華為技術(ファーウェイ)が日本でスマホ生産

「情報から支払いまで全てが集約され重要な役割を担う機器=スマホは品質確保のため日本で造るべきだ」・・・と私は常々訴えて来たが、富士通が造っているという話の他には、どこも手を出そうとしなかった。
 ところが先日、日経の一面に華為(ファーウェイ)が千葉に50億円かけてスマホの生産工場建設の記事が流れた。
 この会社は以前から横浜に研究所があり、当社にも以前アクセスがあった。
 主要部品の4割は日本の部品メーカー製と言われているスマホを日本で、日本の最先端ロボット技術と生産技術、品質管理を駆使して造る。そしてもしこの会社が日本の中小の部品を使ったら本物のメイド・イン・ジャパンとなるが、この辺は、富士通も華為も詳細は分からない。
 しかし、この華為の経営者が、そこまで日本製にこだわった時は、逆に恐ろしいことが起きてしまう。
 日本のメーカーが忘れてしまった本物のメイド・イン・ジャパンが中国の企業によって成し遂げられるということになるからだ。
 私はこれまで、日本のモノ造りに関してずっと叫び続けて来た。
「日本のモノ造りはピカイチである。」「日本人は縄文の昔から受け継がれてきた素晴らしいDNAがあり、これは絶対に他の国には追随できない。」
 その根源の一部をなすものが、我々中小零細企業(いわゆる”下請け“)が造る違わぬ寸法精度を常に守り続ける”部品“なのである。
 このすばらしい部品を欠いた日本メーカーのモノ造りは結局、衰退の一途を辿るしかなかった。
 プラスチック成型品にしても、プレス部品にしても、もちろんコイルにしても、バラつきのない部品を組み立ててこそ、間違いのない、壊れない製品が出来上がるということを、日本のメーカーはもう一度認識すべきである。
 中国のメーカーに先を越されないうちに・・・・。

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卓球王国日本

  スポーツの中で私が唯一かじったスポーツは卓球である。

6月4日、ドイツで行われた卓球の世界選手権ミックスダブルス決勝で混合ダブルスで吉村真晴(23)&石川佳純(24)組が48年ぶりの金メダルを獲得した。

 以前日本は「卓球王国日本」として世界に君臨していた。

 私は中学時代から高校卒業までは卓球をやっており、性格がとにかく「象のしっぽよりニワトリの頭」の私は、勿論主将として頑張った。

 特に、高校1年生の時に県体に出場した・・と云うのが私の金字塔である。

 私の入った高校は勉強も運動も中途半端な学校であり、スポーツも殆ど鳴かず飛ばず状態で何かで名を轟かすようなことはまずなかった。

 卓球も、はっきり言って三流高であり、私が一年生で入った時も確か誰も県体に行った部員はいなかった。

 そんな卓球部で卓球をやったが、スポーツでも音楽でも「良き指導者」がいるかどうかで、その才能が伸びるかどうかが決まるが、とにかく中途半端な学校であり、先生も先輩もそこそこで指導もそこそこだった。

 私は兄が他の結構レベルの高い学校のマネージャーをやっており、時折その学校へ行って指導してもらったりしていたが、一年生にして2年生、3年生にも勝ってしまうくらいのレベルになった。

