会長の部屋:日本の国技の大相撲が帰って来た!?-

先週、大相撲が終わったが、新横綱稀勢の里は感動モノの逆転優勝だった。

前の日の稀勢の里の相撲は全く力が入らず、あっけない相撲内容であったため、まさかあの痛々しい身体で照の富士に2連勝するとは殆どの人は思わなかっただろう。

私は子供の頃から相撲が大好きだったが、モンゴル相撲になってしまってからは、全く関心が無かく、「ああ、大相撲またやっていたのか?」というような程度だった。

 しかし、最近は稀勢の里の活躍、同部屋の高安、長野県出身の御嶽海、小さくても面白い相撲を取る宇良とか石浦、遠藤、そして栃煌山等が頑張り始めて、かなり面白くなってきた。

 テレビで相撲を見ていると、ついつい日本人力士VS外国人力士で、日本人力士の応援をしてしまっている。

 また最近のスポーツ界の日本人の活躍は目を見張るものがあり、先般のWBCの野球を始め、サッカー、スキー、水泳、スケート、テニス、卓球、バトミントン、柔道、スケボー等々、とにかく最近の若者の活躍は素晴らしいと思う。

 今日は、私のスポーツに対する考察を展開することになるが、これらのスポーツは貧しい発展途上国と豊かな先進国では、スポーツで頑張る動機が異なるのではないか?と思う。

例えば、貧しい国の若者は兎に角ハングリーであり、自分がスポーツで勝って、親や家族に少しでも楽をさせたい・・・という思いで頑張るし、逆に先進国の選手の動機は・・・もはやハングリー精神はないため、自分のスキルに対する向上心とか、成長に対する貪欲さとかいう自己概念の高さが問題となる。

「夢」、「希望」、「願望」とかの自分との約束=戦いがその動機となるのだ。 

イチロー選手が子供の頃からプロ野球の選手になるという大きな目標に向かって、普通の子供の遊びはせずに、野球の練習に専念していたという話は有名だ。

今各スポーツ界で活躍し始めている若い選手は、殆どその範疇かと思う。

「マズローの欲求の5段階説」を持ち出すと、更に分かり易くなる。

 私が、今から50年ほど前に、大学のゼミの卒論で「人間関係」を扱った際に、出て来たアメリカのアブラハム・マズローという人の唱えた、「人間は自己実現に向かって 絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求の5段階説を唱え、これが半世紀以上たった今でも、アチコチで引用されているため、これは本物の説かな?と思っている。

:生理的欲求
:安全欲求
:親和欲求
:承認欲求
:自己実現欲求
 *1から2までは物質的な欲求、3から5は精神的な欲求に分けられる。

結局、私が言いたいのは、発展途上国の人達(戦後の日本も同様)は、この5段階のうちの物質的な欲求が強く、自分の命、自分の生活に関って来るため、簡単にはあきらめず、最後まで頑張る。

 また先進国になると、自分の命や生活は安定しており、この図から言うと、上位の精神的な欲求が強くなる。

 特に、自分が勝つことにより、世の中に認められたいという欲求、そして最上級の「自己実現の欲求」に向かう。

 相撲は・・と云うと、ここ10数年はモンゴルの人達とかの物質的な欲求=ハングリー精神が日本の相撲取りを圧倒してきたのかと思う。

 また相撲業界という古く厳しい伝統の中では、ハングリー精神のような人間の根源に拘る動機が、「夢」、「希望」、「願望」というような甘っちょろい動機を一蹴してきたのではないだろうか?

 そこへ、最近の若者が殻を打ち破り始め、頭角を現し始めて来たのではないか?

 すなわち、角界の伝統とか常識が少しずつ変化し、他のスポーツと同じように「精神的な欲求」により、頑張る若者が増えて来たのではないか・・・などと勝手に想像しているのである。

 兎に角、日本の国技と云われる相撲が日本人の元に帰りつつあることはうれしい限りだ。

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