金曜日に雪の恐れあるということで、夕方6時からの講演会で午後出れば十分だったのだが、午前11時の電車に乗り込んで、静岡の島田市へ講演の途に就いた。
新幹線は全く問題なく動き、島田市のホテルには講演3時間前の午後3時にチェックインした。
講演を終えて直ぐ帰れば帰れたが懇親会に誘われたため、いつも講演後盛り上がる懇親会に参加し、一泊してから帰ろうと思った。
ホテルから会場の島田氏の商工会議所迄は、歩いて5~6分ということで、歩いたが、物凄い暴風雨である。
いくら近くても、暴風雨の中を全く知らない街で全く知らない場所をこの辺だと検討を付けて探すのも容易ではない。
道を歩く人も殆どなく、ようやく高校生の女の娘に聞いたら、やっぱり行き過ぎていた。
びしょ濡れになりながら商工会議所に辿りついたが、20人から30人と言われていた参加者が10人ちょっとしか集まって来ない。
しかし、定刻6時になったため始めた。
講演は8時ちょっと前に終わりマイクロバスで懇親会場に向かった。
案の定、懇親会での話は非常に参考になる。
私が講演で、日本の中小零細は、これまでの〝下請時代“のなごりで、いい技術を持ちながら、それをPRし活かすすべも知らなければ、何も行動を起こそうとしない・・・と言うことをそのノウハウと共に話したが、ある溶接を営む社長さんは、自分のところは、こと”溶接“に関しては絶対他には負けないという自負を持ち、新聞、テレビ等のメディアにもドンドン出る。そして展示会に年14回参加し、自社のPRをガンガンしているということである。
先般の慶應義塾大学のゼミのOB会でちょっと話をしたら、やはり面白い情報が色々と入った。
あるメッキ会社の社長の話であるが、日本の最大手のメーカーの下請けでメッキの仕事をしていたら、ある日中国のそのメーカーの工場に呼ばれた。
なにかと思ったら、そのメーカー、中国の自社工場に、そのメッキメーカーと全く同じシステムで設備を導入したが、いくらやってもそのメッキメーカーのようにはメッキできず、結局、そのメッキメーカーの社長にこの機会を使ってここでメッキをしてもらえないか?と依頼されたとのこと。
私が、メーカーは小さな工場で出来ているところを見れば、設備さえ見れば自分でも出来ると思い、なかなか同じようには出来ない。この大メーカーの様に降参して下請けメーカーにお願いするようなことは稀で、殆どは今までより品質は落ちるか自社内につき、「まっいっか!」でその部品を使うようになるのである。
私の最新式の10数万円もしたパソコンは、そのメーカーのモノかどうかわからないが、未だ半年もたたないうちにスペースキーとかの塗装が剥げ始めてしまっている。
まぎれもなく”メイド・イン・チャイナ“の日本メーカー製である。
そのメッキメーカーはその大メーカーに対して丁重にお断りしたそうである。
恐らく、数倍に費用をかけて作っただろうと言っていた。
講演の後の懇親会は、私の言ったことが、次々と証明されて行く”場”として私には貴重な場なのである。
講演の話はさておき、懇親会も終わり、次の日7時過ぎの電車に乗り込み、帰ろうとしていたら女房から電話で、小諸が大雪で家から出る来著も出来ない・・・とのこと。当然長野新幹線は止まってしまい動いてないとのこと。
私は直ぐに作戦を立てた。
東京駅で待つことは止め、できれば高崎まで在来線で行き、ここで新幹線の動向を見ようとして、そのまま京浜東北線で大宮まで行き、高崎に向かおうとしたが、全く動いていない。
新幹線は?まだまだ動きそうもない。
大宮でホテルを探すことにした。
一軒,2軒と雪が解けだしてべちょべちょの中を、時折靴の中に水を入れながら、キャリーバックを引きずりながら回ってみたが、どこも満杯!
