この年の締めくくりに・・・・


2016年、平成28年ももう僅かである。
 我々が何を考え、何をしても、間違いなく時間は過ぎて行く
 人間生まれて生を受けたと同時に死へのカウントダウンが始まる。
 それが長いか?短いか?の違いはあるにせよ、このことはいかなる人間にとっても等しく与えられた宿命である。

 私も古希=70歳を昨年迎えた。
 50歳の頃、その体調の悪さに、とても60歳までは生きられない・・と思っていた私が70歳まで生き、そしてまだまだ自分の人生に挑戦を続けようとしている姿は、悪あがきの人生というべきものであろうか?それとも特別私に与えられた神からのプレゼントなのであろうか?
 私の生涯の師というべき中村天風先生は、生きている限り挑戦し続けろ・・というし、昨年105歳になられた日野原重明先生は、「まだまだ・・」という。

 私としては、“生きている”=“生かされている“ということであり、やはり生きている限りは、自分は何らかの使命があり、何かをすべきなのだ・・と考える。
 昨年、70歳を迎えるに当たり、5年後、75歳にて社長の座を息子に譲ると社内外に宣言した。
 実際、その後、殆どの業務は息子以下の30代の若者が取り仕切り始めており、このまま行けば何とか恰好が付いて行けそうである。
 若者たちは任され責任を感じると、それなりの自覚が生まれ、それなりの仕事をするものだ。

 この会社も創立から46年が過ぎ、47年目を迎える。
 設立からセイコーエプソンさんの下請けとして結構順調に推移して来たが、経営的には何の戦略もなく、ただただ従業員を抱え、毎月来る仕事をこなしていただけの日本の典型的な下請け企業・・と云う会社だった。
 それが「企業30年説」とはよく言ったもので、16年前の設立後30年にして仕事が激減し、間違いなく潰れていた会社であった。
 メインだったドットヘッドのプリンターのコイルが時代の流れ=技術革新により、インクジェット、レーザープへと取って替わり、メインの仕事が無くなったことが、主原因であった。
 それから私の悪戦苦闘が始まった。
 10億円/年以上売り上げていたものが、2憶そこそこに落ち込み、ひどい月は600万円まで落ち込んだ。
 今から考えると、奇跡的な復活・・と云えるだろう。
 メインのお客は無く、毎年毎年日替わり定食並みにメイン得意先が入れ替わった。
 結構、最先端のプロジェクトが多く、大体途中まで行くと得意先の方で挫折するケースが多かった。
 今、16年かかって以前の10億円/年の売り上げに戻ってきたが、今後はこの売上高をキープする必要があり、更に伸ばして行く必要がある。
 幸い、当社が10数年前から手掛けてきた「高密度コイル」の需要が、急速に増えつつあり、この波にうまくに乗れれば・・・と云う期待がある。
 先般、九州の方から磁気学の権威の先生が来社し、日本のモーターとか発電機は大分遅れているが、これからセルコのようなきちっと巻く技術が違いなく、世の中で必要とされるようになって行くだろう・・・と仰っていたが、私は10数年前にそのことを直感し、この会社を「高密度コイルのセルコ」として世の中に「きちっと巻くコイルは間違いなく他社との差別化に有効」と言い続けてきた。
 
今年は、総じて良い年であった。

 社内的には、アチーブメント株式会社の「社内研修」を社員全員で受け、社内がこれまでに無く、まとまって来た感じがする。
 私の古希の誕生日には朝の朝礼時に従業員から花束を送られるというサプライズもあった。
 私は10年ほど前から、社員の誕生日には、一寸したプレゼントをしながら、その人の特に良い面を褒めたたえて誕生日のお祝いとしている。
また昨年の社内研修後には、思うところあって、社員の誕生月にはゲスト一人を伴っての「食事会」を開いているが、自分の誕生日は、これまで誰もウンでもスンでもなかったのが、今年は突然の花束で、涙、涙の誕生日となった。

 明日からの来年は、またどんな年になるか?
 なってみなければ分からない・・・が、どんなことがあっても、生きている限り逃げる分けにはいかない!

