会長の部屋:ゴージャスなペンション宿泊・・・ビクトリア-

 ”カナダ ビクトリア”・・・とウィキペデイアで調べると・・・。

 1700年代にヨーロッパ人が入植するまでは、先住民族の海岸サリシュ族の居住地域であった。1843年、ハドソン湾会社の手によって作られたフォート・カモザン(Fort Camosun)が起源。のちにフォート・ビクトリア(Fort Victoria)と呼ばれるようになり、1849年、バンクーバー島がイギリス植民地となってからはその首都となった。1858年にブリティッシュ・コロンビア本土に金鉱が発見されると、その補給基地として発展。1866年に本土のブリティッシュ・コロンビア植民地と統合されても、ヴィクトリアは首都の地位を保った。1871年、ブリティッシュ・コロンビア植民地がカナダ自治領に加入してからは、ブリティッシュ・コロンビア州の州都。

・・・となっている。

 午後6時発のフェリーで約1時間、降りてからまた約1時間走って、目的のビクトリアの高級ペンションを目指す。
 レンタカーにはカーナビらしきものは付いているが、操作方法が良く分からないため使えない。
 住所を頼りに街からちょっと外れた住宅街を走るが、それらしき建物は一向に見当たらない。
 私もスマホのGoogleの地図を見ながら、この辺だあの辺だとやるが、なかなか定まらない。
 30分ぐらい彷徨っているうちに辺りは暗くなり、なおさら分かりずらい。
 そうこうしているうちに、そのペンションから電話が入った。
 ペンションには予定の時間からかなり遅れてチェックインする旨は、兄の奥さんから電話で知らせてあった。
 しかし、それにしても遅いため、恐らく迷っているだろうということで、電話をしてきたのであろう。
 その通り、30分以上、行ったり来たりで全く訳が分からなくなっていた。
 場所を告げると、そのままそこに居てとのことで、待っていると乗用車でご主人らしき人が迎えに来てくれた。
 車の後を付いて行くと、今までうろうろしていた通りを行き、細い路地を曲がって、その先が目指すペンションだった。
 このペンション、奥まった場所にあり、看板も普通のホテルの様にネオンが付いている訳でもなく、シャレた小さな字でペンション名が書いてあるだけなので、夜に車で探しても全く分かる訳が無い。
 ちなみに、その場所は、最初に車を運転する兄が、当たりを付けて入ってきた通りの直ぐ横であった。

 このペンションが、また格調高く、ビクトリア風というのだろうか?家の造りから調度品から全てが素晴らしい。
 兄達も、カナダに住んでいた頃は、何度もビクトリアには来たが、このような高級ペンションは一度も泊まってないため、今回は招待旅行ということもあり、費用のことは二の次で申し込んだとのこと。
 姉の部屋は、入って直ぐの部屋だったため、早速覗いてみたが、家具からベッドから壁にかかっている絵から何から何まで昔のヨーロッパの王朝風で凄い。

 ペンションの凄さとは裏腹、この日も未だ残っているカップヌードルをみんなで食べた。
 
 我々の部屋も、3つの部屋に分かれており、真ん中の部屋が食堂になっていて、私がパソコンで仕事をするのにちょうどいい。
 仕事の関係で、色々メールが入るが、日本とは正確には16時間遅れで16時間足すと日本の時間になる。
 手っ取り早く日本時間を知る方法は、8を引けば良い。
 午後4時頃から夜の1時頃が日本の会社の稼働時間帯となるため、メールでやり取りしていると、決まって夜中に突入してしまう。
 会社では、新規の大量受注の注文が確定したと大童状態のようだ。
 この仕事はタイの兄の工場で生産することになっているため、こちらではトップ会談を毎日している。
 大量受注は結構であるが、管理面で体制が整っていないと、様々な無駄が発生し、余計な経費が結構嵩み、また立ち上げ時は材料の仕込み等で資金的にきつくなるため、ビンボウ会社の当社は金策が大変だ。
 新規の安定受注に向け、銀行も簡単に貸してくれるか?というと、そう簡単ではない。
 経営計画書を出し、その数字の信ぴょう性、様々な資料のつじつまが合っているか否か?等々のチェックが厳しく経理担当も四苦八苦の状態。
 資金的には未だ余裕の兄の方は「これからという時に会社を潰すなよ
!」の一言。
 
