ゴージャスなペンション宿泊・・・ビクトリア

 ”カナダ ビクトリア”・・・とウィキペデイアで調べると・・・。

 1700年代にヨーロッパ人が入植するまでは、先住民族の海岸サリシュ族の居住地域であった。1843年、ハドソン湾会社の手によって作られたフォート・カモザン(Fort Camosun)が起源。のちにフォート・ビクトリア(Fort Victoria)と呼ばれるようになり、1849年、バンクーバー島がイギリス植民地となってからはその首都となった。1858年にブリティッシュ・コロンビア本土に金鉱が発見されると、その補給基地として発展。1866年に本土のブリティッシュ・コロンビア植民地と統合されても、ヴィクトリアは首都の地位を保った。1871年、ブリティッシュ・コロンビア植民地がカナダ自治領に加入してからは、ブリティッシュ・コロンビア州の州都。

・・・となっている。

 午後6時発のフェリーで約1時間、降りてからまた約1時間走って、目的のビクトリアの高級ペンションを目指す。
 レンタカーにはカーナビらしきものは付いているが、操作方法が良く分からないため使えない。
 住所を頼りに街からちょっと外れた住宅街を走るが、それらしき建物は一向に見当たらない。
 私もスマホのGoogleの地図を見ながら、この辺だあの辺だとやるが、なかなか定まらない。
 30分ぐらい彷徨っているうちに辺りは暗くなり、なおさら分かりずらい。
 そうこうしているうちに、そのペンションから電話が入った。
 ペンションには予定の時間からかなり遅れてチェックインする旨は、兄の奥さんから電話で知らせてあった。
 しかし、それにしても遅いため、恐らく迷っているだろうということで、電話をしてきたのであろう。
 その通り、30分以上、行ったり来たりで全く訳が分からなくなっていた。
 場所を告げると、そのままそこに居てとのことで、待っていると乗用車でご主人らしき人が迎えに来てくれた。
 車の後を付いて行くと、今までうろうろしていた通りを行き、細い路地を曲がって、その先が目指すペンションだった。
 このペンション、奥まった場所にあり、看板も普通のホテルの様にネオンが付いている訳でもなく、シャレた小さな字でペンション名が書いてあるだけなので、夜に車で探しても全く分かる訳が無い。
 ちなみに、その場所は、最初に車を運転する兄が、当たりを付けて入ってきた通りの直ぐ横であった。

 このペンションが、また格調高く、ビクトリア風というのだろうか?家の造りから調度品から全てが素晴らしい。
 兄達も、カナダに住んでいた頃は、何度もビクトリアには来たが、このような高級ペンションは一度も泊まってないため、今回は招待旅行ということもあり、費用のことは二の次で申し込んだとのこと。
 姉の部屋は、入って直ぐの部屋だったため、早速覗いてみたが、家具からベッドから壁にかかっている絵から何から何まで昔のヨーロッパの王朝風で凄い。

 ペンションの凄さとは裏腹、この日も未だ残っているカップヌードルをみんなで食べた。
 
 我々の部屋も、3つの部屋に分かれており、真ん中の部屋が食堂になっていて、私がパソコンで仕事をするのにちょうどいい。
 仕事の関係で、色々メールが入るが、日本とは正確には16時間遅れで16時間足すと日本の時間になる。
 手っ取り早く日本時間を知る方法は、8を引けば良い。
 午後4時頃から夜の1時頃が日本の会社の稼働時間帯となるため、メールでやり取りしていると、決まって夜中に突入してしまう。
 会社では、新規の大量受注の注文が確定したと大童状態のようだ。
 この仕事はタイの兄の工場で生産することになっているため、こちらではトップ会談を毎日している。
 大量受注は結構であるが、管理面で体制が整っていないと、様々な無駄が発生し、余計な経費が結構嵩み、また立ち上げ時は材料の仕込み等で資金的にきつくなるため、ビンボウ会社の当社は金策が大変だ。
 新規の安定受注に向け、銀行も簡単に貸してくれるか?というと、そう簡単ではない。
 経営計画書を出し、その数字の信ぴょう性、様々な資料のつじつまが合っているか否か?等々のチェックが厳しく経理担当も四苦八苦の状態。
 資金的には未だ余裕の兄の方は「これからという時に会社を潰すなよ
!」の一言。
 