 私の一番の練習は家の車庫に置いてあった卓球台での一人練習であり、一人でできる練習と云えば、サーブの練習である。

 私はサーブの特訓をするうちに、同じフォームで3種類の球質のサーブを出せるようになった。

 そして晴れの県体をかけた地域の大会である。

 1回戦、2回戦と勝ち進み、3回戦、いよいよ県体出場をかけての試合となった。

 たまたま相手チームの選手達の傍にいたらその相手の選手は3年生だったために、私が未だ1年生ということで、既に勝ったような雰囲気である。

「おめでとう!」とか仲間に言われてまんざらでもない顔をしている相手選手を見て、内心「これは行けそう!」と思った。

 試合が始まった。

 最近は11本勝負7セットマッチだが、昔は21本勝負、3セットマッチだった。

 私は1セット目は、例の同じフォームで3種類のサーブのうち、一番オーソドックスな下に切るサーブのみを出した。

 相手はすぐにそのサーブには慣れ、1セット目は簡単に取られた。

 勝負は2セット目である。

 今度は、同じフォームで全く逆の上に切ったサーブを繰り出した。

 相手は1セット目と同じサーブだと思ってレシーブするため一向に返せない。

 その内に、完全に自分のリズムを崩してしまい、結局2セット、3セット目を私が連取して、何と一年生の私が県体出場トなったのであった。 

なぜこんなに詳しく私の高校生の頃に卓球の思い出を語ったか?というと、

卓球という競技は、非常にメンタルな競技であり、ひょんなことから間違いなく技術差があっても、こちらが調子の波に乗り、相手が意表をつかれてリズムを崩したりすると、そのまま進行してゲームセットになることもある競技であるということを皆さんに知ってもらいたいからだ。

テニスもかなりメンタルなスポーツだが、コートが狭い分、球が素早く返ってくる分、メンタルの要素がかなり強いスポーツとなる。 

・・・・・ということで、何も今回の日本選手の快挙は、ただ日本選手が調子に乗った、そして相手選手が戸惑ったというレベルではないことは確かであるが、特に若者の活躍を見ていると実力と共に多少その傾向もあるのかな?とも思えてくる。

 しかし、私がやっていた頃の卓球と、今の卓球のレベルの違いはあまりにも違いすぎる。

 恐らくあの頃の私では、今の選手が放つサーブを始め、殆どの球は取れないかと思う。50年前から卓球はかなりの進化を遂げている。

 あの球の切れ具合から、早さ、角度等々、まるっきり違う。

優勝した吉村、石川組のその他の選手も凄い活躍をしたが、やはり中国の壁は厚く、そう簡単には卓球王国復活とはいかない。

ただ昨年と今年では日本選手のレベルがかなり上がっていることは間違いない。

水谷選手を破った張本選手とか中国の女子チャンピオン丁寧選手に勝ったこともある平野美宇選手、伊藤美誠選手の成長ぶりは見事というしかない。

それにしても、中国の選手同士の決勝戦は凄かった。

 2連覇を狙うチャンプのマ・リュウに対して挑戦するハン・シントウは互角に戦い、劣勢を挽回しラストゲームへともつれこんだ。

 お互いの繰り出すサーブも凄い。

 ハン・シントウは手首を使った見るからに切れの鋭いサーブで、戻った第三球を狙う。一方マ・リュウの方は、ロングサーブを出してくる。

 私のつたない卓球経験からでも、ロングサーブというのは緊張すると台の外に飛び出てしまう確立が高いため、大事な場面ではなかなか出せないはずであるが、マ・リュウはこれを連続して繰り出して行く。

 双方共に定番となったチキータが出る。

 この猛回転して来るボールを打ち返す。

 ループと云ってフォアハンドで下の方から上にこすり上げるボールもメチャ凄いが、それを更に打ち返す。

 台に当たった横回転のボールはどう見ても横に弾いて行くが、これもものともせずに捉える。

 決まるボールは、極端に角度が付いたボールで、どうやってもラケットが届かないところに飛んでいったボールが多い。

 そんな凄い二人の卓球が、もつれもつれて最後の最後まで行ったため、否が応でも会場は盛り上がった。

 勿論、私も一人でテレビを見ながら盛り上がった。

 尤も、私は前日の夜のテレビ中継を録画して早朝に一人で見ているのではあったが・・・・。

 先般も大相撲の話の時にも言ったが、とにかく最近の日本の若い選手は凄い。

 このような超人的な中国の選手に対し、堂々と立ち向かい、一セットでも取ったりするのだから・・・・。

 しかし、私はこの卓球における「中国の壁」は未だ未だ厚く、これを打ち破るのは時間もかかり、容易ではないと思う。

 それでも女子の方がちょっと早そうだ。

 卓球王国・・・日本の復活! 私が生きている間に見たいもんだ。

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有馬温泉

5月の連休は、家族・孫全員7名で、兵庫の有馬温泉へ2泊で行った。
有馬温泉は1昨年、いとこ会の時に、大阪のいとこの企画で行ってきたが、家族の中では私だけであったため、今回の家族旅行と相成った。

