会長の部屋:長野県ベトナム経済交流調査団に参加-

 私はタイには頻繁に行っているし、17,8年前まではシンガポールやマレーシア、インドネシア、フィリッピン等には行っていたが、ベトナムには一度も行ったことがなかった。県の方から阿部県知事と共にベトナムへの交流調査団に行きませんか?と誘いがあった時、「これは面白そう!」と思い参加することにした。

 県内の参加企業は産業班と農業班と別れており、我々産業班は33企業、農業の方が同じくらいで、県の関係者を集めると、70数人の団体となる。 成田からベトナム最初の訪問地派のハノイへは5時間30分位、税関は新人教育をやっている列に並んでしまい大分時間がかかった。しかし、荷物の出はそれ以上に遅かった。

 街に入ると聴いていた通りというか?それ以上にバイクの数が多い。世界三位の台数で、一位は台湾だそうだが、車の数が少ないためバイクの存在感が圧倒的あるということだ。殆どがホンダで70%近く、ヤマハは25%、その他が5%とのこと。ガイドさんの話によるとホンダは安くて性能が良いとのことだ。女性は殆ど流線型のスタイルのいいバイク、男性は機能重視、スタイル二の次のバイク。 車は日本車が圧倒的で、トヨタ車、次いでホンダ社が多い。時々韓国の起亜自動車やドイツ車が走っている。 (詳しく知りたい人は下記にネット情報を見てください)   コソ泥とかスリの類はいるが、殺人とか旧悪な犯罪は少なく、とても治安は良いとのこと。犯罪は少ないが、交通事故もその割には少なく、1年間の死者が1万人位とのこと。日本は現在4000人ほどだが、日本のその昔は2万人を越していたというからバイクが多い割には少ない方だ。 ただ車とバイクの接触事故は結構あるようだ。また特にハノイは人と人の仲間意識が高く、人との出逢いを大切にする傾向があるのだそうだ。屋台料理は食べると、耐菌性がない日本人はおなかを壊すとのこと。お金は1万円で220万ドン、円の220倍となるから大変分かりにくい。ガイドさんの話によると、現在の為替レートは0を二つ取って2で割ればいいとのこと。 私も買い物でやってみたが、なかなか良好! 民族衣装のアオザイ(ベトナム語で長い上着という意味。中国支配の名残でチャイナドレスからきているようだ)は、日本の着物と同じように今は結婚式とかの特別な日にしか着ないようだ。ホテルへ行く道すがらでは、ちょうど大学の卒業式をやっていてそこでちらっと見えた程度だった。

 家が面白い。同じような細長い3階建てか4階建ての家が立ち並んでいる。家は親から長男に無条件で継ぐことができるが、面積が決まっているため、細長く3階、4階建ての家を作るしかないのだ。 弟には家がない。お金を稼いで家を建てたいが、土地の値段がべら棒で、なかなか手が届かない。田舎に行くと土地は安いが都会とその周辺は20万円~40万円/㎡位で月2万5千円~3万円程度の給料ではとても手が届かない、借りても安くて2万円~数10万円するというため、殆どが細長い兄の家に居候しているという。 (詳しく知りたい人は下記にネット情報を見てください)

 夜は晩さん会というか懇親会というか日本政府関係者が参加しての食事会であった。 阿部知事も参加した。 私には余り関係がないため、近くのテーブルの人と話をした。 殆どが県内の中小企業の社長が参加しているため話は面白い。 隣のN社のK社長は特に面白かった。 私がいつも唱える”MAID IN JAPAN精神“を地で行く社長で、話に筋が通っている。 超精密加工,超微細加工を得意とする試作製作にプライドを持っていて、どこにも負けない技術力を発揮し、生産は国内のみで意気揚々とやっている。 この社長、脳の障害で一時全く記憶がなくなってしまったというが、リハビリで見事回復し、見ていても全く問題ない。 やはりその道で凄い人は、自分の身体の問題にも凄いということか・・・・。

 翌日は9時15分にホテルを出発、ベトナムの計画投資大臣との意見交換会ということで、ベトナムの政府機関を訪れ、阿部知事と大臣の代行の人との意見交換と経済交流の署名式が行われた。プリントには書いてあったが、はっきり前の日に言われなかったため、ノーネクタイで行ったら全員がネクタイ着用で、ちょっとばかり肩身の狭い思いをした。しかし、一人だけしてない社長が居た。 昨晩のK社長であった。

