会長の部屋:ビートルズを論ずる-

プロローグ
私は18歳の一番多感な時期にビートルズというグループを知り、ちょうど受験勉強の頃で家に缶詰状態になって得意の詰め込み勉強をしていた。
その時に、松本の本屋(当時、レコードも扱っていた)に嫁いでいた私の姉から、1枚のレコードを貰った。
“Meet The Beatles”という4人の顔が半分陰になっている有名なジャケットのレコードだ。
このレコードを勉強が飽きると聴いた。
1日に何回聴いたか分からないが、これを受験の時まで4、5ヶ月続けた。
英語の歌詞は全て単語を調べ、自分なりに曲の中で歌っている内容を把握し、段々一緒に歌うようになった。
この中の単語が受験の時に出て来て助かった思い出もある。
レコードは余りにも頻繁に聴いたため、盤が擦り切れ針を置くとザーというノイズがかなり大きく出るようになった。
しかし、この彼ら曲は次第に私を虜にしていった。

ビートルズの最初
それまで私はFEN(Far East Network=極東放送)で、アメリカのビルボード誌とかキャッシュボックス誌のミュージックベストテンの番組を毎週チェックしており、日本で流行る1、2ヶ月前には何回も聴いていた。

サーチャーズというグループの“ラブ・ポーション  No.9”という曲がアメリカで流行り、これはいいとレコードの発売を待っていたら、ラジオでこの曲が「恋の特効薬」という日本語のタイトルがついたことを知った私はレコード屋へ飛んで行き、「恋の特効薬ありますか?」と尋ねたら、女性の店員達が皆口を押えてクスクス笑い出した。
・・・早すぎて、未だこの田舎のレコード店には入荷してなかったのだ。

しかしそれから1ヶ月も経たないうちにこの曲は日本でヒットしトップとなった。
私がビートルズを知ったのは、FENチェックをしている時に、それまでアメリカ以外の曲は殆どランク入りしたことがなく、坂本九さんの「上を向いて歩こう」がスキヤキソングとしてこの2誌の1位に輝いた時にとてつもなく偉大なことをしたと思っていたのだが、ある時ランキングの1位から5位までがイギリスの今まで聴いたこともないビートル=カブトムシのような名前のグループになった時である。
そしてこの時点では曲の良し悪しとかは全く関係なく、ただただこの1位~5位独占ということに圧倒された。
その後、偶然にもそれほどあまり会う機会が無かった姉からのプレゼントで、ビートルズの魅力に憑りつかれていった。

独特のハーモニー
私が最も惹かれたのは、それまでの音楽とは全く違う世界観だった。
それまでのコーラスは、リードボーカルのバックにきれいなハーモニーを付けるのが一般的だったが、彼らのハーモニーは全く違っていた。
地声のぶつけ合いによる独特なコーラス、それと通常は伴奏のはずの楽器が前面に出て来て、声もギターもベースもそしてドラムさえもそれぞれが主張しているのだが、それがまたなんとも不思議なハーモニーに収まっていることだった。
演奏と歌声との縄張り争いをいしながら、誰というよりも4人それぞれが光り輝いている。 
そして、その歌詞がまたいい。
表現がストレートで、思ったままそのままの詞なのだ。
そういった意味では“I Want To Hold Your Hand”は、直訳すれば”あなたの手を抱きたい”だが、”抱きしめたい“というタイトルは非常によく彼らの詞のポイントを掴んでいる。
このストレートな詞の数々が、当時の私の純真な(?)心にドーンと入り込み、あの摩訶不思議なハーモニーが耳から離れなくなるのだ。

この時から、この歳になるまでずーっと彼らのファンを続けている。
それ以降、東京に出てからも次々に発売するレコード(当時はとても高価だった)を全て買い、毎日寝る前には必ずLPを1枚聴いてから寝るのが日課になった。
ギターを買い、彼らのような曲を作ろうとそれから10年近く作り続けたが、日本語の詞を付けると見事に歌謡曲となってしまい、彼等のような曲を作るためには、サザンオールスターズの桑田君のような英語だか日本語だか分からないような詞でないと難しい。
今でこそ結構うまく詞が付いているが、彼らのデビュー曲「勝手にシンドバット」の最初に買ったレコードの歌詞カードには、〇〇、××、△△といたるところに訳の分からない部分があった。
私はこれを見た時に、「あっ、汚ネーナー!やられた!」と思った。
あの曲から日本の歌は本来の日本語がおかしくなり、最近の詞がごちゃごちゃと羅列する曲に繋がっている。
しかし、“ビートルズのような曲を作る”・・という私の夢は、62歳の時に実現した。
私はたまたま相談した人の口車に乗って、使わなくなって何年も放ってあった会社のクリーンルームを100人程収容できる音楽ライブのスタジオに改装していた。