 皆さん!良いお年を!!
 来年もよろしくお願いします!!
 

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第16回結いの里こもろ大忘年会開催しました。

第16回結いの里こもろ大忘年会

 12月10日(土)、大変多くの、そしてとても多彩な内容の忘年会を開催、4時間のプログラムが、押して押して5時間かかってしまった。
 今回から当社のスタジオ専任で音響を担当して戴ける方が1ケ月かかって整備したとても素晴らしい音響により、出演者が皆さん、気持ちが良くなったせいで時間も押したのか?と思うが、予定時間が狂うと、次の予定がある人が居てプログラムの入れ替えが必要となる。
プログラムを入れ替えると、今度は違う出演者からクレームが上がる。
 結局、進行がチグハグになって出番のある私のコンディションに影響する。
 今回は、「伝説のセルパップブラザーズ」復活ということで、練習もきちっとやって臨んだが、結局メロメロ状態だった。

 しかし、この忘年会、年々着実にそのスキルが上がってきており、観ている人は異口同音に「凄い!」、「素晴らしい!」、「面白い!」の声が上がってきている。
 これまでの間は、この忘年会の準備、練習で時間を割かれ、そこへ持ってきて仕事も立て込み、結構大変な思いをしてきたが、ようやく落ち着いてきた。
 私の場合、仕事も忘年会も一緒であり、常に全力投球・・となる。
 忘年会のジャズダンスの練習は特に過酷だ。
 最近は特に月2回のダンスのレッスンの他の「自主練習」を全くやってないため、結局、忘年会前の最後の1週間が勝負となる。
 ところが、長年の右肩痛は最近問題なくなって来たが、この練習をあまりやりすぎると、腰が痛む。
 結局、腰が痛いと身体に力が入らず、ダンスどころか歌にも腰掛運びなどの準備にも影響をきたすことになる。
 この忘年会が始まった16年前から続けてきた私のジャズダンス人生(?)も、そろそろ限界かな?と思っている。
 今回は特に私の古希のお祝いもあり、「エルビス・小林とその仲間達」と題し、私が関与(主に詞)した曲を、歌ってもらったり、コラボしたりで私のこの10年弱の音楽ライブラリーをご披露した。
 下記にその歌詞と、解説を披露するので、暇と興味のある人は、ご覧ください。
 私の多様性と考え方が表現されている。
また、忘年会のプログラムも載せておきます。

第16回結いの里こもろ大忘年会 ~ 三島清、小林延行古希記念 ~
1:30 開場
1:55 古希記念サプライズイベント?
2:00 開会の辞                     前島正彦
:05 オープニング テレビ映像からアルプホルンの実演 中沢甲子男さん
 :15“舞い戻った!天使の歌声!” ユッコさん
 :25 ハーモニカ 鈴木則保さん
 :30 合唱 霜村さん他
:35 朗読「美しく老いるには」 「新老人の会」山崎文夫さん
:40「まだまだ頑張る チェロ演奏」 中沢甲子男さん
:45 昨年のリベンジ?「ハナミズキ」 MIWAさん 
 :50 MISHIMA 三島清 古希記念ライブ&トーク
3:10「一人Queen」 teaさん
:20「Ken、 さ―ん!」 ハゲヤマ・フルタさん
:25「万年青年登場!(テレビ映像から)」 「新老人の会」柳沢 覚さん
:35「碧い月」~変わらないもの       碧い月  
:45「シャンソンをあなたに!」 サロン・ド・ヴェール
 :55「俊智・・夢の世界へ」 俊智と仲間達
4:05 和久井道夫の世界  ジャズ演奏内山さん他
:15 土屋芳美スペシャル ~ジャズダンス ア・ラ・カ・ル・ト
  ディズニー元プロダンサー登場 木内絵実嬢&土屋芳美先生
ニコニコ?ジャズダンス
大阪在住ウクレレ演奏家 坂根剛氏と土屋教室のコラボ 
  手品とダンスのコラボ マジック原さん&土屋ジャズダンス教室
:50 「カムバック!おばちゃんバンド」  カサバランカ 
  <小林延行 古希記念・・エルビス・小林とその仲間たち>
5:00 セルパップブラザース「中小零細Q.C.D.」他2曲
     和久井さん「哀愁の北中込」、「ハワイアン・ウェイティングソング」
     俊智さん「2016年 冬 今・・」 
     teaさん 「バルーンに乗って」
     ERIKOさん 「恋は盲目」
     ニコニコ合唱団 「ハートオブユイ」
 :45 握手会
:55 全員で輪になり「ハートオブユイ」合唱
6:00 お開き      前島さん