 せっかくの夢の旅行も、一気に現実に戻ってしまうが、一旦、車でドライブが始まってしまえば、そんな世俗のことはすっかり忘れて写真撮影に夢中になる。
 海辺の眺望のよい場所には、カナダの大金持ちの豪邸が立ち並んでおり、道路側からは門と庭が見える程度で、後は想像するしかなかった。
 そこから、ブッチャートガーデンというフラワーガーデンに向かうことになったが、どこかで道を間違えて、どうも違う方向に行ってしまったようだ、
 Uターンのついでに、海岸の方に降りると、アシカが沢山いた。
 「ヒュー!」っと声を出すと、一斉にこちらを向くため、何度かやって写真を撮っていると、どこからかおばさんが現れて、あまりそういうことはしないように・・・とたしなめられた。
 引き返し、今度は慎重に道を辿って、どうにかその有名なフラワーガーデンに辿りついた。
 
 私は、余り花とか芸術品とかの趣味、素養が無く花の鑑賞とは無縁の人だが、ここの花はハンパじゃない。
 花が好きな人にはたまらないだろう。
 これもネットで調べると・・・。

「かつては石灰石の採石場で、その荒れ果てた姿に心を痛めたブッチャート夫人が始めた、という心温まるストーリーを持った庭園は、100年を超える年月を経て、世界にその名を知られる大庭園になっています。
採石場跡の歴史が見てとれるサンクンガーデン、ローズガーデン、日本庭園、イタリアン・ガーデン、地中海庭園が広がる園内は、四季を通して常に花壇が保たれるように、大勢の庭師により徹底管理されているため、どの時期に訪れても美しい庭園を楽しむことができます。」

「庭園を充分堪能するだけでも少なくとも1時間半~2時間はかかる。また、入口付近に併設されているギフトショップでは、お花を使ったエッセンスオイルや石鹸、フラワーモチーフのマグカップや花の種など、お花好きにははしゃぎたくなるようなお土産を取り揃えているほか、The Dining Room Restaurantでは庭園を見ながら人気のフラワーランチやアフタヌーンティーが楽しめ、1日中居ても飽きることはありません。」

 ・・・と言うことであるが、レストランのパンはやはりそれなりで,旨いという程のモノではなかった。
 
 もっとじっくり広大な庭を見たかったが、途中で結構凄い雨が降り出してきたため、急遽お土産物屋さんに飛び込んだ。
 お店には色んなモノが売っており、兄達は結構高額でセンスのいい鉄製の壁飾りを買い、私はちょっと気に入った帽子が見つかったため購入した。

 翌日は、いよいよ旅行最後の日。
 この日は朝から街に繰り出した。
 駐車場で大分苦労をした。
 ビルの下に駐車場が結構ある。
 最初に入ろうとしたら、車の屋根の高さが足りなくて、車のキャリー部分が天井の高さ制限に引っかかる。幸いストッパーがフレキシブルになっていて車には傷はつかなった。
 次の駐車場は高さ表示がちょっと高かかったので、どうかと思ったが、やはりぶつかる。
 街の中をグルグル回りながら駐車場を探し、結局、ちょっと離れたビルの駐車場ではない普通の路地の駐車場に入れた。
 
 この街は、バンクーバーの街とまたちょっと違い、古い建物が立ち並び英国文化が色濃く残っている。
 メインは何と言ってもハーバーの正面に位置する荘厳な二つの建物。
 一つは、兄達がいつも泊まっていたという「エンブレス・ホテル」と歴史あるブリティッシュ・コロンビア州の「州議事堂」。

 このハーバーには午後行くことにして、午前中はお土産を買い込もうということになり、まずはデパートに入る。
 ここで私はなぜかパジャマを買った。
 以前に海外で買ったパジャマが私にピッタリで、10年来ずーっとそれを愛用しており、その後何回も日本で買うが、なかなか気に入ったモノがない。
 そこで「海外」=「私の気に入るパジャマがある」・・・と言うようなトラウマと逆の感覚が働いたものと思われる。
 今のところ、こちらに戻ってからは急速に寒くなってしまい、夏物のこのパジャマの評価は来年の夏に持ち越しそう。