ここで、自分の考えの甘さに気付いた。
すぐさまスマホを使いネット[小林延行1] でホテル検索をしたが、どこもここも満杯で、ホテルが取れない。
しかい、新幹線が動けばいい訳であるから、ここは持久戦に持ち込む他は無い…と云うことで、大宮のアリーナの反対側にある立派な映画館で「エージェント・ライアン」という映画を見る。
佐久の映画館と違い、画面も大きく、音も凄く、画面もかなりクリアーだ。
「投資銀行員という表向きの顔を持つCIA情報分析アナリストのジャック・ライアンが、世界恐慌勃発を狙う巨大な陰謀に立ち向かう。」と言った内容の映画で、元海兵隊員で現在経済アナリストと言う設定で、ロシアに派遣され高級ホテルに着いた途端、迎えに来たボディガードが突然ライアンを殺そうとし、どうにか切り抜けるところから、大痛快アクション映画が始まった。
ちょっといつもと違うのは、ただの銀行員が、経済テロ計画を防ぐためにロシアに飛び、突然襲われたところから、途端にCIA工作員になったような活躍を始める。
圧巻は、美女に弱い敵の目を自分のフィアンセに向けさせておき、自分は敵のアジトに入り込み、コンピュータから経済テロ(株の暴落)の情報を探り出すという、コンピュータの扱いと金融取引に精通していなければ、できない危険な仕事だったということかと思う。
後は結局一人で、その株の暴落を引き起こすためのウォール街の金融センターのビール爆破を防ぐというところは、全くのアクション映画となる。
映画にハマっていた時間は、忘れていたが、自分は”帰宅難民”なのである。
映画が終わると、またスマホによるホテル探しを始めた。
なかなか見つからなかったが、上野に13,600円というちょっと高めだがどうにか予約が取れた。
スマホの道案内で、そのホテルまで行こうとしたが雨が降る中、なかなか見つからない。
大体近くまで来てはいると思うが、段々暗くなってくるし寒いし、大分心細くなってきて、スマホを諦めて、目を向けると、そこがまさしくそのホテルのすぐ
そばであった。
ホテルに入り、チェックインするとウナギの寝床のように細長い部屋に、縦長にベッドが二つ置いてあり冷蔵庫もなく、とてもこれが1万3千円の部屋とは思えない。
結局、足元を見た“ぼったくりホテル”だった。
翌日は、帰れるだろうと思い東京駅に行くと、長野、上越、東北新幹線のチケット売り場は長蛇の列、ホームに行ってみたら、ホームにも人が溢れている。
しかし、”運休“と云う言葉は何も無い。
頼みの綱は、ネットへの書き込み情報だ。
思い思い自分の勝手に書いている情報のため、多少引きながら読む必要があるが、色んな人が書くため、総合的には判断できる。
それぞれの書き込みを総合すると、結局、始発は間違いなく動いた。
しかし、軽井沢で止まって動きが取れない。
2番目の新幹線も動いたが、安中榛名で止まって全く動けない。
3番目も動いたが、高崎で止まった。
軽井沢の大雪の除去がままならず、「今か?」「今か?」状態での運行状況のため、運行しているようで、運行していない。
これは長引くとの判断で、私は有楽町駅へ行き、またもや映画館探しをし、1時間以上彷徨ったあげく、結局は1時25分からの銀座ルミネの9階で今度は「大統領の執事の涙」という映画を見た。
これは、アメリカの大統領に8代に亘り、34年間使えた実在の黒人の執事の物語ということであった。
この映画を見て、黒人への人種差別は、生半可なモノではなかったというアメリカの現実を知った。
黒人差別=有色人種差別ということであり、我々日本人も黒人とあまりお変わりなく差別されていたことを考えると、かなり衝撃的であった。
”白人は人間で他の有色人種は動物と一緒“のような風潮がちょっと前までのアメリカには間違いなく存在した。
”空気のような存在になり、会話には絶対入ってはならない”と云うのが,執事になるための条件だったが、彼の人間としての誇りと尊厳が、各世代の大統領に伝わり、やがては、それまでには絶対ありえなかった、自分=黒人の昇進が認められた。
そして、彼が引退した後ではあったが、何とあのアメリカに黒人の大統領=バラク・オバマが誕生したところで終わっている。
歴代の大統領との逸話がちりばめられ、オムニバス映画のようで、ストーリーとしては“じっくり感動”しにくい部分もあったが、一黒人が歴代大統領に与えた影響力とは、はっきとは言わなかったが、まちがいなく人間として黒人問題を語る時は、すぐ間近に居て、素晴らしい人格者の執事の彼が果たした役割は少なからざるモノがあったと想像できる。
映画が終わり、さあ!新幹線・・どうなったか?と再び東京駅に4時前に向かった・・が・・・、結局、6時頃には動くのではないか?と言うことであったが、私の判断として、これは今日もダメ!
