会長の部屋:シン・ニホン・・・その4(完)-

日本の本来の勝ち筋
この国は妄想では負けない
AI-ready化と共に多様な人々の創造力がSociety5.0を作りだす。ここで大切になるのが妄想力だ。日本は3歳位からこの妄想力を半ば英才教育している珍しい国だ。
攻殻機動隊、鉄腕アトム、ドラえもんの登場人物等々、これらはフェーズ②、フェーズ3そのものだ
「この国はスクラップ&ビルドでのし上がって来た。今度も立ち上がれる」
…これは映画「シン・ゴジラ」の中の内閣官房長官代理の言葉であるが、正にその通りである。

日本の4つの勝ちパターン
全てをご破算にして明るくやり直す

1つ目は綺麗さっぱり全てを水に流してやり直す
伊勢神宮の20年毎の式年遷宮のやり方。
或いは明治維新、戦後の日本。
やると決めたらとことんやるという日本人の特徴。
圧倒的なスペードで追いつき一気に変える。

2つ目は「スピード」
この国は何かやり始めるとあっという間に追いつき、追い越して世界のトップレベルまで行く力がある
かつての最先端学問だった仏教は、空海は数ヶ月の留学で奥義を習得し、一気に最先端の仏教哲学に到達し、日本に広めた。
空海は、当時世界一だった唐から、土木・建築まで含む、正に密教以外の最新の文化系を半ば丸ごと持ち帰り、日本は文化的に一気に追いついた
湯川秀樹は、誕生間もない量子力学、相対性理論から、1934年にノーベル物理学賞を受賞した。
戦後、QCをさらに発展させTQCに刷新して世界トップクラスのモノ造り精度を産み出したのも驚異的な事であった。 チェーンストアという概念を1970年代に輸入(ジャスコ1970年、セブンイレブン1974年)し、それから10年も経たずして、本家をしのぐ仕組みを作り上げた
これらの事例のように、ちょっと考えられない速度で追いつくというのは日本のお家芸だ。
また様々な概念の受け皿である日本語はそもそも、漢字、仮名、カタカナ、アルファベット、アラビア数字、サンスクリット・・・とどんな外来概念でも飲み込める言語体系と文化の柔軟性が際立っている。
この強みを活かし、何かを仕掛ける時にはキャッチアップしつつ、既存の仕組みの手直しではなく、作り直す、新たに創るつもりで進めて行くことが大切だ。

若い人を信じ、託し、応援する。
3つ目は、日本は本当に困った時に、若い人の才能を信じ、託す力だ。
明治維新、江戸開城の際、幕府、新政府軍のそれぞれの代表に立ったのは勝海舟(45歳)、西郷隆盛(40歳)だった。
米国、欧州諸国に派遣された岩倉具視は46歳、同伴しその後近代日本を作り上げる大久保利通41歳、木戸考允38歳、伊藤博文30歳ソニーの創立者、井深大30代、盛田昭夫20代
このような未知なる変化の時には、この若い人達に夢を託すのは日本の伝統なのだ。

不揃いな木を組み、強いものを作る
4つ目は、欲しいモノが無くても、不揃いの良さを活かし、それを組み上げ、全体として美しいモノを作り上げる力だ。
法隆寺専属の宮大工、小川光夫氏は言う。
「薬師神の東塔に入ったら、ほんま、不揃いな木ばっかりだ。それでも力強いんだなあ。あれも不揃いの良さや、外側はちゃんと揃っているが、裏では不揃いが総持ちで支えているっていうのは、やはり最高のものだろうな」
東大の藤本隆宏教授が指摘してきた日本のモノ造りの強さ、「すり合わせ」は千年以上続く伝授なのだ。鈴木大拙氏が看破したとおり、日本人はアシンメトリーから美を産み出す世界的に稀な力を伝統的に持っている
もこの不揃いを組合せて美を産み出す日本の力であり、バランス感覚である。

これらの素材の癖や特徴を活かしながらも大きな何かを作り上げる力は、当然モノ造りだけではなく、組織や事業の仕組みを産み出す時にも活かされる
この究極の組み合わせ力、それを活かした「総持ち(みんなで支えること)」を作ることが出来るのは日本の素晴らしい強さだ。

この4つの「日本の力」を考えれば、今の複合的なゲームに入る局面での日本のチャンスがかなりリアルに浮かぶのではなかろうか?

