68回目の年末である。
歳だけは、時間が経てば何もしなくてボッーとしていてもトルもの。
最近の物忘れ・・・特に”単語“が出て来なくなった現実は”健康“を自負する私も、認めざるを得ないし、身体の体力面でも、その衰えは否めない。
ただ、私の積極性は衰えることは無い。
「出来ることは何でもやりたい」というこの意欲はまだまだ健全なのだ。
この一年を振り返る。
会社の内部体制は、それまでの”トップダウン方式“を改め、幹部社員の合議制=運営委員会を設定し、私は抜きで税理士の先生にオブザーバーをお願いし、自分達で考え、自分達で決める”セルフコントロールのセルコ“本来の形を目指して試行したところ、”幹部社員の自覚“が変わってきた。
時々は軌道修正を入れることはあるが昇給、昇格、賞与等々、ほぼ自分達が決めた決定事項に沿って会社は運営され始めている。
“自分で考え、自分で決める”ことにより”責任感”が生まれ、問題発生時でも自分で考えて自分で処理しようとする気風が出てきた。
社長が常に居て、なんでもかんでも決めてしまうと、下の人達は、ただただ社長の命令・指示待ち人間になってしまう。
自ら考え、行動しようとしなくなってしまう。
私の考え方は、基本的に「社長も、一従業員も能力的にはそうは変わらない」しかし、「社長と一般従業員では、その意識の違いに於いて、雲泥の差がある」
ここを解消する手立ては何か?
と考えたのが、責任の転嫁である。
それも自分達で考え、自分達で決定し、自分達で実行するシステムだ。
私はこの数年中には、これを更に一般従業員レベル迄に落とし込めないか?と思っている。
それが、セルコㇵイデンティシーアメーバ管理システム(SHAMシステム)というものだ。
これは生産管理のIT化と共に進めようとしていたが、肝心の購入したITソフトが全く当社の実情と合わずに、殆ど使えない状態でリース料だけが毎月発生する大変残念な結果となってしまった。
これは、全て私の責任であった。
この会社で”生産管理”の本質が判る人間は、2年くらい前には誰もいなかった。私は、30年前、未だ世の中がパソコンで業務を展開する前に、私はベーシック原語でソフトを作り、この会社の実情に合わせた生産管理ソフトを数年かけて作り上げていった。
最終的には、そのままのソフトをプロにC言語に置き換えてもらい、かれこれ20年近く、そのソフトで対応してきた。
若かりし頃の私は、はっきり言って“スーパーマン”であった。
それこそ、自分でこのソフトを操りながら、得意先窓口(営業と言うような立派なものではない)、受注、試作、納品、外注管理、社内の生産管理、時には給料計算までもやりこなしながら、お得意の原価計算システムを駆使して、会社に対し個別原価に於いての各製品で一銭たりとも赤字を出すことは無かった。
しかし、大きく儲けることも無かった。
いわゆる“管理屋”と云う人間で、今の様に会社の方向性とか、戦略とかを考えるような力量もセンスも持ち合わせていなかった。
そのような生産管理のプロだった私は、あれから30年・・・生産管理のソフトなどは、私が自ら作り使っていたソフトの何十倍か使い勝手が良くなっているであろう?と云う先入観のもとに、当時の担当者に検証させ(結局何も検証できていなかったが・・)、導入を決定してしまった。
その結果がこの有様で、私のIT化、SHAMシステム構想は、ここで2年以上の”足踏み”状態を余儀なくされているのである。
今現在は、生産管理の何たるかを理解できる人間が育ちつつあるため、次のチャンスはモノにして行く可能性が大であるが、自分が考えて従業員に検証させ実行させたことに対するしっぺ返しを今味わっている。
売上的には、リーマンショック前の勢いでどうやっても3億数千万円だった売り上げを5億円に・・・と叫んでいたがリーマンショック、大震災の不可抗力な事態に見舞われ、逆に二度も後退してしまっていたが、ようやく今年度は、大口得意先の出現で、売上が5億を突破しそうで、さらに6億に近づいている。
仕事納めの時に全従業員を集めて言ったが、私が10年以上前に目論んだ「高密度コイル」という、それまでのコイル業界には無かった方向は、この数年で完全に世の中に認知され始めて来ており、まずは高性能、高特性、高精度が必要な分野からこのコイルの量産化が始まっている。
そして、この1,2年で盛んに言い始めた会社の”ファブレス化“も、タイの兄の会社、中国大連工場の二大拠点と、国内近隣協力工場利用により実現しつつある。
もう一つの“国内自動化”の方向も、自社製の巻線機製作の方向性とあいまって進み始めている。
私の目指すのは、あくまでも「小さな高収益会社」である。
だから「人がやらない、人ができないモノ」、「技術的に新しいモノ」により差別化を図り、「まずコストありき」の世界からは抜け出すことが必要なのだ。
と、、、同時にファブレス化により、自社では試作、開発、多品種少量品を中心にし、最終的な国内合生産は、オール自動化により、人手ではなく自動機、ロボットによる大量生産を目指す・・・と言うような高収益算出の体制を確立したいというのが私の“大戦略”である。
今回の売上大幅増、従業員はふやさない・・・はファブレス化の実現そのモノであった。
しかし、世の中そう甘くはない、”円安“と云う魔物である。
大連は2年前に工場を立ち上げたが、その時の大連のレートで昨今の円レートを見ると、実に1.52倍の為替の差があった。
100円のモノが152円になった訳である。
これは、事業努力の枠をはるかに超えている。
これまでは円高で日本はもうやっていけないと言っていたが、我々海外生産をしている零細企業は、それこそこれ以上の円安ではやっていけない。
大連のみならず、大量生産が始まったタイも、この円安の値差(高額材料費も全て海外調達)を当社が吸収せざるを得ず、売上が上がっても収益が上がって来ない・・・と云う非常に切ない事態となってしまった。
我々の期待もむなしく、この円安はこれからまだまだ続きそうである。
この円安状況の中でも、来年度は高収益を目指して、頑張る他がないのが、我々中小零細製造業の宿命なのである。
皆様!今年中は大変ありがとうございました。
また、来年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますことをお祈り致し、今年最後のブログと致します。
ありがとうございました!