社長交代

2020-5-24 16:47 : カテゴリ : 
会長の部屋
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selco

この26日が株主総会で、この日を持って、私は会長となり、長男の靖知(のぶとも)が社長に就任する。

私は代表権を持った会長となる。

良く、自分が身を引き時はきれいに居なくなれ・・というが、私の社長交代は、そういう種の交代ではない。

基本的には全くほぼ今まで通りの状態で行こうと思っている。

勿論、息子には「社長」としての自覚と、責任は持ってもらう。

そして、出来るところから、私は手を引いて行くつもりだが、しばらく「見習い社長」をやってもらい、当分二人三脚で行ければ・・と思う。

 

私にはまだまだやらなければならないことがある。

一つは、私の生涯の夢、「セルコを理想の会社にすること」であり、これも着手してから約1年半、いよいよどうにかなりそうな雰囲気が出てきた。

 

これは、私が総経理をしている中国大連では、かなり理想に近い会社になっている。

こちらは、副総経理に私の考え、やり方を教え込んだだけで、私は3,4ケ月に一度くらい行っていただけで、かなり良い状態になった。

今回当社も、コロナで大分受注に影響が出てきたが、この大連で手掛けているコイルの一つが、たまたま人工呼吸器用のコイルだったため、2月以降、倍々で受注数量が増え、通常ではギブアップするような状態であった。

しかし、この工場は決して「できない」とは言わない。

コロナで大騒ぎだった春節後、どうなるか?と思っていたが、コロナの影響で二人だけ2週間来られなかったが、後の人達は、バスも電車もタクシーも止まってしまった状態の中、乗用車で通う社員が、それぞれの家に送り向かいし、全員で、残業、休出し、また女子は全員、そのコイルを持ち帰り、家でカットの内職をして翌朝会社に持ってくるようなことをしながら、倍々となって行くオーダーをこなし続けた。

当時18名だった人員も、今はアルバイト含め31名で、2月から今まで3ケ月、たった一日だけ休みを取っただけだ。

朝は、始業の15分前に私が工場へ行くと、きちっと掃除がしてあり、全員が机に座って仕事の準備をしたり、既に仕事を始めたりしている人もいる。

「握手会」といって、セルコで毎日音楽をかけて一人一人と握手して回る(今はできないが・・)のだが、これをこの大連でも私が行った時はやると、みんな恥ずかしそうだが、とても良い笑顔で対応してくれる。そして今日はみんなでご飯を食べに行こう・・というと、全員が揃って参加する。

それも、飲み会や食事会の時の皆さん表情を見ていると、皆楽しそうで和気あいあいで、私が唱える「社員は家族だ!」という雰囲気がこの大連には既にある。

 話は大分飛んだが、この本体のセルコも、そのような雰囲気の会社で、またそれぞれの担当者のスキルが抜群の会社になれば・・最高だと思ってる。

 

その二は、「高密度圧縮・成型コイル」の拡販というよりは、一般化だ。

私は「進化論」は、ただ生物の専売特許ではないと思っている。

この世の中の産業や鉱工業も、どんどん進化する。

モーターは?というと、戦後殆ど進化して来なかった。

しかし昨今のEV化の波に乗って、ようやくモーターの効率化ということに、まず車の会社が気付き始め、モーターも進化するということを世の中がすこしずつ気が付き始めた。

モーターの効率化には、コア、磁石そしてコイルの進化が必要だ。

コイルの進化は・・・と云ったら、色んなアプローチはあるが、セルコの高密度圧縮コイルが最適だ。

今は、結構平角線に目を向けているが、私は最終的には当社の丸線を圧縮し成形までする技術が世界を制するだろうと思っている。

そのブレイクする日がいつか?が問題なのだが、これは私が未だ現役で頑張っているうちか?引退後か?それともいなくなった後か?