 お土産物屋に入る。
 しかし、メイプルバターがジャスパーのスーパーが一番安かったということで、お土産はここでもスーパーに行って買おうということになった。
 私は年末の忘年会で毎年エルビス・プレスリーをやるが、このサングラスが壊れてしまっており、カナダ上陸後ずっと探していたが、ようやくまぁま
ぁのモノが見つかったため、多少高かったが買った。
 
 スーパーは日本ではすぐに見つかるこの街ではスーパーがなかなかみつからない。

 スーパーと云えば、私は女房が脚を折り入院している間に一人でスーパーに行かざるを得なくなった。
 結婚後一人でスーパーに行くことはまず無かったし、女房と行ってもなにせ買い物を選ぶ時間が長いため、あの底冷えする寒いスーパーには出来るだけ近づかないようにしていたためだ。
 そして一人でスーパーに行って思った。
 私もこれで立派な「スーパーマン」になったぞ・・・と!?

 話をビクトリアに戻そう!
 
 結構な距離を走って郊外まで行き、ようやくスーパーらしきところへ入
ったが、肝心の標準となるメイプルバターは置いてないし、お土産になるようなモノが余り置いてない。
 観光の街としてお土産と生活用品との売り仕訳が徹底しているのか?それは私の推測にすぎないが・・・。

 そこからまたビクトリアの街に戻り、ショッピングモールがあったため、日本的感覚で当然スーパーも併設されているだろうと思い入った。
 ここのショッピングモールでは、兄と私が靴にハマり、結局二人とも、カジュアルな布のシューズを買い込み、そのまま履いて歩くことにした。
 
 かれこれお昼になると言うので、日本でもよくあるファーストフードが立ち並ぶフードコートで食べようということになった。
 それぞれがそれぞれ自分で美味しそうなサンドイッチやら、ハンバ‐ガーを選んだが、「これは旨い!」というような声はやはり聞かれなかった。

 午後は、例のハーバーに行く。
 ここはビクトリア最大の観光スポットで人が沢山いたが、最盛期にはとても歩けないほどの混雑になるとのこと。
 港の周りを色んな露天商が立ち並び、それもこのハーバーの景色の一つとなっている。
 ギターで歌っているオジサンがいたため、ギターケースにコインを投げ込むと歌いながらニッコリした。

 日本人で絵を書いて売っている人がおり、兄がその人と話込み、この辺の景色を織り込んだ絵を兄は買い込んだ。
 私はこの貴重な時間を逃さず、50倍ズームのミラーレスのカメラで、シャッターチャンスを狙う。
 果たして、とても美形の女性がカメラに納まった。
 こちらの女性は中年になると皆さんぶくぶく太ってしまって見る影もないが、若い人で綺麗な人は結構いる。


 やがて、夕方になってきた。
 最後の晩餐は何にしようか?ということになった。
 姉は、日本食でお寿司が食べたいという。
 しかし、私はせっかくカナダまで来て最後に日本食というのは如何なものか?と思い、未だ時間があるためどこか気の利いてそうなレストランを探して美味しいディナーを食べようと提案した。
 これまで裏切られ続けてきた”カナダの食”に最後の望みを託し、ハーバーの近くのレストランに入った。
 結果的には、「またしても!」ということになった。
 姉の言うように無難に寿司にしておけばよかった・・・のかも知れない。

 ”最後の晩餐”には見事失敗してしまった。
 さて、明日はいよいよ帰国の途に就く。
 二週間というなが~い旅行もエンディングを迎える。 

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時間の観念の全くない列車

前日の2時間遅れの列車の確認をしたら、何と今日は4時間遅れになっているという。

 その次の日程は、バンクーバーからビクトリアへレンタカーを借りフェリーに乗ることになり、そのフェリーがシーズン中は予約をしないと乗れないことがあるということで、兄の方で予め十分に余裕時間を取って予約をとってあったが、4時間の遅れでは余裕時間の域を超えている。

