腰痛と合唱録音とスクート航空

2018-7-1 9:40 : カテゴリ : 
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selco
プロローグ

先般の地震の時に大阪行きで合計11時間、ほぼ座りっ放しで、次の日は三重の得意先まで行って帰り、それから4日後、突然7,8年ぶりにギックリ腰になった。

 久しぶりのギックリ腰、それもかなりの激痛に、一時「これはもうずっと立てなくなるのではないか?との恐怖感が頭をよぎった。

 私は25,6歳の頃に高校時代迄やっていた卓球を会社の先輩(六大学リーグに出ていた人)のスマッシュを取ろうとしてグギッとやってから、ずっと腰痛に悩んでいた。

 そして50を過ぎると、年に2度位はちょっと腰をひねったリ、重いモノを持とうとした拍子にギックリ腰をやり、1〜2日間は全く立てない状態を経験していた。

 しかし当社で販売しているセルパップコイルに出会い、セルパップコイルを腰に当てながら生活するようになってからは、腰痛はあってもギックリ腰で動けなくなるようなことは一度もなかった。

 それが突然、この状態である。

 これは先般の大阪行き新幹線閉じ込められ事件の後遺症・・とずっと思っていたが、よくよく考えたら、それもあったかもしれないが、直接の原因は息子が買ってきた、床に這いつくばりながら取手のついたローラーを転がすジム用のトレーニンググッズを年がいもなく毎日30回も頑張ってしまったせいであった。

 最近腹回りが気になる私は、腹筋に効くこのマシーンでどうにか早く効果を出したかったが、同時に肩から背中、腰へはそれ以上に負担がかかっており、今までに無いようなギックリ腰になってしまったようだ。

 年寄りの冷や水・・・と云うことだ。

 

「My heart of YUI」(結いの心)=私が作詞した楽曲の録音)

 ギックリ腰の場合は、とにかくそのままじっとしているしか方法が無い。じたばたしても簡単には復帰できない。

 しかしこの日は小諸から約1時間のラクビ―の合宿とかで有名な菅平スキー場のホテルにあるスタジオで私が作詞した曲を半年も前にお願いしていた合唱団に歌ってもらい録音する大事な日であった。

 無駄な抵抗ではあるが、腰を伸ばしたり、セルパップを何枚も貼ったリ重ねたりして、どうにか運転をして菅平まで行った。

 合唱団の指揮者の森さんは熱心で、私と録音技師(PAと呼ぶ)の岡本さんと共に菅平のマッキンレーというホテルのスタジオに着くと、既に会場に到着していた。

 前の週に下見をしてあったため、どのような装置でどう録音するか?は岡本さんが決めていたため、準備はスムースに進み、予定の1時半には15名の合唱の人達も集まって来て録音が始まった。

 全く素人の私が書いた曲がちゃんと編曲され、楽譜化され、大勢の人達に歌われると何かこの曲は自分を離れこの歌っている人達のモノに思え、何ケ所か「ちょっと違うなぁ」と思った箇所があったが指摘せずにいたが、後から駆けつけた作曲者の神原恵里子さんがきちっと指摘し、違和感のある部分は訂正され、無事に録音が終わった。

 これはまた次のブログでゆっくり聴いて戴きたいが、詞をここに載せておく。

 

 ― 結いの里テーマソング −

「結いのこころ」(My heart of YUI )

    作詞:小林延行 作曲:神原恵里子      

                                 

人と人とが めぐり合って何かを 

互いに感じ合って 近づいて行く

 

明日の夢を 語り合って心を 

互いに見つめ合って 繋がって行く

生きてる意味を 探し求めて

迷う心で 探し続けて

巡りあった 「結いのこころ」

固い絆で 結ばれてく

My heart of YUI

 

 (間奏)

 

人と人とが 譲りあって何かを

互いに与え合って 近づいて行く 

 

一人一人を 認め合って心を

互いに通わせ合って 繋がって行く 

 

信じる意味を 探し求めて

悩みながら 探し続けて

巡りあった 「結いのこころ」

強い絆で 結ばれてく

My heart of YUI

 

My heart of YUI

 

My heart of YUI

 

 とにかく、素晴らしい出来で、フェイスブックをやっている神原さんから3日で420人の人達が聴いた・・・と興奮気味にラインが来る。結局、彼女と相談し、CDを作ることにした。