できれば、私が未だ現役のうちにブレイクさせたというのが私のもう一つの大きな「やらなければならない」ことだ。

 

私は今、セルコ50周年に向け本を書いている。

仮題は「会社とは 仕事とは 人生とは」である。

私の3回の会社遍歴。

その3社での仕事。特にセルコでの仕事と社長になってからの仕事。

そして、私の人生、幼少期、青年期、熟年期、そして現在。

・・・これは私の会社、仕事そして人生の集大成となる本になる。

 

最近、ブログはあまり書かないが、こちらの本に集中しているからだ。

本が書きあがったら、また今度は「会長の部屋」としてまた、皆さんに色々と発信して行きたいと思う。

創立50周年記念式典延期へ

2020-4-7 6:45 : カテゴリ : 
会長の部屋
執筆 : 
selco

 新型コロナウィルスの影響により今年7月29日(水)に予定していた「セルコ創立50周年記念式典」の延期を決定致しました。

 今年で50周年を迎える当社ですが、40周年の時はリーマンショックの後遺症でかなり大変な時期だったかと思いましたが、今年はまたまさかのウィルス騒ぎが、ここまで広がるとは思ってもおりませんでした。

 今やグローバル社会で、中国武漢で発生したこのウィルスは、瞬く間に世界中に広がり、各国は対応に大童です。

 当社はスイスの会社から受けているコイルがたまたま人工呼吸器に使われるということで、毎日煽りのメールが入ってきており、「少しでも多く造れば、人の命が救われるんだ!」と言って生産に発破をかけております。

 お祝い事は、また落ち着いてから、じっくりゆっくりやろうか?と思います。

 今は、とにかく、コロナウィルス対策に全力をあげるしかないかと思います。

 とにかく、気を付けましょう!

 

 

新年に寄せて

2020-1-1 11:23 : カテゴリ : 
会長の部屋
執筆 : 
selco

また新しい年が来た


…と云うより「また新しい年を迎えられた」というべきか?


年末に腰を痛めて、昨年初めて会社を2日間休んだ。


痛む腰に身動きもできない寝床の中で考えた


人間は、ただ動けるだけでも幸せだ


生きているだけでも幸せなんだ・・・と


 


しかし、時間が経ち、身体の調子が戻ると、いつもの「あれも・・、これも・・」の悪い癖が出始める。


「そろそろ・・・」と考えるのも私であり、「まだまだ・・・」と思うのもこの私である。


あるきっかけがあり、この二つを両立させるために良い案を私は考えた


今年7月、セルコは50周年を迎える


この記念すべき時に社長を息子に譲り私は会長として私が今まで築き上げてきたもの、そしてまだまだやり残しているモノを息子と共に築き上げ、次の時代に繫げて行くべきではないか・・と。


このまま身体の調子さえ良ければ恐らく「生涯現役」を目指す私は、このままトコトン行ってしまうのではないか・・と思う。


トコトン行ってPPK( ピンピンコロリ)の私自身は良いかも知れないが、後に残った人達には多大な迷惑がかかるし、せっかく築き上げてきた土台が、千曲川の堤防のように崩れ落ちたら、会社は一溜まりもなくなることを考えると、逆に一刻も早く…と云う気にさえなる。 


・・・ということで、社長の椅子を今年の株主総会時に息子に手渡し、以降は会長として、大所高所から軌道が外れてないかどうかを見て行くようにする。


また、まだやり残したことは現役の経営者としてきちっとやる。


…と云うことにしたのだ。 


今後の会社目標も、10月に伊那食品工業へ息子と一泊研修に行った際に、奇しくも、私の今年度の精神目標として掲げた「みんなでしあわせになろうよ!」という言葉が塚越名誉顧問の口から出たことから、今後のセルコの会社目標はこの言葉にしようと息子と共に決めた。


”みんな”というのは、まずはもちろん従業員の幸せではあるが、結局大きく考えると、従業員の家族、取引先、得意先等、セルコに拘わる全ての人達の幸せと云うことになる。


まず自分たちが幸せになる為には、どうしたら良いか?


