前号に続く・・・アインシュタインの言葉

《ネットより見つけました》

アインシュタインは一八七九年生まれ。一九二二年日本を訪問。
・われわれは静かに生活し、熱心に学び、親しげに微笑してくる多くの日本人を目にします.誰も己を出さず、その微笑の背後に隠されている感情を見抜くことはできません。そしてわれわれと違った心がその微笑にあることがわかります。
・私のような異国の人間にとって、日本人の心に深く立ち入るには容易ではありません。けれども人間同士の直接の体験が欠けたことを芸術の印象が補ってくれました。日本では他のどの国よりも豊潤にまた多様に印象付けてくれるのです。ここで「芸術」というのは人間の手で創作しているありとあらゆるものを意味します。
この点、私はとうてい驚きと感嘆を隠せません。日本では自然と人間は一体化しているように見えます。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与えられたものと密接にむすびついています。
かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。とりわけ私はいろいろと分けられた滑らかな壁や、やわらかい畳で敷きつめられたたくさんの小さな部屋があるのをみて、日本の家が気に入りました。どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割とがあります。そのうえ、礼儀正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかりです。

・日本の芸術における最も輝かしいものは絵画及び木彫の領域にあると私は考えております。それらの作品から、日本人がいかに形あるものに対し歓喜する目をもった人間であるか起こった出来事をたゆまず芸術的に描いていくかが本当によくわかります。鮮明で単純な線を日本人は何よりも愛好します。
・日本では個人主義は欧米ほど確固たるものではありません。

・たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです。

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北朝鮮と中小零細企業

北朝鮮の金正恩委員長とアメリカのトランプ大統領が6月12日にシンガポールで首脳会談を開催することになった。
 考えてみれば、この小さな国が大国アメリカと対等に渡り合い会談を行うということになった訳で、これは大変なことだ。
 それもこれまた大国中国を上手く後ろ盾にしたり、韓国との関係を急速に親密にしたり・・とよくよく冷静に考えると、なかなかの手腕か?と思う。
 これは我々中小零細企業が大企業と立ち向かう時の戦略と同じかも知れない。
 ただその手段の違いはある。北朝鮮は核兵器とか長距離ミサイルいう武器であり、我々は「技術力」という武器である。
 私の場合は、当社の高いコイルの技術力を背景に、大きな会社と渡り合うことになる。
 もともと会社の規模から言うと、象とアリとか良くてもいぬかネコ位の違いがあり、通常では我々が何の技術を持たなかったら、ただの弱小町工場であり、大企業の言うがままになるしか生きる術がない。
 ちょうど10年ほど前に私が書いた曲「中小零細Q.C.D.」の冒頭の部分となる。

仕事が欲しけりゃQ.C.D
倒産いやならQ.C.D.
生きていたけりゃQ.C.D.
QQQQ  CCCC  QQQQ  CCCC  QQQQ  CCCC  D

中小零細は大変 チェック チェック
 品質いいのは当たり前 安く安くコストを優先 
早く早く納期は厳守

・・・・と云うことです。
しかしこの歌は
だけど俺らにゃ技がある
誰にも負けないテクがある 
匠の技だよミクロンオーダー!
 ・・・と続く。
 そして
中小零細は大変 
昼もない 夜もない 休めない
危険 きつい 汚い 3K
オンボロ機械のオンパレード
だけど俺には 夢がある 誰にも負けない意地がある 
目指す技術は世界ナンバーワン!
日本のモノ造りは 中小零細の底力
決して大企業の 力なんかじゃないぜ 
オイラの技術は本物 誰にも絶対マネできない
何がタイだ中国だ インド ベトナムもいいけど 
そんなの そんなの関係ねぇ
 全然全然関係ねぇー
・・・と来るのである。

 この曲は我ながら中小零細製造業の立場、状況、そして向かうべき道を示していると思う。
 金正恩委員長が核やミサイルを必死で開発したように、我々中小零細は必至で「他ではできない・やらない」仕事を受け、どこにもないような技術を確立して行かなければ、生き残れないということだ。

