試作と量産を繋ぐ

試作専門の会社、量産専門の会社は沢山ありますが、試作品を量産化する際に困ったことはありませんか?

セルコは職人作業で製作した試作品を標準化、効率化、治具化、自動化など様々なアプローチから量産工程へと変えていきます。これは自社内に試作部隊と量産部隊を合わせ持つセルコならではの分野です。もちろんISO9000番に準じた生産工程を確立しますので、海外、協力工場での立ち上げもお任せください。

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セルコでの43年間が終わる

この3月31日をもって、私のセルコでの仕事は終焉を迎える。
振り返れば、43年前に平社員としてこの会社に入った。
兄が社長・・・ということもあったが、入社当初は会社を5時にあがり、上田駅前にあったパソコン教室の教師としてほぼ毎日通い、日曜日の教室(そのころ土曜日休みは無かった)があると、ほぼ一日上田の教室に通い詰めた。
その当時のパソコンは、NECのPC-8000の時代であり、ベーシック言語で“INPUT”、“PRINT”というような命令文を使ったプログラミングの教室だった。
この教師を1年くらいやり、後は学卒で新入社員として入ってきた今の浅沼常務に任せ、セルコの仕事に集中した。
私はこの教室で初級コースの教師を務めただけだったが、会社でプログラムを組み始めたら何とスラスラとプログラムが組めるようになっていた。
いかにこの「基礎」が大事かということを実感した。
基本が出来ているとちょっと上級の命令文も難なくクリアーし、当時この会社はほとんど外注していたのだが、何とこの外注からの納品伝票の受け入れ管理のプログラムを組んでしまった。
これがなかなか優れもので、月初に必要な納入数量を全てインプットしておき、その計画と納入の差が納入時に即分かるようにし、また納入後の受入検査での不良がどの項目でいくつ発生したかもデータとして出力され、最終的にはこのデータを基に月一回外注の品質会議を開き、全外注のいる前で問題点を指摘し改善案を一緒に考えたりした。
当時メインの顧客であったセイコーエプソンさんにこのデータを出したら、エプソンさんも大型コンピュータで出来ていないデータをセルコはPCで出している、と驚かれたくくらい進んだ生産管理ソフトであった。
結局生産管理ソフトを自分でつくり、生産管理そのものも担当することになった私は、PCを駆使しながら会社のすべての生産状況を把握することとなっていった。
昼間は一日中得意先、外注を飛び回り、新規注文を取り、試作の立ち上げ、また納期が厳しく忙しい部品を追い、夜はこの入荷した伝票の打ち込み、あるいは結果の打ち込みを全て一人でやった。
日曜日はこのシステムで気になるところの改善作業で、全く休むヒマは無かった。
結局この10年以上は毎日朝は一番出社し、夜は一番遅くまで残り、日曜日も休みなく働いていた。
子供の小学校時代は、運動会の昼飯時にお弁当を食べに学校に行っただけで、ろくに子供の駆けっことか見た記憶がない。
いわゆる「仕事屋」という生き方をしていた。
しかし、これは誰かにこうやれとかこうして欲しいとか言われたわけではなく、自分から進んでやっていたことであり、よく残業時間何十時間やったら倒れ・・・なんて言うが、全く疲れもしないし病気もせずに黙々と仕事をしていた。
結果としては、入社1年もいしないうちに課長となり、部長、役員と上りつめて行った。
小諸の工場の他、小諸から30分くらいの場所に上田と丸子に工場があり、最大120名まで従業員がいたが、管理部長としてこれら全ての統括をしていた。
社長であった私の兄は、セルコの仕事以外のことに熱中しており、何時ごろからか、家族ごとカナダに移住し月の半分はカナダ、半分は日本という生活をしていた。
そのため、結局私が会社の全てを掌握し、コントロールするような立場になって行った。
紆余曲折あり、その後のいきさつは私の書いた二冊の本(「立ち上がれ中小零細企業=2009年7月刊、「シン・メイド・イン・ジャパン」=2022年9月刊)に詳しいため省略するが、セルコは創立55年、私は現在78歳、そのうちの43年の年月をこの会社に「全力投入してきた」といえる。
社長になる前は、前述のようにかなり管理面・業務面での「仕事人間」であったが、社長になってから後は、
①会社の方向性=他の一般的なコイルは捨て、高性能、高特性の高密度コイルにこだわった。
②その高密度コイルをできる限りの手段を使ってPRしたこと=低価格の展示会への出展、こだわりの広告、新聞、テレビ、雑誌等々、宣伝になるものであればなんでも飛びつき、オヤジバンドに象徴される私自身が「広告塔」となって「高密度コイルのセルコ」をPRした。
前述した二冊の本も、ネットを見れば様々な評も乗っており、その一環になっているかと思う。
結果、ニコン社の高密度圧縮コイル、ヤマハ発動機社の超整列ボビンタイプコイル、東光東芝社のインダクタンス±0.5の特性クリアーのコイル、シマノ社の圧縮成型コイル、日立アステモ社〔旧ショーワ社〕の精密ボビンコイルと超難易度のモールドコイル等々、ほぼ全て「他ではできない、他より特性が良い」という私が目指した方向性に合致していた。
特筆したいのは、幕張でやった「テクノフロンティア モータ技術展」での高密度コイルについての私の講演であった。
この講演の後、大手のメーカーから様々な「高密度コイル案件=コイル圧縮・成型」の話が舞い込んでくるようになった。
③海外生産体制の確立=「ファブレス化で最少人数、最大高率で最大収益を得よう」というスローガンを掲げ、徹底した大量量産品の海外生産体制を築き上げた。
今はできるものは「国内自動化、ロボット化」という方向を現社長が引き継ぎ、徐々に体制が整いつつある。
④「会社は、間違いなく人」という概念=これは社長を息子に譲る前後にようやく気が付いた考え方であったが、この時期はかなり売上・利益を上げていたこともあり、有力な技術者を中心に7~8人の将来を築くための人材を採用し、以前からいた優秀な技術者と共に若い社長を中心にして、これまでの技術を更に高めるべく動き出している。
また、このグローバル社会で成果主義、能力主義、ジョブ型雇用が叫ばれる中で「家族経営」を掲げたが、これは私の「日本人論」に基づくものであり、現社長にも共感してもらえたのはありがたかった。

