近畿地震と新幹線の出張

2018-6-20 10:21 : カテゴリ : 
社長の部屋
執筆 : 
selco
群馬で地震が起き珍しいなと?と思っていたら、今度は近畿地方で地震が起きた。

折しも私が大阪へ向かおうとするその矢先だった。

いつもギリギリに時間設定する私が,殊勝にも一本早い佐久平から東京への一番列車に乗り東京に出て、8時3分発のひかり(のぞみは大人の休日倶楽部3割引きが効かない)に乗って東京から大阪へ向かう東海道新幹線の電車の中の出来事であった。

今にも発車・・・という時刻になって社内が突然暗くなり非常灯に代わった。

最近東海道線では殺人、山陽新幹線では新幹線自殺・・・と色々とあったので、今度は何?と思ったら、車掌が回って来て肉声で「近畿地方に地震があり、新幹線の送電が一時ストップして自動停止状態となっております」とのこと。

しかし私も周りの人もあまり動揺はせず、少し時間が経てば動き出すだろうと思っていた。

しかし、なかなか動かない。

 

約1時間後、停電が回復し電車が動き出したが、品川で停まった。

そしてアナウンスで大阪―京都間の点検に約3時間はかかる・・・とのことで、取りあえず、第一目的だった、大阪店天王寺のアベノハルカス12階のレストランでのタイのTIT会長とお客様の3名での会食がてらの打ち合わせはキャンセルすることにした。

その後、その予約したレストランからも本日は休業との電話連絡が入った。

大阪の電車も動いていないようだ。

それから新幹線は全く動かない。

私の仕事は最近はもっぱらPCでのメールでのやり取りが主のため、この雑音のない静かな新幹線空間は、途端に私の簡易オフィスに早変わりした。

メールチェック返信後は、普段なかなか時間が取れないセルコのホームページブログ、「社長の部屋」への投稿もじっくりできた。

何かに熱中すると私は時間の感覚が無くなってしまう。

いつの間にか12時になっており、あれから3時間が経っていた。

 

その後、タイの会長と連絡を取って、大阪市内も電車が未だ復旧してないとのことで、このまま会社に戻った方がいいだろう・・・と云う結論に達し、あちこち拡げた書類やコンピュータをバッグに詰め込み、降りようと・・・した途端に間が悪く?ドアが閉まり、新幹線が動き出した。

結局、新横浜迄動いた。

 

お昼を過ぎたため、何か食べたいと思っても売店もなく、どうしようもない。

「お急ぎのお客様は隣のホームの『のぞみ』に乗り換えてください」とのアナウンスで即乗り換えたら12時40分過ぎ頃動き出した。

結構調子良く走って名古屋手前迄1時間半くらいだったが、・・・・その手前で全く動かない、折しもカーブするエリアか?と思われるが車体が右の方に大きく傾いたままである。

結局、1時間位そこに立ち往生した後、名古屋に着いた。

名古屋からはスムースに動き始めたが、また京都の前でストップ。

会長の方は、どうにかタイの懇意にしている会社の大阪在住の方に車で迎えに来てもらい、第二の目的であるPM3時からの大阪のメーカーさんへどうにか辿り着いたようだ。

何か、大阪市内の携帯電話が繋がらず、その得意先は私を通じ連絡を取り、タイの会社はタイと連絡を取って大阪の社員に連絡を取っていたとのこと。

普段便利に使っているモノは、災害時には逆に大変不便になってしまうという教訓か?

結局、私が大阪に着いたのは5時過ぎ、お客様との打ち合わせが終わってしまっており、その後、会食を・・・と云う話があったため、せめてお客様のコストが1/3,1/4になるかも知れないという画期的なVA提案のサンプルだけでも見てもらおうと思ったが、とにかく新大阪から先が動きが取れない。

電車はオールNG、タクシーは長蛇の列で、いつになったら乗れるか検討もつかない。(のちのテレビでもこのタクシーの列を大変な状況として映し出していた。)

お客さんと会長に連絡を取り、結局そのまま引き上げるしかないということになった。

 

私は翌日は名古屋から三重のお客さんに行く予定となっていたため、ホテルは京都にとっており、そのまま京都に向かった。

飲まず食わずの一日だったため、夕飯は思い切り上手いモノを食べてやろうと思ってあちこち歩き回ったが、結局お好み焼き屋さんに入った。

メニューを見ていると、店の女の娘が、「前のお客様からのリレープレゼントで肉ニラのお好み焼きのプレゼントがあります!」ということで、、、私は小食のため、それだけでいい・・・と思ったが、もう一品京都の九条ネギのお好み焼きを頼んだ。