親父バンド=セルパップブラザーズ
私の音楽熱は、28歳の時に仕事が忙しくなり、それから以降40年以上は年末の忘年会でジュリーをやったりサザンをやったりエルビス・小林としてエルビス・プレスリーの衣装を着てカラオケを歌う位で、ほとんど休眠状態であったが、このスタジオができてしまったことにより少しずつ昔のビートルズ熱狂時代の感覚に戻りつつあった。
それから友人の還暦ライブをこのスタジオで開催した時に、「俺にも歌わせろ!」とビートルズの曲を歌ったことから完全に目覚め、その友人ともう一人音楽スキルの高い人が加わり、親父ロックバンド「セルパップブラザーズ」を結成した。
そして、私が作りたかったビートルズのような曲を作るべく、40数年ぶりに私が詞を書き、その音楽スキルの高い人に曲を付けてもらった。
その人は、私がちょこちょこっと適当に書き、曲が付いた後に修正すればいい・・・と思っていた詞にそのまま曲を付けてしまった。
これが「中小零細Q.C.D.」という曲で、中小零細製造業の悲哀と心意気を謳った曲だった。
当時、世の中はリーマンショックの影響で不況の影が忍び寄ってきた頃であった。
私は中小零細製造業が、デフレだ、インフレだ、円安だ、円高だと何かあるごとに真っ先に一番割を食う状態に憤りを感じていた。
しかし、我々中小零細企業はあらゆる困難な条件を乗り越えて逞しく生き残り、自分の持っている技術だけを武器に、将来に夢を持って進むんだという心意気も同時に詞に盛り込んだ。
このコンセプトがまず地方の新聞社を動かし、NHKテレビのプロデューサーに届いた。「中小企業の経営者たちがロックで吠える!」みたいな新聞記事を皮切りに、NHK長野放送局から取材の申し込みがあり、ニュース番組の特番に出ることになった。
結局この番組企画がうけたらしく、今度は東京のNHKが「おはよう日本」で取り上げることとなり、再度取材を受けた。
この時は関東甲信越のみだったが、地方版とは異なり、放映終了後に全く知らない人から携帯に家電に電話がひっきりなしにかかって来たのには驚いた。
その後再び、地元のニュース番組の年末スペシャルへの生出演の話があり、立て続けに3回のテレビ収録となった。
生出演というのはまさにそのまんまのため、いくら図々しい私でも非常に緊張した。
しかし、これは人間一生の内でなかなか味わえない貴重な経験となった。
その後、民報のテレビの取材を受け3ヶ月で4回テレビに出たため、これからどうなるか?と思ったが、結局は何にも無かった。しかしその後も曲を作り、このグループでは6曲、様々なコンセプトの曲を2人で作り上げた。
これが、私が20代にやりたくても叶えられなかった”ビートルズ”のような曲となった。

「中小零細Q.C.D,」
作詞:エルビス・小林
作曲・編曲:ギブソン・小泉
演奏・歌:セルパップブラザーズ

仕事が欲しけりゃQ.C.D 倒産いやならQ.C.D.
生きていたけりゃQ.C.D.
QQQQ CCCC QQQQ CCCC QQQQ CCCC D
中小零細は大変 (チェック チェック)
品質いいのは当たり前
安く安くコストを優先 
早く早く納期は厳守
だけど俺らにゃ技がある 
誰にも負けないテクがある
匠の技だよミクロンオーダー!

デフレ インフレ 円高 
バブル弾けて超不況 何があっても全部 しわ寄せ中小零細
金取り主義の「ISO」
形ばかりの「TQC」
あれダメこれダメ「ローズ問題」
スタイル重視の大企業
ベイビー! 「そんなの、そんなの関係ねぇ!」
      「そんなの、そんなの関係ねぇ!」

中小零細は大変
昼も無い夜も無い 休めない
危険、きつい、汚い 3K
オンボロ機械のオン・パレード

だけど俺には 夢がある 
誰にも負けない意地がある 
目指す技術は世界ナンバーワン!

