北京五輪

コロナ禍、とりわけオミクロン株の猛威が世界を混乱させている中、そして中国の政治問題を引きずりながらも北京五輪が無事に閉幕した。
昨年の東京と今回の北京、結局反対とか、批判があろうが思い切って、やればどうにか恰好が点くということか?
このオリンピック、様々なドラマが生まれたが、女子のパシュートは最後の決勝の一周で高木菜那選手が転倒し2大会連続の金を逃してしまい、残念だった。
高木姉妹、佐藤選手の3名の世界一美しいと言われる隊列は素晴らしい。これはやはり日本人ならではの素晴らしさだ。
菜那選手は、何も言わなかったが、この後の解説で、元スピードスケートゴールドメダリストの清水宏保さんが言っていたが、彼女は氷の割れ目に足を取られ堪えたが堪えきれず、転倒してしまったとのこと。
氷の割れ目と云えば、羽生結弦選手の4回転半ジャンプも氷の割れ目に足を取られて跳べなかったこともあり、今回は競技場のコンデションの問題があちこちで起こり、とても残念だった。
それでも高木美帆選手は、次の日の1000メートルで5種目出場の疲れ切った体で見事オリンピック新記録の金を獲得し、パシュートのリベンジを果たし、素晴らしかった。
問題と云えば、スキー女子ジャンプの高梨沙羅選手をはじめ強豪の5選手がジャンプスーツの規定違反で失格となってしまい、一時騒然となった。
規則と云えば規則だが、せめて協議前にやるべきものではないか?それも各選手は個人戦と同じスーツだったというし、これまでの世界大会でも一度も違反の判定が無かったのが、この一番大事なオリンピックで一気に違反となるということでかなり不可解な出来事だった。
スノーボード男子ハーフパイプ決勝で、冬季五輪2大会連続銀メダルの平野歩夢選手が日本スノーボード史上初の金メダルを獲得したが、五輪を3度制覇した伝説のショーン・ホワイト選手(米国37歳今回で引退)が、新しいヒーローをたたえに来た場面は感動的だった。
またスノーボード女子ビッグエアの女子決勝で日本の岩渕(れい)()選手が3回目に大技のトリプルアンダーフリップにトライし、着地で転倒したものの、高難度の技へ果敢に挑んだ姿勢に他国の選手が彼女への称賛に駆けつけ抱擁した場面も、ショーン・ホワイト選手と同様、国を超え、純粋に同じ競技者として、そのチャレンジ精神に称賛を送る姿は感動的だった。「これがオリンピック」と言いたいような場面だった。

今回のオリンピックで、最も私が関心を持ったのは、女子のカーリング、ロコ・ソラ―レの活躍だった。
日本は、最初にスウェ―デンに負けた後、4連勝した。
私は第2戦のカナダとの対戦から見始めた。
この日のロコ・ソラ―レはかなりいい調子で、特に4人目ラスト2投の藤澤選手がかなり調子が良く前回大会の金メダルのカナダに快勝した。続くデンマーク、ROCロシアも勝つ。
この辺から私も徐々にこのカーリングにのめり込んできた。
更に中国を撃破し、この4連種の勢いで韓国もぶっ飛ばせ!と思ったら、なんと負け、そして続いてイギリスにも負けてがっくり!
解説の人が、氷の状態が良くないと言っていたが、それは相手チームも同じことだから、余り養護にはならない。
そしてアメリカに勝ち、5勝3敗で後は、今回1敗しかしてないトップのスイスとの戦いとなった。そしてこのスイスに勝てば自力で準決勝に進める位置にいるから、どうしてもここは勝ちたいところだ。
しかし、世界ランキング2位、世界大会2連勝中のスイスとの実力差は明らかであり、4-8で負け、メンバーはこれでこの五輪はおしまいだと思ったらしく「ここまでみんな良く頑張って来た」とか言いながら号泣、ところが同じ勝敗で戦っていた韓国がスウェーデンに負けたため、準決勝が転がり込んできた。
その知らせを聞いたメンバーは「ウソ―!」とか言いながら転がり合って大喜び。
翌日の準決勝は、一位のスイスとまた当たる。
私もこれはちょっと大変かな?と思ったが、18日金曜日の夜9時、私がいつも寝る時間からの試合開始、通常は録画しておき、結果を観ずに朝起きてからハラハラしながら観るのだが、この日は眠さも忘れてライブ応援した。
一投一投、いっぱしの解説者気取りで、「これはいい!」とか「あそこはもうちょっと!」とか、ひとりで大騒ぎしながらテレビに向かった。
序盤は一進一退、5エンドで藤澤選手の敵のストーンを2ヶ一緒に得点サークルであるハウスから出すダブルテイクで日本が何と4点のビッグエンドを採り5-2、後半に向かう。
日本のショット成功率は10チーム中最高であり、またストーンの前を掃く、スィーツの上手さもトップとのことで、この数字から行くと、ナンバーワンでもおかしくないが、世界の強豪相手は、試合の駆け引きとか、ここぞという時の正確なショットで、簡単には勝たせてくれない。
6-2で迎えた7エンドで相手に3点採られ、6-5と追い付かれる。
8エンドは1点追加で7-5、9エンドで藤澤選手が難しいショットを決め、スイスがミスショットで2失点が1失点で7-6で最終エンド。
後攻日本は、渋い戦いを続け最後は1点採り8-6で勝利。
あのスイスに勝ってしまった。