結局、生ビ―ルとこの二品のお好み焼きはなかなかの味であり、まあぐるぐる歩き回った意味があった。

新幹線に缶詰の一日・・・結局佐久平6時〜新大阪5時で11時間の一日は、結構疲れており、ホテルに入るとバタンキュー状態だった。

ところが夜中12時40分頃、グラグラと揺れた。

私は寝ぼけていて大声で「小諸でこんなに揺れれば、大阪壊滅だー!」・・・と叫んで飛び起きたが、そこは京都だった。

また新幹線が停まっては・・・と思いテレビを点けたら、震度4の余震ということで安心し眠りについた。

翌日は、散歩がてら京都駅で昨日の新幹線特急料金の払い戻しをし、近くの五重の塔で有名な東寺迄散歩した。

近く・・・と言っても結構な距離があり、私の万歩計は14,000歩まで上がって、一日1万歩の目標は朝だけで達成した。

その日の打ち合わせは、当社の技術の部長と名古屋で落ち合い、話もスムースに進み、無事に帰って来た。

東京駅で大阪のお客様に届けるコイルサンプルをその日の夜便でタイへ向かう課長に手渡し、同じく同日タイへ向かったお客様に見せられるということになったため、一応目的は達成した。

 

疲れた!! 

「新老人の会」のニンニク作り

2018-6-18 11:59 : カテゴリ : 
社長の部屋
執筆 : 
selco
 
「新老人の会」・・・・昨年105歳で亡くなった聖路加病院名誉院長の日野原重明先生の会である。
 先生が没後もこの会はそのまま継続はしているが、やはり求心力は急速に落ちている。
 しかしここ信州支部東信ブランチの活動は一向に衰えない。
 4月には日光へ一日バス旅行をし、先週は長野の先の飯山の戸狩温泉スキー場にワラビ取りに一泊旅行、昨日は一昨年から始めたニンニク作りで収穫作業。勿論その後は食べて飲んで、よもやまの話題には事欠かない。
 そのニンニクっ作りであるが、去年はいい調子で結構なニンニクが取れたが、今年はちょっとばかり不作で去年の半分くらいしか取れなかった。
「連作障害」、「深く埋め過ぎ」、「草に栄養分を取られた」、「種が悪かった」等々、なにせ手はあまり動かないが、口だけは百戦錬磨の人達ばかりで、色んな見解が飛び交う。
 代表の私としては、「収穫云々・・と云うよりも、こうしてみんなで楽しく作業し、仲よく過ごす時間そのものが大事なんです!」と強調するが、内心は面白くない。
 
 4年ほど前に日野原先生を東信ブランチの主催で上田市の市民会館にお呼びし、1400名という参加者を集め、その時に得た収益金が当会の活動資金となっているが、あれから4年、食事会やバス旅行、ニンニク栽培等への補助金を結構気前よく出していたら、だんだん懐が寂しくなり、日野原先生もいない今、収益源はニンニクの栽培・販売事業にかかってきたからだ。
 一昨年は、未だチョロチョロやっていたが、昨年からは大々的にやろうということで、種も結構高くて立派なモノを買い、1年目はそこそこの収穫だったため、2年目からは道の駅等に卸し、本格的に事業化しようと思っていた。
 その夢が残念ながら今回、がっくりの結果となってしまった。
 私は、本業のコイル事業を主とし、セルパップという肩や腰にコイルを貼るとコリや痛みに良いというコイルの販売会社があり、こちらの販売も色々とやっており、紆余曲折の結果、今回楽天市場に出店すべく作業を進めている。
また半分趣味であるが、このセルパップの宣伝目的という名目で、FMラジオの15分番組「セルパップでやりぬこう!」を企画・製作・自作自演で番組をやっており、こちらも何か?と手を取られる。
 
また父から受け継いだセルコの敷地は5200坪あり、この敷地や工場建屋を管理する(有)同延舎という会社であるが、こちらの管理もしている。
 今同延舎の建物の中に、かれこれ20年近く前にホンの遊び心で結果、結構な改装費を費やして倉庫を改装した音楽スタジオがある。
これは長年女房から、事ある毎に「あんなものを作って!」と責められ続けている私の最大の弱点である。
 こちらは苦節20年、東京の区役所で勤めていて、50歳そこそこで早期退職、こちらに移住し、自給自足農業をやりながら残りの人生を自分の好きな音楽をやって過ごしたい・・・と云う人が現れ、カビ臭かったスタジオ内を隅から隅まで掃除し、快適な空間にすると共に、設備はそれほど増やさずに音響を見事に生まれ変わらせたのである。
 私は早速「小規模事業者持続化助成金」という補助金を申請し、この資金を基にこのスタジオのリニューアルを計り、どうにか多少でも利益を確保できるように・・・と考えている。
 
 ・・・・・このように、私の場合は、「仕事」という概念はあまりない。
 私の前に現れる全てのことが仕事であり、趣味であり、結局私の人生そのものだということだ。
 そしてその対象に向かって全力でぶつかって行くことが、私が生きている証であり、
 私は「ああここまでやったから自分のやるべき事は終わった」・・・と云うことはまずないか?と思う。
 生きている限り、何かを考え、何かをやり続け、その途中で人生を終わるのか?と思う。
 私にとってコイルで大きな仕事を受注することも、「新老人の会」でニンニクを作ることも、その直面している時は、その対象事項が私の全て・・・と云うことなのである。