大連で歯の治療?!

 大連に行っての私の楽しみは、「垢擦り」と「指圧」である。
垢擦りは、ご存知のように、タオルで身体をこするだけで、ウソみたいな垢が出てきて、一種の快感を覚える。
そして指圧は、やはり上手い下手があるため、いつも指定する体格の良いお姉さんが、「大丈夫ですか?」と片言の日本語で聴きながらかなり強く押してくれるがとても心地よい。
大体指圧は、滞在3日位でも2晩は行く。
前回はこの指圧屋さんで、床屋もやっているようなので、頼んでやってもらったら、ホンの15分位でカットし、頭を洗って400円~500円位、私のほぼ禿げたような頭にはお金をかけてももったいないので、これはちょうど良い。

 今回は、ちょっと時間があったため、歯医者で歯石を取ってもらおうと思い、近くの歯医者へ行った。
そのお医者、私の前歯について、一所懸命何か言っている。
私の前歯2本は、いつからか歯茎がせり出したのか、かなりの出っ歯でスキッ歯となっており、年々そのスキ具合も広くなっているような気がして気にはなっていた。
また、奥歯の詰め物が取れて入れ替えた頃からどうも噛み合わせが悪くなり、両顎が異常に痛くなることが多くなり、入れ替えたお医者に言うと、「私の治療は完璧だ!全く問題がない、気のせいだ・・・」と言って全く取り合ってもらえず、違うお医者へ行こうかどうしようか迷っていたが、日本の歯医者で評判の良いところはどこも満員で、予約をして行って待たされるため、とにかく「待つ」ことが嫌いな私は躊躇していた。
しかし、だんだん歯垢も溜まってくるし、どうにかしなければ・・・と云う思いから、大連で歯垢を取る・・・と云うアイデアに辿り着いた。
案の定、待ち時間が殆どなしで、治療が始まった。
・・・が、私の前歯を指さして、先生が何か色々と言っている。

 聞くところによると、この前歯は噛み合わせが悪くグラグラしており、良くない状態だ。
40分6万円程で直せるがどうか?と言って、以前やったと思われる患者の「治療前」と「治療後」の写真を私に見せながら説明する。
簡単と言っても、ここは中国・・・下手なことをしたら取り返しがつかなくなると・・・大雑把でいい加減な私でも、そう思った。
しかし、私の好奇心の方が打ち勝った。
治療を頼むことにした。
麻酔も何もなしで痛くも無い、前歯の当たりをゴチャゴチャといじくること約一時間、途中で他のお客が入って先生が抜けた時間があったから、約束の40分位で治療
が終わった。

 果たして・・・・・・!?

 鏡を見てびっくりした。
あれだけ、飛び出てみっともなかった前歯二本がキレイに並んでいる。
俄かには信じられなかったが、いじっても大丈夫。
たったの40分で、あの芸術的なスキッ歯が見事にきれいな歯になって蘇った。

その先生・・・実は韓国の先生で、この技術はドイツの技術なのだそうだ。
韓国と云えば「整形大国」で、このような治療がホイホイ出来てしまうということか?
私は先生に固い握手をして6万円払って帰って来た。
あれから2週間、歯の方は全く問題ない。
そしてあの噛み合わせが悪く、顎が痛いのもウソのように治っていた。
前歯のかみ合わせの悪さが、奥歯に何らかの影響を与えていたということか?
いずれにしても、日本の歯医者さんよりも、中国の歯医者さんの方が凄い・・・と思った瞬間であった。

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新年、あけましておめでとうございます!

新しい年がやって来た。
確かに、以前は「新しい年=希望」のように感じていたのが、最近は「新しい年=また一つ年を取る」に変わってきているように思える。
 それでも私は、自然の摂理に逆らいながら、夢を持ち、それを追い続ける。
 仕事は勿論、私の場合は、自分に拘ること全て、全方向で「ああしたい」、「こうなりたい」という気持ちが沸き、未だ未だこれから・・・と云う気持ちが強い。
 そうなると、どうでもこの衰えて行く肉体を鍛え、共に精神を鍛え続ける必要がある。
 肉体はなかなか鍛えるのに時間がかかりそうだが、精神を鼓舞する言葉は考えられる。

新年に当たり、自分自身に贈る言葉を考えた。
漢字四文字を4つ組み合わせて考えた言葉(漢文ではなく、造語も含まれる。)

    72歳の理想の人生  
勇住邁進(ユウオウマイシン)  常に勇気を持ち進む
創造旺盛(ソウゾウオウセイ)  旺盛な創造力を持って新しいことに挑戦し
全魂投入(ゼンコントウニュウ) 自分のすべてをそこに投入する
夢中迎死(ムチュウゲイシ)   そして明日の夢を追いつつ死を迎える

    心構え
苦難歓迎(クナンカンゲイ)    悩みや苦しみよ、どんどん来い!
不逃立向(フトウリッコウ)     逃げずに立ち向かい
撃破必勝(ゲキハヒッショウ)   苦難を撃破し
獲得歓喜(カクトクカンキ)     その果てにある歓喜を得る

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2018年ものづくり大賞NAGANO グランプリ受賞

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「2018年長野県ものづくり大賞 グランプリは・・・・・」

