会長の部屋:腰痛とスポーツ観戦の日々-

約1ヶ月前、ニコニコグループという私が主催する同年代の人達のグループで、毎年恒例の味噌作りのため、糀屋さんへ行き、米麹の袋20kg×7つを一人で運び乗用車の荷台に乗せ、会社の脇の集会所(前の工場跡)に運び入れた。
この頃の私の身体は絶好調で、腰も足もどこも痛くない、毎日、2㎏のダンベルを両手に持ち、腹筋70回(100回目指して50回から徐々に数量アップの途中)、腕立て100回を毎日こなし、身体には自信があったため、人を待てばよいものを、一人でみんな片付けたのだった。

それから、しばらくすると、腰とか、腕とかに異変があり、何か変だなと思いながらも、ずるずると来た先週。突然、歩行がおぼつかなくなった。
会社に通う道にある以前肩から背中にかけて猛烈な痛みが出た時行った整形外科へ駆け込み(実際は足を引きずりながら)、レントゲンで見たら、なんと「脊髄管狭窄症」とのこと。そこで、牽引と、電気療法をやったが、一向に良くならない。
友人に相談したら、上田(小諸から約40分)にブロック注射をしてくれて、一発で良くなる・・・とのこと。
但しそのお医者は、大変混んでいるため、朝6時に予約受付し、8時半から診療開始とのことで、痛い腰をひきづりながら、自分で運転して6時に予約を取りに行った。
「2番目」ということで、どうにか当初の目的を果たし、8時半まで時間があるため、一旦家に帰ることにした。
帰りの車の中で、この痛みで、もしカーブとかでブレーキを踏む力が出なくなったら…と思い、次の診療に行く時は、女房に運転してもらって行った。
女房の運転のセンスの問題で結構時間を喰ってしまい、二人で言い争いなら、どうにか8時半ぴったりにその病院に着いた。
しかし、入ってみると、そこに既に20名以上の人がいる。
結局、取った順番は何もならず、最初に看護婦さんに声を掛けられるまでに約1時間、診察するまでにそれから更に1時間、そこ持ってきて脊椎へのブロック注射は麻酔のため、2時間その病院で寝ていなければならず、都合、約6時間かかった治療となった。
そして一発で良くなると思って期待しながらの6時間、その夜、全く良くなっていないことに気づいた。東京でもどこでも直せるところがあれば行こうとネットで検索していたら、地元小諸に北海道札幌が本部の整体院があることが分かり、そこへ行くことにした。
結果を言うと、そこで教わったテニスボールを骨盤下に当てることによる治療が最も良かったように思う。

しかし、未だ普通に歩くまでには至らない。
結局、それから1週間、会社を休み家で寝て過ごすことになった。
この1週間は、はっきり言って、「スポーツ観戦三昧」の日々となった。

まずは、大谷翔平選手がいるエンジェルスの野球観戦である。
これは、結構時間もかかり、大谷選手が、ニュースのダイジェストのように、ぼんぼんヒットを打ったり、ホームランを打ったりするわけではなく、私が見ていたこの週は、圧倒的に空振り三振が多く、たまに打つホームランよりも、観ていて疲れる方が多いように思えた。
それから大相撲である。
この場所は、久しぶりに横綱照ノ富士が場所入りした。
いつも上位陣が大荒れとなる序盤は、珍しく上位陣が安定した始まりであった。
しかし、中盤あたりになると、そろそろ勝ち負けがはっきりし始める。
コロナ時にルールを破り、しばらく謹慎の後、幕下から勝ち進んできて平幕に返り咲いた元大関朝乃山が勝ち進んでおり、当然応援したくなる。
そして私は好調の関脇4名中、若元春に目を付けた。
左四つになると滅法強い、昔の初代若乃花を彷彿させるような体形の力士だ。
結果としては、横綱照ノ富士が14勝1敗で8度目の優勝。
同じモンゴルの霧葉山が11勝4敗で大関昇進。
若元春は同じく11勝4敗で技能賞。
朝乃山は12勝3敗という結果に終わった。
最近の相撲は、20年以上前の八百長相撲は無く、いわゆる「ガチンコ相撲」のため、見ていて非常に迫力がある。
その代わり怪我がかなり多い。
力士は、相手との闘いもあるが、自分の怪我との闘いでもある。
照ノ富士も、大関でようやく勝ち越してカド番脱出した貴景勝も膝に大きなテープを巻いていたし、その他の力士も途中休場してまた出てきたりして、怪我と戦っている。
また、入幕後1場所で十両に上がった落合が優勝こそ逃したが、14勝1敗で、うまく行けば翌々場所で平幕昇進ということになるという、スピード出世の力士が現われた。
未だ散切り頭だが、来場所から伯桜鵬というシコ名となるようだ。
宮城野部屋で親方があの大横綱白鵬で“ハクオウホウ”というシコ名は、いかにも親方が期待を寄せたシコ名かと思う。
同じく宮城野部屋の204㎝の大型力士、北青鵬も、あの大きさで鍛え上げれば、今後面白くなりそうだ。
ここはまずは、朝乃山が早く大関に返り咲き、大栄翔とか豊昇龍も大関、もちろん若元春(今場所休んだ若隆景も)も大関を目指し、その中から横綱を早く出すことで、更に盛り上がることかと思う。