ネットで色々と探したが、家族7人で連休、有馬温泉だと、かなりの高い宿泊料になるが、普段、離婚した息子の子供=孫3人の面倒を見ている女房も一緒に行くとなると、学校が休みで会社が休みの時しかなく、毎回、バカ高い料金を出して、家族旅行になってしまうのである。

事前に準備して、どこへ行ってどこで何を食べるか?迄決めて置こうということだったが、結局は、行き当たりばったりの旅行となった。
渋滞に巻き込まれながら、約9時間、息子のアルファードに7人乗で、有馬温泉についた。
取りあえずは、有馬温泉の色んな店巡りをした。
ここは、確かカンブリア宮殿でやっていたが、仕掛け人が居て、街に色んな仕掛けをしながら、人気スポットに育て上げた街であり、歩いていても炭酸せんべいとか、何とか饅頭とか色んなものがあり、とても面白い。
スマホで神戸観光トップ10を見たら、何とその第一位は有馬温泉だった。その次が六甲山ということで、翌日はまず六甲山に向かった。
神戸の街から急速に登り、上に登ると人がいっぱい、色んな施設があって、ここだけで一日十分エンジョイできそう。
お土産物屋がまた、殆どオリジナルのPBブランドだけで、また美味しそうなお菓子や、お酒が沢山並んでいて、ついつい買ってしまう。
孫達は、あちこち飛び歩いていて追うのも疲れるから、放っておくことにした。
神戸の街も一望でき、流石観光スポット第二位、なかなかのスポットだ。

そこから、神戸の街に下りて行った。
前の日から、息子がせっかく神戸に来たのだから、「神戸牛」を食べるべきだと主張するが、本物を食べると一人一万円もするので、これをみんなで食べたら大変なため、どうにか上手く切り抜けようとしていたら、娘が、ランチだったら結構安く食べられるはず・・となかなかの代替案を出したため、この日のランチは神戸牛ということになった。
いい店は予約が必要と、スマホであちこち探すが、なかなか適当な店が見つからない。
あるお店で、11時からの予約の人の後は予約を取ってないため、早めに並べば可能性があるということで、三宮のその店に向かった。
駐車場からその店に向かう途中に、確かスマホに載っていた店があったため、ひょっとしたら・・・と思って、入っていったが、全部予約でいっぱい・・・と云うことでNG,結局、目的の店に辿り着いたが、結構な列、、、
一応皆さんそこに並んで居てもらって、私と娘で近隣の店を探してみることにした。
ところが、その店から10mも離れてないところに、鉄板焼きのステーキの店というのがある。
誰も並んでいないと逆に不安になって中を覗いたら、全てスタンドで、目の前の鉄板でステーキを焼くというスタイルの店だった。
雰囲気が良さそう、値段も手ごろ・・・早速、7人お願いし、席は離れていたが、3人、4人で座って、ステーキを食べることになった。
結局、途中で大きな火が上がったりして雰囲気も良く、肉も柔らかく大変おいしい肉で全員が満足した。
別に神戸牛とは書いては無かったが、神戸でステーキを食べたのだから“神戸牛”ということだ。