そして、オリンピック最終日の20日、決勝はカーリング発祥国イギリスが相手。この日は日曜日の午前10時、手ぐすね引いて待ち、じっくり最初から最後まで見たが、残念ながら余り良い場面も無く破れ、結局、銀メダルに終わった。
このロコ・ソラ―レは、有名な仲の良さ、励まし合い、声かけ、もぐもぐタイムと言われる休憩中の明るい会話等、とにかく前向きで明るいムードは、他のチームを完全に圧倒していた。

このカーリングという競技はちょっと極端に言えば、10エンドの中で、全て最後の1投のための布石をどう作って行くか?の戦いであり、圧倒的に後攻が有利のゲームだ。
ゲームを見始めた最初の頃は、どうして真ん中を狙わずに端の方に置いたりするのか良く分らなかったが、とにかく真ん中でも、端でも自分の投げたストーンのガードを作り、最終的にハウスの中に自分のストーンを相手にはじき出されないように、どうやって残すか?のゲームだ。

会社の経営とよく似ている。
コツコツコツコツ積み上げてきたモノが、一瞬にして崩れ去ることもあり、これを防ぐための様々な布石が必用ということです。
当社は
①ファブレス化 外注化・・タイ、大連、国内協力工場
②基盤となる受注先 有力3社の柱、これを更に数社ずつ増やして行く
③技術力の強化 コイルの加工応用技術の強化。モーター、センサー事業への展開、巻線機製造メーカーへのアプローチ等
③自動化 これからの課題

…これが、時代の波、ライバルの出現、注文の激減等に備える当社の「布石」。
オリンピックを観ながらでも、きちっと経営の事を考える私であった。

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30年ぶりの栄冠「ホンダF1 最後の戦い」~NHK BS1スペシャル~

2021年、ホンダは今シーズンでF1レースから撤退する、これが最後の戦い。
「絶対に負けられない!」・・・技術者たちの執念が爆発的なパワーを生み出す。

2020年10月、ホンダはF1撤退を決定。
この撤退の知らせは、パワーユニットの骨格から見直すという画期的な開発途中だったホンダのチームにとっては衝撃的な通告だった。社長と掛け合い、このパワーユニットの開発を前倒しすることの許可を取った。
金属の3Dプリンターを駆使しこのパワーユニットの骨格を半年で造り上げ、また強度を増すために、鋳造を堅い金属の削り出しに替え、この新骨格はこれまでよりかなりパワーアップしていた。
オールホンダ、全社体制での開発だった。特に試作部門、シリンダーの強度を鋳造からアルミ合金の削り出しに変えた。長年培った技術の蓄積がこの短期開発を成功させた。
成功のトークの中に“サプライヤー”という言葉も聞かれたが、間違いなくどこかの中小零細企業の技術が入っていたのかと思う。