戦後の勝因に対する誤解
良く霞が関や経済紙で言われる話
1、丁寧さ、これまで培った技術が勝負
2、既存のモノ造りを磨き込めば勝てる
3、日本で生まれる課題を解決すれば反映できる
4、大企業を励ませば新しいゲームでも仕掛けられる
5、シニアな経験者が腕まくりをすれば逆転できる。
ホンダの入交昭一郎氏は、当時車のマスキー法を世界で初めて満たすCVCCエンジンを発表した人で、通常トップエンジニアでも一生に一つか二つ作るかどうかと言われるエンジンを何と20も開発した伝説のエンジニアだ。
当時日本の車の技術は米国から10~15年遅れており、FORDから研究用に送られてきた車を見て「いつになったら俺たちの国はこんな車を作れるようになるんだ」と、モノ造りの差を感じたという。
そう、我々日本は、戦後の復興において、これまでの技術や既存のモノ造りの延長で勝ったのではなく、「どこよりも早い技術の展開(Deploy)と、革新のスピード」であり、モノでは負けても「技術革新でゲームを変える」ということだ。
ホンダの世界的ブランドは、世界的な課題の解決から生み出されたのであり、日本だけの課題解決を目的にしたわけではない。
また当時の日本は、四日市ぜんそく、水俣病、イタイイタイ病などの公害だらけで、少し前の中国のような状態だった。
「国内に閉じこまらず、世界的なスケールで何かをアップデートすることで冨が生まれる」
「課題先進国」という言葉も残念な言葉だ。
これの本来の意味は、「世界で最初に日本で顕在化する問題を、世界に先んじて自力で解決する力が必要だ」という課題解決先進国の事を言っており、日本だけの課題を解決してもしょうがない。
また「巨大企業が産業を生み出す」、「シニアな経験者が腕まくりをすれば勝てる」というのも起こったことは大きく違う。実際にはソニーにしてもホンダ、ワコールなどにしても「若い才能が挑戦するところから産業が生まれる」ことが繰り返されたのだ。
なお、以上の話は、米国の現在の大企業群GAFAがAT&T,IBM,GEなどから生まれた訳ではないという前述の話と呼応する。
オールドエコノミーの大企業に、革新の戦闘や、未来を産み出す主力を担ってもらうという発想は捨てたほうがいい。
彼等が集中すべきことは、まとまった経営資源を活用することで刷新して生き延びることであり、不連続な変革の旗手になることではない。大企業頼みの発想を霞が関、大手町で繰り返し聞くのでここでクギを刺しておきたい。 既存の不大企業は逆に、このように果敢に挑戦するスタートアップに対し、ベンチャーキャピタル的な役割をより積極的に担うべきだ
昔で言えば、三井物産の子会社であったトヨタ自動織機のそのまた子会社がトヨタであリ、古河電気工業と独シーメンスの子会社であった富士電機の子会社が富士通
このように日本で生まれた成功の方程式や、戦後の勝因は都合よく捻じ曲げられて喧伝(けんでん)されていることが多い。何事も鵜呑みにせず、自分の目で確かめることが大事
もう一度ゲームチェンジを仕掛けよう