 朝、案内のカウンターに黒人のお兄さんがおり、唯一のイングリッシュスピーカーの兄の奥さんが頼むと、快く予約の変更をしてくれた。

 バンクーバー9時42分着で12時発のフェリーを5時間ずらして午後5時のフェリーに変更した。

 それにしても、この列車、午後2時前の出発が夕方の7時近くになるため、このジャスパーで一日待ちぼうけになる。

 こういった場合は、その時間を利用してどこか一日観光とかという気分にはなれない。

 結局、ホテルをチェックアウト後、駅まで行き駅で大きな荷物を預け、街をぶらぶらする。

 この街もバンフに負けず劣らず小さな観光の街で10分も歩けば店が無くなってしまう。

 最初はじっくり駅前に並ぶお土産物屋さんに入り、お土産を見つけて歩いたが、どの店も同じようなモノが置いてあり、やがて飽きる。

 スーパーがあって、そこがカナダの特産メイプルバターが一番安いと、お土産に沢山買い込んだりした。

 公園があったため、ベンチに座って待つが、結構肌寒いため、手荷物を置いて代わりばんこに、アチコチの店などを覗いたりした。

 やがてお昼の時間となる。

 ガイドブックに日本料理の店があるため、そこへ行こうということになった。

 日本人のオーナーらしき人が厨房にいて、金髪の若い娘が、お茶を運んできて注文を取っている。

 大変かわいらしく愛想もいい。

 よくよく見ていると同じ服を着て同じような顔の女の娘が二人いる。

 恐らく、姉妹か双子かどちらかだろう。

 ここでウドンとか寿司を食べたが、ここは結構美味しかった。

 何せめったに美味しいモノが無いから、ちょっと普通(日本のレベルで)の味に出会えば、最高に美味しく感じるという状況でもあったが・・・・。

 その可愛いウエイトレスのお姉さん二人にお願いして写真を一枚パチリ。

 この店が待ちぼうけ中の最大のヒットとなった。

 その先にパン屋があるとガイドブックにあり、探して歩いたらすぐに見つかったが凄い混雑。

 その夜の電車の中の夕飯用にその列を作るパン屋さんのパンを沢山買い込んだ。

 後はやることもなく、駅の待合室を陣取りひたすら待つ。

 それでも・・・と思い、私は抜け出して街に行き、シャッターチャンスを狙うが、これと言ってカメラの被写体になるような風景や建物も少なく、なかなか時間は潰せない。

 4時頃、駅員が一枚の貼り紙を持って来て掲示板に貼った。

 4時間遅れがもう2時間6時間遅れになるという貼り紙だった。

 最終的には13時40分発が、7時間近い遅れの夜8時半発で列車が出発した。

 夢の大陸横断鉄道かと思ったがエコノミー車両はえらく古く、とても「夢の・・・」という表現は使えず、おまけに一番の前の席でトイレが目の前、それもあちらの常識では、中に人がいるかいないか分からないため、ドアは開けて置くのだとのこと。

 ここで20時間近く過ごすのかと思うとちょっとうんざり・・・と云う感じであった。

 座り込むと早速あの行列のできるパン屋さんのパンに食らいついたが大して美味しくない。なぜあの店にあんなに行列ができていたか?不思議だ。

 みんなの意見は、「他にパン屋さんが無いのでしょう」ということだった。

 その夜は、どうにか疲れも手伝って眠りについた。

 朝目が覚め窓の外を見ると、谷と谷の間を川が流れ、その川沿いにこの鉄道が走っている。

 時々150両近くあるながーい貨物列車がすれ違う。

 短いトンネルがいくつもあり、同じような景色が延々と続く。

 朝飯は食堂車で食べようということになり、荷物があるため順番に行こうということになった。

 食堂車までは何両も歩く必要があり、いちいち重い引き扉を開けたり閉めたりしなければならない。

 また寝台車の車両の通りは狭く、大きな外人とはとてもすれ違えないため、結構歩くだけでストレス。

 私は兄夫婦が最初に食堂車に行くと言うので、一緒に視察がてら行ったが、途中で引き返すのが嫌になり、途中の人がいない車両・・・恐らく軽く食事やお茶を飲むための車両であると思うが、フリーの車両があったため、そこへ座って、兄達が食事を終わり、女房や姉と交代するのを待っていた。

 ところがその車両にパンと飲み物が置いてあり、時々乗客らしき人達が来て食べたり飲んだり持って行ったりしているため、私もそこのパンと飲み物を戴き、朝飯とした。

 タダだからうまいとかまずいと言う話は無しで食べた。

 バンクーバー到着は4時だという。

 4時に到着し、バッグを取り出してからタクシーに乗り、街のレンタカー屋に行き、そこからフェリー乗り場まで行くと5時のフェリーは殆ど無理であった。

 結果から言うと間に合わなかった。

 途中で3時15分頃にはバンクーバーに着けそうと言うような情報が入り、みんなで喜んでいたが、確かに3時過ぎにはバンクーバーの近くまでは行ったが、そこからがいけない。

