超特性のセンサー用コイル巻線技術(量産対応)

ボビン巻完全整列コイル

コイルの電気特性は通常、抵抗値は±5%、かなり頑張って±3%の交差ですが、当社は抵抗値±1%を実現しております。(MAX150万個/月の実績)

同一製品内に入る2つのインダクタンス公差が±0.5%というこれまでにはとても考えられないような実績があります。(MAX100万個/月の実績)

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観戦しながらの感染!?

新型コロナウィルスは、益々猛威を振るっている。
デルタ株だかインド株が上昇中で、感染者は東京3865人の過去最多、全国で1万人を超した。

オリンピックを観戦しながら感染している
・・・と云うことになる。

伝家の宝刀のように言われていた「非常事態宣言」も、今や殆ど効果がない。
みんなもう「うんざり」で「慣れっこ」になってしまってきており、全く歯止めが効かない。
政府と国民の間の信頼関係は「ほぼゼロ」状態。
安倍政権から菅政権の間に、すっかり国民の信頼を失ってしまったためだ。
最近の政府のやり方を見ていると、「どうにかその場その場を上手くごまかしてでも切り抜ければ良い」、「国民はその時は騒ぎ立てるが、しばらくすれば忘れてしまう」、「マスコミさえ押さ込んでおけば、どんな大きな問題を起こしても全く問題ない」…と云うような非常に安易な進め方が、いくらお人好しな国民でも多かれ少なかれ分かってきてしまったということだろう。
それでも支持率が30数%と聞くと、私には全く信じられない。
尤も、それでは他の政党は?と問われても、「ここ」という政党はないのも事実。

私は今でも、この国の国民は、他のどんな国よりも「良い」国民だと思っている。
以前、このブログでも説明したかと思うが、この国は縄文時代、狩猟生活を2万年近くしており、その間全く争った形跡が無いということ。
そして今現在でもその縄文人のDNAを10%~20%、わたし達の遺伝子に残っているということが、日本が世界のどの国とも違う素晴らしい特性を持つ国民だということなのだ。
子役を使って子供が街で泣いていたら1時間に何因の人が、その子供に声を掛けるか?という実験を世界中で行ったところ、日本がダントツの27人、第2位はフランスで8人だったという。これが日本人の凄くて素晴らしい所だ。

また、戦後の焼け野原からの大復活、そして”メイド・イン・ジャパン“で世界を席巻し、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”といわれ、この小さな国が世界第二位の経済大国にまでのし上がった事実を考えても、「この国はただモノではない!」と思った方が自然かと思う。
然し、最近の日本の状態は、経済状態から、国状から、とても胸を張って「素晴らしい国」といえるような状態ではない。

今、オリンピックの最中に、コロナウィルスの蔓延が絶好調!ということだけとっても、ちょっと皮肉っぽく云えば“全世界の笑いもの”ではないか?
この素晴らしい国民が、何故こんなに“みじめな状態”に陥ってしまったのか?
前々回のブログ、安宅和人著「シン・二ホン」に寄れば、
「確かに日本はイケてない。技術革新の新しい波は引き起こせず、乗ることすらできなかった。企業価値レベルは中韓にも大敗。大学も負け、人も作れず、データ×AIの視点での三大基本要素のいずれも勝負になっていない。
戦後の高度成長期から今までで最も残念な20年だったと云える。」
…と云うことで、この20年余り、一体日本は何をしてきたのか?
これは歴代政府の責任大ではあるが、わたし達日本の企業にも大いに責任がある。
世界の趨勢…特に米国と中国がどんどん進めていた、先進技術、AI技術等への取り組みが遅れに遅れてしまっていたことは、悔やんでもどうしようもない。

しかし、今回のコロナに対する政府や関係機関の取り組みは余りにも後手後手でお粗末だった。
考えてみれば、日本という国は、これまでの様々な実績からいって、世界の中でこのような大変な問題に対して、最も統一がとれ、素早く対応が出来る国のはずが、当初のPCR検査の導入・活用は全くなし、海外渡航者に対する対応も後手に回り、薬も、ワクチンも自国製はとても間に合わず、オリンピック開催国にもかかわらず、ワクチン接種が未だに行き渡っていない。
驚くことに保健所とのやり取りは、未だにFAXしか使えないとか聞くと、背筋が寒くなる。今の時代、ネットが使えないなどと言っていて、きちっとした行政対応が出来るはずがない。
PCR検査装置も、日本で色んなメーカーが最新装置を開発しても、国内は許認可の問題があり使えない。フランスで使っているというニュースも流れた。
恐らく薬が出来ても、やはり許認可問題で投与できないかと思われる。
他の国が使って自国で使えない…などと言う不合理は、このような緊急事態時にはちょっと考えられない。
ワクチンも、途中かなり調子のよいことを言っていたが、今となっては大分トーンダウンして、オリンピックの最中に、これまでに最大の感染者数を記録してしまった。
オリンピックだからといって、感染者数の歴代の大記録を出したり、金メダルを取っても、誰も喜ぶ人はいないのだ。