「株式会社・・・・」
 そして
「セ・ル・コ」
・・・と続いた。
 まさかのグランプリ受賞・・・であった。
 今年6月に長野県 佐久地域振興局商工観光課 課長補佐兼工業係長 足立 昌洋氏が当社に来社され、この「ものづくり大賞」に応募をするための打ち合わせをした。
 原稿としては、昨年のものづくり補助金を貰う時の申請書があったため、さほど時間はかからなかったし、足立氏が必要事項、要点等の体裁は全て整えて戴いたため、私としてはさほどこの賞についての「努力感」が無く、9月に「ものづくり大賞」の三社に選ばれたと聞いた時もさほど感激もなかったし、その内の一社が先週講演に行った飯島町の南信精機さんと知り、当社はその南信精機さんにはとてもかなわないと思っていたため、「グランプリは無理!」と最初から思い込んでいた。
 南信精機さんは、先日の講演でも話したが、我々中小企業がこれから向かうべき姿を既に実現している私にとっては“あこがれの姿”であり、はっきり言ってその”格“が違う。
 私はこれまでもブログや本で主張してきたが、まず大企業はモノ造りを日本ですべき、そして日本の中小零細が造った部品を使う、そしてその中小零細は自分の持つ特殊技術を機械屋さんとかでは無くできれば自社でノウハウを蓄積、自動化し、世界のどこよりも安くて高品質の”メイド・イン・ジャパンの部品“を造る・・・そして海外は海外でこれも自動化対応し、日本のマザー工場での改善改革された自動化ノウハウをそのまま移行して対応すべし・・・・。
 これを全てやってのけているのがこの南信精機という会社であり、片桐社長なのだ。
 そんなことで、私は端からこの”グランプリ”は諦めていた。
 未だ他の企業であれば、結構期待したかもしれないが、この南信精機さんには勝てないと思っていた。
そしてまたこの日は年に一度の「いとこ会」開催の日で、今年は白馬のロッジホテル「シェラリーゾート白馬」に行くことになっており、出来ればタイから帰ってきている兄と一緒に行こうと思っていたし、早く従妹の人達とも会いたかった。
 また前日まで大連で結構ハードなスケジュールをこなしてその夜帰ってきており、一週間の締めくくりの日は、できれば朝礼だけでも顔を出しておきたかった。
 ところが9時半までに長野の会場に展示品を準備するようにと案内書に書いてあることを大連で知り、展示品となるコイルを用意して置いてもらい、朝7時にこれを取りに会社に行き、女房と共に「いとこ会」参加の準備をし、いそいそと長野の冬季オリンピック競技の会場だったビッグハットへ向かった。
結構長野市内は朝の出勤渋滞でノロノロ運転だったが9時20分頃には会場に着き、展示品を並べ、どうにか体裁を整えた。
 ・・・と云うことで、私の頭の中は、10時から12時までというこのセレモニーを早く終えて、白馬に向かい、途中信州新町で久しぶりに有名なマトンの焼肉を食べて白馬に向かうというゴールデンスケジュールで満たされていたのであった。
ところが、この突然のグランプリ受賞である。

 受賞の可能性があれば、事前に気の利いた言葉でも用意しておいたが、余りの突然なことで気持ちの整理も付かず、信越放送=SBCの美人アナウンサーからの質問にも、おざなりのことしか答えられなかった。
 しかもこのアナウンサーから突然「おやじバンド」の件を持ち出されてこれまた困惑した。
受賞して表彰状、盾、そしてトロフィーを貰った。
 このトロフィーはガラスの巨大なビー玉の長細いようなトロフィーであり、この結構重いトロフィ―を持って何度も写真撮影に応じた。
 その他、長野県工業技術総合センターの北沢さん等から受賞のお祝いの言葉を戴いた。
未だ私がセルコの社長なって間もないころ、マイクロストーン社の白鳥社長から、これからの中小は開発とか研究をしなければだめだ・・・と言われ、当時の工業試験場とか信州大学工学部にお願いし、コラボで新規開発品の開発をしたりしたことを思い出した。
 その頃のセルコと比べれば、今はまあどうにか格好は着いた会社にはなっている。
今回の受賞も、対象が「高密度圧縮成形コイル」という当社がこれまでのナイーブなコイルの常識を打ち破り、コイルを圧縮したり、曲げたり、一体モールドしたりする技術をこの10数年確立してきたが、業界ではこの技術は、被膜をキズつけるのではないか?という”危ない技術“と思われていたようで、なかなか採用されなかったが、今や、この技術を使って他社との差別化を計り飛躍し始めている会社が複数出始めており、私はこれから様々な場面でこのコイルが使われると思っている。
「高密度コイル」という言葉も、私が10数年前に言い出した言葉であるが、ネットを見るとあっちこっちで使われている。
 ただ当社の高密度コイルの定義は、占積率90%以上=すなわち丸線を使ったコイルを圧縮したモノを指すが、一般的には「きちっと巻かれているコイル」を指しており、多少意味合いは違っているが・・・・。
 又今回はその圧縮の特許技術を更に進化させ、プラスチック成型と同じようにコイルを希望の形、寸法に成型してしまおう・・・という全く常識破りのコイル技術であり、これまでは考えられないような画期的な技術である。
 これが今回受賞の理由・・・と云うことになれば、セルコが特化してきたこの技術が、世の中に認知された・・・と云うことになるのかも知れない。
いよいよ「高密度コイルのセルコ」の時代が始まる・・・と云うことになる。