実際、戦後の日本の復興において輝かしい足跡を残したのは、正に夢を描き、課題解決先進国として未来を形にする試みだった。
戦前戦後、カメラのレンズと云えばドイツのカールツァイスだった。その技術をアサヒペンタックス、ニコンFの登場に伴い、追いつき追い越せで1971年、ニコンFの誕生は、絶対的な信頼性を要求されるアポロ15号にも搭載されるようになった。
もはや、世界の光学機器は、日本のメーカーが殆ど。「シンプルで壊れにくく、高画質のカメラをより多くの人の手に」・・・この思いが20世紀後半以降の写真の時代を産み出したのだ。
時計も同様だ。
1970年代前半までは、スイスを中心とする機械式時計が世界を席巻していた。セイコーが1969年、世界初のクォーツ腕時計「アストロン」を産み出し、1970年代にさらに特許を開放した結果、世界が変わった。
オーディオビジュアル機器も同じだ。
エジソンから始まった蓄音機、真空管ラジオ、ブラウン管、リールテープ、これらは日本で生まれたものではない。しかし、真空管の10万倍もの寿命を持つトランジスタ、持ちやすさとデザインの洗練度を桁違いに上げたラジオを産み出し、トリニトロン管によって圧倒的な画像を家庭に届け、カセットテープによって誰もが録音できる世界を創り出したのは日本だ。更にウォークマン、CDを産み出したソニーが「世界のソニー」といわれた所以だ。
前述の車の領域も、高速・安定を誇るドイツ車、大型・ハイパワーを誇る米国社を、低公害、低燃費、高耐久、コンパクトという独創的な切り口で日本車は世界の標準車の一つを築いた。
戦後だけではない。
平安時代に発し、禅宗の教えと共鳴・融合する中で発展し、16世紀利休らの茶の湯の中で理論化した”詫び、寂び“自体が、正に新しい価値観と世界観の創造であった。150年前の明治維新もそうだ。
総じていえることは、このような刷新、0to1が価値創造の中心になる世界においては、単なる技術獲得だけではなく、夢を描く力、すなわち妄想力と、それを形にする力としての技術とデザイン力がカギだということだ。再び、このワイルドに未来を仕掛ける底力を発揮する時が来ている

日本の問題点
1、圧倒的に足りない科学技術予算
トランプ大統領が大統領になった時、アメリカはかなり膨大な科学技術の研究費が削減されるのではないか?とひやひやしたが、結果的にトランプ大統領は、2018年度、歴史的な予算増額を行った。中国に負けたくないという意識が働いたのではないか?と言われている。
一方中国は、人工知能開発に3年で1.6兆円、次世代移動通信に5兆円投資するとのこと。
ところで日本のR&D投資は…と云うと、何と2008年に中国に並ばれ抜き去られた。それから今日に至るまでGDP比で殆ど変わってなく、日米の差は3.8倍、日中2.3倍の差がついてしまっている
科学技術予算は、入れば入っただけ、論文数、すなわち競争力につながることが分っている。
日本の学術研究の中心である東大、京大の予算と米国を代表する大学と比べると、3~5倍の予算の開きがある。更に日本側のこの予算に占める人件費率はさらに低い。
日本の大学教員の給与は30年以上ほとんど上がっていない。
国としてのP/L
2016年の予算(兆円)総予算
          収入     支出      不足
社会保険料    66.3   118.3   45.4
運用収入      6.6
税外収入      4.7
税収       57.6
借金(国債)   34.4
  計     169.6
支出:118.3   不足45.4

この社会保険料の内訳
年 金  約60兆円
医療費  約40兆円・・・60%が65歳以上

我が国の予算の多くがシニアと過去に使われていることになっており、未来のためのお金になっていない

日本の生産性が上がらない理由
①ニューエコノミー創造のフェーズ1型の企業を産み出せなかったこと
②オールドエコノミー側の刷新が遅れていること
③膨大な数の中小企業を束ね生産性を上げられなかったこと

財務省の予想では、2025年の社会保障費は150兆円に達し、過去の20年と同じようにGDPが増えず、税収も増えない。この不足分は国債で賄うしかない。
ハイパーインフレーションの恐れもある(日本は1946年から1949年に数百倍のインフレに陥った過去がある

数%で未来は変わる
①国家基金・・・財産をどう運用するか
②研究者の待遇改善…先生方の給与を一気一律に世界標準にする=2000億円
③博士号取得(PHD)学生の学費+400万円(米国並)で仮に一人500万円で3750億円
④初等・中等教育のAI-ready化…年間4500億円
⑤大学・国研の交付金・・・削られている交付金を10年前のレベルに戻す。約3000億円
⑥業務改善 ICT(情報通信技術)を合わせたBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング=業務改革)、CPR(Core-Process Redesign=業務の無駄どり)的な業務改善を一気に行う。スタッフの増員等、約1000億円
⑦科学技術予算の補正・・・国力に見合った規模にするには約5000育円
⑧大学生の学費と生活費補助
 国立大学の学生約10万人の4割の学費と生活費、3割にその半分のサポートで2200億円
 以上合わせて、2兆円超、社会保障給付金120兆円の2%以下