 せっかくの夢の旅行も、一気に現実に戻ってしまうが、一旦、車でドライブが始まってしまえば、そんな世俗のことはすっかり忘れて写真撮影に夢中になる。
 海辺の眺望のよい場所には、カナダの大金持ちの豪邸が立ち並んでおり、道路側からは門と庭が見える程度で、後は想像するしかなかった。
 そこから、ブッチャートガーデンというフラワーガーデンに向かうことになったが、どこかで道を間違えて、どうも違う方向に行ってしまったようだ、
 Uターンのついでに、海岸の方に降りると、アシカが沢山いた。
 「ヒュー!」っと声を出すと、一斉にこちらを向くため、何度かやって写真を撮っていると、どこからかおばさんが現れて、あまりそういうことはしないように・・・とたしなめられた。
 引き返し、今度は慎重に道を辿って、どうにかその有名なフラワーガーデンに辿りついた。
 
 私は、余り花とか芸術品とかの趣味、素養が無く花の鑑賞とは無縁の人だが、ここの花はハンパじゃない。
 花が好きな人にはたまらないだろう。
 これもネットで調べると・・・。

「かつては石灰石の採石場で、その荒れ果てた姿に心を痛めたブッチャート夫人が始めた、という心温まるストーリーを持った庭園は、100年を超える年月を経て、世界にその名を知られる大庭園になっています。
採石場跡の歴史が見てとれるサンクンガーデン、ローズガーデン、日本庭園、イタリアン・ガーデン、地中海庭園が広がる園内は、四季を通して常に花壇が保たれるように、大勢の庭師により徹底管理されているため、どの時期に訪れても美しい庭園を楽しむことができます。」

「庭園を充分堪能するだけでも少なくとも1時間半~2時間はかかる。また、入口付近に併設されているギフトショップでは、お花を使ったエッセンスオイルや石鹸、フラワーモチーフのマグカップや花の種など、お花好きにははしゃぎたくなるようなお土産を取り揃えているほか、The Dining Room Restaurantでは庭園を見ながら人気のフラワーランチやアフタヌーンティーが楽しめ、1日中居ても飽きることはありません。」

 ・・・と言うことであるが、レストランのパンはやはりそれなりで,旨いという程のモノではなかった。
 
 もっとじっくり広大な庭を見たかったが、途中で結構凄い雨が降り出してきたため、急遽お土産物屋さんに飛び込んだ。
 お店には色んなモノが売っており、兄達は結構高額でセンスのいい鉄製の壁飾りを買い、私はちょっと気に入った帽子が見つかったため購入した。

 翌日は、いよいよ旅行最後の日。
 この日は朝から街に繰り出した。
 駐車場で大分苦労をした。
 ビルの下に駐車場が結構ある。
 最初に入ろうとしたら、車の屋根の高さが足りなくて、車のキャリー部分が天井の高さ制限に引っかかる。幸いストッパーがフレキシブルになっていて車には傷はつかなった。
 次の駐車場は高さ表示がちょっと高かかったので、どうかと思ったが、やはりぶつかる。
 街の中をグルグル回りながら駐車場を探し、結局、ちょっと離れたビルの駐車場ではない普通の路地の駐車場に入れた。
 
 この街は、バンクーバーの街とまたちょっと違い、古い建物が立ち並び英国文化が色濃く残っている。
 メインは何と言ってもハーバーの正面に位置する荘厳な二つの建物。
 一つは、兄達がいつも泊まっていたという「エンブレス・ホテル」と歴史あるブリティッシュ・コロンビア州の「州議事堂」。