日本のモノ造りは 中小零細の底力
決して大企業の 力なんかじゃないぜ 
オイラの技術は本物 誰にも絶対マネできない
何がタイだ中国だ インド ベトナムもいいけど 
そんなの そんなの関係ねぇ 全然全然関係ねぇ

セルパップブラザーズの民間テレビの映像☟

https://www.youtube.com/watch?v=v5c9IhGVM6g

NHKの映像☟

https://youtu.be/7FLpkXFx8sg?si=qq6YCRtB7m1e-Ox3

厳格なドイツで評価
私がビートルズに夢中になっていた18歳から20代前半の頃、大学に行っても「ビートルズのファンだ」とは言えなかった。その頃の日本でビートルズは、「あのグループはエレキをガンガン鳴らし、大声でがなり立て、髪の毛を伸ばした不良バンド」というようなレッテルを貼られており、いわゆるミイちゃん、ハアちゃん等の音楽だと馬鹿にされていた。
先般リバプールに行ったときに聴いた話だが、高校生だったその人が、ビートルズの日本公演を観に行ったのが学校にばれて停学処分になったということだから、その当時の様子は押して図るべきであろう。
そんなビートルズだったが、確かブラジルのジャズのメンバーが初めて彼等の曲を取り上げ、イエスタデイの後頃からクラシックの演奏家が演奏したりし始め、次第に彼らの音楽は素晴らしいモノだ・・・というような風潮が現れ始めた時は本当に嬉しかった。
ビートルズが、日本においてようやく市民権を得たということだ。
そして結局ビートルズというグループは、あの音楽的に厳格なドイツで、通常のポピュラー音楽とかロックとクラシック音楽の間にビートルズの楽曲という一つのジャンルが設定されたと聞き、彼らの音楽は私の感性での評価とは別個に、きちっと音楽の歴史にもその地位を築いたということだ。
ビートルズのレコードアルバムは全て買ったが、出るたびに必ず何らかの進化があった。特に後半なってくるとその進化はすさまじかった。
彼らはイエスタデイでストリングスを入れ、ジョージがインドのシタールを使ったのは有名だが、吹奏楽、オーケストラ、テープの逆回し、様々な電子音等々、その当時に出来ることは何でもやった。

5人目のビートルズ=ジョージ・マーティン
5人目のビートルズと言われるジョージ・マーティンというプロデューサーの存在が大きかったらしい。 彼のクラッシックの素養が、後半のアルバムにはかなり影響を及ぼしている。
ポールが、ジョンが、ジョージが持ち込んだ曲を、みんながそれぞれ自分なりの音で表現する。それとテープのトラックによる多重録音が凄い。
恐らく彼らにとっては、この多重録音は音楽の実験の場だったのではないか?と思う。
原曲に次から次へと様々な音を重ねていく。
「これを入れたらどうなる?」
「あれを入れたらどうか?」
4人+1のミュージシャン達は、面白くてたまらなかったのではないか?
その結果、「ラバーソウル」、「リボルバー」、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、「アビー・ロード」と、次々とそれまでの音楽の壁を打ち破り、全く新しい世界を作り上げて行った。
ジョージ・マーティンはこのビートルズを使って、ロック音楽とクラシック音楽の融合を図ろうとしたのではないか?と思われる。
サージェント・ペパーズ…の構成は、アルバムそのものが一つの組曲のようなものとなっており、曲を繋げてみたり、オーケストラを駆使したりで、とてもロックの曲とは思えない仕上がりとなっている。特に「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」での「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」という曲などは、その構成、アレンジ、様々な効果音は素晴らしく、エンディングなどはオーケストラの楽曲のように聞こえてしまう。
バッハ、ブラームス、ショパン、ベートーベン、ビートルズと並べて歴史に残るような偉業だったのかもしれない。

私独自の視点
ビートルズについては、私独自の視点がある。
このグループの基本は、各自の個性ではないか?と私は思う。
冒頭でも述べたが、4人の各楽器、そして声はそれぞれに主張しているが、その個々の主張がなんとも言えないハーモニーを作り上げてしまうのがこのグループの最大の特徴だ。
通常、会社でもコーラスグループでも誰か中心となる人がいて、その人の思いとか考えでそのグループは進んで行く。
ところがこのグループは、特にジョンとポールという強力な個性と音楽的感覚を持った二人が、自分の個性をお互いにぶつけ合いながら曲を作り演奏する。
特にこの二人の声のぶつかり合い=ポールの甲高い声、ジョンの渋みの利いたちょっと低い声のぶつかり合い・・・この摩訶不思議なハーモニーが素晴らしい。

