会長の部屋:台北にて・・・2-

<猫空ロープウエイ>

一日半予定していた故宮が頑張って一日で見てしまったため、 次の日の午前中は、どこか行くところにはないか?ということになり私がたまたま持っていた旅行ガイドにロープウエイの写真があったため、ここに行こう・・と云う事になった。

 MRTに乗った。

 このMRTは席がきちっとひとりづつ凸シャコして掛けるようになっており、日本であれば3人掛けのところ2人しか座れないようになっている。

 結構混雑しても日本の電車の様に”押し合い圧し合い”の椅子取り合戦にはならない。

 このMRTに40分ほど乗り、「猫空ロープウエイ」というフランス製の最高に安全だというゴンドラに乗り込んだ。

 この各ゴンドラには何故かキティちゃんが描かれていたが、これは”猫空”の猫に因んでこのロープウェーのトレードマークになっているようだ。

 床が透明で足下が透けて見えるシースルーのゴンドラに乗ると緑深い森が大変きれいにスイスイと移動して行く。

 頂上までに2~3駅あり、途中下車する人は減速したゴンドラから降りることになる。

 普通のロープウエイは昇る一方であるが、このロープウエイは途中駅の関係から、昇ったり下りたりする。

 頂上に着くと結構観光客がおり、お土産物屋や食べ物屋が立ち並んでいたが、ちょっと歩くと、本当の片田舎の風景であり、下の方には遠く山や街の風景が見渡せる。

 見晴らしの良い休憩所でコーヒーを飲んだりしゃべったり居眠りをしながらゆったりとした時を過ごした。

<台湾の巻線機メーカー>

 当社の巻線機は基本的にはオリジナルだが、一から全てを造ることはまずない。

 これまでは30年前からの機械を改造し、コイルを高密度巻できるようにしている。

 また新しい巻線機についても、既存の巻線機をそのまま使うということは殆どない。これに手を加えて更に機能をアップさせる、あるいは補強をする。

 ・・・としても、できるだけ手を加えなくても使える機械があればそれに越したことはない。

 そんな訳で、最近はこの台湾の巻線機メーカーの巻線機を買うことが多い。

 私の兄は、このコイル業界に於いては”老舗的存在”であり、それこそ30年以上前は、日本の巻線機メーカーに本当の意味の巻線を伝授し、それが元で巻線機メーカーは様々な巻線ノウハウを掴み、最終的には全自動機ができ、それを結果的にメーカーが使い出したことにより、我々は仕事を失ったという何とも皮肉な結果をもたらしたのであった。

 そんな兄とその巻線機メーカーに置いてあった巻線機を一台ずつ動かしながら見せてもらったが、このメーカーはなかなかいいセンスがあり、結構魅力ある工夫がアチコチに見られたり、結構完成度の高い機械もあった。

 機械も上手くハマれば、そのまんま動かすだけで結構な仕事になるが、ただ既存の機械で勝負した場合は、早く償却した方が勝ちということで、機械を既に持っている会社が圧倒的に強いし、エンドユーザーのメーカーは、機械代等の設備費はカウントせずに、ただ変動費のみで勝負されれば、我々にはまず勝ち目がないため、当社の場合はそのまんまの機械ではまず勝負しない。

<台北101ビル>

 101の超高層ビルは、台北に居ればどこからでも見える。

 猫空ロープウェイからは山の上にちょこんと一番上の部分だけが見え、ガイドさんに「あのお寺は何?」と聞いてしまったほどだ。

 この建物は地上101階、地下5階ということで「101」という名称になった。

 全長が508mあり、末広がりの8階ずつ節くれが付き、地上から伸びる若竹をイメージしているようだ。

 建物は日本の熊谷組が請負い、耐震は2500年周期で起きる大地震にも耐え、風速60mを超える強風にも耐える構造となっているとここと。

また、エレベーターは東芝製で毎分1010mの速さで地上382m、89階の展望台までわずか37秒で昇ってしまうというギネスブック認定の世界最速だ。

 こんな国を挙げての象徴的なビルの建設を日本のメーカーに任せるというこの素直さはこの国の最も優れたことだ。ちなみに台湾の新幹線は日本の新幹線「のぞみ」を改良したものだという。