 私の曲は私が62歳の時のセルパップブラザーズの小泉さんに始まり、井上隆さんという殆どプロの作曲家、そして神原さん、その他2名、計5名の作曲者に曲を付けてもらい合計17曲になるが、今回は長年の懸案だった合唱曲「My Heart of YUI」(結いの心)の録音がようやく叶ったのであった。

 

タイ行き 

 素晴らしい録音に気を取られているうちは良かったが、おちつくと腰が痛い。

 日曜日は一日家でおとなしくしていたが、翌々日=火曜日の夜中水曜午前3時に中央タクシーという乗り合いのタクシーが迎えに来て成田迄約4時間、それからタイまで約6時間、座ったままで行かなければならない。

 さすがにじっとはしておられず、特殊な治療をしてくれる当社の治具を作る会社の元社長に無理やり頼み、夕方治療をしてもらい、それまでよりは大分良くなったが、未だ未だ完璧とはいかない。

 

セルコの朝礼

 月曜日は会社の朝礼があり、私が元気よく気合いを入れる日である。

 よっぽどギックリ腰で・・・と従業員に打ち明けようか?と思ったが、結局は黙りとおした。

 当社の朝礼はちょっと面白い、経営理念をみんなで唱和し、私がお得意の教訓を述べた後体操し、みんなで事務所を囲んで輪になって、連絡事項が終わった後、私のセルパップ時代、世の中を風靡した(?)オリジナルロック曲=NHKに三回,民放にニ回、内一回は「おはよう日本」にテレビ出演した曲・・・「中小零細Q.C.D.」を大音量で流し、一人一人と握手をして回るというパフォーマンスがあり、これが終わった後、毎日順番に一人一人が自分の言葉=「暑さに負けずに頑張ろう!」とか、「目標達成するぞー!おぉー!」とか・・・をみんなで気合いを入れてから仕事が始まる。

これも腰の痛さをおくびにも出さず、やってのけた。

 しかし、しばらく座っていて立とうとするとメチャ痛い。

 だから、無理やりちょこちょこ席を立ちながら仕事をし続けた。

 2日間、そんなことをしながら会社に居たが、いよいよ出発の夜がやって来た。

 早めに寝て夜中の2時に起きようと思ったが、腰の痛さが気になり、なかなか寝付かれず、どの位寝たか?結局1時頃眼がさめてしまった。

 前の日の100円ショップで300円の首に巻くクッションを買い、これを腰に当てながら午前3時前、タクシーに乗り込む。

 今回は品保の祢津課長も一緒に行った。

 

スクート航空

 このタイ行きの飛行機の話は腰が痛くなるずっと前に遡る。

 仕事仲間のある会社の常務から、タイに行くにはとても安くていい飛行機がある・・・と聞いた。

 それはスクート航空といってシンガポール航空の格安航空会社で、通常7万円以上するチケットが3万円位で買えるとのこと。

  最近はできるだけ炭素繊維使用でエコノミーでも座席の間がちょっと広い787型を使っているJALに載るようにしていた私は、このスクート航空も787型機と聴いて、飛び付いた。

 34,000円とウソのような価格だ。

 後から行くことに決まった祢津課長にも同じ便を使うようにした。

 ・・・と云う伏線があって、これからの話を聴いてもらいたい。

 タクシーの中では、一番前の席に座り、足を放り出し、腰をできるだけ伸ばすようにしたり、手すりにつかまって腰を伸ばしたり、ストレッチしながら座っていた。

 タクシーは時間に余裕があったらしく、途中3回もトイレタイムを取ってくれたのは腰痛持ちには嬉しかった。

 結局、タクシーは10時のフライトに対し3時間前の7時に空港に着き、時間をやり過ごしていた。

 祢津課長が、飛行機のアップグレードでビジネスクラスはプラス6000円だというので、搭乗手続きの時に聴いてみたら、倍以上の14,000円だという。

 ここで渋るのも社長として恰好悪いし、何しろ腰痛の件があるため、太っ腹で二人共、アップグレードのビジネスクラスになった。

 私は一度だけ、エコノミーチケットでサービスアップグレードしてシンガポール航空の飛行機に乗ったことがあるが、その時のCAがとても綺麗で、チラチラ見ていると目があってしまい、「何か御用ですか?」と英語で聴かれ、調子に乗って「ワインプリーズ!」を連発し、飲めもしないワインをたらふく飲んだ経験があるが、その別世界を夢見て二人で85番ゲートに向かった。