 後、長野県産業労働部産業政策課の課長さんと主事の方がお二人名刺交換しながらご挨拶したが、恐らくこの方達が、佐久の商工課の足立さん等と共にセルコグランプリの受賞を強く推してくださったのであろうと想像する。
感謝‼感謝‼である。

 会場には何故か当社の監査役、太陽光発電のサンジュニアの西原会長が居た。
この授賞式と共に会場では「産業フェアin信州」という展示会が26,27日と2日間開かれており、商品の展示に来ているとのことであったが知らない人達ばかりの会場で会えてとても心強かった。
 西原さんからはいつもの調子で「賞金は無いのか?」・・・と聴かれたが、そういえば残念ながら賞金は無かった。同時に経理部長の顔が思い浮かんだ。
 テレビ局、新聞社のインタビューも受けた。
 そういえば、昔はテレビ、新聞の取材はしょっちゅうあり、取材慣れしてポンポンと受け答えしていたりしたが最近では珍しい。

 結局、展示品は1時まで展示して置くように・・・とのことで、まさかグランプリの会社がその前に撤収もできないため、西原さんの提案で、会場の食品の展示場での試食品を食べ歩いて昼の代わりにしようとしたが、結局それでは物足りず、おにぎり一個とお茶を買って、信州新町のマトンは諦めた。

 一時きっかりに展示品の撤収をしたが、それでも受賞企業とエクセレンス認定企業の10数社の中で一番早い撤収となった。

 私以上に驚いた女房と会場を後にし、白馬のホテルへ向かった。
会社や友人へは、メールやラインでできるだけ受賞の連絡をした。
いとこ会へは女房が「いとこ会グループメール」で送ってあり、ホテルで会うとみなさんから「おめでとう!」の嵐となった。
 ゴルフのホールインワンよろしく、その日の飲み物は私のおごりとなった。

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久々の講演

 久々に講演をした。
お招きいただいたのは長野県飯島町の商工会と中川村商工会の皆さん。
 実は今年の1月23日に講演予定だったのが昨日10月18日に延期された講演だった。
 1月23日は本当にドタキャンだった。
 若い頃、私は”小諸のジュリー“と言われステージ付きのスナックへ行っては「勝手にしあがれ」で帽子を飛ばしていたが、昨日の沢田研二=ジュリーのドタキャンのように来場者が少ないから講演しないということはない。私は一人でも二人でも私の話を聴いてくれる人がいればいくらでも話す。
 1月23日の時は、その頃猛威を振るっていたインフルエンザに罹ってしまい、どうしようもなくドタキャンしたのだった。
 私は社員に私はEMを飲んでおり免疫が強いため、風邪はひかないと常々言っており、多少風邪気味になってもまず会社を休むことはない。
 その時もただの風邪であれば強行したと思うが、インフルエンザでは如何ともし難かった。
 この講演は南信精機の片桐社長さんが商工会に持ちかけた講演であった。
 片桐社長さんとは二年前の安部知事とベトナム視察旅行というツアーに参加した時、成田で最初に知り合った同ツアー参加の人が片桐社長だったことで、その後旅行中、旅行後もお付き合いさせて戴いていた。
この南信精機さんの工場を見せてもらって驚いた。
この会社は精密プレス金型、精密プラスチック成形金型を自社で手掛け、それぞれ精密プレス品、精密成形品を造っているが、凄いのは、この製品を連結しオール自動化し「プレスチックス」という独特の名称で精密プレスと精密プラスチックをモジュール化した精密機構部品を大量生産していることだ。
聞くと、中国、ベトナムに工場があり、こちらもほぼ自動化しているとのことである。
これは、私が常々言っていた「国内自動化」を実現し、それを更に海外にも展開している(自動化で地消地産)を既に実行していている会社だった。
この会社には当然、これからの車のEV化の波による様々な精密にして大量な注文が入り込んでいる。
これからは更に多くの引き合いが舞い込んで来るはずである。

この未だ若い片桐社長が紹介し実現したこの講演会で、私は10年前の「おやじバンドでNHK出演」したビデオで、まず私のキャラを売り込むと同時に、7分間ビデオの中で会社の紹介を結構丁寧にしてあるため、ある程度の会社案内ができてしまうのだ
そして次に当社の創業以来の売上、利益の棒グラフで会社の歴史を説明。
下請け制度というシステムがいかに親会社は子会社を「生かさず殺さず」で使ってきたか=結局、品質、価格、納期のQCDをメチャ厳しくし、ライバル会社と競わせてただただ何も考えずに、親会社に従わせるシステムであったという説明をした。
そして海外取引の悲惨さも説明したし、円高、リーマンショック、大震災等の経済ショックは我々中小はまともに受ける様を説明、インダクタンス±1%以下という難易度の高い特性をクリアーしたことで大量のコイルが受注出来、安定に向かったことも説明した。