6年前の屈辱的な敗退からの復活を目指す。
既に4度の世界チャンピオンをとっているレッドブルがホンダの技術に興味を持ち、2019年、ホンダと提携することになっていた。
絶対王者ハミルトンに挑む若き獅子フェルスタッペン、そしてこれは7年連続王者に輝くメルセデスとレッドブル・ホンダとの闘いでもあった。
山本雅史、田辺豊治、中村聡、浅木泰昭等の技術者の面々は、これに全てを掛ける。
スタートダッシュのローンチが難しく、順位を下げてしまう。
ローンチとは、アンチストールといってクラッチに繫いだ時にエンスト防止のためドライバーの意志に関係なく自動でクラッチを切り離してしまうようになっており、車が前に進まなくなる。
この影響でフェルスタッぺンはパワーのコントロールが出来なくなり順位を4つも下げてしまったことがある。メカは運転手の操作に正確に反応する必要があるのだ。
ローンチ時は、チャンバーという空気を貯める部分から勢いよくピストンに送り込むため、このチャンバーの容量を増やす必要があったのだ。
レッドブルの力が必用となり、ホンダとレッドブルとのコラボレーションが始まった。
レッドブルチームは、このチャンバーの管を普通の倍の長さにしてこの問題を解決した。
市街を走るモナコグランプリがその重要なレースだった。急カーブで低速にしてから高速にする場面が多いためこのローンチが重要となる。果たしてフェルスタッペンは圧勝だった。ホンダにとっては29年ぶりの勝利となった。

タイヤ交換も重要なポイント。
ソフトタイヤ、ハードタイヤ、ミディアムタイヤと3種類のタイヤを2秒以下で交換するチームがついている。

6年前間にはボロボロだったホンダが首位争いをしている。
過去の口惜しさをバネにし、MGU-Hというパワーユニットの改善をする。
パワーユニットはガソリンエンジンとモーター発電機のハイブリット。

いよいよ2021年の決戦
フェルスタッペンとハミルトンとのデッドヒートはすさまじく、第14戦ではどちらも譲らず、2台ともコースアウトしたりした。
直線コースで赤いランプが点くかつかないかがバッテリーの効率の違い。
高出力バッテリーが栃木のHRD Sakuraで8年間に亘って開発された。
この高出力バッテリーユニットはリチウムイオン電池にカーボンナノチューブを使ってパワーアップ。
2022年の完成予定だったが、2021年F1の参戦撤退の発表で1年前倒しとなり、撤退が決まっても陰で研究を進めていた。それを支えた上司が居た。
橋水純一氏がこのESSという新バッテリーユニットの責任者。40%パワーアップした。一週で0.1秒の違い。
「できない理由は言うな!」「出来るまでやれ!」がその時の合言葉。

2021年8月に完成。16戦は10月10日、しかし日本の鈴鹿サーキットがコロナで中止、結局トルコでのグランプリとなった。
20歳のルーキー角田佑毅が8週に亘り後方スタートのハミルトンの前に立ちふさがり、フェルスタッペンを助ける。その後レッドブル・ホンダのセルジオ・ペレスが立ちふさがる。結局、チームホンダで助け合い、フェルスタッペンは4番手でハミルトンにはなかなか追い抜かせなかったため、フェルスタッペンは2位でゴールし、メルセデスには勝てた。

本田宗一郎は、ホンダの技術向上を目指しF1に参加した。
若いスタッフの養成をした。ホンダは若い人達がエネルギッシュに活躍する会社。
ホンダはエンジンの改善もした。偶然の発見であったが、プラグ点火の火が上だけではなく、下からも燃え上がるパワーアップしたエンジン。
「人の真似をするな、やるなら独自のモノを考えて勝負しろ!」が本田宗一郎の言葉、その通りのエンジンが出来たのだ。

その後、ハミルトンは新エンジンを投入し、19戦、20戦と連勝。
ホンダ側も、エンジンを点検整備する。
21戦、両社一騎打ち、両社相譲らず接触し、フェルスタッペンがペナルティとなりハミルトンが3連勝。
最終第22戦「アブダビグランプリ」は二人全く同点で迎えた。
レースはハミルトンが早い、残り20周で差が17秒、このまま終わりかと思ったら、たまたま周回遅れの車がクラッシュでイエローフラッグ、全社速度ダウンで差が詰まった。その間フェルスタッペンはソフトタイヤに交換し、最後の一周に賭ける。
見事、フェルスタッペンがハミルトンを抜き去り、劇的な優勝。
まるで、映画のラストシーン!