…これは、従業員全員が考えて、目標を持って頑張ってもらうしかない。


もう一つ、達成目標がある。


 それは「明るく 楽しく 健康的で ピカピカの職場を目指そう!」という、これはある年の目標が気に入って、これまでもずっと唱えてきた達成目標であるが、これに「楽しく」の一言を付け加えた目標だ。


 


それぞれの言葉の解説


 


 <明るく>


朝は一日の始まり


「おはよう!」、は大きな声で何度でも


声が飛び交う明るい職場


 


<楽しく>


みんなで旅行に行く


みんなでスポーツ大会をやる


みんなで忘年会やお祝いをする


みんなでお茶飲み会をする


 


<健康的>


規則正しく良い食事


みんなで掃除


しっかり体操


テキパキと仕事をして早く家に帰る


 


<ピカピカ>


みんなで整理、整頓、清掃する


いつもきれいに保つ


そんな職場からは不良な一つも出ない


 


そして、従業員は家族…と云うコンセプトを基に、下記のような「家族憲章」を作成した。


 


家族憲章


家族だから いつも一緒


喜びも 苦しみも 悩みも 楽しみも・・・・


 


家族だから いつも力を合わせる


助け合い 励まし合い いたわり合う


 


家族だから 話し合う


トコトン話し合い、悩みを聴き、話す


長所も短所もすべてがその人なのだから


否定をしないで良いところを伸ばそう


 


時には、叱ったり、叱られたりすることもあるし、


お互いが本音で喧嘩をしたりすることもあるが、


絆をもっともっと深めよう


家族なんだから


 


親が子の面倒を見る


お兄ちゃん、お姉ちゃんは弟や妹の面倒を見る


誕生日を祝い、結婚、出産を祝い、病気やけがの時も常に寄り添う


後には子が親の面倒を見る


家族なら当たり前


 


一人として落ちこぼれはいないし、出さない


全員、大事な 大事な 大事な家族だから


 


家族だから、お父さんが稼いだお金を、みんなで使う


お金の使い方も考える 無駄使いをしない


道具もピカピカで丁寧に使って長持ちさせる


 


大変な時はみんなで我慢


いい時はみんなで喜びを頒ち合う


 


みんなが幸せになれることを


みんなで考える


だって家族なんだから・・・。


 


ついでに「夢」の大切さを考える


 


<夢>


夢があるから


目標が生まれる


目標があるから計画する


計画があるから


実行する


実行するから


夢が実現できる


  そして・・・・幸福になれる

 日経ビジネスにパナソニックのレッツノートの記事が載っていた。
 タイトルは「パソコンは未だ稼げる」
 世界のパソコン市場のトップ3は、|羚颯譽離棔Ε哀襦璽廖↓∧謄劵紂璽譽奪函Ε僖奪ード、J謄妊襪如日本は、価格競争に負け、存在感は殆どない。
 そんな中でパナソニックが頑張っているという。
 神戸市のパナソニック神戸工場でレノボ・グループが年6000万台規模に対して、年100万台ではあるが、規模を追わず、顧客ニーズをきちっと捉え、効率を上げる工夫をしながら生産している。
 
 日本の家電は、ここ20年ほどの間に、殆ど中国や韓国、台湾に持って行かれてしまった。
 その一番の要因は、とにかく安さの追求=安く造って大量に販売することこそが、グローバル化に対応して生き残る道だと思ったからである。
 そこから、“メイド・イン・ジャパン”という考え方は自ずから消え去り、安ければどこで造ろうがOK・・・という考え方が蔓延した。
 日本のメーカーは中国の安い労働力を当てにして、我先に・・・と中国へ出て行った。
 そこで起こったことは、“自明の理”である。
 日本のモノ造り技術がドンドン中国に根付き、やがては中国で品質的にも変わらない製品が出来るようになってしまった。
 当然、巨額にして巨大な日本の本社組織を抱える日本は、中国とか韓国の身軽な企業と闘っても、コストでは勝てない。
 結局は、ただただ技術を教えて、仕事を取られてしまっただけなのだ。
 