下請け制度の枠から這いだすためには、独自の技術が必要だ。
当社は「高密度コイル」という何の変哲もないコイルに付加価値を付けたことによる特殊技術一本でこの時代という荒波を乗り越えて来た。
我々中小零細はこれからどこに向かえばいいのか?
政府に期待しても無理だ。
自分で考え、自分でPRし、自分で切り拓くしか方法は無い。
世の中の趨勢を良く観察し、自社に何かそれに合った技術とか特徴はないか?を考え、これを伸ばして行くより術はない。
モノ造りをやらずに新しいモノを設計しようとする技術者、メーカーには明日が無い。

そして最後は「逆ピラミッド組織」の話をした。
9月から始めて1ケ月半、当社の組織はとてもすっきりして来て、4人の女性の生産管理担当者と各ライングループのグループリーダーが会社の通常業務を仕切り始め、概ね良好。
当初居場所が無いように思えた管理者らも、次第にこのシステムの中で自分の持つ職能を発揮し始めている。

講演終了後、懇親会にて個別に話をすることができた。
皆さん若い経営者が多く好奇心も旺盛で、この地域は南信精機さんを始めなかなか素晴らしい企業が集まっていると感じた。

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逆ピラミッドの組織

9月1日より当社の組織がガラッと変わった。

 従来のピラミッド型組織が、ひっくり返り「逆ピラミッド型」の組織となった。

逆ピラミッド型の組織!?と困惑される方もおられるかと思うため、若干解説をするが、その前に、当社では何故従来の普通の組織ではダメなのか?という説明をする。

 セルコの社名はセルフコントロールという言葉が元となった社名であり、経営理念も“Harmony & Prosperityy in Self-Controlled people”(自らをコントロールし調和と繁栄をもたらす)という理念を掲げている。

 セルフコントロールというのは、「他から命令、指示されて動くのではなく、自ら積極的に考え、自己管理の下に動きなさい」ということであり、これまで続けて来たピラミッド型組織による上から下への情報伝達と矛盾し、動ける人は自由に自分の部署以外の仕事をしたりしていたため、何か起きた場合、社内各所で一体誰が動くのだ、誰の責任だ・・・という問題が常に起きていた。

 そういった意味では、組織があってないような状態だったということになる。

 そこでそういったことを全て解消する手段がこの逆ピラミッド型組織であった。

 よくよく考えてみれば、通常の量産品の生産の流れは、別に命令や指示でなくても迅速且つ正確な連絡網があればこと足りる。

 この逆ピラミッドの組織の意味するところは、当社では、あくまでモノ造りに携わる各担当者が主役であり、その他の役職者はそのサポーターになるということだ。

 従って一番最下部に位置する社長は「スーパーサポーター」であり全従業員を迅速かつ適切に、しっかりとサポートすると云うことになり、常務、部長、課長といった役職者はそれに準じて上級サポーターとしての力を発揮する必要があるということだ。

 この組織の目的は、特に製造部内=モノ造りに関する組織の簡素化、フラット化であり、通常業務(量産品)に関する全てのやり取りを担当者レベルで遂行できるようにするためのシステム構築を目指したものである。

 その方法として管理部内の4名の生産管理担当者を各得意先別に定め、内示、受注から部材の発注管理、外部調達の管理、社内ライン、検査ラインとの完製品納入に至る全ての生産活動を一気通貫で責任を持って管理してもらう。

 従って、基本的には量産品の顧客窓口と納入業者窓口は各生産担当者ということになり、通常量産品のやりとりは全て生産管理担当者が行う。

 但し品質に関しては、各顧客毎に品質保証担当者を定め対応する。ただ生産管理担当者に品質情報を伝えても責任を持って対応し、解決が難しい問題が発生した際は、担当者と共にサポーターである管理者も加わり、問題に対し迅速に対応する。

 そして各製品別グループ毎にグループ長を選出(一年毎に再選出)し、グループ長は自分の生産ラインの生産状況、品質状況全てを把握し、常に生産管理担当者とコミュニケーションを取り、情報を共有するようにする。

 役職者は全員、これらのラインのサポーターとして当面は社長の指示、依頼で様々な問題解決に当たる。

 従って各ラインで、不良、生産遅延、その他の問題が発生した場合は、各生産担当者から社長に報告、社長はその時の判断で各サポーターに指示、依頼する。状況によっては社長自身が動き、問題の早期解決を図る。

 社長は、当面は采配を振るいながら、出来るところから当システム及び会社全体の整備をし、それぞれ制度化を図って行く。➡適材適所の人員配置、最適システムの構築、スーパー連絡網の整備をし、最終的には殆どの業務は自分達でこなし、社長には必要な情報だけが入いるような状態までに持って行く。(目標1年)

 一方、役職者は、通常のライン仕事からは離れ、不良問題、生産遅延問題等の異常時の対応(当面は社長からの指示、依頼による)をすると共に、新規受注、新規顧客の確保に全力を尽くし、常に「新たなる柱」構築のために努力する。