 私はやはり10年前に刊行した本「立ち上がれ中小零細企業」にて力説したように、世界の中で日本ほど「モノ造り」に適した国民はいないと信じている。
 よく世の中の趨勢で、もはや日本はモノ造りをする国ではない・・・などと語られることがあるが、私の考え方はそんな50年、100年の時代の変遷からくる話ではなく、1万年、2万年前の縄文時代から培われてきた「日本人の特性」からの話だ。

 縄文時代の我々の祖先は、狩猟民族であり、自然の中でなっている木の実や海や川の魚や貝類、そして時々はイノシシのような動物をみんなで協力して捕らえて食べたりしていたようだ。
 驚くことに、その1万5千年以上もの長い間、全く争いの跡が見つからないということだ。
 その後弥生人が入ってきて争うようになったリ、稲作が始まったりしたようであるが、稲作でも、「結いの精神」というものがあり、大変な田植えや稲刈りをみんなで助け合いながら共生してきたようだ。
 確かに時代の変遷というものはあるか?と思う。
 私の子供の頃は、隣近所は皆助け合って生きていたが、今はそれほど親密では無くなってきている。
 東京のマンションなどは、隣の人はまだしも、2軒先位になると全く他人になってしまうことが当たり前だ。
 しかし、以前にNHKのEテレの「サイエンスZERO」で、現在の日本人でも縄文人のDNAが10~20%位入っている。そしてこの縄文人のDNAはアフリカに端を発する人種を辿ってみても、大変特殊で一体どこから来たものか解明できない・・・と聴いてから、わたしの考えは益々固まって来た。
 東日本大震災時に世界を驚かせた日本人の助け合いのシーンとか外国人が日本に来て感動する「おもてなし」とか「おもいやり」の精神は2万年も前から培われてきたものであり、50年、100年のスパンの変遷で壊滅してしまうものでは無い。
そして「モノ造り」の原点は、コツコツコツコツである。
そして「人の和」である。
これからいくらIT化が進み、ロボット時代が来ようとも、それを考えたり動かしたり、モノ造りの原点であるコツコツ精神が、それらを進化させるためには必要だということである。
私は何度でも言うが、農業を含め、日本はモノ造りを中心とした方向を取らない限り、世界の中でその存在感を示し続けることはできない。
ただ安いモノだけを造るのであれば、これから北朝鮮と一緒になってしまうかも知れない韓国に負けてしまうだろうし、金融だ、観光だ、インターネットだ・・・といくら頑張ってみても、とても世界の強豪には太刀打ちできない。
ただ、「モノ造り」・・・それも本物の「モノ造り」であれば、日本にかなう国はまずない。

 そんなモノ造りの国日本にあって、我々中小零細は今日も地を這いながらそれこそアリのように働き続けている、

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ランチェスター戦略「弱者逆転の法則」

久しぶりにセルコが日本実業出版社の一冊の本に取り上げられた。
もっともこれは、9年前の私の著書「立ち上がれ中小零細企業」を読んだコンサルタントで著者の福永雅文氏より5年ほど前に取材を受け刊行された同名の著書の新版である。
その本では「小さなNO.1企業」の45社に選ばれたが、今回もまた53社のうちの1社に選ばれ、内容は殆どその当時の内容だが、最近の当社の状況も書き加えられたものである。
著者も以前言っていたが、私は「ランチェスター戦略」ということを一度も勉強したことはないが、私のやっていることが、このランチェスター戦略そのものだ・・・と云うことらしい。
・・・と云うことは、もしかしたら、私が独自に考え、実行していることは、かなり理にかなったことであり一つの戦略をなしているということになるのかもしれない。
 この本の要約をしてみると、「弱者逆転の法則」として、勝てる土俵で圧倒的に勝つこと、そしてその法則は「差別化」×「集中化」×「接近戦」ということだ。
 なるほど、そう言われれば当社の方向性は、それにかなり似通っている。
 まず、差別化は10数年前からのコイルの「高密度化」と云って、とにかくきちっと巻くことにより、他では追随できないレベルまで巻き上げ、そのうえで更に圧縮し、占積率を丸線ではそれ以上ない最高のレベルまで引き上げること。
 また、平角線においても、時折他社の巻線も見ることがあるが、当社の平角巻線は群を抜いて美しい。
 そして集中化は、すべてをこの高密度コイル及び高密度コイルの曲げ技術、モールド技術を駆使した特殊技術に集中してきたことが、こちらも他社を圧倒する技術となっている。
 そして接近戦である。
 接近戦というのはいかにお客様に寄り添い、お客様のニーズを掴み、このコイルにまつわる技術はもっとも効率が良く最もコストを抑えた方法を提供すること。
 これは私の名刺に刷り込んだ「コイル&コイル周辺技術のソリューションパートナー」という言葉に集約されるかと思う。

