会長の部屋:イギリス リバプール ビートルズウィーク-

ロンドンからリバプールへ

本当は3年前に行くはずだった。
あの忌々しいコロナ騒動によって、私のゴールデンエイジ(70歳から80歳の自由に使える時間)の1/3が失われ、このリバプール行きも延期されていた。
羽田から15時間、北極圏周りのJAL直行便でロンドン、ヒースロー空港に降り立った。
…と書くと格好良さそうに思えるが、実際はこのビートルズウィークに参加、演奏する日本のトリビュートバンド(コピーバンド又はカバ―バンド)の皆さんにくっついて行ったのだ。
まずは、ロンドンと言えばアビーロード。あのビートルズの傑作と言われる同名のタイトルのLPレコードと、4人が横断歩道を渡る写真はあまりにも有名。
一行11名は電車を乗り継ぎ、最寄りの駅からタクシーに分乗してこの憧れの地に行った。
なんの変哲もない横断歩道だが、車が途切れている間にこの横断歩道を大股で歩く姿を撮影する人が後を絶たない。映像に納まったとたんに、この横断歩道は貴重なビートルズ体験に変わるのだ。
女性のビートルズバンドHIPSの4人がいつの間にかステージ衣装に早変わりしており、車の往来の関係で何度も何度も繰り返して「4人の横断歩道写真」が撮れた。
また男性+紅一点の#4Dreamの5名も写真に無事納まった。

ロンドンからリバプールへは、イギリスの南東から北西へ斜めに横断するようなイメージだ。
2時間20分でリバプールに着いた。

古い赤レンガの建物が多いこともあるが、なんとも独特の雰囲気のある街だ。
石畳のような道が多いため、キャリーバックを運ぶのはちょっと大変!
ビートルズのホームグラウンドで、かの有名なマネージャー、ブライアン・エプスタインと初めて出会ったキャバーンクラブの付近に近づくと、あちこちから大音量でビートルズの曲が聞こえてくる。
益々気分は高まり、これは現実の世界から夢の世界への入り口だった。
私が泊まったホテルは、ハードディズナイトホテルと言って、外から中から全てがビートルズ一色のホテルだった。
各部屋のベッドの上に、大きなビートルズのメンバーを中心とした写真が掲げてある有名なホテルである。
私の部屋は、ポールとジョージがマイクに向かっている写真だった。

困ったのはコンセントが一箇所しかないということ。 PC、スマホ、スマートウォッチ、翻訳機、Wi-Fi機と全て充電が必要な機器だらけで、コンセントが一つしかなかったということと、持って行った分配ボックスの電圧変換のコンセントが繋がらず、これには困った。

それにしても初日のスケジュールは過酷だった。
ロンドン、ヒースロー空港に着いたのが朝6時台(日本時間午後2時台)、そこからユーストン駅に向かい、タクシーに分乗し、アビーロード。アビーロードの後はサンドイッチを食べてから一路リバプールへ。ホテルに着いたと思ったら1時間もしないうちにカサバツアーと言って、ビートルズが結成前のクォーリーメンというグループが演奏していたというパブの見学ツアー。終わって食事してホテルに戻って9時頃(日本は朝の5時)。

8時間の時差というのはきつい。
いつ寝るべきなのか?いつ食べるのが良いか?眠いのか?お腹が空いているのか?よく分からない。
結局、寝そびれたり、食いそびれたりするのだ。

カサバツアー

カサバツアーで面白い話を聴いた。
このクラブの改装を手伝うことになったメンバーのジョージ・ハリソンが、この改装にあまりにものめり込み過ぎて練習そっちのけで改装に打ち込んでいたため、メンバーのリーダーがジョージに腹を立てここでの演奏はやらないという話になってしまった。そこで困って、たまたま見つけたメンバーがジョンとポールだったという話だ。
後から考えれば、“人間万事塞翁が馬”であり、何が禍で何が幸いなのか分からない。
誰も、このグループが後に偉大な音楽グループになるということは想像も出来なかったからだ。

キャバーンクラブでの応援

翌日の午前中は休み。
日本との時差との追っかけっこで、朝起きてから午前9時(日本の午後5時)までが、コンタクトが取れるタイミングだ。逆にいうと、その後のメールは明日まで読まれない。
Wi-Fiの関係で、スマホのラインも、国内のように調子よく会話形式にはならないし、添付の写真もなかなか日本まで届かない。動画などは全く無理だ。
午後は一緒に日本から来たグループ、#4DREAM(フォードリーム)のキャバーンクラブでの最初のライブだ。
同行した応援グループから赤や黄色のぼんぼりや、グループ名や日本の国旗の入った小さなウチワが配られた。
演奏前は多少スペースがあるが演奏中は、狭いホールはどんどん詰まってくる。
いつの間にか私もその最前列で応援することになっていた。
遠い異国の全く知らないところで、何も遠慮することは無い。
それも知らない曲は無いビートルズの曲だ。
一緒に歌い、叫び、手拍子し、踊りまくりながらの応援。
スピーカーの真ん前で、いくら大声を上げても、全く自分の声が聞こえない。
演奏45分間、アンコールを加えて+αの時間、汗がにじみ出て来て、最後は汗だくになる。
こちらが終わると、既にもう一つの女性グループHIPSの演奏が違うフロアで始まっているから息継ぐ暇もなく駆け付け、今までの勢いそのままに応援する。
とても77歳の喜寿のおじいさんとは自分でも思えない。
終始禿隠しの帽子をかぶっていたから、他の人にはなおさらだったと思う。
結局最後の最後まで、1日4回×4日間このスタイルで通した。
演奏は?というと、日本の数あるビートルズバンドの中から選ばれ、世界の檜舞台で全く引けを取らず両グループ共、堂々と決してうまくはない英語でジョークを飛ばしながらの演奏は見事である。
お客もその辺はわきまえており、国がどこの国であれ、それぞれ惜しみない拍手を送る。
そんな中で、更に盛り上げようと我々応援団は、必死で身体を揺らし、旗を振り、声を上げるのだ。

近郊散策ツアー

二度ほど、バンドの人達も一緒に近郊ツアーに出かけた。
全てマニアックである。
まずはポールの家を見た。そこからジョンの家まで、ポールが毎日通った道を歩くというツアーで、これはなかなか良かった。
ゴルフ場を突っ切り、殆ど緑の中を歩く。
気候的にも、軽井沢で散歩しているようなイメージだ。
ポールがこの道を歩きながら書いた曲もあるとのこと。
偉大な芸術家は、やはり自然豊かな地で育つのだと勝手に解釈した。
ジョンの家・・・と言ってもジョンは幼い頃にお母さんを亡くし、お父さんは船乗りでジョンを置いて去り、おばさんの家で育っていた。
そのジョンの家で、みんながそれぞれ写真を撮り合い、それなりに時間がかかった。

次の日はジョージの家にも行った。
ポールとジョージの家は長屋の一角で、大分下層階級の様子だ。ジョンの家は一応門構えのある1軒屋だから、多少上か?
いずれにしろ、イギリスの貧しい生まれ育ちの青年達が、やがては世界を席巻するミュージシャンになって行ったのだ。
ジョンがよく遊んだ道、ジョンが木に彫ったイニシャル(良く解らなかったが・・・)、仲間とよく行ったパブ等々…
その中でも有名なのがジョンとポールが出会った教会であり、ここでジョンがポールのギターのうまさに惹かれたということだ。
この教会のホールで、我らがビートルズのメンバーポール役のteaさんがギターで歌い出した。
続いて、紅1点のエリさんがピアニカで加わり、ジョン役のずーさんがさらに加わった。
これは素晴らしいパフォーマンスだった。

音楽ほど、人の心を和まし心を通わせ合うことのできるモノはない。
ジョンとポールの最初の絆がこのようにして生まれ、育って行ったのだろう。
その他、歌に出てくる街ペニーレーンでは、歌詞の床屋や銀行のあった場所をみんなで追った。
翌日のストロベリーフィールズは、すっかり商業施設になっており、有名な赤い門で替わり番手に写真を撮ったり、お土産を買ったりした。
この建物の中には、ジョン・レノンがイマジンを作ったピアノが置いてあった。ビデオに出てくる白いピアノはビデオ用のもので、これが本物だと案内の人が強調していた。

ツアーが終わると、またライブ応援である。
会場がちょっとリバプールの町から離れたホールとなり、普通の劇場スタイルの場所での演奏はちょっと観客数が足らず、ここは我々応援団が頑張らなければならない。
結局、私も舞台袖まで連れて行かれ演奏者の前で踊りまくることになった。
あちらの人は結構一緒に音楽を楽しもうとする人が居り、一緒に踊り会場を盛り上げてくれた。
その帰りにツアーコンダクターの人達と一緒だったため、どこか美味しい店に連れてってもらえないか?とお願いし、何件か覗いた結果中華料理店に連れてってもらい、ここでイギリスに来て初めて料理らしい料理が食べられた。
次の日も今度はイタリアンの店に案内してもらい、ここもなかなかの味で満足した。

55年前の学生時代の最後に、当時は「洋行」と言われ円も今よりもはるかに安く、なかなか簡単に行けない時代に親のすねをかじりヨーロッパ9ヶ国旅行に行った際、ロンドンに行った。
その時の印象でイギリスの食事は上手くないと思っていたが、中華料理とかイタリアンであればそれなりに美味しいということが良く分った。

アナログズ鑑賞

2日目に、ホテルから結構離れた場所にフィルハーモニーホールという大きな劇場があり、そこでアナログズというビートルズのトリビューバンドで有名なバンドの演奏があったが、これは素晴らしかった。11人くらいの編成で、その名の通りビートルズはスタジオ録音だけでライブは一度も行っていないような、後半のアルバムの難解なテープ逆回しのような曲等を、チェロやバイオリンで再現しそれがまためちゃうまい。
通常、ビートルズのトリビューバンドは誰がジョン役で誰がポール役と決まっていて、それぞれそのパートしかやらないが、このグループは5人のボーカルがおり、結構適材適所で歌い、それが皆抜群に上手いからたまらない。
思わず身を乗り出して聴き入ってしまった。

道に迷う

大変だったのはこのコンサートの後、既に夜中の1時をまわっており、毎日9時に寝る私にとしては少しでも早く帰りたかったため、先に出て行ったグループの人達を追った。
ところがホールを出た途端、突然の大雨で雨宿りをする他無く、あちらの酔っ払い数人と、既に閉まっていたレストランの軒先で訳のわからない酔っ払い英語を聴きながら小降りになるのを待った。
ようやく小降りにはなったが、先に行った仲間の人達はどこにもいない。
来た道を帰ることになるが、全くの方向音痴で、来た時はグループの人の後をついて来ただけで断片的な記憶しかなく訳がわからない。
それでもどうにか歩いて行くと、確かに通ってきたような道があり、とにかく歩けばどこか見覚えのある場所に行けるだろうと、グーグルマップは例のWi-Fiが充電不足で使えないので持っていた地図を頼りに歩くのだが、自分がどこにいてどこへ向かわなければならないのかさっぱり分からない。
結局40分くらい小雨の中を傘もなしに彷徨った。
気持ちに余裕があれば“真夜中のリバプールの散策”ということでもいいが、なにせ早く帰って寝たいという焦りがあるから、ただがむしゃらにみじめな気持ちで歩いただけだった。
閉まりかけていたレストランがあったため、店仕舞いをしていたおじさんに雨に濡れてボロボロになった地図を指さして、ハードディズナイトホテルを連呼したが、地図ではわからないらしく、このおじさんはスマホで検索してこの道を下り、突き当りを右に行き、SMBC銀行を右に曲がれば良いと教えてくれた。
多少不安はあったが、その通りに歩いたらホテルがあった。
これで約1時間弱の“夜の小雨のリバプール恐怖の彷徨(さまよ)いツアー”を終えたのだった。
次の日は朝9時から例のジョンやポールの家の散策ツアーがあるため、とにかく早く寝る必要があった。結局この日は夕飯もなし、次の日の朝食は土曜日で9時に開くレストランは間に合わず食べっこ無しで、寝る時間も食事もままならない2日目だった。

悲惨な最終日

とにかく毎日があっちだこっちだとスケジュールに追われ、時差ボケと不規則な食生活を背景に、ライブの応援となると20代の若さに戻って目一杯声を出し、身体を揺する毎日はいわゆる「ハイ状態」となっていたのだと思う。
リバプール最終日はこのツアーのファイナルディナーで盛り上がり、その後我らがteaさんが「一人Queen」といって、ギター1本でQueenの映画「ボヘミアン・ラブソティー」で有名になったあのライブエイドの曲をカバーした。それも素晴らしく張りのある声量、完璧なリズム感、卓越したギターテクニックでのカバーは何回聴いても感動モノだ。
映画「ボヘミアン・ラプソティー」が大ヒットして、Queenブームが沸きあがった5年ほど前は、あっちこっちのライブハウスで引っ張りだこ状態だった。
そのteaさんがビートルズの本場、ビートルズの祭典の会場で、これまたイギリスのスーパースターのQueenをやるという他の誰もできないパフォーマンスは、今回の最後にして最大のイベントだった。
私はそのファイナルディナー後、スマホをホテルに忘れていたためちょっと取りに帰ろうとホテルの部屋に戻った。
疲れがピークだったため、ちょっとだけ休もうとベッドに横になった。
…そして目が覚めた時はライブは既に終わっていた。
狂乱の5日間、その最後を大声援で大盛り上げにして締めくくろうと思っていたスペシャルイベントを、なんと疲労困憊のため見逃すという何とも情けない締めくくりとなってしまったが、まるで別世界の「夢」のような5日間はこれでTHE ENDとなった。

ロンドン観光をして帰途に就く 

翌日は近くのスーパーや地理についてもようやく分りかけてきたこの街、コンセントが少ないハードディズナイトホテを後にしてタクシーで駅に行き、電車でロンドンに向かった。
一晩泊まり、翌日は4人のグループでロンドンの観光に行った。
お決まりのバッキンガム宮殿の衛兵交代は時間に遅れて観るチャンスを逃したが、行進は観ることが出来た。ウエストミンスター寺院と、新装となったビッグベン、ロンドンアイという観覧車でロンドン市内を一望、そしてタワーブリッジと、定番の観光地を見て回った。

夜7時半のロンドンヒースロー空港発のフライトであったが、全員大分早めに空港に向かい、帰りはイギリスから日本に向けて一直線のコースを取ってやはり15時間のフライトとなった。
バンドのメンバー、そして応援随行の人達、ずっと一緒にいると自然と親交が深まり別れるのが寂しい状態になる。
また是非会いましょう、とそれぞれ別れを告げ、帰路に就いた。      

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