 社内機構の改革は、当社のような小さな会社でも大変である。

 それも今回のように、組織を180℃ひっくり返してしまったのだから、特にこれまで管理者であった”役職者“は困惑するかと思う。

 これは”意識改革“が必要になる。

 私の考え方は、「役職者」は決して偉くなはない。

 ただ組織の中の一つの役割に過ぎない。

 会社が役職につける意図としては、スキルの高さとか功績とか人徳とか…いろいろな要素があるが、役職に付いても付かなくても同じ人間であり、急に神様のような偉い人間になるわけでは無い。

 それなりの責任が出て来るため、それなりに給与も上がる。

 今回の組織における役職者の役割は只管“サポーター”という役割だ。

 上に行けば行く程、担当者等が気持ちよく働ける環境を提供するのが自分達の役割だ・・・と認識すれば全て上手く行くはずだ。

 逆に言うと、このサポートが上手くできる人程、上級役職者になれるということになる。

 従って、スーパーサポーターたる社長は、社内の誰よりもスキル高くサポートできなくてはならない。

 しかし私を含め役職者は自分ができなくても心配はない、出来る誰かに指示したり、依頼してそのサポートを完遂させる力があればよいのだ。

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近畿地震と新幹線の出張

群馬で地震が起き珍しいなと?と思っていたら、今度は近畿地方で地震が起きた。

折しも私が大阪へ向かおうとするその矢先だった。

いつもギリギリに時間設定する私が,殊勝にも一本早い佐久平から東京への一番列車に乗り東京に出て、8時3分発のひかり(のぞみは大人の休日倶楽部3割引きが効かない)に乗って東京から大阪へ向かう東海道新幹線の電車の中の出来事であった。

今にも発車・・・という時刻になって社内が突然暗くなり非常灯に代わった。

最近東海道線では殺人、山陽新幹線では新幹線自殺・・・と色々とあったので、今度は何?と思ったら、車掌が回って来て肉声で「近畿地方に地震があり、新幹線の送電が一時ストップして自動停止状態となっております」とのこと。

しかし私も周りの人もあまり動揺はせず、少し時間が経てば動き出すだろうと思っていた。

しかし、なかなか動かない。

約1時間後、停電が回復し電車が動き出したが、品川で停まった。

そしてアナウンスで大阪―京都間の点検に約3時間はかかる・・・とのことで、取りあえず、第一目的だった、大阪店天王寺のアベノハルカス12階のレストランでのタイのTIT会長とお客様の3名での会食がてらの打ち合わせはキャンセルすることにした。

その後、その予約したレストランからも本日は休業との電話連絡が入った。

大阪の電車も動いていないようだ。

それから新幹線は全く動かない。

私の仕事は最近はもっぱらPCでのメールでのやり取りが主のため、この雑音のない静かな新幹線空間は、途端に私の簡易オフィスに早変わりした。

メールチェック返信後は、普段なかなか時間が取れないセルコのホームページブログ、「社長の部屋」への投稿もじっくりできた。

何かに熱中すると私は時間の感覚が無くなってしまう。

いつの間にか12時になっており、あれから3時間が経っていた。

その後、タイの会長と連絡を取って、大阪市内も電車が未だ復旧してないとのことで、このまま会社に戻った方がいいだろう・・・と云う結論に達し、あちこち拡げた書類やコンピュータをバッグに詰め込み、降りようと・・・した途端に間が悪く?ドアが閉まり、新幹線が動き出した。

結局、新横浜迄動いた。

お昼を過ぎたため、何か食べたいと思っても売店もなく、どうしようもない。

「お急ぎのお客様は隣のホームの『のぞみ』に乗り換えてください」とのアナウンスで即乗り換えたら12時40分過ぎ頃動き出した。

結構調子良く走って名古屋手前迄1時間半くらいだったが、・・・・その手前で全く動かない、折しもカーブするエリアか?と思われるが車体が右の方に大きく傾いたままである。

結局、1時間位そこに立ち往生した後、名古屋に着いた。

名古屋からはスムースに動き始めたが、また京都の前でストップ。

会長の方は、どうにかタイの懇意にしている会社の大阪在住の方に車で迎えに来てもらい、第二の目的であるPM3時からの大阪のメーカーさんへどうにか辿り着いたようだ。

何か、大阪市内の携帯電話が繋がらず、その得意先は私を通じ連絡を取り、タイの会社はタイと連絡を取って大阪の社員に連絡を取っていたとのこと。

普段便利に使っているモノは、災害時には逆に大変不便になってしまうという教訓か?

結局、私が大阪に着いたのは5時過ぎ、お客様との打ち合わせが終わってしまっており、その後、会食を・・・と云う話があったため、せめてお客様のコストが1/3,1/4になるかも知れないという画期的なVA提案のサンプルだけでも見てもらおうと思ったが、とにかく新大阪から先が動きが取れない。

電車はオールNG、タクシーは長蛇の列で、いつになったら乗れるか検討もつかない。(のちのテレビでもこのタクシーの列を大変な状況として映し出していた。)

お客さんと会長に連絡を取り、結局そのまま引き上げるしかないということになった。

私は翌日は名古屋から三重のお客さんに行く予定となっていたため、ホテルは京都にとっており、そのまま京都に向かった。

飲まず食わずの一日だったため、夕飯は思い切り上手いモノを食べてやろうと思ってあちこち歩き回ったが、結局お好み焼き屋さんに入った。

メニューを見ていると、店の女の娘が、「前のお客様からのリレープレゼントで肉ニラのお好み焼きのプレゼントがあります!」ということで、、、私は小食のため、それだけでいい・・・と思ったが、もう一品京都の九条ネギのお好み焼きを頼んだ。