以上、私が実際に現主力の仕事を営業し獲得したわけではないが、間違いなくその方向性の正しさが証明されたということだろうか。
この30年間GDPが全く伸びていない日本の中で、中でも部品業界の底辺を走るといわれていたコイル業界において、ほぼ売上ゼロの状態から14億/年に届かんとする売上と、それなりの利益をこの会社にもたらすことができたことは、正に快挙であった。
(誰にも評価してもらったことが無いが、低迷する日本経済の中で、ここまでやれたことは本当に快挙であったと我ながら思うのである。)
ただ心配は、この30年間経済が停滞しているという日本の現状である。
私も「シン・メイド・イン・ジャパン」を書いたころは、日本のメーカーの方向性ばかりを追求したが、最近私は、日本の政府の方向性の間違いがこのような状態の一番の問題点であることを確信した。
この日本という国は、皆さんが思うよりはるかにポテンシャルの高い国であり、何をやっても世界の中で最高のパフォーマンスをやってのける国であり、国民なのである。
最近の大谷の活躍は言うに及ばず、サッカー、バスケットボール、バレーボール、バトミントン、卓球、陸上、スケートボードの若者たちも凄い。そして4団体統一王者のボクシングの井上尚弥選手など、とんでもない選手が続々出てくる国だ。
勿論、経済も一時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれ、アメリカの象徴エンパイア・ステートビルを日本人が買ったというくらいすごかった。
半導体の生産も世界一だったが、日本政府がアメリカに言われて自分で放棄してしまったような経緯がある。
バブル経済といわれていたが、日本は本当にすごい国であり、アメリカがその都度躍起になって日本の経済の浮揚をおさえてきたといえる。
弱い政府のせいで、日本は大変もったいない状態にあるといえる。
財務省解体とか、自公政治の終わりとか言われているが、モタモタしていると科学技術に金を出さない日本から優秀な人材が流出し、残った国民の質が低下し、普通の国になってしまわないかと私は心配で不安だ。
今後私はセルコでは相談役となり、社長が悩んだり困ったりした時の相談相手になり、大所高所からセルコを見守る立場になる。
また、株式会社セルパップの代表取締役社長に専念し「生涯現役」「ピンピンコロリ」の生き方をする。
これから私は、身体の健康のため、マレットゴルフを週二回は続け、先般購入した卓球ロボットマシーンで一人卓球をやり、毎日の基礎体操を欠かさず、食べすぎず、食べなさすぎず、十分睡眠をとり、明るく、前向きで、海外旅行へもどんどん行き、とことん夢を持って生きて行くことにする。

皆さん、長い間、種々雑多で長~い文章のこのブログを読んでいただき、誠にありがとうございました。
今後は、社長がこのブログを受け継ぐかどうかは分かりませんが、セルコを是非、末永くご愛顧いただきたいと思います。
書きたくなったらセルパップのH.P.でブログを書くかもしれません。
その時はまた宜しくお願いします。