 時間が迫って来ていつもうらやましい気持ちで眺めている「優先搭乗」で早速とビジネスクラスに乗り込もうとしたら、場内アナウンスが言う「本日は成田空港強風のため、飛行機が降りられず、遅れていたこの便は名古屋空港に着陸することになりました」とのこと。

 大体飛行機と云うものは、出発搭乗時間までにはゲートに入っており点検整備をしてからお客を迎え入れるものだが、今これから名古屋空港に着陸するというから初めから何かがおかしい。

 そういえば、タクシーの中で祢津課長が変なことを言っていた。

「僕は雨男で、いつも出かける時は暴風雨だったり強風だったりしますので、よろしくお願いします」

そうは言っていたが、まさか今日は良く晴れているし、そんな心配は一切せずに来たが、その嫌な言葉が現実になって来た。

 出発時間の10時に名古屋空港に着陸、それから風が収まって名古屋を飛び立っても2時間はかかり、それから整備点検で3時間・・・・・一体いつ飛び立つのか?分からなくなって来た。

 その内に85番ゲートがお客の名前を呼び出し、我々も呼ばれた。

 まずビジネスクラスの人達から他の飛行機に乗り換えをしますとのこと。

 この時は、ビジネスクラスにアップグレードしたことを二人で喜んだ。

 カウンターの前で、エコノミーのお客らしい人が、怒鳴り出した。「何をやってるんだよー!まだこの時間に飛行機は名古屋を飛び立っていないと言ってるじゃないか!いつになったら乗れるんだよー!」

 これは尤もだ。

 この調子でこの所定の飛行機を待っていたら今日中に飛びたてるか?どうか分からない。

 あちらの方でも外国の女性が何やら同じようなクレームで大声を出している。

 係員も総出でお客に当たっているが、烏合の衆よろしく実際に動いているのはほんの2,3人だ。観ていてモタモタモタモタで、これではお客にガミガミ言われても仕方ない。

 

 どうにか今日中には着きたい我々はたまたまのアップグレードに助けられ、83番ゲートの同じスクート航空の飛行機に乗り込むことになった。

 ビジネスクラス・・・である。

 颯爽と乗り込んだ・・・・が、そうあんまりビジネス・・・と言う感じがしないシートだ。

 テレビ画面も付いていない。

 それでもまあ、ビジネスクラスだ。

 乗り込んでからがまた大変だ。

 強風のため、飛行機離陸のための順番待ち・・・と云うことでこれから1時間はかかります・・・とのこと。

 10時出発のはずが、3時間を要して、ようやく便を変えて乗り込んだ・・がまたここでも「待ちぼうけ」

 1時時間が過ぎようとした頃に、また場内アナウンスで、更に一時間・・と来た。

 結局、格安航空便は空港利用料も値切っているだろうから、何か問題があった場合は、一番後回しにされるということだろう・・・と理解した。

 

 ここで私は、何かどこかで同じようなことがあった!事を思い出した。

 先週の大阪行きの新幹線だ。

 あの時も、出発しそうで出発しない、ずるずるずるずるやっていて、丸一日を無駄にした。

 どうも今日も、その時と同じようなパターンが漂ってきた。

 

 普段は有料の昼飯と飲み物一品がサービスで出て来た。

 後は有料だ・・・とのこと。

 ケチケチしている割にはグングン冷えて来て、寒くなったので、ブランケットを要求すると、何とこれも有料・・・とのこと。それも$22=2400円、持って帰れてかわいい絵が付いているとのことだが、それはあんまり買おうと思うインパクトにはならない。

 なるほど、チケットは安いが、機内を寒してブランケット販売で稼ごうという企業戦略を垣間見た私は、その戦略には引っかかることなく、頭上のバッグを降ろし搭乗前に買ったタイで着ようと思っていたTシャツを引っ張りだし、ひざ掛けの代わりとした。