 これまでの話は、誰もが知っている日本の家電市場喪失のストーリーかと思うが、以下に私の考え方を披露したい。
 
 日本のメーカーはバブル崩壊後、こぞって中国へ生産移管をしたが、これはすべきではなかった。
 ・・・というよりも、少なくとも日本に生産を残すべきであった。
 日本のモノ造りは、特に部品は、日本の中小零細企業が賄っていた。それもかなり精度の高い、優れものだった。
 良く”過剰品質“と言われるが、正に過剰品質で我々は部品を造っていた。
 なぜなら、メーカーがそれを望み、それが出来なければ、我々は生き残れなかったからだ。
 当社は、ドットプリンターのソレノイドコイルとそのアッセンブリ―がメインだったが、抵抗値の管理は非常に厳しく、12個いっぺんに巻く機械で、結構バラツキのある電線やボビンを使用しながらも、抵抗値をど真ん中に調整すべく、線の張り(テンション)の調整をしたり、巻の調整をしたり、涙ぐましい努力をして巻線をした。
 なぜなら、もしそのコイルに抵抗値の規格が外れたものがあったら、即得意先は即連絡してきて、工程に数量の余裕がなければ、否応なしに数人得意先に飛んで行って測定・選別、上手くして、全数返品で再検査、となるからだ。
 これもそのうちに、“社重”といって、得意先の受け入れ検査を無くす代わりに、全面保証・・・・というような、今から考えれば、無謀なことを下請けに背負わせていた。
 しかし当時の”下請け”は、とにかく得意先から言われるままであり、我々はその重圧から逃れるために、さらに管理を強化して、巻線し、検査し、もしも数値が真ん中から少しでも外れ始めると、即調整し、とにかく”ど真ん中“以外は製品じゃー無い・・・という位の管理をしていた。
 しかし今考えると、これが”メイド・イン・ジャパン“の正体だった。メイド・イン・ジャパンは過剰品質そのものだったのだ。
 
 それでは、各メーカーが中国や海外で自社で造った部品、或いは近隣の安い部品を購入して組み立てた製品は、果たしてどの程度のモノだったのだろうか?ということである。
 私が海外移管後、行ったあるメーカー(以前当社が巻いていた)では、この12本いっぺんに巻く巻線機のノズルを月に何十本も交換していると聴いた。
 一本確か当時6,7千円したノズルは、当社では1本曲げたり、折ったりしたら「始末書モノ」で大騒ぎしたものだったが、このメーカーは、機械の台数も多いかもしれないが、何十本もダメにしていた…すなわち、巻が乱れていることが容易に想像できるのである。
 巻が乱れていては抵抗値は間違いなくバラつく、プリンターの印字が日本の頃とは比べ物にならない位のレベルになっているはずである。
 これが、”メイド・イン・ジャパン“の消えた大きな要因なのである。
 
 現在、パナソニックが国内で今なお、もうとっくに消え失せたはずのパソコンを造っているということは驚きであった。
 ソニーから独立したVAIOの存在は知っており、私のパソコンはVAIOだが、まだパナソニックのパソコン生産が国内で生き残っており、それも採算が取れ、業績が伸びている…という事実は、多少日本のモノ造りに光明を与える事例かと思う。
 願わくば、その部品は国内製・・国内の中小零細メーカーのモノであれば、いうことは無いが、これは私には分からない。
 しかし、これが日本のこれからの向かうべき道の一つであることは間違いない。
 特に、パソコンとかの重要な製品は、日本の最高級のモノ造りで対応すべきである。最高の品質=我々中小零細が造るバラツキの無い優れた製品である。
 私は今は各個人にとって一番大事な“スマホ”は国内で、前部品国内調達で造るべきだと思う。最初は国内の少数派から始まり、やがては世界中のスマホは日本製になるのは間違いない。
 混ぜなら故障が殆ど無くなるからである。
 
 国内で造れば高い…というが、これから量さえあれば、いくらでも自動化、ロボット化が可能であり、その自動化、ロボット化も日本が世界で一番得意な分野である。
 自然エネルギー活用で電気代を極力カットして、オール自動で、大量に先校の品質の製品を造る・・・
“安くて品質ピカ一”、これが”メイド・イン・ジャッパン“の復活となる。
 
 すなわち日本再生につながるただ一つの道なのだ。

 

台風の被害について

2019-10-13 10:53 : カテゴリ : 
会長の部屋
執筆 : 
selco

  テレビ等で長野県の台風被害が報じられておりますが、ここ小諸地区では、全く問題ありませんので、ご報告しておきます。

 ご心配、お掛け致します!