結局、生ビ―ルとこの二品のお好み焼きはなかなかの味であり、まあぐるぐる歩き回った意味があった。

新幹線に缶詰の一日・・・結局佐久平6時~新大阪5時で11時間の一日は、結構疲れており、ホテルに入るとバタンキュー状態だった。

ところが夜中12時40分頃、グラグラと揺れた。

私は寝ぼけていて大声で「小諸でこんなに揺れれば、大阪壊滅だー!」・・・と叫んで飛び起きたが、そこは京都だった。

また新幹線が停まっては・・・と思いテレビを点けたら、震度4の余震ということで安心し眠りについた。

翌日は、散歩がてら京都駅で昨日の新幹線特急料金の払い戻しをし、近くの五重の塔で有名な東寺迄散歩した。

近く・・・と言っても結構な距離があり、私の万歩計は14,000歩まで上がって、一日1万歩の目標は朝だけで達成した。

その日の打ち合わせは、当社の技術の部長と名古屋で落ち合い、話もスムースに進み、無事に帰って来た。

東京駅で大阪のお客様に届けるコイルサンプルをその日の夜便でタイへ向かう課長に手渡し、同じく同日タイへ向かったお客様に見せられるということになったため、一応目的は達成した。

疲れた!!

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「新老人の会」のニンニク作り

「新老人の会」・・・・昨年105歳で亡くなった聖路加病院名誉院長の日野原重明先生の会である。
 先生が没後もこの会はそのまま継続はしているが、やはり求心力は急速に落ちている。
 しかしここ信州支部東信ブランチの活動は一向に衰えない。
 4月には日光へ一日バス旅行をし、先週は長野の先の飯山の戸狩温泉スキー場にワラビ取りに一泊旅行、昨日は一昨年から始めたニンニク作りで収穫作業。勿論その後は食べて飲んで、よもやまの話題には事欠かない。
 そのニンニクっ作りであるが、去年はいい調子で結構なニンニクが取れたが、今年はちょっとばかり不作で去年の半分くらいしか取れなかった。
「連作障害」、「深く埋め過ぎ」、「草に栄養分を取られた」、「種が悪かった」等々、なにせ手はあまり動かないが、口だけは百戦錬磨の人達ばかりで、色んな見解が飛び交う。
 代表の私としては、「収穫云々・・と云うよりも、こうしてみんなで楽しく作業し、仲よく過ごす時間そのものが大事なんです!」と強調するが、内心は面白くない。

 4年ほど前に日野原先生を東信ブランチの主催で上田市の市民会館にお呼びし、1400名という参加者を集め、その時に得た収益金が当会の活動資金となっているが、あれから4年、食事会やバス旅行、ニンニク栽培等への補助金を結構気前よく出していたら、だんだん懐が寂しくなり、日野原先生もいない今、収益源はニンニクの栽培・販売事業にかかってきたからだ。
 一昨年は、未だチョロチョロやっていたが、昨年からは大々的にやろうということで、種も結構高くて立派なモノを買い、1年目はそこそこの収穫だったため、2年目からは道の駅等に卸し、本格的に事業化しようと思っていた。
 その夢が残念ながら今回、がっくりの結果となってしまった。
 
また父から受け継いだセルコの敷地は5200坪あり、この敷地や工場建屋を管理する(有)同延舎という会社であるが、こちらの管理もしている。
 今同延舎の建物の中に、かれこれ20年近く前にホンの遊び心で結果、結構な改装費を費やして倉庫を改装した音楽スタジオがある。
これは長年女房から、事ある毎に「あんなものを作って!」と責められ続けている私の最大の弱点である。
 こちらは苦節20年、東京の区役所で勤めていて、50歳そこそこで早期退職、こちらに移住し、自給自足農業をやりながら残りの人生を自分の好きな音楽をやって過ごしたい・・・と云う人が現れ、カビ臭かったスタジオ内を隅から隅まで掃除し、快適な空間にすると共に、設備はそれほど増やさずに音響を見事に生まれ変わらせたのである。
 私は早速「小規模事業者持続化助成金」という補助金を申請し、この資金を基にこのスタジオのリニューアルを計り、どうにか多少でも利益を確保できるように・・・と考えている。

 ・・・・・このように、私の場合は、「仕事」という概念はあまりない。
 私の前に現れる全てのことが仕事であり、趣味であり、結局私の人生そのものだということだ。
 そしてその対象に向かって全力でぶつかって行くことが、私が生きている証であり、
 私は「ああここまでやったから自分のやるべき事は終わった」・・・と云うことはまずないか?と思う。
 生きている限り、何かを考え、何かをやり続け、その途中で人生を終わるのか?と思う。
 私にとってコイルで大きな仕事を受注することも、「新老人の会」でニンニクを作ることも、その直面している時は、その対象事項が私の全て・・・と云うことなのである。