 またこの本には「弱者が強者に勝つ5大戦法」として
① 弱者は狭い市場で大きなシェアを!・・・・・「局地線vs広域戦」
当社は一般的なコイルは捨て、高密度コイルと言う非常に狭い市場で勝負している
② 弱者の新規開拓はオンリー顧客を狙え・・・・・・「一騎討ち戦vs確率戦」
業界の中で最初に当社を選んでくれたメーカーに恩返しの意味も込めて、最高の技術を提供する。したがって、当社を選んで戴いた顧客はその分野でトップ企業になる確率が高い。
③ 弱者は消費者・エンドユーザーに接近せよ・・・・・・・「接近戦vs遠隔線」
できるだけお客様の設計段階から開発に参加させて戴き、極力その顧客のニーズに合わせ、効率が良い或いはできるだけコストを抑える等の技術を提供し他社との差別化を図るアイデアを提供する。
④ 弱者は1点に集中する覚悟をもて!・・・・・「1点集中主義vs総合主義」
所詮小さな会社であり、あれもこれも大企業のように手を広げるわけにはいかない。必然的にカテゴリー別にできるだけ当社の強みを活かせる方向に進んでいる。
⑤ 弱者は敵に味方の攻撃意図を知られるな・・・・・・・「陽動作戦Ⅴ誘導戦」
ここは何でも思ったこと感じたこと起こったことをブログに書いてしまう私の最も弱い部分か?と思うが、意外に読んでいるみなさんの裏を書いていることもあったりするかも?

とにかく、自分がやっていることが他者に、しかもプロのコンサルタントに認められるということはうれしいものだ。
 実際に今、当社に舞い込んで来る話は、当社が目指しているような種の引き合いが非常に多くなってきている。
 私の脳裏に今から10数年前に「これだ!」と閃いたひらめいた「高密度コイル」が、今では世の中で普通に使われる言葉となり、当社は更に今「高密度圧縮成型コイル」というコイルを自在な形に圧縮成型し設計者の思うスペースにコイルを詰め込めるという画期的な方向を打ち出し、他社からの追随をかわそうとしている。

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白内障手術

 逆流性食道炎、インフルエンザと来て、白内障の手術と、これまで全く医者要らず、薬要らずだった私が、ここのところスッカリ「医者と薬の日々」になってしまっている。
 20数年前と違って今では、お医者と薬屋さんがはっきりと分離されているし、お薬手帳なるものもあって、薬同士のバッティングも防げるようになっている。
昔の医療システムとは大分変わったことも身を持って知った。
 白内障は、だいぶ前からあったのだが、一度メチャ混んでいる眼医者さんに見てもらった時は、未だ手術するところまで行かない・・・と言われ、そのまんま数年、このところ乱視もあることから、本やネットの文字が読みにくくなるし、人間ドッグの視力検査でも、両目が0.3という情けない視力になって来ていたため、たったの15分、日帰りということで、これは早く手術した方がいい・・と思ったのであった。