 かたぐるしい交換会が終わり、バスは郊外の日本の企業が密集している工業団地に向かった。 京セラ、パナソニック、トヨタの関連の会社等、かなり大きな工場がずらりと並んだ工業団地の入り口にレストランがあり、そこで和食の弁当を食べてから、一件目の会社見学をした。

<トピーファスナーという会社 > 国内409名、タイ340名、米国140名、ベトナム163名、そして今メキシコに工場建設中というこの会社、車のミッション部品、ブレーキ部品等バネ板とか止め輪、ホースクランプ、チムニーナット等のプレス小物部品ばかりで年商日本で90憶近い売上をしている。これだけの生産量があれば、全部国内自動化で・・と考えたいが、作業現場を見ると、熱処理工程とか研磨工程、検査工程それぞれ3K仕事もあり、人手に頼らざるを得ない工程が多いため、全量日本では難しいということであろう。また顧客の工場の近くに・・という物流的な要望もあり、世界各地で展開しているようだ。大手部品メーカーがあまりやりたがらない、プレスから熱処理、研磨、バレル、タップ、検査と人手がかかって面倒くさい部分をきちっとやりこなしている部分がコア技術となっている。山本社長の説明によると、ベトナム人のワーカーは何処よりもワーカーの質が良く、覚えが早く、勤勉で、スキルが非常に高いとのこと。 このベトナム工場の平均年齢は25歳。 立ち上げ時は、主にタイ工場から指導者が来て、立ち上げたとのこと。 最近小集団活動を始め、毎年3月には「活動事例発表会」をし、優秀グループは日本への研修旅行を実施しているそうだ。1年未満の離職率は高いが、2年以降となると給料もスキルごとに上がり、落ち着いて来て離職率が少なくなるとのこと。 MATEX(ベトナム(LTD この会社も精密バネの専門メーカーとして日本の工場を起点に中国、フィリッピンそしてベトナムと進出している。こちらの工場の立上げは中国工場から来た指導者によって行われたとのこと。こちらではローコストオペレーションが可能でローカルスタッフが順調に育っており、 社員の平均年齢は31歳で主婦が多いとのこと。問題点は、年々給料が上がって行くこと。法律があいまいなこと。現地調達率が低いこと。残業をあまりしたがらないことなどを中山社長は挙げていた。

 その晩も、現地に居る企業や活躍している人との交流会があり、隣に来た社長は未だ4年目だということであるが、金型で10数名の社員を一人前の職人に育て上げると言って、張り切っていたが、なかなか業界の情報に詳しく好人物であった。

 翌日は7時出発でハノイからホーチミンへフライトした。約1時間半のフライトでホーチミン=昔尾のサイゴンに着いた。ハノイより都会だ。 車の数も多い。 初めての本格的なベトナム料理をレスrトランで食べた。肉料理も、ホ―という牛肉麺も、皆なかなか美味かった。そこからバスでHUTECK(越日工業大学)へ向かったが、途中大雨でバスから降りられない。こちらの人は殆どが素足でサンダル履きで、大雨が降ってもモノともせずにカッパをかぶってバイクでスイスイと動き回っている。 傘をさす人は余りいなく、カッパが標準のようだ。どうにか通れなかった道の看板を外して学校に横付けされたバスから降りることができた。 学校には、大学一年生が80名ほど待っており、雨でこのまま帰った方がいい・・などと思っていたが、これだけ歓迎されていると、それは無理かと思った。 学校の代表者とこちらの代表者によるそれぞれのプレゼンが終わり、日本側の企業からの要望事項が色々な人から発せられたが、その中で、こちらで社長をやられてる方からの言葉が大変印象的であった。 「日本の企業に何をやってもらえるか?では無く、自分達が一体何をするのか?」「日本に学び、日本のようになりたいということではなく、日本を追い越すような気概をもってもらいたい!」という言葉に学生たちから大きな拍手が沸き起こった。色んなベトナム関係の人から聴くと、どうしてもベトナムの人達は、日本の政府が飛行場や、アクセス道路をODAで造ったように、自分達に何かしてもらえる・・と思う気持ちが強いようだ。 こういうところを考えると、日本の明治維新の時は様々な人が自分の国にとってよかれ・・と思うことに命を懸けたのだから、これは凄いことだ。これは他の国に望んでも仕方ないことかもしれない。日本人のDNAはエイリアンであり、一寸他の国で真似しようにも簡単にはできることではない。