 展望台からの眺めは最高で360度パロラマだ。

 また91階に昇ると超高層の天辺から屋外に出れ、風に当たったり窓越しではなく直接パノラマを楽しめる。

 ただ、この日は少しかすみがかかっていたが、このような日が多いということだった。 

 この階の室内に入ると、熊谷組によるこのビルの建設過程やこのビルから打ち上げられる年越し花火の様子がビデオで見られた。

〈「千と千尋の神隠し」のイメージにお舞台となった街=九份(きゅうふん)>

 「台北の街から車で約1時間、山の斜面にとても面白い街がある。

 ネットで調べたら、次のような紹介があった。

「太平洋に面した傾斜地に群がる金の採掘によって栄えた街の集落九份(九ふん)。ベネチア映画祭でグランプリに輝いた名作映画『非情城市』の舞台となり、『千と千尋の神隠し』の世界に似ていると話題となった今、九份(九ふん)は台北郊外の観光スポットとして絶大な人気を誇ります。昼は傾斜地の街から海が望め、夕方からは提灯に灯りがともりノスタルジックな雰囲気です。1日中楽しめる台北郊外のおすすめスポットです。」

 記述の通り、大変面白い街だ。

 1980年の金鉱の発見でゴールドラッシュに沸いた面影が残る街。海を臨み、斜面に石段や石畳の小道、古い家並み、お土産物屋がびっしり続き、そこに観光客がわんさか溢れている。

「千と千尋の神隠し」の発想の原点となったのではないかといわれるレストランもある。

 宮崎駿監督は、おそらくこの地に来て、この現実離れした空間をヒントに、トンネルをくぐったら全く異次元の世界に迷い込んでしまったという少女の世界を発想したかと思う 

 このお土産物屋で、オカリナを上手く吹きながら、手作りのオカリナを売っている店があり、3人の孫のお土産に3つ買おうとしたが、色んな動物の形があり大分迷った挙句、動物と云うより色によってこれはこの子、これはあの子・・・と云うように考えて買ってきたのだが、結局下の子二人が取り合いになり、挙句の果てに一個割ってしまって、大泣きの原因となった。

 お土産もなかなか難しい。

 兄の奥さんが、101の高層ビルでたまたま他の観光客が持っていたキティちゃんのシルエットバックが丁度探していたイメージだと言ったら、ガイドさんが気を効かし、その観光客にどこで買ったか聴いたら、この九份で売っているとのことで、さっそくその店を探して買うことになった。