Life as Valueの時代
社会の極相林化の実現…「極相林」とは、様々な多様性を保った状態で安定的な状況に入った森の事を言う生態学の言葉
生産年齢を現在の15歳から65歳未満を20歳以上から90歳未満位に変える必要がある。自分の体力に合わせ週1日でも2日でも、1日1時間でも2時間でも良い。
これからは「時間を売る時代」ではなく「アウトプット=仕事の成果」を売る時代となる
みんなが自分のペースで社会に役立てる時代
①年齢、性別による雇用差別の禁止
②老人、女性の活躍を生涯サポートする仕組みとテクノロジーを産み出す。様々な工夫をする
生まれた時から年金を積み立て、運用する仕組みを構築する➡現在は、年金を受け取る世代に、現在の働く世代がリアルタイムに渡されるアンフェアな仕組み
④技術の力で身体の不具合を治す試みを更に進める
⑤尊厳死を認める
総じていえば、人生の長さと社会保障システムの前提が変わってしまったのだから、国というコミュニティ全体で補正しようということだ
「国が国民の全ての生活部面について、社会福祉、社会保険及び公衆衛生の向上及び増進に勤めなければならない」のは当然だ。但し現実的な財布の範囲の中でのことだ。
国もマネジメントなのだから、未来を犠牲にしてまで、現状を微塵も変えてはいけないという解釈は明らかにおかしい
国として「生み出す富を継続的に増やしていかねばならないのに、それをやってないということだからだ。未来と目先をバランスさせるのがあらゆるマネジメントの基本だ。

未来のための原資を作り出す私案
①コストカット。しかし国として必要な投資は行い、システムとして一時的ではなく継続的に発展するのを最大の目的にする必要がある
②項目として丸ごと落とすのではなく、本物の無駄取り、効率化を目指す
③公務員だから削れないということではなく、必要な所には金を出すことが肝心
例えば、認知症患者の入院日数は、米国が平均6日、デンマークが8日、スェーデンが13日、オランダ19日に対し日本はアルツハイマー病で252日、血管性で350日と極端に長い。=人為的なモノと考えられる
また、抗生物質の乱用により生まれる耐性菌は、今後、癌や心臓疾患を抜いて人類の最大の死亡原因になると云われている。日本は、不必要な抗生物質の投与が多く米国の2倍となっている
④松竹梅の視点を様々なモノに導入する
大学病院と街のクリニックの診察料に差をつける等
⑤自動化できるものは片っ端から自動化する
データ×AIのもう一つの出番
例えば、抗生物質の投与に関して自動でガイダンスすれば、不適切な処方は無くなる。その他、手がかかっているモノで自動化できそうなものはそれを自動化し、展開する
⑥煩雑なプロセスを見直し、コアプロセスを再整理する
重複は削り、手戻りはゼロに近づける
⑦医療は治療・ケア以前に出来るだけ予防する
シニア層においては、病気や故障は予測し早めに手を打つ=未病管理
⑧都市以外、特に過疎地域におけるインフラコストを劇的に下げる

<マネジメントの4つの塊>
①あるべき姿を見極め、設定する
②いい仕事をする
③いい人を採って、いい人を育て、維持する
④以上の実現のためにリソースを適切に配分し適用する