 列車がスロ-なったり、止まったりで、なかなか進まない。

 そこへ持って来て、何の都合があったのか、逆に後ろにスィッチバックをし始め、そのうちに前に進んだりしていて、列車が定まらない。

 最終的に4時15分頃下車し、急いで駅舎に向かいバッグを待つが、これが待てど暮せどなかなか出てこない。

 20分ほど待ってようやく出てきたが、女房の車椅子がなかなか出て来ない。

 兄夫婦は、先にバンクーバーの街中のレンタカーの店に行き、我々3人が残ってこの車椅子を待った。

 最後の最後まで待ったが、結局出て来ない。

 バッケージクレームの紙は兄夫婦が持って先に行ってしまっているし、私の英語力で交渉しても自信もないので、女房と相談し、この車椅子は殆ど必要もも無いため、ここに捨てて帰るということにした。

 日本では、あの超スピード、超過密ダイヤで走る新幹線が1分たりとも狂わないのが当たり前であり、ちょっとでも遅れたら、構内放送でうるさいほどのお詫びと状況説明が行われるが、今回のこのカナダの現場では、構内放送は無し、掲示板に手書きで何時間遅れると何度も表示されるだけ、乗客もこれが当たり前かのように抗議をする人も無く、おとなしく列車が来るのを待っている。

 列車に乗ってからも、乗務員の態度が我々黄色人種への差別が未だあるのか非常に態度が悪い。

 結局、遅れたからという理由で、お昼にそんなに美味くもないパンと飲み物とお菓子を配給しただけで、何の悪びれた様子も見られなかった。

 私は、カナダは先進国だと思っていた。

 中国の航空便は2時間や3時間は当たり前で遅れ、5,6時間ということもたびたびあったが、先進国カナダがまさか一日一本という列車が6時間も遅れ、しかもそれが当然の如くに行われている事実は、私にとっては驚愕的な出来事であった。

 日本が世界の中であまりにも設備面、対応面、ホスピタリティ面等のインフラが整い過ぎているのか、たまたまこの長距離列車に限っての出来事だったのかは分からないが、海外旅行中の6時間という貴重な時間をさしたる理由や説明もなくただただ持って行かれてしまったということ体験は、中国ならあきらめもつくが、先進国カナダでは如何なものであろうか?

 たまたま日経ビジネスに日本の鉄道事業のグローバル化の記事が載っており、これを読んでいたら、面白い記述があった。

 川崎重工の米国での鉄道車両のシェアが首位の米国企業を追い上げる第二位で23%を占めるということだ。

 その中の記述で「米国では保証期間が過ぎた後、車両が故障した場合、欧米ではすぐに弁護士を送り込んで来るが、川崎重工は保証期間か否かに関わらず、故障時にはまず技術者を送り込み問題解決をまず優先するという。

 こんなことは日本では極く当たり前のことであるが、アメリカではとても新鮮に映り、評価され始めているという。

 このような事実は、私が常に主張し続けている「良いモノは良い。時間がかかるかも知れないが、良いモノを造り続け、地道にこれを伝え続ければ必ず、この技術は世界中に広がるだろう」ということの証明となるかと思う。

 技術立国日本は、決して焦る必要はない。どの国よりも良いモノを造り、良いサービスをし続けるならば、必ずや徐々に徐々に世界に浸透して行き、最終的には「憧れの日本製品」「憧れの日本流のサービス」となり、日本の製品も勿論、サービスも食品やカルチャーの様な文化そのものが全世界に広がるということだ。

 あの「ジャパンアズナンバーワン」の日本は、バブル崩壊後の1990年代以降の景気低迷から、「失われた10年」、「失われた20年」という時間の中で日本はすっかり自信を失い、「グローバル化」という言葉にただただ踊らされ「低価格でなければモノは売れない」・・・「だから安い労働力のある場所でモノを造る」という本物のモノ造りの精神を忘れ、日本の中核技術である中小零細製造業をバサバサ切り捨て猫も杓子も中国や東南アジアへとシフトして行った。