「第16回結いの里こもろ大忘年会」スペシャル
「エルビス小林とその仲間達」

セルパップブラザーズ復活 第一曲目は!

<Come together now!>
「中小零細Q.C.D,」
作詞:エルビス・小林 作曲・編曲:ギブソン・小泉 
演奏・歌:セルパップブラーザーズ

Come together now!
天国はあるのと人は聴く
神様はいるのと人は聴く

天国あるのかどうか分からない
神様あるのかどうか分からない

だけど俺達は 生きている
悩みながらも 生きている

*1(Come together now!)
天国はここ 今ここ
(Come together now!)
神様は君 君の心の中
(Come together now!)
Everything now!
Everything is you!
(Come together now!)
Everything now!
Everything is you!

不況で大変と人は云う
お金がないと人は云う
不況いつまで続くか分からない
お金いくらいるのか分からない

(Come together now!)
天国はここ 今ここ
(Come together now!)
神様は君 君の心の中
(Come together now!)
Everything now!
Everything is you!
(Come together now!)
Everything now!
Everything is you!
(Come together now!)
一緒に歌おう!
(Come together now!)
一緒に歌おう!
(Come together now!)
一緒に人生を楽しもう!

(Come together now!)
一緒に歌おう!
(Come together now!)
一緒に歌おう!
(Come together now!)
一緒に人生を楽しもう!
Come together now!

リーマンショック真っ只中、NHK[イブニング信州]で取り上げられ、「おはよう日本」で関東甲信越に放映され、そして「イブニング信州年末スペシャル」の生放送に出演した“セルパップブラザーズ伝説”の源となったこの一曲!

「中小零細Q.C.D,」
作詞:エルビス・小林 作曲・編曲:ギブソン・小泉 
演奏・歌:セルパップブラーザーズ

 仕事が欲しけりゃQ.C.D 倒産いやならQ.C.D.
生きていたけりゃQ.C.D.
QQQQ CCCC QQQQ CCCC QQQQ CCCC D
中小零細は大変 (チェック チェック)
品質いいのは当たり前
安く安くコストを優先 
早く早く納期は厳守
だけど俺らにゃ技がある 
誰にも負けないテクがある
匠の技だよミクロンオーダー!

デフレ インフレ 円高 
バブル弾けて超不況 何があっても全部 しわ寄せ中小零細
金取り主義の「ISO」
形ばかりの「TQC」
あれダメこれダメ「ローズ問題」
スタイル重視の大企業
ベイビー! 「そんなの、そんなの関係ねぇ!」
      「そんなの、そんなの関係ねぇ!」

中小零細は大変
昼も無い夜も無い 休めない
危険、きつい、汚い 3K
オンボロ機械のオン・パレード

だけど俺には 夢がある 
誰にも負けない意地がある 
目指す技術は世界ナンバーワン!

日本のモノ造りは 中小零細の底力
決して大企業の 力なんかじゃないぜ 
オイラの技術は本物 誰にも絶対マネできない
何がタイだ中国だ インド ベトナムもいいけど 
そんなの そんなの関係ねぇ 全然全然関係ねぇ

だけど俺には 夢がある 
誰にも負けない意地がある 
目指す技術は世界ナンバーワン!