ルーキー角田祐樹も4位で終わった。
有終の美を納めた。
諦めずに続け、執念を燃やしたホンダとレッドブル、レーサーと技術者たちの勝利だった。

<感想>
対象があまりにも当社とは違うため、意見を言うこともおこがましいという感じだが、ホンダの各面々のF1に賭ける情熱は間違いなく伝わってきた。
特にF1という、世界的な大レースでの勝利という目標、そしてその挑戦も最後になるという追い詰められた状態での開発は、我々が納期に追われてどうにか間に合わすというような生易しいモノではなく、極限状態での葛藤だったと想像される。
私の持論に、“開発”は実際にモノを造っている現場でしか生まれない・・・という考え方があるが、このビデオでも全ての発想はモノ造りから生まれている。
まず、必要となるニーズは、F1ドライバーの“現場”から出て来た。
ローンチ時にエンジンが一時的に作動しなくなる不具合は、様々な実験・検証の果てに、空気の入れ込む量の問題だと判り、レッドブル社と協働し見事解決する。
プラグの点火時のシリンダ内の火の燃え上がり方も実験時に偶然判ったこと。 またバッテリーの改善は、カーボンナノチューブを使用するという、これはあくなき探求心の産物だ。
いずれも、机上の3D画面からだけでは得られない発見や技術。

私は、ただただ安さを求めて海外に出、海外の方が安く開発できるというような考えを持つメーカーには、本当の意味の新しい発明は生まれないと思っている。
開発はタダの閃きだけでは生まれない。コツコツコツコツ・・気の遠くなるような繰り返し、繰り返しの果てに、偶然だったり、ちょっとした閃きから生まれるものだ。
これは、日本人に備わった独特の特性、そして開発者の信念の強さが必要になるのだ。

思えば、当社の高密度圧縮コイルの開発も、かなり追い詰められた状態から生まれた。
得意先から占積率90%以上と言われて、巻線で87%までは頑張ったが、それ以上はどうやっても無理だった。
ここで諦めるか?どうするか?
・・・という時に、当社の技術スタッフは、コイルを潰す・・というタブーの方式を取ることを選んだ。
かくて圧縮コイルという全く新しい概念が生まれ、納入実績を積み、その後「圧縮・成型」コイルが生まれた。

ホンダ社で、社長に直談判したり、隠れて開発していたりというようなちょっと間違えば、首か左遷か?というサラリーマンにとってはかなりのリスクを抱えながらの開発であり、凄いことだったかと思う。
しかし自分の信念に基づいて開発し続ける、そしてそれを最終的には認める社風が、このホンダ社にあったということが素晴らしいと思う。
これは間違いなく、次の時代に伝わるものだろう。

ソニーも昔は、自由闊達な雰囲気から新しいモノを産み出す元だったのが、一時普通の会社になり下がってしまったようだが、最近はまた以前のソニーが戻ってきたような話をあちこちで耳にする。
日本は、やはりどこにも負けない”モノ造り力“で、世界の頂点に立つべきだと、私は思う。                                    