 どこでその手術をするか?と考えていた矢先に、日経新聞上に「人生が変わる白内障手術」という本の公告を見つけた。
 早速買って読んでみると、
 この山崎健一朗というお医者さんは、日本初のレーザー白内障手術を実施した人であり、場所も大宮にあり、もともと東京でやろうか?と思っていたため、大宮の方が近い・・・ということで試しに診てもらうことにした。
私の女房も白内障が進んでいるようだったので、二人で出かけた。
そこで先生に言われた言葉はちょっとばかりショックだった。
二人とも、ひどい白内障と、これまたひどい乱視で、夫婦そろってこれ程、両方ひどいのは非常に珍しいケースだということだ。
 結局、最初の受診から4ケ月後の、2月2日(土)と2月9日(土)で片目ずつ手術することになった。
 但し、このレーザー手術は多焦点レンズを使うとメチャ高い。
 片目100万円、両目で200万円。社会保保険は効かない。
 たまたま私の方は生命保険に入っており、その対象となったため良かったが、女房の方は200万円、ガッツリと払うことになった。
 まさか、私だけ多焦点レンズで、女房は社会保険対応の普通のレンズで・・・と云うわけにも行かないため、大きな散財と合い・・なった。
手術はほんの15分・・と云うことだけを聴いていたが、手術前には最初の検診と合わせて2回大宮行き、そして目薬も3ケ月程、毎日両目で3種類づつ注さなければならず、かなり大変。
一日3回はいいとしても、5分位づつ置いて3回注すというのも結構、大変だ。
そしていよいよ、手術当日が来た。
その日は夫婦で大宮に泊まることにして大宮から東武野田線で4つ目の七里
駅にある七里眼科に向かった。
その日は手術用の目薬を2時間前から30分おきに手術する右目だけに3本注さなければならない。
そして、病院に着くと、また目薬を何回か注され、手術直前には、白衣を期せられ、キャップをかぶせられてから麻酔用の目薬を注されて、手術室に入る。
最初にズレないように眼に紫のしるしをつける。
眼は器具によって大きく開かれ固定され、麻酔が効いているため痛くはないが、何か目玉に当たったような感覚はあった。
また、メスで眼のふち辺りに穴を空ける。これもちょっとちくりとしたような気がした。
そしてレーザーによる水晶体の破壊だ。
これは、まるでプリズムのように光が、ごちゃごちゃとうごめいた。
ほんの20秒くらいで済み、それからベッドを移動し、今度は、この空けた穴から細いノズルを突っ込んで水晶体の潰れたモノを吸い出す。
手術をされている本人は、やはり明るいライトで眼の前が光に覆われている。
この濁っていた水晶体の砕けたモノをきれいに吸い出したところで、人口のレンズをスボメながら、その穴から挿入し眼球の中で広げる。
こちらの方は、光の中で色々とうごめいているが、多焦点レンズは、幾重にもワッコがある。
このワッコの数を目で追い7つまで数えたところで、先生が、「目を動かさないでください!」と注意されてしまった。
乱視の患者は、このワッコのついたレンズを、眼の中で動かしながら、乱視を矯正する位置に合わせる。
手術は手術室に入ってから20分程で終わった。実質15分は間違いない。
何で、私が手術の詳細がわかるのか?というと、実は私の前に女房が手術し、その様子を、隣の部屋のモニターで看護婦さんの解説付きで、良く見えたからなのである。(目の上のカメラが写している)
これを見た後で、手術すると、自分が今何をされているのかが良く分かり、余計な心配をしないで済む。
 手術を終え、眼帯・・と云うよりも大きなガーゼを右目を覆い、茶色の絆創膏でべたりとおでこから頬にかけて幾重にも貼られた格好で、一人ならともかく、二人で大宮の街を歩く様は、どう見ても異様な光景だ。
 それでも、ズーズーしくレストランで食事をし、埼玉新都心のホテルで一泊し、次の日の10時に病院に行きガーゼを取った。
 女房は「嗚呼明るい!」と」言って喜んだが、私はまず、ガーゼをとっても瞼が、目ヤニでしっかりくっついて眼が空かない。
 看護婦さんが時間をかけ目ヤニをふき取り、やっと光が見えたが、目ヤニがべたべたで、とても良く見える・・と云う状態では無かった。
 先生の方は、ちょっと眼圧が高いが手術は問題なく成功しているので、時間と共に良くなるから・・と言うが、結局、帰りの電車の中で、眼にゴミが入った時のようにゴロゴロし、とても痛く、目ヤニと涙のオンパレードで、とても目を空けてられない。
 そんな状態が結局、昼食が済み、帰りの電車の中まで続いたが、その内にどうにか収まった。