 食事が運ばれて来たが、トレーがなんとなく斜めに傾いている。

 これはひじ掛けから引っ張り出す方式の簡易トレーが、よたって傾いているのだ。

 ただ置くと滑り落ちそうなコーヒーを握りしめながらの片手での昼食もスリルを味わえる。

 その後、テレビも無い、本も読みつくしてやることもなく、かれこれ4時になる。バッグのコンピュータを引っ張りだし、このブログを書き始めたが、何せこの簡易トレーの傾きが気になる。

 通りかかったCAのお姉さんに空いている前の席に移って良いか?尋ねると、お姉さんは慣れたもんで、その席の簡易トレーを引っ張り出し、「ハイ、こちらも傾いています!」・・・・とのことだが、隣はかなり幅の大きい人が座っていたため、両隣に誰も座ってないそちらの席に移ることにした。

 結局はそのトレーをばたんと開かずに、開く前のままにしてコンピュータを置くと、結構安定感があり、問題なく文字が打てた。

 どんな困難に出会おうとも、常にベストを尽くす精神の私は、今回も見事様々な困難を克服したのであった。

 結局、10時発のフライトが、4時30分、この飛行機はようやく飛び立ってタイのドングァン空港(以前の国際空港で、今は通常はスワナンプール空港だがこれもやはり空港利用税が安いのだろう)に無事に離陸した。

 結局、タイ時間で午後3時着が9時(日本時間で11時)着、タクシーに乗ってホテルに向かった。

 

 タイでは現在当社のメインのお客様対応で、2日間に亘り色々と協議し、それなりの成果を得た。

 その中で今回の仕事の設計者の人が来ており、当社採用の際の話を聴くことができた。

 その一番の基になったのが、私の書いたブログだという。

 私のブログは、殆どは前回、今回のように私の失敗談とか音楽、新老人の会等の行事が多いが、要所要所に当社の高密度コイルのことを書いている。

 恐らくこの方は、この高密度コイルに関する私の考え方を6〜7年前に読んだものと思われる。

 そして当社に白羽の矢を当てた。

 しかし、社会インフラとなるこの仕事、技術だけはあるが、他のものは何もない当社を採用するということにはかなりの難があり、社内ではかなりの批判、軋轢があったようだ。

 その頃の当社は、とにかく売り上げは限りなくゼロからただただ技術力を頼りに生き延びて来た当社は、体制面、経営面・・・特に借入金とか不良債権とかの問題があり、普通の大手では敬遠するような内容であった。実際、試作をやる段になり、財務チェックで「お宅とはお付き合いで来ません」と断れたメーカーもあった。

四面楚歌の中でも、この技術者の方は、自分達の設計を完遂させるためにはセルコしかない・・・と云う思いで頑張ったようだ。

 私は私で、こんな大きな話が当社にすんなり来るわけがない!技術を盗まれるだけで終わるのではないか?と危惧していたが、そのままスムースに大きな仕事に繋がっていたため、何らかの神風が吹いたのだと不思議に思っていたが、このことを聴いて腑に落ちた。

 

 果たしてこの仕事は、想像以上に規格が厳しくコイルのインダクタンスを±1以内というトンデモナイ規格が示された。抵抗、インダクタンスは通常±5%、いくら頑張っても±3%が限度、±1%と云うのはまず当社を含め、全てのコイル生産者はNOというレベルだった。

 私は勿論そんなバカげた規格は無理なため、営業担当者に断るように言った。

 もし試作でチャンピオンコイルを出して通過しても、量産で不良の山になった場合は、どうしようもないからだ。

 但し一つだけ、私にはアイデアがあり、どうでもならそれをやってみるように言ったが、それはもっと大きなコイルだったら出来るが、これは細くて小さいなコイルのため、無理だという。

 しかし最終的には、結局、その方法をトライしてみることになった。

 ボビン金型に関係しているため、金型を作りトライした。

 大分苦労したようであるが、どうにかインダクタンス±1%をクリアーした。

 また、コイルとの組み合わせになるフェライトコアの規格も同じように厳しかった。

 最初、台湾企業、中国生産のこの企業の日本人技術者からは、これは何かの間違いではないか?と言う。フェライトコアにこれだけの規格の要求はありえないとのこと。

 こちらも断られる寸前まで行ったが、タイの会長(兄)と私で先方迄出かけて行き、どうにか説得し、やってもらうことになった。

 結局、このお客さんの技術の方の選択は正しかった。

 ±1%のインダクタンスは±0・5%迄抑え込み、コアの方も度々中国の生産拠点を訪れ頑張ってもらい、試作を国内で3〜4年しながら問題解決をした後、タイのTIT社に持ち込んだ。