   その夜は、自由行動で勝手に夕飯を食べるということで、だきたばかりだとう高島屋の食堂街に行き、K社長と焼き肉を食べた。  こちらの物価的にはタイよりは安い。  タイの高級品は日本の値段とあまり変わらないためベトナムは割安感が未だある。 食事後K社長がホテルの広告案内を持っていたため、その中の明朗会計のカラオケ店を探すことにしたが、多少小雨のホーチミンの街を、二人のオッサンがウロウロ歩いている様は、いくらベトナムは安全安心の街でも、見る人からにいいカモに見えたことと思う。その地図と、K社長のスマホのグーグル地図を頼りにあっちへ行き、こっちへ行きしていたら、ポン引きのお兄さんが日本語で盛んに声をかけてくる。そのしつこいお兄さんたちを振り切り、ちょっととした路地を入ったところに目的のカラオケバーを探し当て入った。私についた女性は22歳で学生で日本語はできないが、英語なら多少大丈夫ということで、サービスで英語の歌を中心に歌った。K社長の演歌もなかなかのもので結構年期が入っていた。 ここの会計は本当に明朗会計で、飲み放題一人4000円ぽっきりだった。ちょっと学生のお姉さんにチップをはずみ、タクシーでホテルに戻った。 ニッコーホテル・ホーチミンは、高層ホテルで、なかなか新しくて良いホテルだった。二つだけ欠陥があった。 トイレは日本式にバスタブとは分離した個室になっていたが、戸を押して入ると、必ずカタンと音が鳴る。何かと思ったら、トイレ用の受話器が戸のすぐ脇に設置してあるため、入る時に身体が接触し、受話器が外れてしまうのだ。もう一つは洗面所だ。  洗面所がかなり豪華に独立してあるのはいいのだが、その後ろに隙間があり、そこに洗面用具を落としたら隙間も狭く、かなり無理な体制をしないと裏まで手が届かない。 機能性やスタイルを優先し、ちょっとした“心遣い”が足りないベトナムであった。

 次の日は最後の一日となる。 朝は、阿部知事との朝食会とのことで、7時半にレストランに行った。 一言ずつということで、その日集まった皆さんは結構ベトナムと縁の深い人達が多く、税関の問題とか法制の問題とか具体的なお願いも出ており、私のような”物見遊山“の人間の出る幕ではない・・とおざなりの発言をした。この日最初の訪問会社はナスダック上場会社エムケー精工さん。この会社は、部品から製品まで手掛け、OEMや下請けもやってはいるが、オリジナルのちょっと大手では手の付けないようなニッチなパン焼き器や餅つき器、また「工事中」とかのLED表示装置、灯油等の電動ポンプ等、また車の自動洗浄機は市場の70%を占めるというから凄い! ニッチトップの積み上げと丸山社長は言うが、部品とアッセンブリー程度の我々にとっては、これからの中小零細の進むべき方向・・といった感がある。このベトナム工場も、500種類の製品を造りだしているとのことだから、これも凄い!弟さんが社長とて仕切っており、番頭さんともいうべき人もおり、かなり盤石の体制だ。318名で日本人が5名は多いと思うが、これだけのアイテムをこなすためには5名でもシンドイとのこと。前日の工場も、この後訪問した工場も言っているが、一年以内の離職率は高いが、その後の定着率は良いという。

 こちらの駐在員のベトナム人の見立ては大変参考になる。 ① 甘いものが好き。大食い。糖尿病などの成人病が増えつつある。 ② 親戚も含め、家族とのつながりが大事。出身地が違う人を雇っても3年位すると故郷に帰ってしまう。(これは他の企業からも聴いた) ③ 老人を大事にする。・・・これはタイ人も一緒。家族を大事にすることの延長線上にある。 ④ マイペースで時間を余り気にしない。これはどの程度かはわからないが、タイ人と一緒か? ⑤ 勉強熱心、勤勉。・・・時間も守りそうなものだが・・・? ⑥ 女性の方が責任感があり、良く仕事をする。これは温かい国ではみんなそうかもしれない。 ⑦ お酒好き。 ⑧ バイクの運転が上手い。バスに乗っていると、後ろから次々とバスの側面ぎりぎりにスイスイは知って行く様を見れば、皆さん、なかなかのものだ。 ⑨ 街の発展が早い。リゾート開発が非常に盛ん。20年目のマレーシアを思い出す。 ⑩ 工場のワーカーよりオフィス勤務を望む傾向が強い。 ⑪ 新日国家である。日本に憧れ、日本に期待している。 これからのターゲットは「オート」、「情報」、「生活」だとのこと。