仕事が欲しけりゃQ.C.D 倒産いやならQ.C.D.
生きていたけりゃQ.C.D.
QQQQ CCCC QQQQ CCCC QQQQ CCCC D

メンバーの三島さんのことを歌った曲、”グッド・チューニング“と繰り返すのは、三島さんのギターの音合わせ(チューニング)がなかなか合わなかったことに由来する。
オイラOJISAN ロックンローラー(Good tuning)
作詞:エルビス・小林 作曲・編曲:ギブソン・小泉 
演奏・歌:セルパップブラーザーズ

少年時代は エルビス! ロックのリズムに目覚め
青春時代は ベンチャーズ! エレキのサウンドにしびれー!
そして ビートルズ! 絶叫シャウトに 酔い狂い Ah ha ha ha !
ギターをかき鳴らし 歌い叫び踊りまくった日々

* Good tuning gu gu tuning Good tuning gu gu tuning
Good tuning gu gu gu !
Good tuning gu gu tuning Good tuning gu gu tuning
Good tuning gu gu gu !

いつしか普通の青年 サラリーマン  
仕事仕事に明け暮れる毎日
仕事の鬼の中年 企業戦士に成り果てて 
そして、気が付けば KANREKI TEINEN

:Refrain ×2

俺らの人生は 一体なんだったんだろう
俺らは今新しい人生を始める!! 

*Refrain×2

目覚めた 今 取り戻そう青春!
蘇れ ロックンロール! Go!Go!Go!

薄い頭はカツラでカバー Wo wo wo wo Yeah!
おじん顔は サングラス Just fit!
短い足には ロンドンブーツ Long tall Sally!
馬子にも衣装のコスチューム Yeah! Yeah! Yeah! Yeah!
* Refrain×4          
ENDING

このセルパップブラザーズは小泉・小林コンビで全8曲に及んだ。この他に小諸のご当地ロックソング「空の彼方に(FLY AWAY)」、土屋ジャズダンス教室とコラボした「Happy Night Fever」、中小零細企業の不況に負けない心意気を歌いあげた「平成不況をぶっ飛ばせ!」、人生の応援歌「時は放されて(Set You Free)、夫婦の長い道のりを振り返った「気が付けば 今 君がここにいる」がある。

井上・小林コンビの作品は全8曲、ロック、オールディズ風ポップス、ジャパンポップス、青春歌謡、ジャズ、民謡、ボサノバと様々ジャンルの作品がありますが、この曲はハワイアンで、曲名はエルビス・プレスリーが歌った「ハワイアン・ウェディングソング」のモジリ。
ハワイアン ウェイティング ソング
 作詞:エルビス・小林 作曲・編曲:井上 隆 演奏:羽毛田一茂
 歌:和久井道夫

<なんちゃってハワイ語は井上 隆さんの作です>

そよぐ 潮風が かおる この浜辺
遠く 聞こえ来るは なつかしい あのメロディ
あなたは どこに居て 何を してるだろう?
心 ときめかせ あなたを待つ 長い日々よ
心 ときめかせ あなたを待つ 辛い日々よ