量産立上げは普通何らかの大きな問題が出るはずが、殆どこれといった問題もなく生産を上げ、一時は土日返上、24時間体制で通常の2倍近い生産を上げ、お客様の数量対応をし、その後のコストダウン要求にも答え続けて来た。

 これをもし他社で立ち上げようとした場合は、技術の問題から生産体制の問題等、かなり難しかったことと思われる。

 

フライト1日、滞在2日したその日の夜中便で帰ることになっていたが、また何らかのトラブルが気になる。

 腰の方も一進一退で、今回はいつも何回も行くマッサージも行っている時間もないため、一寸座っていると痛みが出る・・・と云う状態を繰り返していた。

 

 ドングァン空港もそんなにみすぼらしくはない。

 大連空港に比べれば立派なもんだ。

 チケットカウンターで早速、アップグレード交渉をしたら、どうにか取れた。

 さしたるトラブルもなく、帰りの便はリクライニングもかなりいい具合に効き、一寸一杯ビールを飲んで、アイマスクをして離陸したのもわからず寝込み、帰宅の途に就いた。

 このスクート航空便、結局34,000円+行きのアップグレードプラス14,000円、帰りのアップグレード+16,000円、合計64,000円也で通常のチケットとあまり変わらなくなったが、結果オーライ、それと最大の課題であった腰痛も緩和したような気がするので、まぁ!いっか!? 

近畿地震と新幹線の出張

2018-6-20 10:21 : カテゴリ : 
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群馬で地震が起き珍しいなと?と思っていたら、今度は近畿地方で地震が起きた。

折しも私が大阪へ向かおうとするその矢先だった。

いつもギリギリに時間設定する私が,殊勝にも一本早い佐久平から東京への一番列車に乗り東京に出て、8時3分発のひかり(のぞみは大人の休日倶楽部3割引きが効かない)に乗って東京から大阪へ向かう東海道新幹線の電車の中の出来事であった。

今にも発車・・・という時刻になって社内が突然暗くなり非常灯に代わった。

最近東海道線では殺人、山陽新幹線では新幹線自殺・・・と色々とあったので、今度は何?と思ったら、車掌が回って来て肉声で「近畿地方に地震があり、新幹線の送電が一時ストップして自動停止状態となっております」とのこと。

しかし私も周りの人もあまり動揺はせず、少し時間が経てば動き出すだろうと思っていた。

しかし、なかなか動かない。

 

約1時間後、停電が回復し電車が動き出したが、品川で停まった。

そしてアナウンスで大阪―京都間の点検に約3時間はかかる・・・とのことで、取りあえず、第一目的だった、大阪店天王寺のアベノハルカス12階のレストランでのタイのTIT会長とお客様の3名での会食がてらの打ち合わせはキャンセルすることにした。

その後、その予約したレストランからも本日は休業との電話連絡が入った。

大阪の電車も動いていないようだ。

それから新幹線は全く動かない。

私の仕事は最近はもっぱらPCでのメールでのやり取りが主のため、この雑音のない静かな新幹線空間は、途端に私の簡易オフィスに早変わりした。

メールチェック返信後は、普段なかなか時間が取れないセルコのホームページブログ、「社長の部屋」への投稿もじっくりできた。

何かに熱中すると私は時間の感覚が無くなってしまう。

いつの間にか12時になっており、あれから3時間が経っていた。

 

その後、タイの会長と連絡を取って、大阪市内も電車が未だ復旧してないとのことで、このまま会社に戻った方がいいだろう・・・と云う結論に達し、あちこち拡げた書類やコンピュータをバッグに詰め込み、降りようと・・・した途端に間が悪く?ドアが閉まり、新幹線が動き出した。

結局、新横浜迄動いた。

 