 

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社員を育てる

私は今まで自分は人を育てることが苦手であり、自分が気付きを得た自己啓発系の研修が一番手っ取り早い方法と思い、会社に余裕が出来たタイミングで、3,4年前から2年間に亘り、講師に会社へ出向いてもらい、社内研修を実施した。
ほぼ2年に亘り計4度、2日間、3日間社員全員が一堂に介し、丸一日研修を受けた。
費用も生半可な額ではなかったが、私はこれこそ会社が変われる一番手っ取り早い方法と信じ、費用も時間も思い切りつぎ込んだ。
この研修で、結構涙の場面が有ったり、それぞれ協力し合う場面が有ったことから、これで万々歳!と思っていた。
しかし、その研修会での最終アンケートの結果は悲惨なモノであった。
上司の問題点、会社に対する否定的な意見、人間関係の希薄さを思わせる意見等々、まるっきり予想していたものとは異なる結果が出た。
自分の思ったことをそのまま言えるようになった…と云うのがこの研修の成果といえば成果であるが、会社自体は、全くナーンにも変わらなかったのだ。

ここで私は初めて気が付いた。
人は変わらない。
変えようとしても変わらない。
また、研修とか他の人に任せて変わるようなものではない…と。

その後、私の息子(現社長)と伊那食品工業の見学研修に一晩泊まりで参加した。
そして伊那食品さんの「年輪経営」とか「社員に対する考え方」を学び、二人でこの会社も伊那食品さんのような「いい会社」を目指そうということになった。
会社目標も「みんなでしあわせになろうよ!」とし、「明るく、楽しく、健康的で、ピカピカの職場を目指そう!」をモットーとした。
また、それまで他人に任せていた採用を私が全て担当することにした。
採用に際しての採用文には、会社の理念、社員に関する考え方。この会社の将来の夢、ビジョン等を掲げた。
無料の求人サイトにもかかわらず、私の採用文を読み、当社のホームページで私のブログ、そして出版本を読んだという人が結構応募してきた。その中から或いは他の関係からも候補者が集まり、この2年半余りで合計8名の新人が入って来た。
会社の新方針発表後、派遣の人とか、契約社員の人とか、あまり会社で人間関係を作りたくない人5,6人が辞めたこともあったが、従業員約40名中、8名の新人が入ったことになる。
ここで、新人の教育が問題となる。

私は、入社したての新人と比較的若い層の人達に声を掛け、毎日会社が終わる5時15分から45分の間の30分間、「社内勉強会」を開催し始めた。
自分の社員は自分が教育する。
今迄は、外部に頼っていたが、ダメモトでいいから自分でやってみることにした。
これは教育…と云うよりも、私の考え方をシッカリ頭に入れてもらうことを主とした。
当社は、特に「セルコ」の社名の由来である「セルフ・コントロール」=「自ら考えて自ら実行する」という、根本理念があるため、もし入って来たばかりの人に何も教育せずに自由に仕事をさせると、飛んでもない方向へ向かってしまうことがあるため、初めにきちっとした考え方を心に刻み込む必要がある。
最初は15名ほどの参加者であったが、自由参加で毎日、しかも原則残業が付かないため、徐々に減り始め、最終的には数名になった。
しかし、私は私が会社にいる日は一日も欠かさず毎日やり続け、現在に至っている。
そこに残った数名が、今会社の第一線で活躍している。
今現在も新しい社員が3,4名いるが、この人達がこの勉強をより長く続ければ、次のセルコを担う人財になることと確信している。
私が教えるのは、主に「人間としての生き方・考え方」、「常に前向き、プラス発想、積極的になれるような精神基盤の構築」であり、それらに関する本や、YouTube、私の体験から来る話等で学ぶ。