そこから、第三のスポット「神戸メリケンパーク」へ向かう。
当家のメンバーは、そこに何があって何が面白いのか?とか聞いてくるから、神戸ポートタワーがあって色々ありそうだよ・・・と云うと、そんなタワー見たって何が面白いんだ?とか言いたい放題云う。
「こっちは、ただスマホの観光スポットの上位ランキングを言っているだけで、何がどう面白いかなんてわからんよ!」と言いながら、目的地についた。
 車の渋滞で、息子は運転して駐車場に置いてくるから、後の人は先に出て、遊んでようと云うことになった。
 私の目が向くのは、即、ライブ会場の女子ロックグループの演奏だ。
 席が一つ空いていたから、そこに陣取ってライブを楽しんだ。
 しばらくして、女房に携帯をしたら、孫2人(10歳、7歳の男の子二人)とはぐれてしまったとのこと。
なんと云っても、ここは物凄い人だかりで、ここではぐれたらまず見つからない。
とにかくはぐれたところで待ちながら、一応息子にも電話を入れておこうと電話したら、何とその孫2人はおとうさんの車迄来て一緒に居るとのこと、、  
迷った時は、お父さんの車を探すこと・・・と云うことを長男にいつも言ってあったということで、未だお父さんが駐車場への列に並んでいて、駐車場に入っていなかったため、即見つかったようだ。
その広場には、ワインの試飲とか旨そうな肉の試食があり、特に肉の試食は長蛇の列が出來、炎天下で待つのもつらいため、それはあきらめた。
息子達3名は、向かいのハーバーランドに居るというので、ちょっとばかり歩いてそのハーバーランドに向かった。
ちょうど東京お台場のショッピングモールと殆ど同じようなイメージのショッピングセンターで、人の数はメチャ多い。
4歳の女の娘の手を引いて歩くのも、結構大変だ。
その内に孫が綿アメが欲しいと言いだした。
綿アメといっても3色の綿アメでバカでっかいのがいいという。
何をするにも並ばなければならないため、並んで買った。
並ぶのは、東京銀座の食パン屋さんで慣れているから、10分やそこらは全く気にならない。
その人ゴミの中で、後から来た女房と娘と再開ができた。
その内に男の子の孫が現れたが、ろくに再開の感激も無しに、すぐにそばの店の中へ消えた。
結局腰掛も何も無い場所で、孫たちの買い物の時間かれこれ1時間近く待たされた。
そこで夕食でも食べて本日終了・・・と普通の人は考えるかもしれないが、そこで終わらないのが、我が家のユニークなところ。

娘が、旅行に来る前から見つけて置いたイルミネーションスポットがあるという。
「NESTA RESORT KOBE」というイルミネーションが凄いところが神戸近郊の三田(サンタ)市というところにあるという。
ナビを使って、結構1時間以上かかってその場所に到着した。
途中、夕食は軽く・・・と云うことで、インドカレーの店に立ち寄り、それぞれ辛い辛いと言いながらも完食した。

この「NESTA RESORT KOBE」=ネスタイルミナという場所は、バカ広い敷地がきちっと整備されておりホテルもある。
 後で調べたら、どう考えても、今回泊まった有馬温泉のホテルより安くて、部屋も広くて快適そうだったが後の祭り。
今後は、みんなで色々と探してから決めようということに一致した。

イルミネーションは確かに凄い。
まずは教会のような建物にイルミネーションの縁取りがしてあり、この建物が幻想的な音楽と共に様々な色に変わって行く。
次は、洞窟型のイルミネーション通路。
ここも上を軍用機が飛び、おまけに日本の国旗とアメリカの国旗が並んで飛んで行ったりして、安倍首相が喜びそうな趣向だった。
そこを抜けると、イベント広場のような空間があり、池の上で、とても幻想的なギリシャ神話の物語映像を5分位流してあっけなく終わる。
もうちょっとどうにかなるのかな?と思ったが、一寸物足りなさが残った。