 この店は、この店だけのオリジナルバッグということであったが、目的のキティちゃんのバックの他にも結構センスのいいバッグが沢山並んでいた。

 その中で兄の奥さんがどちらにしようか迷ったバッグの選ばなかった方のバッグを私も今孫の面倒を見ている女房にと・・買った。

 こちらは結構女房も気に入って、早速使っている。

「千と千尋の神隠し」のモデルとなったというレストランで食事を食べた。

 これが、料理の出てくる順序がバラバラで、もう終わりかと思うとまた出て来る・・と云った調子で、なんだかんだ結構な量になってしまった。

 出来るだけ量を少なく・・・と注意している私にとっては最悪のパターンであった。

 食べるモノのことを言えば、台湾は総じて食事は美味しい。

 ついつい食べ過ぎてしまう。

 今回、当社の主要取引先H社の董事長に二度に亘って食事をご馳走になったが、この二度ともかなり食べ過ぎてしまった。

 この時も、エンドレスに美味しいモノが出てきて珍しくて美味しそうなものはつい手が出てしまう。

 もうだめだと思って手を出さないでいると、隣の董事長が料理を私のお皿に採ってくれる。

 せっかく取って貰ったモノを残すわけにはいかないと食べると、更にまた採ってくれる。

 ビールも私は最初の一杯がなんとも好きで、後は惰性で飲み、ちょっと飲んだだけですぐ眠くなるのであるが、あちらの習慣で「カンペイ!」となり、飲み過ぎてしまう。

 家に帰ったら完全にプラス3kgで、これから地獄の減量生活が始まる。

 また5月の連休を控えており、連休前までに依然の体重迄戻せるか否か?

 そのレストランの中があの千と千尋の映画のような色んな部屋やスペースがあるのかと思ったら、それは無いようであり、ちょっとがっかりした。

 しかしとにかく、面白い街であった。

 昔の映画館もそのまま残っていて、中国語の昔の映画を上映していてしばらく休憩がてら観たり、写真を撮ったりした。

 その後、なんでも願い事が叶うというお寺や「中正紀念堂」という蒋介石の記念館(中正は蒋介石の本名)を回ったが、特に蒋介石の大きな銅像があり、その前での儀仗隊と呼ばれる衛兵の交代式は台湾観光の名物となっている位で、二名の衛兵の交代が1時間瞬きもせずに立っており、1時間経つと交代する。その交代の様は、左右で寸分もたがわずきちっとしておりかなり見ごたえがあった。

 蒋介石の乗っていた大きなキャデラックが2台あったが、これは凄く存在感があった。

 この人の人となりをネットのウイスぺディアから拾ってみよう。

「実務的な貢献としては大陸から撤退するにあたって大量の美術品、巨額の金銀やドル紙幣、料理人を含めた優秀な人材を運び込んだ。このことが後に中華人民共和国における文化大革命時の美術品の組織的破壊から守ることとなった上、インフラ整備や経済発展の原動力となったという説もある。また、戦後の台湾島一帯は、冷戦下においてアメリカと強い関係を持つ蒋介石が統治したため、共産主義者の手に落ちなかったと主張する人もいる。

『アメリカは、日本には原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした』として、(特に本省人の間には)根強い拒否反応を持つ者が多い。また、蒋介石が本省人知識階級を大量虐殺し、日本語の使用を完全に禁止したために、台湾経済の発展は大きく後退したとの説もある。また、蒋介石が「反攻大陸」のことを第一に考えたためアメリカや日本などの説得を無視して、国際連合を脱退してしまった。そのため、台湾は現在の様な国際的に国家としては承認されない状況に陥ってしまったと考える者は少なくない。」

 ・・・というようなことであるが、最終的には現在の台湾という国はこの蒋介石無くしては成り立たなかったということだ。

 前述した通り台湾は戦後、日本がアメリカに追いつき追い越せと頑張って来たと同様、日本から多くを学び、今や半導体やコンピュータの生産等では日本を凌ぐ力を付けてきている。

 私の泊まったホテルは結構高級なホテルであり、トイレもウォッシュレットだった。

 しかしこのウォッシュレット・・・操作板が真後ろにあり暗いトイレの隅のボタンが良く分からない。

 またロール紙もちゃんとミシン目が入ってはいるが、普通に引っ張るとすぐにちぎれてしまうため、かなり丁寧に真下に引っ張る必要がある。 

 帰りは兄達と一緒に帰ってきたが、帰りの北陸新幹線「はくたか」の車両を見ながら兄が呟いた。

「やっぱり日本のこのモノ造りの技術、運行の正確さは凄い!」

 日本に追いつけ追い越せの台湾ではあるが、未だ何かが違う。

 逆に未だ日本には世界から見てきらりと光る誇りべきすばらしい技術、文化がある。

 これをはっきりと自覚し、いかに守り育てて行くのかが、この国にとって当面の最大の課題なのだと改めて思った次第である。

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