お昼を過ぎたため、何か食べたいと思っても売店もなく、どうしようもない。

「お急ぎのお客様は隣のホームの『のぞみ』に乗り換えてください」とのアナウンスで即乗り換えたら12時40分過ぎ頃動き出した。

結構調子良く走って名古屋手前迄1時間半くらいだったが、・・・・その手前で全く動かない、折しもカーブするエリアか?と思われるが車体が右の方に大きく傾いたままである。

結局、1時間位そこに立ち往生した後、名古屋に着いた。

名古屋からはスムースに動き始めたが、また京都の前でストップ。

会長の方は、どうにかタイの懇意にしている会社の大阪在住の方に車で迎えに来てもらい、第二の目的であるPM3時からの大阪のメーカーさんへどうにか辿り着いたようだ。

何か、大阪市内の携帯電話が繋がらず、その得意先は私を通じ連絡を取り、タイの会社はタイと連絡を取って大阪の社員に連絡を取っていたとのこと。

普段便利に使っているモノは、災害時には逆に大変不便になってしまうという教訓か?

結局、私が大阪に着いたのは5時過ぎ、お客様との打ち合わせが終わってしまっており、その後、会食を・・・と云う話があったため、せめてお客様のコストが1/3,1/4になるかも知れないという画期的なVA提案のサンプルだけでも見てもらおうと思ったが、とにかく新大阪から先が動きが取れない。

電車はオールNG、タクシーは長蛇の列で、いつになったら乗れるか検討もつかない。(のちのテレビでもこのタクシーの列を大変な状況として映し出していた。)

お客さんと会長に連絡を取り、結局そのまま引き上げるしかないということになった。

 

私は翌日は名古屋から三重のお客さんに行く予定となっていたため、ホテルは京都にとっており、そのまま京都に向かった。

飲まず食わずの一日だったため、夕飯は思い切り上手いモノを食べてやろうと思ってあちこち歩き回ったが、結局お好み焼き屋さんに入った。

メニューを見ていると、店の女の娘が、「前のお客様からのリレープレゼントで肉ニラのお好み焼きのプレゼントがあります!」ということで、、、私は小食のため、それだけでいい・・・と思ったが、もう一品京都の九条ネギのお好み焼きを頼んだ。

結局、生ビ―ルとこの二品のお好み焼きはなかなかの味であり、まあぐるぐる歩き回った意味があった。

新幹線に缶詰の一日・・・結局佐久平6時〜新大阪5時で11時間の一日は、結構疲れており、ホテルに入るとバタンキュー状態だった。

ところが夜中12時40分頃、グラグラと揺れた。

私は寝ぼけていて大声で「小諸でこんなに揺れれば、大阪壊滅だー!」・・・と叫んで飛び起きたが、そこは京都だった。

また新幹線が停まっては・・・と思いテレビを点けたら、震度4の余震ということで安心し眠りについた。

翌日は、散歩がてら京都駅で昨日の新幹線特急料金の払い戻しをし、近くの五重の塔で有名な東寺迄散歩した。

近く・・・と言っても結構な距離があり、私の万歩計は14,000歩まで上がって、一日1万歩の目標は朝だけで達成した。

その日の打ち合わせは、当社の技術の部長と名古屋で落ち合い、話もスムースに進み、無事に帰って来た。

東京駅で大阪のお客様に届けるコイルサンプルをその日の夜便でタイへ向かう課長に手渡し、同じく同日タイへ向かったお客様に見せられるということになったため、一応目的は達成した。

 

疲れた!! 

「新老人の会」のニンニク作り

2018-6-18 11:59 : カテゴリ : 
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「新老人の会」・・・・昨年105歳で亡くなった聖路加病院名誉院長の日野原重明先生の会である。
 先生が没後もこの会はそのまま継続はしているが、やはり求心力は急速に落ちている。
 しかしここ信州支部東信ブランチの活動は一向に衰えない。
 4月には日光へ一日バス旅行をし、先週は長野の先の飯山の戸狩温泉スキー場にワラビ取りに一泊旅行、昨日は一昨年から始めたニンニク作りで収穫作業。勿論その後は食べて飲んで、よもやまの話題には事欠かない。
 そのニンニクっ作りであるが、去年はいい調子で結構なニンニクが取れたが、今年はちょっとばかり不作で去年の半分くらいしか取れなかった。
「連作障害」、「深く埋め過ぎ」、「草に栄養分を取られた」、「種が悪かった」等々、なにせ手はあまり動かないが、口だけは百戦錬磨の人達ばかりで、色んな見解が飛び交う。
 代表の私としては、「収穫云々・・と云うよりも、こうしてみんなで楽しく作業し、仲よく過ごす時間そのものが大事なんです!」と強調するが、内心は面白くない。
 