いずれにしろ、この膨大な敷地を管理するだけでも大変だし、これだけのイルミネーションの電気代も、とてもこの程度の入場者では賄いきれるものでは無い。
ハウステンボスも、開園当時、確か市役所の一職員が発想し、色んな人達を説得して作り上げたリゾートとして絶賛されていたが、結局はずーっと赤字状態で、HISの澤田社長が立て直して黒字化したというが、ここも澤田社長級の人が現れなければ、とても維持、発展は難しそうだ。

門限が10時と云われた有馬温泉のホテルに、どうにか時間内に着いて、ひと風呂浴びて寝た。
お風呂は、露天風呂があり、湯質も温度も良かった。
ここのお湯は、9つの温泉成分のうち、7つの成分が含まれていて、身体に大変良いということで、二日間とも5時頃起きて、1時間弱ゆっくり浸かった。
しかし、朝のバイキングは、二日間とも劣んど同じ食材の上、一時に大人数が料理に向かい、私はその隙間隙間で、取れるものを取って食べた。
これまでで最悪のバイキングであった。

次の日は帰る日であったが、最後の日も何かビッグスポットを・・・と考え、有馬温泉から帰る方向とは逆に約一時間の姫路城に行くことにした。
白鷺城とも云われるこのお城は、本当に美しい。
改装したばかりだから猶更、壁の白さが目立つ。
裏の方に車を止めて、表の方へ向かうと、そこは長蛇の列で、今日は天守閣に登るのは無料ということで、お城に入るのは約30分待ち、天守閣は約1時間待ちということで、天守閣はあきらめた。
ここもじっくり見れば、悠に一日コースの観光地だった。
ここは、スマホなんかではなく、持って行ったミラーレスの一眼レフカメラの登場で、構図を考えパチリパチリ・・であるが、このカメラ、買った時から調子が悪く2度修理したが、未だ何かがおかしい。
途中でシャッターが下りなくなってしまう。
結局は、馬鹿にしていたスマホのカメラで、撮らざるを得ない。
天守閣には登らなかったが、西の丸には入った。
西の丸もかなり大きく、普通のお城の中と同じくらいの見どころがあった。
千姫が大阪城からこのお城に来て、余生を送った場所がこの姫路城西の丸だったということだ。

お城の守りとしてもかなり工夫がされており、敵が一気に攻められないように要所要所曲がりくねった階段があり、その守りの壁には△,□の鉄砲打ちの穴があり、お城の中にも石落としの穴もあったが、実施には石を落とせるような大きな穴ではなく、幅は1メートル、隙間が15センチ位の蓋付きの穴があり、説明のおじさんが話していたが、実際には石を落とすのではなく、横から鉄砲を撃ったり、敵が傍まで登ってきていないかを見るための穴だということだ。
それにしても、このような仕掛けは、わが信州上田、真田一族のお得意の手法であり、大阪夏の陣以降、このような城備えが恐らく、全国的に流行ったのではないか?などと勝手に思った。

大阪ではちょっと土地の問題があって無理だが、上田のどこかに、あの真田丸をできるだけ忠実に再現し、そこを日光江戸村のように映画のロケ地にしたり、様々なアイデアで観光地化したら、かなり全国から人が呼べるのではないか?などと思ったが、生半可な費用ではないため、最終的にIHIのお世話になる可能性もありそうだ。

 お菊井戸という大きな井戸があり、ここに皿を割って殺されたお菊が投げ込まれ、その後化けて出てくるという例の「番町更屋敷伝説」の井戸である。
あれは確か江戸の街の話だったかと思ったら、全国に似たような話があるのだそうだ。
とにかく、このお城大きくて立派で美しい。
しかし我々は早めに帰る必要がある。
無料で入れる天守閣は次のお楽しみとしてお城を後にした。
帰りがけ、またも途中で見失った孫(長男)は、ちゃんと出口付近で待っており、無事合流できた。
小学校5年生ともなれば、きちっとポイントを掴めるようになるのだと感心したが、もう少し大人になれば、はぐれるようなこともなくなるだろう。