不確実な未来にいかに対処するか
ダーウィンが言ったように、生き残るのは最も強い種ではなく、最も変化に対応できる種だ。そして一番いいのは、未来を自ら生み出すことだ。振り回される位なら振り回した方が楽しいに決まっている
不確実性の4つのレベル
1、確実に見通せる未来…春が来て夏が来る。日本の当面の人口減のようなもの
2、他の可能性もある未来
米国と中国のように相手がどう出るかによって変わるようなケース
3、可能性の範囲が見えている未来…大まかな見通ししか立てられないようなモノ、新規商材の導入時、初めて参入する市場に何か持ち込む場合、技術イノベーションによって左右されることの多い分野
4、全く読めない分野…様々な不確実性が相互に作用する世界。変化が激しく捉えどころのない世界

イニシアチブ・ポートフォリオという考え方
①形成…自ら未来を創る
②適応…未来に適応する
③プレー権を確保する

人口減少は悪いことか?
①人口減少局面では経済が縮小する可能性が高い
②経済規模が小さくなると国債が返済できなくなる
③これ以上シニア対ヤングの比率がシニア寄りになると社会保障の枠組みでシニアを支える力が無くなる
④このままでは人口が消滅する
これは人口増以外で経済規模を生み出す方法がないという前提で議論が行われている。また③はシニア層の定義が変らなない前提の話だ。
日本の生産性は相当に伸びしろがある。当面の人口減は生産性が他のG7並みに到達するだけで解決する部分が大きい
人口400万人のシンガポールの過去20年の経済成長を見ても明らかだ

ブレードランナーと風の谷
映画ブレードランナーは、未来のハイパー都市、セントリックな未来の舞台。人造人間と人間の相克を描いたSFの名作。
この映画の中では高層ビル群が立ち並んだ人口過密の大都市以外は捨てられ、人の住めない土地になっている。
「風の谷のナウシカ」は宮崎駿監督の歴史的な作品。
風の谷は、殆どの空間が巨大な菌類に覆われた”腐海“という、人間や大半の生命体にとっては毒まみれで極めて危険な空間になった未来が描かれている。”腐海“にはその毒性に堪え得る巨大な蟲たちが繁栄していて、人は”腐海“に覆われていない限られた空間に暮らしている。
この物語は、人類が発達しすぎて、バイオテクノロジーとロボティクスを組合せたような破壊的な兵器、巨神兵が世界の殆どを焼き尽くし、それから1000年位経った後の話だ。
結局著者は、今後世界は都会集中型になり、行き着くところは「ブレードランナー」の世界である。しかし、この徐々に人が減って行く限界集落を何とか救い維持して行く必要があるが、これを、この「風の谷のナウシカ」のような自然との共生をしながら最新テクロロジーを使うような理想の世界を目指すべきだ…と云う結論だ


<感想>
日本がこれほどこの『科学技術分野』で後れをとっているということは、全く知らなかった。
著者は、明治維新や終戦後の日本の復興・復活を例えてどうにかなると云ってはいるが、この遅れは、今の日本の状態(コロナ対策等)を見ると、かなり難しい。
かく云う私としては、後にも先にも「モノ造り」しかなく、このようなAIの時代に突入した今、この「モノ造り力」の出番はどこにあるか考えた。
そして最終的に行き着くところは、逆にこの「モノ造り力」ではないか?という考えを持つに至った。
自動運転にしても、遠隔治療にしても、最終的に求められるのは、「間違いのない精度」であり「全て均一で、高性能」、そして「故障したり壊れたりしない」完成された製品ということである。以前の「メイドイン・ジャパン」の更に突き詰めた技術、管理力…と云うことになるか?と思う。
これが出来るのは、世界の中で恐らく日本の中小零細企業しかないと考えている。
ただ、今の中小零細製造業のままでは、全く歯が立つものではない。
我々中小零細が、持てる特殊にして固有の確実で間違いに無い技術を、いかに自動化、システム化迄持って行けるか?にかかっていると考える。
そのためには、今持てる力を更にブラッシュアップし、同時に様々な戦略を考えることが必要となる。
このことに付いて私はこれから一冊の本を書こうと思っている。
昨年からセルコ50年を記念して本を書いていたのだが、この本もかなり書き進んできて、今現在の時点までは来ているが、これは私がセルコを完全に辞めるまで書き続けることにした。
今この時点で必要なことは、日本再生への「モノ造り」の立場から見た視点であると思う。乞うご期待!

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