 このハーバーには午後行くことにして、午前中はお土産を買い込もうということになり、まずはデパートに入る。
 ここで私はなぜかパジャマを買った。
 以前に海外で買ったパジャマが私にピッタリで、10年来ずーっとそれを愛用しており、その後何回も日本で買うが、なかなか気に入ったモノがない。
 そこで「海外」=「私の気に入るパジャマがある」・・・と言うようなトラウマと逆の感覚が働いたものと思われる。
 今のところ、こちらに戻ってからは急速に寒くなってしまい、夏物のこのパジャマの評価は来年の夏に持ち越しそう。

 お土産物屋に入る。
 しかし、メイプルバターがジャスパーのスーパーが一番安かったということで、お土産はここでもスーパーに行って買おうということになった。
 私は年末の忘年会で毎年エルビス・プレスリーをやるが、このサングラスが壊れてしまっており、カナダ上陸後ずっと探していたが、ようやくまぁま
ぁのモノが見つかったため、多少高かったが買った。
 
 スーパーは日本ではすぐに見つかるこの街ではスーパーがなかなかみつからない。

 スーパーと云えば、私は女房が脚を折り入院している間に一人でスーパーに行かざるを得なくなった。
 結婚後一人でスーパーに行くことはまず無かったし、女房と行ってもなにせ買い物を選ぶ時間が長いため、あの底冷えする寒いスーパーには出来るだけ近づかないようにしていたためだ。
 そして一人でスーパーに行って思った。
 私もこれで立派な「スーパーマン」になったぞ・・・と!?

 話をビクトリアに戻そう!
 
 結構な距離を走って郊外まで行き、ようやくスーパーらしきところへ入
ったが、肝心の標準となるメイプルバターは置いてないし、お土産になるようなモノが余り置いてない。
 観光の街としてお土産と生活用品との売り仕訳が徹底しているのか?それは私の推測にすぎないが・・・。

 そこからまたビクトリアの街に戻り、ショッピングモールがあったため、日本的感覚で当然スーパーも併設されているだろうと思い入った。
 ここのショッピングモールでは、兄と私が靴にハマり、結局二人とも、カジュアルな布のシューズを買い込み、そのまま履いて歩くことにした。
 
 かれこれお昼になると言うので、日本でもよくあるファーストフードが立ち並ぶフードコートで食べようということになった。
 それぞれがそれぞれ自分で美味しそうなサンドイッチやら、ハンバ‐ガーを選んだが、「これは旨い!」というような声はやはり聞かれなかった。

 午後は、例のハーバーに行く。
 ここはビクトリア最大の観光スポットで人が沢山いたが、最盛期にはとても歩けないほどの混雑になるとのこと。
 港の周りを色んな露天商が立ち並び、それもこのハーバーの景色の一つとなっている。
 ギターで歌っているオジサンがいたため、ギターケースにコインを投げ込むと歌いながらニッコリした。

 日本人で絵を書いて売っている人がおり、兄がその人と話込み、この辺の景色を織り込んだ絵を兄は買い込んだ。
 私はこの貴重な時間を逃さず、50倍ズームのミラーレスのカメラで、シャッターチャンスを狙う。
 果たして、とても美形の女性がカメラに納まった。
 こちらの女性は中年になると皆さんぶくぶく太ってしまって見る影もないが、若い人で綺麗な人は結構いる。


 やがて、夕方になってきた。
 最後の晩餐は何にしようか?ということになった。
 姉は、日本食でお寿司が食べたいという。
 しかし、私はせっかくカナダまで来て最後に日本食というのは如何なものか?と思い、未だ時間があるためどこか気の利いてそうなレストランを探して美味しいディナーを食べようと提案した。
 これまで裏切られ続けてきた”カナダの食”に最後の望みを託し、ハーバーの近くのレストランに入った。
 結果的には、「またしても!」ということになった。
 姉の言うように無難に寿司にしておけばよかった・・・のかも知れない。

 ”最後の晩餐”には見事失敗してしまった。
 さて、明日はいよいよ帰国の途に就く。
 二週間というなが~い旅行もエンディングを迎える。 

株式会社セルコ

〒384-0808 長野県小諸市大字御影新田2130-1


TEL (0267)23-3322 FAX (0267)23-2233

株式会社セルコへのお問い合わせはお気軽に

お問い合わせ