以上

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第90回サンテラスロビーコンサート

丸山晩霞記念館企画展「水彩の明星」コラボコンサート
「心にしみる音」 By 神原恵里子& 近藤聡

丸山晩霞画伯の水彩画に魅せられて思いついたというドボルザークの新世界から始まったピアノとヴァイオリンのコンサート。
静かに荘厳な雰囲気の中で始まった。
神原さんの優雅で落ち着いたトークも秋の気配満載の東御市のサンテラスロビーに流れた。
3曲ほど済んだところで、近藤さんの例の大阪弁のトークが入った。
「今までしゃべるなと止められていたんですよー!」
・・・と一気にまくしたてる。
「サイン、コサイン、タンジェント、微分、積分、ええ気分!」・・・と、お得意の自分が数学の教師であることを紹介しながらの名調子に、会場は一転して寄席の雰囲気に変る。
しかしまた演奏が始まると、神原さんのピアノに乗せた近藤さんのヴァイオリンの音色は、聴いている人達の心に響く、このコンサートのテーマに合わせれば、“心にしみる”
演奏が終わると、また近藤さんの止まらないトーク、私は一番前の席で大笑い。
時々、近藤さんが神原さんをいびるのだが、神原さんは全く動じず平然とマイペース。
この二人のやりとりは、近年になく面白い。
ちょっと分析をすると、この二人は、それぞれ自分の音楽、自分の生き方が確立されており、相手に気を遣うことも無ければ、相手におもねる必要もないため、正に「マイ・ペース」なのだ。

神原さんは、元々はクラシックから始まっているが、これまで軽井沢星野リゾート、ブレストンコートでの2000回以上の演奏で、新郎、新婦を魅了しながら様々な曲を弾き演奏テクニックを鍛え上げて来ており、加えて、ポップス、歌謡曲、その他の様々なジャンルに挑戦、そして、ソロ、デュオ、バンドと演奏形態もこだわらずに何でもこなしてきて、自分なりの音楽を作り上げてきた人、そして近藤さんは、4歳からヴァイオリンを習い始め、信州大学交響楽団の学生指揮者と依頼演奏のコンサートマスターを歴任し、コロナ前までは、長野県内のみならず、札幌、大阪と全国を飛び回り、過去には、ウィーン学友協会やブタペスト宮殿、イタリア会館等海外での演奏も経験してきていて、トークの軽快さとは裏腹に、凄いヴァイオリンの奏者、そして彼の口笛はアメリカの大会にも出たほどの腕前=口前?であり、ヴァイオリン演奏と共にこの口笛も聴きものだ。
大阪の出身で今は東御市に住み、予備校の数学教師をしている。
私もスタジオをやっている関係から、色んなセミプロ演奏家と会ってきたが、彼のような演奏、口笛抜群、口八丁のトーク最高の人は見たことが無い。

この音楽的に、人間的に確立された二人の個性がそれぞれ輝いて、ぶつかり合い、協調しあいする様は、見ている人達を完全に魅了する。
これが普通の演奏会であったら、会場はいつもの普通に良かった演奏会になったと思うが、この静寂さとハチャメチャ感溢れるトークのコラボは、その”落差“が生み出す、不思議なハーモニーによって見ている人を魅了したのだった。
“笑う”、“泣く”という人間だけに与えられた感情・・・
これを操れる人が、映画で言えば大監督であり、小説家で言えば、大作家であり人の心を大きく揺さぶるのである。近藤さんのトークで大笑いした後、お2人の素晴らしい演奏が始まると、その揺さぶられた感情が、そのままストレートにその音楽に移入され、ピアノとヴァイオリンの調べに酔いしれてしまうのである。
だから、あの会場に来た人は、皆さん、この演奏会に酔いしれたのだ。


・・・ということで、私のこのコンサートについてのコメントを終わりますが、今回のお二人の演奏についての私の分析は如何だったでしょうか?

このコラボ演奏会は、途中から時節柄、ハロウィンの衣装替えもあり、曲は葉加瀬太郎の「ワイルド・スタリオンズ」、ジョージ・ウインストンの「あこがれ/愛」、鬼滅の刃の「紅蓮華」、「この道」、「千の風になって」等々…どれもそれぞれ素晴らしく、ピアノとヴァイオリンの音が、秋の東御市の青空に吸い込まれて行くような演奏会でした。

2021年10月31日
                         

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観戦しながらの感染!?