 4年ほど前に日野原先生を東信ブランチの主催で上田市の市民会館にお呼びし、1400名という参加者を集め、その時に得た収益金が当会の活動資金となっているが、あれから4年、食事会やバス旅行、ニンニク栽培等への補助金を結構気前よく出していたら、だんだん懐が寂しくなり、日野原先生もいない今、収益源はニンニクの栽培・販売事業にかかってきたからだ。
 一昨年は、未だチョロチョロやっていたが、昨年からは大々的にやろうということで、種も結構高くて立派なモノを買い、1年目はそこそこの収穫だったため、2年目からは道の駅等に卸し、本格的に事業化しようと思っていた。
 その夢が残念ながら今回、がっくりの結果となってしまった。
 私は、本業のコイル事業を主とし、セルパップという肩や腰にコイルを貼るとコリや痛みに良いというコイルの販売会社があり、こちらの販売も色々とやっており、紆余曲折の結果、今回楽天市場に出店すべく作業を進めている。
また半分趣味であるが、このセルパップの宣伝目的という名目で、FMラジオの15分番組「セルパップでやりぬこう!」を企画・製作・自作自演で番組をやっており、こちらも何か?と手を取られる。
 
また父から受け継いだセルコの敷地は5200坪あり、この敷地や工場建屋を管理する(有)同延舎という会社であるが、こちらの管理もしている。
 今同延舎の建物の中に、かれこれ20年近く前にホンの遊び心で結果、結構な改装費を費やして倉庫を改装した音楽スタジオがある。
これは長年女房から、事ある毎に「あんなものを作って!」と責められ続けている私の最大の弱点である。
 こちらは苦節20年、東京の区役所で勤めていて、50歳そこそこで早期退職、こちらに移住し、自給自足農業をやりながら残りの人生を自分の好きな音楽をやって過ごしたい・・・と云う人が現れ、カビ臭かったスタジオ内を隅から隅まで掃除し、快適な空間にすると共に、設備はそれほど増やさずに音響を見事に生まれ変わらせたのである。
 私は早速「小規模事業者持続化助成金」という補助金を申請し、この資金を基にこのスタジオのリニューアルを計り、どうにか多少でも利益を確保できるように・・・と考えている。
 
 ・・・・・このように、私の場合は、「仕事」という概念はあまりない。
 私の前に現れる全てのことが仕事であり、趣味であり、結局私の人生そのものだということだ。
 そしてその対象に向かって全力でぶつかって行くことが、私が生きている証であり、
 私は「ああここまでやったから自分のやるべき事は終わった」・・・と云うことはまずないか?と思う。
 生きている限り、何かを考え、何かをやり続け、その途中で人生を終わるのか?と思う。
 私にとってコイルで大きな仕事を受注することも、「新老人の会」でニンニクを作ることも、その直面している時は、その対象事項が私の全て・・・と云うことなのである。

高密度コイル

2018-5-30 15:16 : カテゴリ : 
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「高密度コイル」

・・・これは私が今から14年前にN社の半導体、露光装置リニア―モーター用として考えられ、造られ、採用されたコイルに私が命名したものであり、その後特許も取得した。

 最近ネット上では、「高密度コイル」という言葉が飛び交っている。

 いわゆる、コイルをきちっと巻くことの総称ということになる。

 しかし、私が命名したこのコイルは、この一般的に言われているモノとはちょっと違っている。

 私が高密度コイルと命名したのは、丸線をまず他社の一般的な整列巻よりも10%以上きちっと巻き、その上で、更に圧縮して密度を上げ占積率が90%以上のモノだった。

 その後、これも前述の露光装置用として、平角線をα巻きしたコイルを積層し、占積率が100%(被膜込み)に近い巻線ができ上がった。

 しかし、これらのコイルはそれから10年あまり他社に採用されることは殆どなく、前段階のきちっと巻いた状態のコイルの採用にとどまっていた。

 当社は一時広告に「巻いただけでも高密度」と謳って、世の中のニーズに合わせながら来た。

 ところが最近EV車のモーターを中心とした「占積率獲得合戦」が始まり、車メーカーとその周辺メーカーによる当社のアプローチは格段に増えて来て、当社も「高密度圧縮成型コイル」として太線やパラ線をきちっとある程度の形に巻いたものを圧縮成型する製造法を考え、新たに特許出願した。