 今は旅行記を書いているので、この辺で話を戻そう。

 結局、5時のフェリーは間に合わず、レンタカーで6時のフェリーにどうにか乗ることができた。

 予約の5000円はパーとなった。最初の予約金3000円と合わせると、8000円がパーになったのである。

 フェリーは問題なく兄が最もお奨めのカナダ旅行最終となる美しい観光都市ビクトリアに向って突き進んでいる。

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コロンビア大氷原からジャスパーへ

エメラルドレイクで、写真を撮っていると、約束の9時半にガイドさんがやってきた。時間は正確である。

 前日と同様5人がそれぞれ車に乗り込み、一路コロンビア大氷原へ向かう。

 周りを3000m級の山々が取り囲み、途中展望台から「カラスの足」と呼ばれる氷河=「クロウフット氷河」を眺める。以前は3本の足だったようだが、その後氷河が後退し、現在では2本になっている。

 ちょうどお昼近くになり目的のコロンビア大氷原に着いた。

 すぐ目の前に大氷原が広がり、5,6分バスで行き、そこから雪上車に乗り換えるのだという。

 気温もグーンと寒くなり、持って行ったユニクロの軽いが大変暖かいダウンジャケットを着こみ、更にその上にジャンパーを着込むと備えは万全。
 

 ビッフェスタイルのお昼を食べた。私はカレーがあったため少しだけ盛って食べたが、やはりご飯の味がイマイチで余り美味しくはなかった。

 ガイドさんの案内でまずは氷原までのバスに乗り込む。

 運転手兼ガイドのお姉さんは歌手なのだそうだ。

 何を言っているか分からないがお客に発した軽快なトークに反応してバスの中が盛り上がっている。

 そのうちに運転しながら歌が始まった。

 なんと今日本では大人気の「アナと雪の女王のテーマ」でメチャうまい。この曲や映画は、こちらでもかなりヒットしているのだろう。

 日本だと、運転手とバスガイドの二人体制になるかと思うが、こちらは須らく一人で二役、運転しながら超一級の歌をお客に聴かせるところは流石カナダの面目躍如といったところか?

 あっという間に、氷原に着きバスを雪上用のキャタピラではなく馬鹿でかいタイヤの車に乗り換え、氷の上を走って行く。

 雪上車から降り立つと、そこは全くの氷というか雪の上、ところどころに融けた水が流れて小さな筋状の川になっている。

 これが下に流れて行ってあの青い神秘的な湖になるのである。

 ここの水そのモノはかなり冷たいが極く普通の透明であった。

 30分ほど、写真を撮ったり、アチコチ歩いてみたりしてバスに戻り、バスを乗り継いでロッジまで戻った。

 そこからジャスパーというカナディアンロッキーの終着となる街に向かう。

 途中大きな滝があるという。

 結構な幅もある川が急にカーブし、谷のような狭いところへ落ち込み、更に穴の空いた岩に流れ込むため、結構な迫力がある。

 そこからしばらく走るとジャスパーの街に着く。

 ガイドさんの話によると、最初に予定していた駅前のホテルが取れなかったため、同一料金でちょっと離れてはいるが、格上のホテルを予約してあるとのことである。

 ホテルは確かに悪くは無かったが駅までは遠いため、気軽に街に出る訳には行かない。

 しかしその近くにはガイドさんお薦めのステーキハウスがあるという。

 夜はそこでディナーで決まりである。

 そのホテルで、二日間我々の面倒を見てくれたガイドさんと別れ、明日は大陸横断鉄道に乗ってバンクーバーまで帰ることになる。

 ガイドさんにお礼のチップを上げると、一所懸命固辞している。

 こちらではチップを出すのが当たり前で、これが非常に面倒であったが、時々お釣りをきちっと要求しないとそのまま結構な金額をチップとして持って行かれたりするこの国で、ジェスチャーでもチップを断る姿はとても新鮮で、すがすがしく思えた。

 その後、ベルボーイのチップをどうするか?まとめて払うか?それぞれが払うか?決まらないまま部屋に入り、結局二重払いとなってしまった。

 こちらでは、「さっきもらったからいいです。」などという言葉はとても出てきそうにない。

 さて、お待ちかねのディナーである。

 多少半信半疑の部分はあったが、ガイドさんの”お薦め”を信じて、ホテルから5分位歩いてステーキの店に行った。

 運よくスンナリ5人座れた。

 とにかくこちらの料理は量が多いため、とてもひとりずつという訳には行かない。

 適当に選んでみんなでシェアする。

 最初のサラダが美味しい。

 大体料理は一品でも美味しければ後は押して図るべし・・・である。

 果たして出てきた肉は・・・・!?