新型コロナウィルスは、益々猛威を振るっている。
デルタ株だかインド株が上昇中で、感染者は東京3865人の過去最多、全国で1万人を超した。

オリンピックを観戦しながら感染している
・・・と云うことになる。

伝家の宝刀のように言われていた「非常事態宣言」も、今や殆ど効果がない。
みんなもう「うんざり」で「慣れっこ」になってしまってきており、全く歯止めが効かない。
政府と国民の間の信頼関係は「ほぼゼロ」状態。
安倍政権から菅政権の間に、すっかり国民の信頼を失ってしまったためだ。
最近の政府のやり方を見ていると、「どうにかその場その場を上手くごまかしてでも切り抜ければ良い」、「国民はその時は騒ぎ立てるが、しばらくすれば忘れてしまう」、「マスコミさえ押さ込んでおけば、どんな大きな問題を起こしても全く問題ない」…と云うような非常に安易な進め方が、いくらお人好しな国民でも多かれ少なかれ分かってきてしまったということだろう。
それでも支持率が30数%と聞くと、私には全く信じられない。
尤も、それでは他の政党は?と問われても、「ここ」という政党はないのも事実。

私は今でも、この国の国民は、他のどんな国よりも「良い」国民だと思っている。
以前、このブログでも説明したかと思うが、この国は縄文時代、狩猟生活を2万年近くしており、その間全く争った形跡が無いということ。
そして今現在でもその縄文人のDNAを10%~20%、わたし達の遺伝子に残っているということが、日本が世界のどの国とも違う素晴らしい特性を持つ国民だということなのだ。
子役を使って子供が街で泣いていたら1時間に何因の人が、その子供に声を掛けるか?という実験を世界中で行ったところ、日本がダントツの27人、第2位はフランスで8人だったという。これが日本人の凄くて素晴らしい所だ。

また、戦後の焼け野原からの大復活、そして”メイド・イン・ジャパン“で世界を席巻し、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”といわれ、この小さな国が世界第二位の経済大国にまでのし上がった事実を考えても、「この国はただモノではない!」と思った方が自然かと思う。
然し、最近の日本の状態は、経済状態から、国状から、とても胸を張って「素晴らしい国」といえるような状態ではない。

今、オリンピックの最中に、コロナウィルスの蔓延が絶好調!ということだけとっても、ちょっと皮肉っぽく云えば“全世界の笑いもの”ではないか?
この素晴らしい国民が、何故こんなに“みじめな状態”に陥ってしまったのか?
前々回のブログ、安宅和人著「シン・二ホン」に寄れば、
「確かに日本はイケてない。技術革新の新しい波は引き起こせず、乗ることすらできなかった。企業価値レベルは中韓にも大敗。大学も負け、人も作れず、データ×AIの視点での三大基本要素のいずれも勝負になっていない。
戦後の高度成長期から今までで最も残念な20年だったと云える。」
…と云うことで、この20年余り、一体日本は何をしてきたのか?
これは歴代政府の責任大ではあるが、わたし達日本の企業にも大いに責任がある。
世界の趨勢…特に米国と中国がどんどん進めていた、先進技術、AI技術等への取り組みが遅れに遅れてしまっていたことは、悔やんでもどうしようもない。

しかし、今回のコロナに対する政府や関係機関の取り組みは余りにも後手後手でお粗末だった。
考えてみれば、日本という国は、これまでの様々な実績からいって、世界の中でこのような大変な問題に対して、最も統一がとれ、素早く対応が出来る国のはずが、当初のPCR検査の導入・活用は全くなし、海外渡航者に対する対応も後手に回り、薬も、ワクチンも自国製はとても間に合わず、オリンピック開催国にもかかわらず、ワクチン接種が未だに行き渡っていない。
驚くことに保健所とのやり取りは、未だにFAXしか使えないとか聞くと、背筋が寒くなる。今の時代、ネットが使えないなどと言っていて、きちっとした行政対応が出来るはずがない。
PCR検査装置も、日本で色んなメーカーが最新装置を開発しても、国内は許認可の問題があり使えない。フランスで使っているというニュースも流れた。
恐らく薬が出来ても、やはり許認可問題で投与できないかと思われる。
他の国が使って自国で使えない…などと言う不合理は、このような緊急事態時にはちょっと考えられない。
ワクチンも、途中かなり調子のよいことを言っていたが、今となっては大分トーンダウンして、オリンピックの最中に、これまでに最大の感染者数を記録してしまった。
オリンピックだからといって、感染者数の歴代の大記録を出したり、金メダルを取っても、誰も喜ぶ人はいないのだ。

 

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