 しかし、車メーカー関連の会社は試作はするものの、このコイルを圧縮成型するという一見無謀に思える方法は、なかなか採用するまでには至らない。

 高電圧による被膜の損傷を懸念している。

 確かにこの技術は無暗に圧縮成型すると危ない技術には違いないが、これは欲しい占積率の「程度」を考えれば済む問題である。

 例えば97%圧縮は確かに怖いが、94%だったら高電圧クリアーするとか、もっと安全を重視して90%にとどめる・・とかである。

 当社も各社の巻線仕様によって圧縮できる程度が異なるため、一般論は言えないが、丸線で90%以上は間違いない。

 車以外の電圧もそれ程かからないコイルに、あるメーカーがこの圧縮成型技術を取り入れたところ、小型高効率のモーターとなり、未だ市場に出したばっかりであるが、好評で増産の話が出てきている。

 結局、これまでには考えられなかったような仕様のコイル設計が可能になる・・・と云うことだ。

 一方殆どの関係技術者は、平角線の方が丸線より占積率が高いと思っている節があるが、必ずしもそうではない。

 平角線の最も有効な占積率アップは間違いなく「α巻き」である。但しα巻きは2層しか巻けないため、多層にするためには「積層連結工程」が必要となるため、どうやってもコストの点では不利になる。

 しかし私は敢えて言っておきたい。

「最高のコイルの占積率を狙いたければ、平角α積層巻きである」・・・と。

 

 現在車のEV化の花盛りの技術はセグメント方式である。

 これは我々コイル屋、巻線屋にとっては全くの「邪道」である。

 太い平角線をUの字にフォーミング・組合せ、端末を溶接によって連結しコイル化すると云う技術である。

 最近、この業界の動向に合わせ当社もこの「まがい技術のセルコ版」を研究しており、その内に発表することになろう。乞う、ご期待!!

 平角線を普通に積層すると、コーナーがある分クロスポイント(乗り上げ部分)が丸線より不利となるが、ある巻線機メーカーはその部分を上手く逃がして高密度巻線を実現しているので、高密度平角積層巻線は、このような巻線がお奨めです。

 しかし、占積率を100%に近づけたければ、平角α積層巻きしかないということはここで明言しておきたい。

 

 

 

 

 

 

    

前号に続く・・・アインシュタインの言葉

2018-5-16 22:38 : カテゴリ : 
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《ネットより見つけました》
 
アインシュタインは一八七九年生まれ。一九二二年日本を訪問。 
・われわれは静かに生活し、熱心に学び、親しげに微笑してくる多くの日本人を目にします.誰も己を出さず、その微笑の背後に隠されている感情を見抜くことはできません。そしてわれわれと違った心がその微笑にあることがわかります。 
・私のような異国の人間にとって、日本人の心に深く立ち入るには容易ではありません。けれども人間同士の直接の体験が欠けたことを芸術の印象が補ってくれました。日本では他のどの国よりも豊潤にまた多様に印象付けてくれるのです。ここで「芸術」というのは人間の手で創作しているありとあらゆるものを意味します。 
この点、私はとうてい驚きと感嘆を隠せません。日本では自然と人間は一体化しているように見えます。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与えられたものと密接にむすびついています。 
かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。とりわけ私はいろいろと分けられた滑らかな壁や、やわらかい畳で敷きつめられたたくさんの小さな部屋があるのをみて、日本の家が気に入りました。どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割とがあります。そのうえ、礼儀正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかりです
 
・日本の芸術における最も輝かしいものは絵画及び木彫の領域にあると私は考えております。それらの作品から、日本人がいかに形あるものに対し歓喜する目をもった人間であるか起こった出来事をたゆまず芸術的に描いていくかが本当によくわかります。鮮明で単純な線を日本人は何よりも愛好します。 
・日本では個人主義は欧米ほど確固たるものではありません。 

・たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです。