前日の2時間遅れの列車の確認をしたら、何と今日は4時間遅れになっているという。
その次の日程は、バンクーバーからビクトリアへレンタカーを借りフェリーに乗ることになり、そのフェリーがシーズン中は予約をしないと乗れないことがあるということで、兄の方で予め十分に余裕時間を取って予約をとってあったが、4時間の遅れでは余裕時間の域を超えている。
朝、案内のカウンターに黒人のお兄さんがおり、唯一のイングリッシュスピーカーの兄の奥さんが頼むと、快く予約の変更をしてくれた。
バンクーバー9時42分着で12時発のフェリーを5時間ずらして午後5時のフェリーに変更した。
それにしても、この列車、午後2時前の出発が夕方の7時近くになるため、このジャスパーで一日待ちぼうけになる。
こういった場合は、その時間を利用してどこか一日観光とかという気分にはなれない。
結局、ホテルをチェックアウト後、駅まで行き駅で大きな荷物を預け、街をぶらぶらする。
この街もバンフに負けず劣らず小さな観光の街で10分も歩けば店が無くなってしまう。
最初はじっくり駅前に並ぶお土産物屋さんに入り、お土産を見つけて歩いたが、どの店も同じようなモノが置いてあり、やがて飽きる。
スーパーがあって、そこがカナダの特産メイプルバターが一番安いと、お土産に沢山買い込んだりした。
公園があったため、ベンチに座って待つが、結構肌寒いため、手荷物を置いて代わりばんこに、アチコチの店などを覗いたりした。
やがてお昼の時間となる。
ガイドブックに日本料理の店があるため、そこへ行こうということになった。
日本人のオーナーらしき人が厨房にいて、金髪の若い娘が、お茶を運んできて注文を取っている。
大変かわいらしく愛想もいい。
よくよく見ていると同じ服を着て同じような顔の女の娘が二人いる。
恐らく、姉妹か双子かどちらかだろう。
ここでウドンとか寿司を食べたが、ここは結構美味しかった。
何せめったに美味しいモノが無いから、ちょっと普通(日本のレベルで)の味に出会えば、最高に美味しく感じるという状況でもあったが・・・・。
その可愛いウエイトレスのお姉さん二人にお願いして写真を一枚パチリ。
この店が待ちぼうけ中の最大のヒットとなった。
その先にパン屋があるとガイドブックにあり、探して歩いたらすぐに見つかったが凄い混雑。
その夜の電車の中の夕飯用にその列を作るパン屋さんのパンを沢山買い込んだ。
後はやることもなく、駅の待合室を陣取りひたすら待つ。
それでも・・・と思い、私は抜け出して街に行き、シャッターチャンスを狙うが、これと言ってカメラの被写体になるような風景や建物も少なく、なかなか時間は潰せない。
4時頃、駅員が一枚の貼り紙を持って来て掲示板に貼った。
4時間遅れがもう2時間6時間遅れになるという貼り紙だった。
最終的には13時40分発が、7時間近い遅れの夜8時半発で列車が出発した。
夢の大陸横断鉄道かと思ったがエコノミー車両はえらく古く、とても「夢の・・・」という表現は使えず、おまけに一番の前の席でトイレが目の前、それもあちらの常識では、中に人がいるかいないか分からないため、ドアは開けて置くのだとのこと。
ここで20時間近く過ごすのかと思うとちょっとうんざり・・・と云う感じであった。
座り込むと早速あの行列のできるパン屋さんのパンに食らいついたが大して美味しくない。なぜあの店にあんなに行列ができていたか?不思議だ。
みんなの意見は、「他にパン屋さんが無いのでしょう」ということだった。
その夜は、どうにか疲れも手伝って眠りについた。
朝目が覚め窓の外を見ると、谷と谷の間を川が流れ、その川沿いにこの鉄道が走っている。
時々150両近くあるながーい貨物列車がすれ違う。
短いトンネルがいくつもあり、同じような景色が延々と続く。
朝飯は食堂車で食べようということになり、荷物があるため順番に行こうということになった。
食堂車までは何両も歩く必要があり、いちいち重い引き扉を開けたり閉めたりしなければならない。
また寝台車の車両の通りは狭く、大きな外人とはとてもすれ違えないため、結構歩くだけでストレス。
私は兄夫婦が最初に食堂車に行くと言うので、一緒に視察がてら行ったが、途中で引き返すのが嫌になり、途中の人がいない車両・・・恐らく軽く食事やお茶を飲むための車両であると思うが、フリーの車両があったため、そこへ座って、兄達が食事を終わり、女房や姉と交代するのを待っていた。
ところがその車両にパンと飲み物が置いてあり、時々乗客らしき人達が来て食べたり飲んだり持って行ったりしているため、私もそこのパンと飲み物を戴き、朝飯とした。
タダだからうまいとかまずいと言う話は無しで食べた。
バンクーバー到着は4時だという。
4時に到着し、バッグを取り出してからタクシーに乗り、街のレンタカー屋に行き、そこからフェリー乗り場まで行くと5時のフェリーは殆ど無理であった。
結果から言うと間に合わなかった。
途中で3時15分頃にはバンクーバーに着けそうと言うような情報が入り、みんなで喜んでいたが、確かに3時過ぎにはバンクーバーの近くまでは行ったが、そこからがいけない。
列車がスロ-なったり、止まったりで、なかなか進まない。
そこへ持って来て、何の都合があったのか、逆に後ろにスィッチバックをし始め、そのうちに前に進んだりしていて、列車が定まらない。
最終的に4時15分頃下車し、急いで駅舎に向かいバッグを待つが、これが待てど暮せどなかなか出てこない。
20分ほど待ってようやく出てきたが、女房の車椅子がなかなか出て来ない。
兄夫婦は、先にバンクーバーの街中のレンタカーの店に行き、我々3人が残ってこの車椅子を待った。
最後の最後まで待ったが、結局出て来ない。
バッケージクレームの紙は兄夫婦が持って先に行ってしまっているし、私の英語力で交渉しても自信もないので、女房と相談し、この車椅子は殆ど必要もも無いため、ここに捨てて帰るということにした。
日本では、あの超スピード、超過密ダイヤで走る新幹線が1分たりとも狂わないのが当たり前であり、ちょっとでも遅れたら、構内放送でうるさいほどのお詫びと状況説明が行われるが、今回のこのカナダの現場では、構内放送は無し、掲示板に手書きで何時間遅れると何度も表示されるだけ、乗客もこれが当たり前かのように抗議をする人も無く、おとなしく列車が来るのを待っている。
列車に乗ってからも、乗務員の態度が我々黄色人種への差別が未だあるのか非常に態度が悪い。
結局、遅れたからという理由で、お昼にそんなに美味くもないパンと飲み物とお菓子を配給しただけで、何の悪びれた様子も見られなかった。
私は、カナダは先進国だと思っていた。
中国の航空便は2時間や3時間は当たり前で遅れ、5,6時間ということもたびたびあったが、先進国カナダがまさか一日一本という列車が6時間も遅れ、しかもそれが当然の如くに行われている事実は、私にとっては驚愕的な出来事であった。
日本が世界の中であまりにも設備面、対応面、ホスピタリティ面等のインフラが整い過ぎているのか、たまたまこの長距離列車に限っての出来事だったのかは分からないが、海外旅行中の6時間という貴重な時間をさしたる理由や説明もなくただただ持って行かれてしまったということ体験は、中国ならあきらめもつくが、先進国カナダでは如何なものであろうか?
たまたま日経ビジネスに日本の鉄道事業のグローバル化の記事が載っており、これを読んでいたら、面白い記述があった。
川崎重工の米国での鉄道車両のシェアが首位の米国企業を追い上げる第二位で23%を占めるということだ。
その中の記述で「米国では保証期間が過ぎた後、車両が故障した場合、欧米ではすぐに弁護士を送り込んで来るが、川崎重工は保証期間か否かに関わらず、故障時にはまず技術者を送り込み問題解決をまず優先するという。
こんなことは日本では極く当たり前のことであるが、アメリカではとても新鮮に映り、評価され始めているという。
このような事実は、私が常に主張し続けている「良いモノは良い。時間がかかるかも知れないが、良いモノを造り続け、地道にこれを伝え続ければ必ず、この技術は世界中に広がるだろう」ということの証明となるかと思う。
技術立国日本は、決して焦る必要はない。どの国よりも良いモノを造り、良いサービスをし続けるならば、必ずや徐々に徐々に世界に浸透して行き、最終的には「憧れの日本製品」「憧れの日本流のサービス」となり、日本の製品も勿論、サービスも食品やカルチャーの様な文化そのものが全世界に広がるということだ。
あの「ジャパンアズナンバーワン」の日本は、バブル崩壊後の1990年代以降の景気低迷から、「失われた10年」、「失われた20年」という時間の中で日本はすっかり自信を失い、「グローバル化」という言葉にただただ踊らされ「低価格でなければモノは売れない」・・・「だから安い労働力のある場所でモノを造る」という本物のモノ造りの精神を忘れ、日本の中核技術である中小零細製造業をバサバサ切り捨て猫も杓子も中国や東南アジアへとシフトして行った。
今は旅行記を書いているので、この辺で話を戻そう。
結局、5時のフェリーは間に合わず、レンタカーで6時のフェリーにどうにか乗ることができた。
予約の5000円はパーとなった。最初の予約金3000円と合わせると、8000円がパーになったのである。
フェリーは問題なく兄が最もお奨めのカナダ旅行最終となる美しい観光都市ビクトリアに向って突き進んでいる。