帰りは私の発案で、富山の方を回って帰った方が渋滞がなくていい・・・と云うことで、山陽道から日本海に向かって走った。
息子の車のナビがちょっと古くて危なっかしいということで、娘のスマホのグーグルナビを頼って走り出した。
 スマホのナビも、車のナビと同じような声でガイドする。
 そのナビに従って運転していたら、途中でまた大阪の方へ戻る道に入ってしまい、隣のインターで降りUターンした。
 ナビはどうも最初の設定時の最短の情報を優先するらしい。
 途中、私が運転した。
 行きは渋滞があり、なかなか運転交代のタイミングがつかめず、そのまま息子が運転していたため、息子も自分が全部運転したとことあるごとに云うし、さすがに一寸気が引けていたため、今回は少しでも運転したという実績を付けておきたかった。
 この日本海側の高速は、普段普段余り車が通らないとみえ、殆ど片側一車線で、とても走りずらく、ハンドルをきちっと握っている必要があり肩が凝る。
 途中、美浜、高浜、大飯とここは原発銀座である。
 現在、北朝鮮のミサイルが大変とか言っているが、私はいつも言うが、一番危ないのは日本の54機の原発である。
 北朝鮮は20万人もの屈強な工作員を養成しており、いざという時は韓国にも日本にもそれらの工作員が大量に流れ込んで来る。
 そして一番狙い易く効果的な標的に向かう。
 どう考えても原発は狙われる。
 特に稼働していれば完璧にやられてしまう。
 そんなことを嘯きながら、運転をしていたら、敦賀ジャンクションで、結局間違えて名古屋方面に向かってしまった。
 気が付いたのは賤ヶ岳(しずがたけ)サービスエリアで、ああここが豊臣秀吉の賤ヶ岳7本槍で有名なところか?と思ったが、ちょっとおかしいと思ってよく見たら、何と名古屋方面に向かっていたのだった。
 娘のナビも、未だ当初の設定を忘れることができなかったため、こちらに案内したのだった。
 私も能登半島に行く道と富山方面に向かう道の分岐だと思い、右の車線に入ってしまった。全く土地勘が無い場所でのとっさの判断というのは非常に難しい。
 ここからまた引き返すのも時間がかかる。
 後は息子の運転で帰ったが、関ヶ原付近で大きな事故があったらしく、高速は全く動いていないということで下道に降り、次のインターで乗った。
 その後は多少は混んでいたが、息子のちょっと乱暴だが快適な(?)運転で帰途についた。
 行きあたりばったりの無計画、多産財の小林一家の家族旅行であったが、終わってみれば、結構多彩で見どころ満載の贅沢旅行であった。
 今度は、もうちょっと企画を練り上げてから行こうという話になった。
 次回は果たしてどこに向かうのか? お・た・の・し・み!!

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A hard day’s night

このタイトルは、勿論我がビートルズの曲の題名である。「ヤァヤァヤァビートルズがやって来る!」という映画にもなったので、結構ご存知の方も多いかと思う

先般、そのビートルズの一人、ポール・マッカートニーが来日し、日本で2年ぶりのライブ公演をした。
私も4月29日の東京ドームへ娘と共に見に行ったが、その冒頭の曲が、この”A hard day’s night”であった。