                           2025年3月吉日

                                小林延行

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森永卓郎さんの死とマスメディアへの提案

1月28日、67歳で森永卓郎さんは逝った。
「書いてはいけない」、「ザイム真理教」、「がん闘病日記」と、私は癌のステージ4の末期で書き上げたというこの本を一片に買い読んだ。
内容はどれも衝撃的であった。
それからというもの、森永さんのYouTubeを殆んど見、「森永真理教(?)」の教徒になったかのようだった。
私達普通の人は、一般的にテレビとか新聞とかを見て世の中の様子を知り、その知見によって色々と判断し行動している。
しかし、その報道が事実とは違うことを言っていたり真実を隠していたりしたら、どうだろう?
日本人の大抵の一般人は、まさかテレビや新聞各社が真実を語ってないなどとは思いもしない。
その内容も国民にとって良いことであれば、多少間違った報道をされていても問題はあまりないが、それが国や国民を間違った方向へ向かわせてしまうような報道であったら、これは犯罪に限りなく近い大きな問題ではないか?
森永さんの本を読み、ここに書いてあることが本当だとしたら、ずいぶんと日本の報道機関は間違ったことを報道してきたということになる。
そしてこの間違いを質し、国や国民を正しく導くようなことをしようとするのは容易なことではない。
こんな話になるのも、最近のSNSと呼ばれるメディアの台頭により、マスメディア対ネットメディアの対立の構図が出来上がってきている。
石丸伸二さんの都知事選に始まり、兵庫県知事の件、そして今回の衆議院選挙で自民党過半数割れという社会現象は、正にマスメディアがネットメディアのゲリラの攻撃に合い、あちこちほころびが出てきたという出来事ではないか?
確かに、体制側の言うことを聴き、体制側に不利な報道はしない、忖度せずに報道する・・・ことにより、自分の身を守る報道機関の人達の苦労とか苦心は分からなくもないが、これをやっていると、そのうちにこのような報道機関は誰からも相手にされなくなってしまう可能性がある。

私からの提案
これらの報道機関の経営者は、思い切って「真実のみをきちっと報道する新聞、あるいはテレビ・・・」と銘打って、真実を読者や視聴者に伝え出したらどうだろうか?
新聞購読者が増え、テレビの視聴率が増えることによって高収益になり、健全経営をし、財務省に逆らって国税庁が入ったとしても、何も出てこないような体質になれば、全く問題がなく経営を続けられる。
このまま衰退の一途をたどるか?今決断してより健全にして、公明正大な報道をし、前途に希望のある道を選ぶか?ここは考えどころかと思う。
森永卓郎さんの死から大手マスコミの存続に関する話まで大分飛んでしまったが、ちょっと先走りすぎかもしれないが、大筋は間違っていないかと思う。
しかし、今日本だけでなく、アメリカのトランプ大統領、韓国のユン大統領を始め、世界中が何かおかしく変革期に差し掛かっているように思う。
私は、資本主義の行き詰まりのような気がする。
一言でいえば、資本主義の行き着く先は“一部の大金持ちと多くの貧困生活者”ということか?
結局一部の大金持ちが政治も操り、自分達の動きやすい世の中を作りだし、ますます大きな富を手に入れる。貧しいモノは、システム的に貧しくなるように仕組まれており年々生活が厳しくなる。
その昔、一億総中流家庭を誇っていた日本もその例外ではなく、最近の「闇バイト」などはその象徴に思える。
派遣社員とかアルバイトで結構裕福に暮らしていた若者が、職を失い収入がなくなった時、「単純作業で1時間5万円」とか「車の運転で10万円」とかで攣られるのは想像に難くない。
通り魔殺人とか、車がお祭りに突っ込むとか・・という異常な行動も何かその延長線上にあるような気がする。