東京駅大丸の食堂街に行き、ビールを飲みながら豪華な?食事を一人でし、ホテルを探した。
スマホのネットで探すのだが、ホテルの会員パスワードとか何かで引っかかって上手く進まず悪戦苦闘したが、5500円というリーズナブルなホテルに予約できた。
昨日のホテルを見つけて歩く大変さを思い、東京駅からタクシーに乗り、日本橋浜町という場所にあるホテルにスムースに付き、無事にチェックインできた。
朝食は断り、コンビニに買い物に出たが、色々選び終わって内ポケットを見たら、財布が無い。
先般、中国へ行った時に携帯を失くし、えらい目にあっていたため、「またか!?といやな予感が頭に走ったが、こういう時は冷静になり、全ての自分の取った行動をチェックして行くことだ。
タクシーの支払いをカードで済ませ、ホテルのチェックインの代金支払いまではあったから、その後・・というとエレベーターに落とすとか、道に落とすというのは、硬化やカードが詰まっておりかなりかさばって思い財布のため、それは余り考えにくい。
部屋に置き忘れたというのが一番濃厚ということで、結構距離のあったコンビニから取って返してホテルの部屋に行くと、果たしてそのまま置いてあった。
「帰宅難民」となり、着のみ着のままで、東京の街をあっちへふらふらこっちへふらふらしていて、ここで財布を無くしたら、後はどうすればいいだろいう?
と一瞬不安にかられ、職を失った人が、持ち金が無くなり背広を着たまま路上生活者になって行く気持ちが分かるようであった。
次の日の月曜日は、もともと文京区本郷の医療展示会で東京に来ることになっていたため、出展物は無いが、顔だけでも出そうと思って行った。
講演時に見せたコイル一つ展示したり、パソコンやアイパッドで製品の写真を見せたりと繕って、どうにか展示会を終え、朝から正常に動いているという新幹線に乗り、順調に佐久平に向かった。
これで、帰宅難民が終わったわけではない。
佐久平から家に帰れないのだ。
いつも迎えに来る女房は、道が雪のため混雑していて簡単には迎えに来られないということで、タクシーで帰ろうとしたが、いつもずらっと並んでいるタクシーが、よりによって一台もない。動いていないのだ。
女房はちょっと可能性が無い為、息子に電話して迎えを依頼した。
大分待つかと思ったが、30分位待って息子が到着してようやく帰路に付いた。
普通の道はやはり車が立ち往生しており、全く動かなかったとのことで、車が一台しか通れない“ボブスレー道路=雪の壁の中を走る道路”となっている裏道をひた走り、ようやく暖かい我が家に着いた。
この月曜日会社は結局、雪掻きがままならず開店休業に追い込まれ、明日重機を頼み、雪掻きをしてもらうことになった。
5200坪ある会社の敷地は、とても人手で雪を除去することは出来ない。
何十年ぶりとか、ここ70年位で初めて・・・と言われた“大雪狂想曲”であった。
[小林延行1]オトン違うのは