 これが例の赤身の肉ではあるが大変美味しい!

 当たりだ!

 5人で3人前位で、量もちょうど良い。

 久しぶりの美味しいディナーを満喫した。

 ついでにデザートにアイスも頼んだが、これもかなり大きかったので、みんなでつついて食べた。

 翌日は、いよいよ大陸横断鉄道に乗ってバンクーバーに戻る。

 ガイドさんから今現在2時間遅れている・・と聞いていたが、明日までには戻るだろうと思って誰もあんまり気にも留めず、その夜は、美味しいステーキも食べたし、満足して明日の「夢の大陸横断鉄道」の豪華列車を夢見て早めに寝た。 

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ヨーホー国立公園

朝8時、この日は旅行社から女性のガイド兼ドライバーが大型箱バンでホテルにやってきた。

 日本人である。

 カナダには3年いるという。

 どうも山が好きで、ガイドの仕事をやりながら山登りをしているようだ。

 年恰好30前位。

 非常に対応が良く、やはり気遣いも違う。

 日本人にはに日本人が一番である。

 前回と同じように兄が前に乗り我々は後ろの席に二人ずつ座る。

 結局、このガイドさん、車に乗っている中、イヤホンマイクを付け、社内スピーカーを通じてガイドをしているか、兄と話しているか、ずっとしゃべっり放しであった。

 恐らく眠気を誘わないようにするテクニックだったのではないか?

 我々は、時差の関係があるため代わりばんこにコックリ、コックリしていたが、兄は殆どガイドさんの話を聴いたり話をし通しだった。

 この日は、車を駆使しヨーホー国立公園の湖や滝を見て回ることになっている。

 ヨーホーとは先住民族語で”素晴らしい”と云う意味だそうだが、その通りで本当に素晴らしい景色が次々と現れるのである。

 バスクルーズ最初に訪れたところはモレイン・レイクと言う、その美しさの故に且つてカナダの20¢の絵柄に採用された湖であった。

 残念ながら,行った時は殆ど霧だらけでその美しいという湖が良く見えなかったが、よっぽど我々の行いが良いのであろう、レイク・ルイーズの時と同じように時間と共に霧が上がり始め、この美しい湖とテンピークス(10の頂)という10ケの頂がこの池をぐるりと取り囲み、その風景を一層際立たせている山々も次々にその雄大な姿を露わし始めた。

 カナディアンロッキーの湖の水がなぜ、トルコブルーだったりエメラルドブルーだったりするのか?というと、氷河の溶けだした水が電子を帯び、その粒子が水中に浮遊し、光の反射をさえぎり独特の色合いを見せる。

 湖面の色は、天候により、時間帯によりブルー系の色が様々に変化するため、同じ湖でも訪れる度に色が違ったりするのだそうだ。

 そこへ持ってきて、天気の具合により雲や霧の演出も加わり、雪の季節、芽吹きの季節、盛夏の時期、そして紅葉の時期と次々と変化し、厳密に言えば恐らく二度と同じ風景は観られないだろうというこの風景は、私の様なエセカメラマンではなく、本格的に写真を撮っている人達にとっては、たまらない被写体ではないか?

 5人全員で、ガイドの女性に写真を撮ってもらった。

 このガイドの女性は、恐らく毎日毎日お客の写真を撮っているのであろう。どこではどういうタイミングでどういう構図がベストか知っているようで、その写真はなかなかのモノであった。

 次はタカカウの滝という滝に向かった。

 タカカウとは先住民族の言葉で”壮大な”と云う意味、落差380mのこの滝は「以前より水量が多い」と兄が言っていたが、この時期は氷河の氷が最も融ける時期で水量が多く迫力満点の滝だ。

 歩道があり、滝の直ぐ近くまで行けた。

 ここから、昼食のためポストホテルのレストランに向かう。

 ここはガイドさんお奨めの美味しい料理ということで期待したが、朝にバ

イキング料理でたらふく食べてしまっており、また全員それ程食べられるような歳でもないため、パスタは美味しく食べたが、大きな鳥肉はそれぞれが残した。

 デザートのスィートも結構なボリュームがあり、私はとても食べられないので、別席に似たガイドさんに食べるように・・・と持って行ったのだが、帰りに包んで”お持ち帰り”にしてくれた。