 BtoBとB to Cの使い分けが必要となる。 M&Aとか業態の横展開、生活の感覚をつかむために女性の開発担当を増やす必要がある。今年の技術系新卒者は8名中4名が女性。 この会社は円高の方がありがたい。 中国、韓国はコピーされ易く、常に警戒している。

 次に行ったのは、何と日本電産サンキョーだ。大分以前(20年位前)に中国の紹閑という深圳からかなり内陸には入った古い都市にサンキョーさんの工場があり進出を考えて行ったことがあるが、そこそこの工場であり、これと言って取り立てたこともなかったが、今回の工場はちょっとばかりビックリした。 「すぐにやる! 必ずやる! できるまでやる!」・・という永守イズムということか?  3700名の従業員に対し日本人が17名居るが、規律がしっかりしているのと、工場の5Sが行き届いている。ステッピングモーターを月1600万台造るこの工場のローラーシャフトの自動機がズラーっと並び、良く世の中にこんな数があるな?という感覚になる。これは自動機でやった方が・・という工程もあったが、この工場の諸事情もあるのだろうと思う。それからこの工業団地への誘致を勧める公共機関とか、最先端の研究を団地の企業と組んで進める研究所とか、日本企業へワーカーや管理者を送り出すための職業訓練校とかを回ったが、とにかく皆んな3階、4階を昇ったり下りたりで、前の晩あまり寝てない私は、プロジェクターでのプレゼン時は非常に心地よい休み時間となった。

 夕食は、こちらのホーチミン近郊で活躍している長野県出身の人達と阿部知事が参加の”打ち上げ”となった。  阿部知事はなかなか気遣いの人でアチコチのテーブルに行き、色んな人達と飲みニケーションを図っていた。   食事の後は、空港に向かい0時30分発の飛行機に乗り込み、朝8時前に成田着。 無事に小諸まで返って来た。  会社で仕事をしているのが、一番楽だということが、今回は特に感じる良好であった。 初めてのベトナムであったが観光は全く無しで、工場見学と交流会の連続で結構疲れる旅であったが、その中でも3名の社長とは結構ウマが合い、今後も付き合いが繋がりそうである。 ハノイは20年前のバンコク、ホーチミンは20年前のシンガポールといったところか?  但し、その発展ぶりは加速度的であり、恐らく年々進歩して行くだろう。 バイクが車に代わると交通渋滞とか公害問題とかが深刻化してくるような気もする。生活水準のアップが、本当の人類の幸せか?というとそうでもないようなことが多い。 ベトナム人は勤勉で、真面目なことはわかったが、日本人と全く一緒か?というとそうでもない。自分で切り拓いて行く・・・といった点においては、いわゆる「指示待ち」という面は否めない。日本人管理者が居て、これをこの通りやりなさい・・ということに関しては、ほぼ間違いなくやるようなので、他の国でなかなか言った通りに動かないワーカーに手を焼いている会社はベトナムに進出した方が手っ取り早いかもしれない。特に日本の中小企業が思い通りにモノを造ろうと思ったら、このベトナムが最適ではないかと思った。 現に、工場見学をさせてもらった各企業は、それぞれ素晴らしい体制を取っておられ、高品質なモノ造りが実現できているようだ。ベトナムに限らず、日本の大手メーカーがこぞって中国、タイ、フィリッピン、ベトナム等々へ進出し、それを取り巻く各中小部品メーカーも無数に出ており、かなりきちっとしたモノを造っている訳で、私の唱える“国内での生産”の難しさを感じざるを得ない。 しかしそれでもなお、私はこれからの日本は日本でモノ造りをすべきだと思う。  その手段はやはり基本が「自動化」である。ベトナムの各工場を見ていると、やはり大量で続くものは自動化が進んで行く。モノを造っている現場は強い。