題材を小海線の無人駅、「北中込駅」とした出会って、愛し合い、そして別れるという青春悲恋の物語です。

哀愁の北中込
作詞:エルビス・小林 作曲・編曲:井上 隆 演奏:羽毛田一茂
 歌:和久井道夫

出逢いは突然訪れた
ローカル小海線 北中込
あなたはポツリとただ一人
電車を待ってた

電車に乗り込むあなたが
落としたベージュのハンカチが
すべての始まり 二人の 
出逢いの プロローグ

偶然が必然と思えてくるような
不思議な出来事に
戸惑いながらも
二人は互いに 近づいた 
ウ・フ・フ・ ・・・

とっても気まぐれ この恋は
二人の心を 弄(モテアソ)び
悲しい愛の セレナーデ
別れへの ステップ

あなたと別れた あの夜も
小雨の停車場 北中込
一緒に行こうと言う僕の
握る手を 振り切った

走り出す電車の中で
佇たたずむあなたを見つめ
真実(マコト)の愛がそこに
二人にあることを 知った
ウ・フ・フ・ ・・・

井上・小林コンビで和久井さんが歌う曲は、この他にベニーグッドマン風のジャズ曲「君は僕のエンジェル」がある。

俊智とエルビス・小林の初のコラボ曲、「時事問題」、「環境問題」を言葉の積み重ねで問題提起する曲、最初作った詞では、問題提起した暗いだけの詞でしたが、今回この忘年会に合わせて、書きなおしております。

「2016年 冬 今・・・2」
作詞:エルビス・小林 作曲・編曲:俊智 演奏:俊智
歌:俊智&エルビ氏・小林

嗚呼! 今、私達が子供達に残せるものは・・・・

(嗚呼! 今、私達が未来に繋げられるものは・・・・)

9.11 (同時多発で)

米国国民 (怒り爆発)

イラク侵攻 (イスラム混乱)

宗教対立(派閥対立)

戦闘勃発 (過激派台頭(たいとう)

殺戮自爆 (恐怖拡大)

難民移民 (テロ蔓延)

報復空爆 (憎悪の連鎖)

EU混乱 (世界も混乱)

嗚呼!(嗚呼!) 世界は(世界は)今(今)・・・・・
嗚呼!(嗚呼!) 世界は(世界は)今(今)・・・・・

選挙勝利 (権力集中)

情報操作 (国民追従)

マイナス金利 (日銀限界)

金権政治 (清州に五輪)

格差拡大 (地方閉塞)

沖縄問題 (工事強行)

福島廃炉 (費用増大)

平和憲法 (崩壊寸前)

少子高齢 (将来不安)

国家借金 (1000兆)

嗚呼!(嗚呼!) この国は(この国は)今(今)・・・・・
嗚呼!(嗚呼!) この国は(この国は)今(今)・・・・・

大気汚染 (森林破壊)

温暖加速 (凍土氷解)

異常気象 (天候異変)

冷夏暖冬 (局所突風)

異常台風 (東北上陸)

ウィルス発生 (耐性菌類)

狂牛・口蹄(コウテイ) (AIDS・SARS)

テングにジカ熱 (エボラにノロ)

人口爆発 (80億人)

食料大変 (水も不足)

<アメリカ>トランプ (逆転勝利)

アメリカ混乱 (世界も混乱?)

<韓国>パククネ (側近疑惑)

スマホ延焼 (経済炎上)

<イギリス>国民 (EU離脱)

衝撃拡大 (EU崩壊?)

<フィリッピン> (ドテルテ人気)

麻薬撲滅 (言いたい放題)

<ロシア>プーチン (<中国>習さん)

<日本>は安倍さん (任期延長)

嗚呼!(嗚呼!) 世界は(世界は)今(今)・・・・・
嗚呼!(嗚呼!) 政治は(政治は)今(今)・・・・・

眼を閉じて(眼を閉じて)
耳を澄まそう(耳を澄まそう)

どこからか (どこからか)
聞こえてくる(聞こえてくる)

地球のつぶやき (地球のつぶやき)
自然のささやき(自然のささやき)

人の心の (人の心の )
奥深く(奥深く)

眠っている (眠っている )
何かを(何かを)

呼び起こそう (呼び起こそう)
誘い出そう(誘い出そう)

それは? (それは?)

