5%迄抑え込み、コアの方も度々中国の生産拠点を訪れ頑張ってもらい、試作を国内で3〜4年しながら問題解決をした後、タイのTIT社に持ち込んだ。

量産立上げは普通何らかの大きな問題が出るはずが、殆どこれといった問題もなく生産を上げ、一時は土日返上、24時間体制で通常の2倍近い生産を上げ、お客様の数量対応をし、その後のコストダウン要求にも答え続けて来た。

 これをもし他社で立ち上げようとした場合は、技術の問題から生産体制の問題等、かなり難しかったことと思われる。

 

フライト1日、滞在2日したその日の夜中便で帰ることになっていたが、また何らかのトラブルが気になる。

 腰の方も一進一退で、今回はいつも何回も行くマッサージも行っている時間もないため、一寸座っていると痛みが出る・・・と云う状態を繰り返していた。

 

 ドングァン空港もそんなにみすぼらしくはない。

 大連空港に比べれば立派なもんだ。

 チケットカウンターで早速、アップグレード交渉をしたら、どうにか取れた。

 さしたるトラブルもなく、帰りの便はリクライニングもかなりいい具合に効き、一寸一杯ビールを飲んで、アイマスクをして離陸したのもわからず寝込み、帰宅の途に就いた。

 このスクート航空便、結局34,000円+行きのアップグレードプラス14,000円、帰りのアップグレード+16,000円、合計64,000円也で通常のチケットとあまり変わらなくなったが、結果オーライ、それと最大の課題であった腰痛も緩和したような気がするので、まぁ!いっか!?