 これはその夜の例のカップヌードルパーティー時に5人で少しづつ食べた。

 ここから、道路沿いにある結構大きな湖ボウ・レイクに向かう。ここからの眺望は素晴らしく、絵葉書そのものだ。

 次はペイト・レイク・・・どの湖も氷河が融けた水でその色が大変美しいが

、このペイト・レイクはその中でもまた格別な美しさを誇る。

 夏はコバルト・ブルー、秋はエメラルド・グリーン、時間や気温、光のあたりぐあいによって刻々と変化し、午前中の方がきれいだとのこと。

 我々は午後の訪問であったが、”まるで絵の具のような・・・”と案内書には書いてあるが、本当に綺麗だ。

 「20年前より湖が小さくなった」

 と兄が言っていたが、地球の温暖化に伴って氷河も年々少しずつ縮小してしまっており、湖の水量もそれに伴って少なくなってきているのであろう。

 20年という単位は、それを顕著に表わす。

 写真をバチバチ撮り、名残りが尽きないこの湖を後にし、ここからこの日の宿泊地エメラルド・レイクへ向かうが、途中大陸横断鉄道のスパイラルトンネルが良く見える展望台に行った。

 スパイラルトンネルと言うのは、この鉄道の最大の難所で急勾配のため直線で持って行けないため、8の字型に上がって行くのだが、それが殆どトンネルなのである。

 この大陸横断鉄道の車両はとても長く、実際に数えたが130両から150両くらいまであり、そんなにスピードを出さないため踏切の通過などはメチャ長く、車は待つのを嫌って信号無視して突っ込み、結構事故があるとのこと。

 その長い車両がこれまた8の字の長いトンネルをくぐる際、先頭の車両がトンネルを出ても未だ後ろの方の車両が見えるとのことで、運がいいと実際にそのような光景が見えるということである。

 そこから1時間位走り、エメラルド・レイクに着いた。

 ここもなかなか神秘的で素晴らしいのだが、生憎雨が降り出しており、辺りは殆ど霧だらけ、ここの宿泊はロッジ形式で、私達と姉は一階と二階に分かれ、兄達は違う棟に入った。

 ロッジの中は個人まりしており、暖炉があったりして山小屋の雰囲気が出ている。

 朝晩と普通に食べたため、今晩はみんなで一所に集まり、カップヌードルパ

ーティの夜となった。

 とにかくカナダは物価が高い。

 昼間でもちょっとしたモノを食べるとすぐ3000円位はする。

 夜をディナーを楽しむと、軽く一人当たり5000円以上にはなりそう。

 そしてそれがそれほど美味しくない。

 コストパフォーマンスが非常に悪いのだ。

 兄達は恐らくそのことを知っていて、カップヌードルを買ってくるようにと言ったのだろう。

 兄弟夫婦和気アイアイの食事が済んだが、未だ8時前、雨も上がっており、未だ明るいため、私はお得意のカメラを持って湖をに向った。

 明日の朝も晴れるかも知れないが、とにかくこの晩と、明日の朝しかチャンスが無いから、ここは何が何でもカメラに収めておきたいところだ。

 明け方4時頃に兄から電話が入り、星空がきれいだから見ろと言う。

 女房と起き出して夜空を眺めた。

 雨はすっかり上がり、夜空には最近見られない大粒の星が沢山きらめいている。

 あまりにもはっきりす過ぎていて、どれがどの星座か良く分からないが、3人で美しいエメラルド・レイクで、満天の星をしばらく眺めていた。

 そのまま私はメールチェックやらしていて夜が明けてきたため、私は再びカメラを持って湖に向かった。

 昨日は見えなかった遠くの山々が見えてきて、また横にそびえる山を湖が写し、これまた素晴らしい風景だ。

 やがて全員ぞろぞろとやってきたため、写真に収め、朝はホテルのモーニングサービスにしようということにうなった。

 私はメイプルシロップを付けて食べるパンケーキを食べた。

 これは外れることは無かった。

 この日は9時半頃、昨日のガイドさんが迎えに来てコロンビア大氷原と言う大きな氷河により、カナディアンロッキーの終点となる一路ジャスパーへ向かう。

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