私のこの1ケ月の間は正に“Hard day‘s night”だった。
8日に東京に行き、2泊した後会社に戻れば、たまったメールの処理、来客、会議に追われ、13日~15日まではアチーブメントの社内研修で、当社のスタジオに缶詰状態、15日研修終了後、東京成田へ飛び、翌日から5日間大連にて新規事業立ち上げ準備、17日からはお客が4名大連に来て合流、19日に戻ったら、今回の「ものづくり補助金」の説明で、朝一で長野まで車で飛んだ。
2000万円の助成金を貰うのも、結構大変!首相の奥さんのお友達でもちょっと知っていれば、プレミア付きで忖度して貰えそうだが、生憎そのような人徒のお付き合いは無い。
帰ってくれば、来客ラッシュ、次の日は、私が代表を務める「新老人の会」東信ブランチの1日バスツアー旅行で秩父へ向かう。
 信州観光の27人乗りサロンバスで20名で秩父方面へ向かい、有名な長泉寺の藤の花を見ようと思ったが、残念ながら今年はだいぶ遅くなってしまったようで、ナーんにも無し、藤棚がたくさんあるところを見て、長瀞ライン下りをした。
こちらも流れが余り急ではなく、スリルが無かったが、まぁまぁだった。
ここから昼食は、私のお奨めの花園インター近くのとんかつ屋「三峰」へ向かった・
私がとんかつが抜群に旨いと言っているにも関わらず、殆どの人が、コストの高いうなぎを選んだ。カロリーも少なかったからかも知れないが・・・。
ちなみに私は何度もこの店に来ているが、うなぎは未だ一度も食べたことはないが、皆さん満足そうだったから旨かったということか!?
午後は、羊山公園の芝桜を見て帰って来た。
花はイマイチだったが、とにかく皆さん楽しそうで、何よりだった。

翌週は、少し楽になったが、来客と助成金の手続き関係に追われ、東京にも一日出張、28日は従業員のお誕生日お食事会の日、翌29日は、母の13回忌の法要を兄弟関係が皆集まり長野で行い、その帰った足で娘と東京へ向かい、東京ドームへと向かった。
ポールの冒頭は“A hard day’s night”で、最初から全員立ち上がり、盛り上がったが、さすがに3曲も立って騒いでいると疲れが出てきて、結局は殆ど座っていた。

最後のサージェントペパーの関係の演奏はクライマックスで立ち上がり、なけなしの体力を振り絞り頑張った。
それにしてもポールはいつもの通り20数曲、全く水も飲まずに、ぶっ続けで歌い続けている。今年6月で75歳のはずだが、一寸鍛え方が違うようだ。
アンコール終了後、声が涸れ何か飲みたいと思ったが、帰りの人混みは、これまでの最後列の席と違い、結構グランド席側だったため、とにかく人混みの中で身動きが取れない。
人の流れに任せて、どうにか道路に出て少し歩き、電車に乗るのもかったるいので、娘の行きつけの恵比寿のスナック迄タクシーを拾ったが、初期料金は安くなったが結局5000円もかかった。
次の日は、銀座に食パンだけを売っている店があり、とても美味しくて評判ということで10時開店のところ、9時半に行って並んだが、既に70人も並んでおり、結局1時間近く待たされて、2斤で800円位の食パンを3つ買って帰った。
その後も未だ忙しい。
帰ったその足で佐久平の駅からそのまま、ジャズダンスの先生等のステージがあるということで、そちらの会場に直行、そちらが終わって家に戻ると、今度は軽井沢大賀ホールにて岩崎宏美と国府弘子の演奏会があり、車で軽井沢に向かう。
大賀ホールは、音響のプロに言わせるとマイク音響を通さずに歌や演奏するのが最も良い音響となると聴いていたが、岩崎宏美は正に出てくるなり、マイクなしで「アベ・マリア」を歌い出した。
考えてみれば、昔はマイクやアンプは無かったわけであるからオペラとか演奏はその建物の壁・天井の反響が全てということか?
特に印象に残った曲は沢田研二の曲、「時の過行くままに」と「思秋期」は、岩崎宏美の歌唱力と国府弘子のピアノの力、そして阿久悠の詞の力が相まって素晴らしかった。
それにしてもピアノ一本で凄い迫力も出す国府さんとのコラボは最高だった。
4月のバタバタはこのコンサートで終わった。
このA hard day’s nightの結果、私は孫の風邪が移ったらしく、2年半ぶりに風邪をひいた。咳と鼻水が止まらない。

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