人の叡智 誠と愛のハーモニー

嗚呼!(嗚呼!) 自然を(自然を)今(今)・・・・・
嗚呼!(嗚呼!) 命を(命を)今(今)・・・・・

5月佐久の「バルーンフェスティバル」に向けて作った井上・小林コンビの曲、佐久の市長にも会い、“佐久讃歌強”としてどうか?と強力に売り込みましたが残念ながら採用されませんでした。
 オリジナルを持たないteaさん唯一のオリジナル曲となりました。
バルーンに乗って(Brand new townSAKUDAIRA) 
作詞:エルビス・小林 作曲・編曲:井上 隆 演奏:羽毛田一茂
歌:tea

さぁ行こう!
あの空晴れ渡る大空へ
バルーンに乗って 向かおう
涯(ハテ)しない 大空へ

Go up together!
今 飛び立とう! 準備はOK!
色とりどりのバルーンが並ぶ
胸弾ませてバーナー燃やし 舞い上がる
やがて人も川も車も家もどんどん小さく 遠くなって行く
僕らは鳥になる 空の上

さぁ 行こう! 未来へ
二度とない 青春よ
輝きと 情熱
抱きしめて 突き進もう!

Clapping together!
手拍子打ってリズム刻めば
弾ける君の こぼれる笑顔 明るい声が 雲の向こうに こだまし響く 
駅が見えたら一緒に 叫んでみよう!
みんなのSAKUDAIRA 高原の街
僕らの夢を育む街

<間奏>

Singing together!
手に手を取って 共に歌おう
眩ゆく光る 千曲の流れ 霞の向こう 広がる大地 そびゆる浅間 
街を見下ろしながら 叫んでみよう!
みんなのSAKUDAIRA 高原の街
僕らが築く Brand new town みんなで築く Brand new town
Brand new town

 井上・小林コンビの曲はこの他に、上田のイルボスキーノというラザニアが抜群に美味しいイタリアンレストランを歌った「Be my honey! (レストランヘ連れてって)」、毎週金曜日FM佐久平のエルビス・小林の「セルパップでやりぬこう!」のテーマソング「セルパップ貼る~らベイビー!」、その曲を民謡風にアレンジした「セルパップ貼る~らベイビー音頭!」、人生の黄昏を歌った「今は秋望月の頃・・・」の全8曲となる。

ERIKO・ELVISコンビの傑作!残念ながらアンジェリーナ・ジョリーとブラット・ピットは離婚してしまいました。
恋は盲目
作詞:エルビス・小林 作曲:ERIKO 編曲・演奏:依田 浩
 歌:ERIKO & エルビス・小林

㊚ どうしてそんなにキレイなの 大きな瞳が輝いて
アンジェリーナ・ジョリーもかなわない
そうさ!お前は世界一!!

㊛ 女はスキな人のため ドンドン キレイになれるのヨ
愛するあなたのためならば
もっと 綺麗になりたいワ!!

(二人)*固く結ばれた 二人の心には
あふれるしあわせと 夢が拡がる
信じる(信じる) 喜び(喜び)愛する(愛する) 情熱(情熱)
心に(心に) 燃えるの(燃えるの)
真っ赤な 愛の火が 

㊛ どうしてそんなにステキなの 優しい口元微笑んで
ブラット・ピットに負けないわ
そうヨ!あなたも世界一

㊚ 男は単純 単細胞
ついついその気になっちゃうよ 可愛いお前のためならば
もっと!鍛えるこのボディー

*REPEART

(二人)理想のカップル 私達
(

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11月25日、「ものづくりパートナーフォーラム」(展示会)でプレゼンします。

 さて、この11月24日、25日と東京品川駅と直結しております「品川インターシティホール」にて 「日経ものづくり」主催の「ものづくりパートナーフォーラム」が開催されます。  その二日目の25日PM3時より30分間、私のプレゼンがあります。  今回このプレゼンで私は「丸線による圧縮成型高密度コイル」を説明しようと思っております。 「押してはいけない」、「潰してはいけない」・・・というコイル巻線・電線のタブーを打ち破り、きちっと巻いた 電線に圧をかけ占積率を高め、電線には全く影響無しで加工する当社の特許技術=「高密度コイル」が、時代の要請と共に更に進化し、モーターコイルのコア巻線のように、ある一定のスペースをコイル(電線)で埋め尽くすべく、所定の形にきちっと巻いた後、圧縮成型してしまう・・・という占積率の追及にはこれ以上ない・・・という特殊技術を確立致しました。  これによりモータも小型化、高効率化、高放熱化が計られると同時に、丸線ということで低価格化も可能な技術となるかと思われます。  お時間のある方は、是非ご来場願いたいと思います。  ご来場には,予め事前登録が必要となりますので、「ものづくりパートナーフォーラム」のホームページからお申し込みください。