ビートルズ経営
これから今まで誰もやったことの無いビートルズと経営に関する考え方を述べたい。
まず一つ目
このグループはユニークであるという点だ。
ユニークというのは「人がやらない、人ができない」ようなことが出来るということだ。
当社ではこの「人がやらない、人ができない」コイルを造れと言っている。
そして二つ目
このグループは、次から次へとどんどん新しいモノを生み出して行く。我がセルコも、コイルを曲げる、圧縮する、成型する、というそれまではタブーとされていた製法を駆使し、これまでには無いモノ造りを実現してきている。
そして三つ目
前述したように、ビートルズのメンバーはぞれぞれの個性がはっきりしており、彼等が醸し出す音楽はその個性がぶつかり合い、それが不思議と上手く融合し、なんとも言えない不思議な調和を醸し出す。
当社の社名はSELCOと言ってSelf-controlの略、すなわち自分のことは自分でやれ、自覚を持て、自分の個性を出せ・・・と言うことであり、 当社の経営理念は英語で“Harmony & Prosperity in Self-control people”=”自らをコントロールし、調和と繁栄をもたらす”であり、自分を光らせながら自分の欲や自我を抑えることにより調和を見出し、その果てに必ず繁栄がある・・・というモノだ。
私は、経営は出来れば異質で個性の強い2人以上の人達によって行われるべきだと思っている。
過去を振り返れば、ソニーの井深大氏、盛田昭夫氏そして後から大賀典雄氏と、それぞれ個性が強く意見が違ったことも多々あったかと思うが、最終的には合意し、会社運営を進めたのだろうと想像する。 そしてホンダの創業者本田宗一郎氏は、藤沢武夫氏に代表印を渡して経営管理は託し、自分は技術開発に没頭したと言われる。
結局1人で出来ることは限られており、1人が2人、2人が3人になればそれだけ大きな仕事ができるし、異なった視点からモノが見えるのだ。
ビートルズでいえば、様々なサウンドが出てくるのだ。
我々中小企業の経営者は、ほぼ1人で考え、1人で決め、1人で会社の運営を進めているが、できれば自分には耳が痛いようなことを言ってくれる”モノいう社員“が居ることがその会社を更に発展させるポイントになるのかもしれない。
また、様々なアイデアや発想は1人よりも大勢いた方が間違いなく良い。
1つのアイデアをみんなで揉んで結論を出す・・・ビートルズの曲は1人が持ち込んだ曲を、イントロはこう、間奏はこう、エンディングは?等々、みんなで造り上げた結果がなんとも他の曲とは違う独特な曲となっている。

 そんな経営ができたら、これが正に「ビートルズ経営」と言えるのではないか?

私が経営者でいて、無類のビートルズファンだったことから、このような突拍子もない「ビートルズ経営論」が生まれたが、「様々な個性溢れるユニークな人達が集まり、それまでなかったような新しい技術や製品を生み出して行く」ことは、間違いなくこの多様化する現在における経営には必要なことだと思うのだ。
セルコとビートルズの違い?
その考え方やり方は似通っているが、発展・繁栄の速度、規模が全く違っているということだ。
しかし、このままの経営を続けていれば、時間はかかってもビートルズのように脚光を浴び、繁栄する可能性があるということは間違いない。

あとがき
ビートルズの”When I’m Sixty-Four”という曲で「僕が64になって禿げても、相手をしてくれるかい?」と歌っていたポールも今では81歳、ジョンは40歳という若さで凶弾に倒れ、ジョージは58歳で病死、リンゴは今83歳。
64歳・・・なんてとんでもない歳だとこの曲を聴いた時は思ったが、今私も77歳。
それこそとんでもない歳になってしまっている。
リバプールで、タイムスリップして一度は20歳の若さに戻ったものの、それもあっという間の1週間だった。
今日の朝、従業員から「会長はいつも元気ですねぇ―!」と言われ「いつもカイチョウだよ!」と答えたが、人間いつ最後を迎えるかは誰にも分からない。
臨終の時はできればビートルズの曲を聴きながら・・・と思っているが、“抱きしめたい”とか、“She Loves You”なんかだったらまた生き返ってしまいそうだから、せめてポールの“Let It Be”とか、“The Long And Winding Road”、ジョンの“Love”とか“Imagine”で安らかに逝きたいものだ!

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