たまたま、先般、人間関係の勉強をしていたら、教材に「X理論、Y理論」、「PM論」、「マズローの法則」というような昔懐かしい言葉がずらっと出てきた。
このX理論、Y理論というのは、私の大学の卒業論文の題名になった、アメリカのダグラス・マグレガー氏が唱えた人間関係論である。
X理論は、「人間とは本来怠け者であり、しっかり監視し、指示・命令し、目を離さないようにする必要があり、アメとムチを使い上手く使うことが必要である」という性悪説に基づく理論であり、Y理論は「人は本来、自ら進んで仕事を達成しようとするものであり、出来るだけ自由に動けるようにしてやることが必要である」という性善説に基づく理論である。
私の卒論の結論としては、一応、出来ればY理論に基づいた人間尊重の管理をすべきだ…と云うような曖昧な結論しか出せなかったが、これらの命題は結局私の生涯の研究テーマとなった。
PM論は、昔セルコの研修会で勉強した管理者理論であり、ラージPはパフォーマンス(指導力)が強いタイプの管理者、スモールpは指導力が弱い管理者、ラージMはメンテナンス力(優しさ)がある管理者。スモールmはそのメンテナンス力が弱い管理者。これは最終的にはラージPとラージMが双方とも強い管理者が良いということ。

マズローの人間の欲求の5段階については、未だにあちこちで出てくるので皆さんもご存知の方が多いかと思うが、要するに人間は、低次な欲求=生理的欲求とか安全性の欲求を満たされると次の欲求=社会的欲求とか、調和の欲求を求めるようになり、そして最終的には「自己実現の欲求」に向かうということ。
これら「人間関係論」というものは、よくよく見てみると、全て繋がっている。

そして私の生涯を掛けた追求の結果はというと・・・・

人は、その時の成長度合い、その時の環境、その時の状態等でそれぞれ異なっており、一概に、あの人はX人間だ、この人はY人間だ、あの人はPM管理者だ…と云うような竹で割ったような言い方はなかなか出来ない。
誰もX理論だけの人はいないし、Y理論のみで生きている人もいない。
しかし、X理論寄りの人がいたり、Y理論寄りの人はいる。
必要なことは、そこに「人は、成長するもの」という人間の本質を信じることが必要であるということだ。

管理者のPM論は更に難しい。
それは全人格的なある程度の域に達しない限り、人が人を管理することはなかなか難しい。
私は人が人を本当に管理することなど出来ない…と思っており、当社は一般的な管理者という概念を取り払った。
組織はフラット組織にし、実際にモノを造ったり、運んだり、検査をしたりする各末端担当者が最も動き易くなるように配慮した。
管理者はサポーター役にまわり、各担当のスキル不足、知識不足を補い、大きく困難な問題には対処すべく動く。社長はスーパーサポーターであり、特に当社の社長はこの会社のあらゆる製造、技術に通じており、一次は「引っ張りダコ」状態になってしまったこともあった。
しかし、それを何回も重ねることによって、従業員と社長との距離が縮まり、お互いの信頼関係が徐々に培われて行く。

マズローの説は正しいと思う。
当社は私が社長になってからの14,5年間は、とても高次元の欲求を語るような状態ではなかった。昇給無しの年も結構続いたし、賞与なしも何回もあり、低次元の欲求が満たされていなかったのだ。
しかし、ここ4,5年はほぼ安定状態が続き、2年ほど前からの「みんなでしあわせになろうよ!」の目標の下、家族宣言をし、一人として会社を辞める人があってはならない…という方向付けが、ほぼ確立されつつあるように思う。
従業員と経営者…一見、全く違う人間、全く違う人種、と思っている人が大半かと思うが、私は本質的にこの両者はあまり変わりがないと思っている。
例えば、半田作業をやれと言われても私には出来ないが、一般作業員は問題なくできるし、巻線をと言われても私は巻けない。能力的に云えば、わたしより一般作業員の方が優れている。
社長と従業員は役割が違うだけだ。
社長だからと偉ぶる存在でもないし、従業員だからとへりくだる必要もない。
ただ、先輩とか年上とか多少の気は使う必要はあるかと思うが、技術的、業務的には全く対等の人間だ。
ただ、私は社長と従業員では、「意識の差」=会社の責任を負っているという自負の差は、とてつもなく大きいと思う
逆に、従業員で「自分がこの会社を背負って立つ」という意識を持った人がいたら、それは、経営者と殆ど変わらないということになる。
これは、私自身が、この会社に平社員で入り、その後、課長、部長、取締役と職階は上がったが、私はどの役職の時でも、常に経営者感覚で仕事をしており、最終的には社長になってしまったという経験がそんなことを言わせている。

そんなことで、この2年間程で、この会社が変わり始めた。
前述のように、2年半~2年位前に入った社員が、既に第一線で活躍しており、生産管理に至っては、女性社員三人がそれぞれの得意先担当を決め、受注から納品までを全て自分の責任でやり通す…というシステムをほぼ完璧にこなしている。
それと、毎朝全員で庭の掃除をし、ラジオ体操をやってから朝礼をしているが、庭も花を植えたり、整備したりで大分綺麗になると同時に、それぞれの人達の顔が明るくなってきた。

いい会社」になるのは、もうすぐ目の前だ!

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