それにしても、米や野菜の値上がりは我々庶民の生活を直撃する。
森永さんではないが、今から自分で野菜を作り“自給自足”の生活を考えておいた方が良いのかもしれない。

2025年2月4日

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散々な年末年始

私の“売り”は「健康」である。
昨年9月で78歳となり、その前年は若者達と共にイギリス、リバプールで60年前に戻って1週間のビートルズ三昧をし、昨年は女房と憧れだった「南イタリアの旅」に行き、12月8日には周りの仲間が次々リタイアーして行く中で、一人気を吐き、「第21回目の大忘年会」を開催し、並み居るプロ、セミプロに混ざって5曲も歌い上げ会場を唸らせた(?)。
そして年末を迎え、タイの兄(80歳)が呼吸器系の疾患で今年はタイに戻れず国内にいるということで、年末に松本の83歳になる姉と兄の一家7人、我が家の家族6人の計13名で松本の温泉旅館でお昼の会食をした。
ここがどうも起点となったらしく、その後私の息子が咳をし始め、ここ何年も病気いらず医者いらずと豪語していた松本の姉もダウン、兄の奥さんもダウン、兄の息子の一家も具合が悪くなったということで、小林家一族が正に“風邪の嵐”に襲われた。
私もその時多少何か具合が良くなかったが、暮れ正月の長い休日、寒くてマレットはできず、今年は大学受験生がいることもあり、どこにも出ずに運動不足で食べすぎによる体調不良だと思っていた。
長い正月休みが明け一週間会社に出て、息子が治りかけた時の金曜の午後、寒気がし体調がおかしくなり始めていたが、とにかくここ6、7年風邪にもコロナにもかからず、元気いっぱいにしてきた私が病気になる・・・ということが許されなかったため、翌日の忘年会のご苦労さん会に出席した。
考えてみれば、その時既にふらふらしていた。
それから1週間は、正に具合が悪い毎日を過ごした。
一番ひどい時は立っていることも辛く、腰が痛い、背中が張る、体中がかったるく、さすがにこの時鏡を見るとしみじみ「年を取ったなぁ!」「それほど長くはないなぁー!」とそれなりの歳を感じたのであった。
熱はあまり出なかったため医者へは行かなかったが、今度は女房が高熱を出したため、私も一応お医者へ行くことにした。
鼻に綿棒を突っ込んでの検査の結果、「インフルエンザ」とのこと。
なるほど、ウィルスというのはかなり強力で、そういえば7年ほど前に高熱が出た時もインフルエンザA型だった。
私がどんなに免疫を持っていても、ちょっとしたすきにこのウィルスという変幻自在の細菌は私を病気にしてしまうのだ…ということをはっきり自覚した。
そして下手をすれば、気管支とか肺迄やられて致命症となることも考えられるということだ。
元々私は東京にいた30代の頃は、急性気管支炎ということでかなりゼイゼイやっていた時期があり、この田舎に引っ越して問題はなくなっているが、最も危険なのはやはり私の父、兄と引き継ぐ呼吸器系ではないか?と思っている。
…というようなことで、この暮れ正月は全く生産的なことはせずにだらだら過ごした。そして、己の限界を知った。
いくら「年なんか関係ない!」と粋がってみてもやはり、体の方は一時として自分の年を忘れることはない。
その時が来れば、間違いなくそれなりの年相応の対応をするのだ。
しかしそれならばできるだけ大人しくしていて、寿命をできるだけ伸ばそう・・・とは私は考えなかった。

逆になおさら、その時、その時、できることを最大限やることが大事だと思った。
今回の教訓は「いつ何時、自分の身体がどうなるか?分からない」だから、今できることは絶対にやっておく必要があるということだった。
今私ができることは、セルパップというゼロ地場コイル製品を一大事業に持って行くこと。
このコイルのゼロ地場構造によって、「あらゆる電磁波とか電流を吸収・キャンセルするという1800年、アンペールという電気の単位アンペアの元となったフランスの物理学者の説」を中心に論理展開してきた。
しかしこの体調不良の年末年始に、このコイルの新たな特性とその重要な内容を知り、学習していたのである。
それはこのコイルは、『マイクロカレント』という人間の生体電流に似た微弱電流を常に発しているということである。
そしてこれを突っ込んで勉強してみると、人間の身体はこの微弱電流=生体電流により動いているという事実があり、この生体電流が上手く発生できなかったら、滞ったりした場合は体の不調=病気という状態になるということ。
ロボットに電流が流れなかったら動くことができない・・・ということと同じ原理なのだ。そしてこの微弱電流は、人間の37兆個あるという細胞の中のミトコンドリアという器官で発電されているということが判った。
私はセルパップコイルがなぜそれほど宣伝もせずとも、この15、6年の間多くの人達に受け入れられ、愛され続けてきた理由がこの『マイクロカレントの発信』=ミトコンドリアの発電の助けや修復をすることにあったのではないか?という“新しい仮説”にぶち当たったのであった。
ミトコンドリアは37兆個の細胞の中に数個~数百個、頭、心臓等の重要器官には特に多く存在し盛んに発電している。
今回の私のインフルエンザは、おそらくこの頭の部分がやられており、結局身体が思うように動かない、気力が全く出ない・・・というような状態になったのではないか?と考えたりした。
勿論、セルパップを最大限使ってどうにかこの修復をしようとしたが、これが多少はなにか良いような気がするが、なかなかすっきりくっきり状態にならず悪戦苦闘の毎日が続いた。
ただし病気が終息に向かう時は、かなり急速に楽になった。
恐らくこのインフルエンザウィルスというのは、かなり強力な菌であり、薬を飲もうが何か別の手当てをしようが最盛期には全く受け付けないようなものを感じた。
急速に良くなる…という現象は、急速に免疫が回復する=ミトコンドリアの発電能力が復活する…といったことだろうか?
これは転んでもただでは起きない、私の体験談となった。
・・・ということで、これから私はセルパップとミトコンドリアの関係についての情報収集をするということになる。
また、未だ夫婦で身体が動けるうちに行けるところは行っておこうと思い、今年の大旅行計画を模索し始めた。

乞うご期待!

2025年1月23日

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