 翌日は日曜日で休日、
 その翌日、会社へ普通に出て行った。
 前の眼鏡をかけると、手術した左目も結構見えるようになって来て、調子に乗って、たまっていたメール仕事を精力的にこなして、夕方、今度は右目が異様に痛み出した。
 左目も酷使し疲れたため両目が見えないような状態となった。
 右目が真っ赤だと周りの人達にも言われた。
「これはえらいことになった!」と内心思った。
 そしてその原因は、私が手術直前に点ける目薬を間違えて、右目に何回か点けてしまったためかと思われる。
 瞳孔を開く目薬を点けておいて、文字を一所懸命読んだため、眼に炎症が起きたモノかと思われる。
 これも一晩経つと収まった。
 次の土曜日は今度は左目の手術だ。
 今度も女房と埼玉新都心の同じホテルを予約し、いそいそと出かけた。
 またしても、事前の2時間前30分毎の目薬で往生した。
 最後は、つじつまを合わせるために、目薬の点けどうしとなった。
 看護婦さんの話では、やはり年寄りが多いため、間違えて逆の目に注して来た人とか、全く何もしてこなかった人もいたとか・・聴いて一安心した。
 私の方は、前の時よりもスムースに手術が済み、左目の方がなんとなく旨く行ったように感じた。
 この病院、凄く込んでいる。
 看護婦さんが、数えたら、カウンターに10人並んでいて、全部で30人位はいるようだ。
 その看護婦さんが、全員、凄い勢いで動き回って仕事をこなしている。
 患者さんは、悠に100人位はいそうで、外の待合にもいっぱい、中の待合にも腰掛が見つからない程、わんさか患者がいる。
 また検査装置も半端ない。
 例の首を乗せておでこをつける装置が、ずらっと並んでいて、あっちの装置、こっちの装置で検査され、その結果を先生が観て、診断を本人に云う。
 一応、その診断結果としては、二人両目共、全く問題なく旨くいったとのこと。
 後は、周りの明るさによって瞳孔が開くのを防ぐためと紫外線除けのメガネが必要とのことで、これを3万円で買うことになった。
 その前に、右目手術終了後に、眼のガーゼを取った後、ゴーグル状の誇りが入らないメガネを2800円で買わされたが、その後、ショッピングセンターの300円ショップに、同じようなゴーグルメガネが売っていた。
 何かと、お金のかかる手術なのだ。

 お金がかかる・・といえば、術後の検診が翌日と、その翌翌日、そしてしばらくは1週間毎に行かなければならないなどと言うことは聞いて無かったので、それを聞いた時にはエライところで手術をすることになったな?と後悔したが既に遅かった。
 2人で大宮へ新幹線に行くだけでも、いくら大人の休日倶楽部で3割引きでも結構な金額がかかり、これが、1度、2度ならず、5度、6度と重なれば、結構な金額に膨れ上がる。目薬代も結構、その度にかかった。
 まあ、その時の昼食代とかホテル代とかは、どうにか別個に考えられなくもない。
 帰りの東武野田線で、ゴーグルメガネをかけた二人で、空いていた席を一つ見つけ、女房に座らせようとしたら、その隣にいた青年がスクっと立ち上がって、「お二人どうぞ!」と席を譲ってくれた。
 私はこれまで、電車で席を譲ったことはあったが、譲られたことは無かった。
 その青年から見れば、この二人は既に老夫婦に見えた・・・と云うことか?嬉しくもあり、寂しくもあり・・・の一コマであった。

だんだん眼が慣れて見えるようになって来たから、まぁいっか!!

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