 私の提案としては、次の時代を築くような全く新しい生産品から徐々に日本で造りだしたらどうか?と思う。  現に私の会社にも、全量日本で造ってもらいたい・・という依頼が最近多くなってきている。  ”メイド・イン・ジャパン“が売り物になり始めているからだ。 私も個人的には衣類などはできるだけ日本製を買うようにしている。 日本のメーカーも「ただただ安くないと売れない」というジレンマから抜け出す必要がある。  今日本で売れている家電製品のランキングを見ると、ダイソンの高い掃除機やドライヤーが上位にランキングしている。 ただ安いモノではなく、きちっとした機能が備わり、それなりの価格のモノであれば買う人も間違いなく多くなる。特に中国人にとっては”メイド・イン・ジャパン“はもっとも信頼できるブランドであり、日本できちっとしたモノを造って行くことが、これからのトレンドになって行くだろう。  若い人達がバイクに乗って未来を夢見る国・・・ベトナム  ベトナムで買った3000円のベルト、今のところ、なかなか良好である。 日本はこれから一体どこへ向かうのか?

《以下はネット情報です》

 ベトナムのバイクの価格(ネット情報) ベトナムではホンダやヤマハといった日本車が人気で、新車の価格は車種にもよりますが、15万円から30万円程度。 ちなみに、中国車は3万円から5万円程度で売っていて、かつては圧倒的なシェアを誇っていましたが、やはり日本車の方が丈夫で質がいいということで、中国車のシェアは少なくなっています。車の価格はというとかなり高価になります。日本で売れられている車が、政府の交通渋滞や環境問題などの懸念による方針によって、倍以上の値段で売られています。例えば、日本で150万円の車が300万や400万もします。ベトナム人の平均所得は20万程度(2000ドル)ですから中々買うことができません。一般的に車の保有台数が増えるようになるのは所得が3000ドル以上になってからと言われていますので、ベトナムの圧倒的なバイクの存在というのはもう少し続きそうですね。

 2008年 07月 27日 ベトナムの家と土地事情  その途中でみた ベトナムの家が あまりに面白いのでご紹介します 土地が狭いわけでもないのに鰻の寝床のように 細長い建物です ノッポの建物ですので 水をポンプで屋上のタンクに貯めますので どの家にも タンクが みえます 一見 コンクリート建築かと思えますが 実際は違います 何本ものパイプをつかって 各階のフロアをつくりますが このフロアには コンクリートをつかうようです でも 壁はすべて レンガでうめつくします その上をモルタルで覆ってしまうと  外目には 鉄筋コンクリートの建物に見えますが  実は 鉄筋は 数えるほどしか はいっていないのです 先の写真にあったように ベトナムの土地は 粘土質ですので 農地を掘ることはできませんが 川の底の土は たまってくると 川底が浅くなってしまい 洪水のもととなりますので これを掘り 乾燥させて レンガを焼きます 乾季は レンガ工場では どんどんレンガがつくられます その豊富な安いレンガを利用するわけです レンガは重いですので 洪水になっても 家が流されることはありません 「ベトナムには 地震がありませんので レンガで大丈夫」って ガイドさんは 自信満々です お金持ちになればなるほど 背がたかい建物で ペンキも 四方にぬられますが お金がない人は3階で 前だけ塗装です ちなみに洪水が多いですので 1階はシンプル台所と食堂で 2.3階以上に大切な家具は おきますし たいていは3世代同居だそうです だいたいこのような家自体は300万円ぐらいで建つそうですが 土地は すごく高いそうです 余談になりますが ベトナムの土地制度について・・・ 社会主義国家ですので 当然土地は国のものです 国民は その土地をつかう借地権を政府から買います それには 赤 ピンク 青の3種類があり 赤は 永久借地権ですので とても高いそうです ピンクは 赤の3分の1の値段でかうことができますが 立ち退きをせまられれば 従わないといけません 代替え地は 用意されるそうですが・・・政府がきめる値段で 売らないといけませんので 損をすることもあるそうです 青は ピンクの20分の1の値段でかえるほど安いのですが これは 農地としてしか 利用を許されていません また 頻繁に洪水の多く発生する(3年に1回ぐらい)地域の 土地は 安く そうでないところは 高いとか。 借地権の売買は ベトナム人にしか権利がありませんので 海外企業は ベトナム政府か 民間の人から 借りて 工場をたてることになります ですから お金のない人は 安い土地を金持ちから借りて 3階だてぐらいの家を建てて(ローンを組んで) 3世代で すむことになるわけで 夫婦共稼ぎは当たり前のようです

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