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高密度コイル

「高密度コイル」

・・・これは私が今から14年前にN社の半導体、露光装置リニア―モーター用として考えられ、造られ、採用されたコイルに私が命名したものであり、その後特許も取得した。

 最近ネット上では、「高密度コイル」という言葉が飛び交っている。

 いわゆる、コイルをきちっと巻くことの総称ということになる。

 しかし、私が命名したこのコイルは、この一般的に言われているモノとはちょっと違っている。

 私が高密度コイルと命名したのは、丸線をまず他社の一般的な整列巻よりも10%以上きちっと巻き、その上で、更に圧縮して密度を上げ占積率が90%以上のモノだった。

 その後、これも前述の露光装置用として、平角線をα巻きしたコイルを積層し、占積率が100%(被膜込み)に近い巻線ができ上がった。

 しかし、これらのコイルはそれから10年あまり他社に採用されることは殆どなく、前段階のきちっと巻いた状態のコイルの採用にとどまっていた。

 当社は一時広告に「巻いただけでも高密度」と謳って、世の中のニーズに合わせながら来た。

 ところが最近EV車のモーターを中心とした「占積率獲得合戦」が始まり、車メーカーとその周辺メーカーによる当社のアプローチは格段に増えて来て、当社も「高密度圧縮成型コイル」として太線やパラ線をきちっとある程度の形に巻いたものを圧縮成型する製造法を考え、新たに特許出願した。

 しかし、車メーカー関連の会社は試作はするものの、このコイルを圧縮成型するという一見無謀に思える方法は、なかなか採用するまでには至らない。

 高電圧による被膜の損傷を懸念している。

 確かにこの技術は無暗に圧縮成型すると危ない技術には違いないが、これは欲しい占積率の「程度」を考えれば済む問題である。

 例えば97%圧縮は確かに怖いが、94%だったら高電圧クリアーするとか、もっと安全を重視して90%にとどめる・・とかである。

 当社も各社の巻線仕様によって圧縮できる程度が異なるため、一般論は言えないが、丸線で90%以上は間違いない。

 車以外の電圧もそれ程かからないコイルに、あるメーカーがこの圧縮成型技術を取り入れたところ、小型高効率のモーターとなり、未だ市場に出したばっかりであるが、好評で増産の話が出てきている。

 結局、これまでには考えられなかったような仕様のコイル設計が可能になる・・・と云うことだ。

 一方殆どの関係技術者は、平角線の方が丸線より占積率が高いと思っている節があるが、必ずしもそうではない。

 平角線の最も有効な占積率アップは間違いなく「α巻き」である。但しα巻きは2層しか巻けないため、多層にするためには「積層連結工程」が必要となるため、どうやってもコストの点では不利になる。

 しかし私は敢えて言っておきたい。

「最高のコイルの占積率を狙いたければ、平角α積層巻きである」・・・と。

 現在車のEV化の花盛りの技術はセグメント方式である。

 これは我々コイル屋、巻線屋にとっては全くの「邪道」である。

 太い平角線をUの字にフォーミング・組合せ、端末を溶接によって連結しコイル化すると云う技術である。

 最近、この業界の動向に合わせ当社もこの「まがい技術のセルコ版」を研究しており、その内に発表することになろう。乞う、ご期待!!

 平角線を普通に積層すると、コーナーがある分クロスポイント(乗り上げ部分)が丸線より不利となるが、ある巻線機メーカーはその部分を上手く逃がして高密度巻線を実現しているので、高密度平角積層巻線は、このような巻線がお奨めです。

 しかし、占積率を100%に近づけたければ、平角α積層巻きしかないということはここで明言しておきたい。

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前号に続く・・・アインシュタインの言葉

《ネットより見つけました》

アインシュタインは一八七九年生まれ。一九二二年日本を訪問。
・われわれは静かに生活し、熱心に学び、親しげに微笑してくる多くの日本人を目にします.誰も己を出さず、その微笑の背後に隠されている感情を見抜くことはできません。そしてわれわれと違った心がその微笑にあることがわかります。
・私のような異国の人間にとって、日本人の心に深く立ち入るには容易ではありません。けれども人間同士の直接の体験が欠けたことを芸術の印象が補ってくれました。日本では他のどの国よりも豊潤にまた多様に印象付けてくれるのです。ここで「芸術」というのは人間の手で創作しているありとあらゆるものを意味します。
この点、私はとうてい驚きと感嘆を隠せません。日本では自然と人間は一体化しているように見えます。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与えられたものと密接にむすびついています。
かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。とりわけ私はいろいろと分けられた滑らかな壁や、やわらかい畳で敷きつめられたたくさんの小さな部屋があるのをみて、日本の家が気に入りました。どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割とがあります。そのうえ、礼儀正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかりです。

・日本の芸術における最も輝かしいものは絵画及び木彫の領域にあると私は考えております。それらの作品から、日本人がいかに形あるものに対し歓喜する目をもった人間であるか起こった出来事をたゆまず芸術的に描いていくかが本当によくわかります。鮮明で単純な線を日本人は何よりも愛好します。
・日本では個人主義は欧米ほど確固たるものではありません。

・たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです。

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北朝鮮と中小零細企業

北朝鮮の金正恩委員長とアメリカのトランプ大統領が6月12日にシンガポールで首脳会談を開催することになった。
 考えてみれば、この小さな国が大国アメリカと対等に渡り合い会談を行うということになった訳で、これは大変なことだ。
 それもこれまた大国中国を上手く後ろ盾にしたり、韓国との関係を急速に親密にしたり・・とよくよく冷静に考えると、なかなかの手腕か?と思う。
 これは我々中小零細企業が大企業と立ち向かう時の戦略と同じかも知れない。
 ただその手段の違いはある。北朝鮮は核兵器とか長距離ミサイルいう武器であり、我々は「技術力」という武器である。
 私の場合は、当社の高いコイルの技術力を背景に、大きな会社と渡り合うことになる。
 もともと会社の規模から言うと、象とアリとか良くてもいぬかネコ位の違いがあり、通常では我々が何の技術を持たなかったら、ただの弱小町工場であり、大企業の言うがままになるしか生きる術がない。
 ちょうど10年ほど前に私が書いた曲「中小零細Q.C.D.」の冒頭の部分となる。

仕事が欲しけりゃQ.C.D
倒産いやならQ.C.D.
生きていたけりゃQ.C.D.
QQQQ  CCCC  QQQQ  CCCC  QQQQ  CCCC  D

中小零細は大変 チェック チェック
 品質いいのは当たり前 安く安くコストを優先 
早く早く納期は厳守

・・・・と云うことです。
しかしこの歌は
だけど俺らにゃ技がある
誰にも負けないテクがある 
匠の技だよミクロンオーダー!
 ・・・と続く。
 そして
中小零細は大変 
昼もない 夜もない 休めない
危険 きつい 汚い 3K
オンボロ機械のオンパレード
だけど俺には 夢がある 誰にも負けない意地がある 
目指す技術は世界ナンバーワン!
日本のモノ造りは 中小零細の底力
決して大企業の 力なんかじゃないぜ 
オイラの技術は本物 誰にも絶対マネできない
何がタイだ中国だ インド ベトナムもいいけど 
そんなの そんなの関係ねぇ
 全然全然関係ねぇー
・・・と来るのである。

 この曲は我ながら中小零細製造業の立場、状況、そして向かうべき道を示していると思う。
 金正恩委員長が核やミサイルを必死で開発したように、我々中小零細は必至で「他ではできない・やらない」仕事を受け、どこにもないような技術を確立して行かなければ、生き残れないということだ。

 私はやはり10年前に刊行した本「立ち上がれ中小零細企業」にて力説したように、世界の中で日本ほど「モノ造り」に適した国民はいないと信じている。
 よく世の中の趨勢で、もはや日本はモノ造りをする国ではない・・・などと語られることがあるが、私の考え方はそんな50年、100年の時代の変遷からくる話ではなく、1万年、2万年前の縄文時代から培われてきた「日本人の特性」からの話だ。

 縄文時代の我々の祖先は、狩猟民族であり、自然の中でなっている木の実や海や川の魚や貝類、そして時々はイノシシのような動物をみんなで協力して捕らえて食べたりしていたようだ。
 驚くことに、その1万5千年以上もの長い間、全く争いの跡が見つからないということだ。
 その後弥生人が入ってきて争うようになったリ、稲作が始まったりしたようであるが、稲作でも、「結いの精神」というものがあり、大変な田植えや稲刈りをみんなで助け合いながら共生してきたようだ。
 確かに時代の変遷というものはあるか?と思う。
 私の子供の頃は、隣近所は皆助け合って生きていたが、今はそれほど親密では無くなってきている。
 東京のマンションなどは、隣の人はまだしも、2軒先位になると全く他人になってしまうことが当たり前だ。
 しかし、以前にNHKのEテレの「サイエンスZERO」で、現在の日本人でも縄文人のDNAが10~20%位入っている。そしてこの縄文人のDNAはアフリカに端を発する人種を辿ってみても、大変特殊で一体どこから来たものか解明できない・・・と聴いてから、わたしの考えは益々固まって来た。
 東日本大震災時に世界を驚かせた日本人の助け合いのシーンとか外国人が日本に来て感動する「おもてなし」とか「おもいやり」の精神は2万年も前から培われてきたものであり、50年、100年のスパンの変遷で壊滅してしまうものでは無い。
そして「モノ造り」の原点は、コツコツコツコツである。
そして「人の和」である。
これからいくらIT化が進み、ロボット時代が来ようとも、それを考えたり動かしたり、モノ造りの原点であるコツコツ精神が、それらを進化させるためには必要だということである。
私は何度でも言うが、農業を含め、日本はモノ造りを中心とした方向を取らない限り、世界の中でその存在感を示し続けることはできない。
ただ安いモノだけを造るのであれば、これから北朝鮮と一緒になってしまうかも知れない韓国に負けてしまうだろうし、金融だ、観光だ、インターネットだ・・・といくら頑張ってみても、とても世界の強豪には太刀打ちできない。
ただ、「モノ造り」・・・それも本物の「モノ造り」であれば、日本にかなう国はまずない。

 そんなモノ造りの国日本にあって、我々中小零細は今日も地を這いながらそれこそアリのように働き続けている、

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