最後に南アフリカで行われた「世界卓球」である。
結果としては日本は銀1,銅2ということで、大したことのない結果に見えるが、これが今回はなかなか見ごたえのある大会であった。
最も凄かったのは、早田ひなの順々決勝であった。
世界ランキング第3位の中国の選手に3対3のフルセット迄追いつき、11得点のゲームにもかかわらず、デュースの繰り返しでなんと21対19で勝負がついた。
殆ど中国選手にマッチポイントを取られながらしのぎにしのいで早田が勝ったのである。
このゲームは時差の関係で毎晩8時頃始まり、最終ゲームは10時、11時となる。
私は9時に寝るから、結局、次の日の早朝、録画を見る。
結果は観ないようにして観ているから、私にとっては、リアルタイムと同じだ。
朝、3時とか4時に、私は一人で、「そこだ!がんばれ!」とか「やった~!」とか大声で叫びながら見る。
しかしこの勝負は凄かった。
私は中学、高校時代、卓球をやっており普通の人よりは多少、卓球については詳しい。
しかし、このデュースの10本の間の、早田選手のメンタルを考えると、正に「驚異的」といえるかと思う。
例えば、12対13ポイントで相手にリードされた場合、精神的にはかなり追い詰められる。
しかも世界卓球という世界の大舞台、相手はめったに勝ったことのない中国の強豪選手、そしてデュースが繰り返し何回も何回もということになるとそのメンタルは極限状態に追い詰められたことだろう。
つい数年前まで、日本の選手はラリー(打ち合い)状態になると、まず90%位は相手のポイントになっていた。
しかし、今回この早田を始め張本、伊藤美誠選手等も結構打ち勝つことが多くなったことが、この最終結果ではとても判断ができない大きな日本選手の進化だ。
私が卓球をやっていた頃は「卓球ニッポン」といって、日本が世界の頂点に立っていた。
その後、「ピンポン外交」とか言って、日本からコーチを中国に送り込み、中国に卓球を教えた。
その頃から、ペンフォルダータイプ(鉛筆を握るような持ち方)からシェーク(握手をする形)に持ち方と、ラケットが変って行った。
結果ここ40数年、中国が世界で断トツの卓球王国となって行き、未だにその牙城は崩れない。
今回韓国選手が銀メダルを取った例もあるが、これはただ単に決勝まで中国選手に当たらなかっただけということだ。
逆に韓国と日本の試合がもっと見てみたかった。
ちなみに韓国と当たった日本選手は、皆、間違いなく勝っている。
恐らく、組み合わせが上手く決勝まで中国に当たらなければ、韓国がもらった銀メダルは日本のものになっていたであろう。(韓国から怒られそうだが、本当のこと)
はっきり言うと、それだけ、まだ中国と他の国の間には大きな差があるということ。
そして日本選手が、まだまだではあるが、かなり中国選手に肉薄する技術を持ち始めてきたということだ。
他のスポーツもそうだが、やはり強くなるためには、自分より上の技量を持つ人がいないと難しい。
私の日本卓球に対する提案だが、野球のバッティングマシーンのような装置を造り、それぞれ、これはどの中国選手の球、これは誰の・・・というような球種のボールを、連続で出せるようにし、これに向かって練習をしたら、次の大会では中国選手に勝てるのではないか?

今日の朝、大阪のABC放送(朝日放送)のラジオ番組に生で声の出演をした。
キャスターが以前のメイド・イン・ジャパンと私の言うシン・メイド・イン・ジャパンについて知りたいということで、約25分、べらべらとしゃべり続けた。
大阪は東大阪の中小零細製造業が有名なため、その人達に届くことを祈りながら、私のシン・メイド・イン・ジャパン説をぶちまけた。


腰の方は、どうにか色々やって良くなってきたが、未だ歩くと、脚があちこち痛い。
もう少しでマレットゴルフもできるようになると思う。
「年寄りの冷や水」
自分をまだまだ若いと過信して、自分の肉体を酷使したりすると、こういう目に合う…という戒め。
逆にこういうことになっても、直ぐに、自分の楽しみを見つけ、それに情熱を傾けるという私のプラス思考もなかなかのものではないか?(2023年5月30日)

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