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長野県ベトナム経済交流調査団に参加

 私はタイには頻繁に行っているし、17,8年前まではシンガポールやマレーシア、インドネシア、フィリッピン等には行っていたが、ベトナムには一度も行ったことがなかった。県の方から阿部県知事と共にベトナムへの交流調査団に行きませんか?と誘いがあった時、「これは面白そう!」と思い参加することにした。

 県内の参加企業は産業班と農業班と別れており、我々産業班は33企業、農業の方が同じくらいで、県の関係者を集めると、70数人の団体となる。 成田からベトナム最初の訪問地派のハノイへは5時間30分位、税関は新人教育をやっている列に並んでしまい大分時間がかかった。しかし、荷物の出はそれ以上に遅かった。

 街に入ると聴いていた通りというか?それ以上にバイクの数が多い。世界三位の台数で、一位は台湾だそうだが、車の数が少ないためバイクの存在感が圧倒的あるということだ。殆どがホンダで70%近く、ヤマハは25%、その他が5%とのこと。ガイドさんの話によるとホンダは安くて性能が良いとのことだ。女性は殆ど流線型のスタイルのいいバイク、男性は機能重視、スタイル二の次のバイク。 車は日本車が圧倒的で、トヨタ車、次いでホンダ社が多い。時々韓国の起亜自動車やドイツ車が走っている。 (詳しく知りたい人は下記にネット情報を見てください)   コソ泥とかスリの類はいるが、殺人とか旧悪な犯罪は少なく、とても治安は良いとのこと。犯罪は少ないが、交通事故もその割には少なく、1年間の死者が1万人位とのこと。日本は現在4000人ほどだが、日本のその昔は2万人を越していたというからバイクが多い割には少ない方だ。 ただ車とバイクの接触事故は結構あるようだ。また特にハノイは人と人の仲間意識が高く、人との出逢いを大切にする傾向があるのだそうだ。屋台料理は食べると、耐菌性がない日本人はおなかを壊すとのこと。お金は1万円で220万ドン、円の220倍となるから大変分かりにくい。ガイドさんの話によると、現在の為替レートは0を二つ取って2で割ればいいとのこと。 私も買い物でやってみたが、なかなか良好! 民族衣装のアオザイ(ベトナム語で長い上着という意味。中国支配の名残でチャイナドレスからきているようだ)は、日本の着物と同じように今は結婚式とかの特別な日にしか着ないようだ。ホテルへ行く道すがらでは、ちょうど大学の卒業式をやっていてそこでちらっと見えた程度だった。

 家が面白い。同じような細長い3階建てか4階建ての家が立ち並んでいる。家は親から長男に無条件で継ぐことができるが、面積が決まっているため、細長く3階、4階建ての家を作るしかないのだ。 弟には家がない。お金を稼いで家を建てたいが、土地の値段がべら棒で、なかなか手が届かない。田舎に行くと土地は安いが都会とその周辺は20万円~40万円/㎡位で月2万5千円~3万円程度の給料ではとても手が届かない、借りても安くて2万円~数10万円するというため、殆どが細長い兄の家に居候しているという。 (詳しく知りたい人は下記にネット情報を見てください)

 夜は晩さん会というか懇親会というか日本政府関係者が参加しての食事会であった。 阿部知事も参加した。 私には余り関係がないため、近くのテーブルの人と話をした。 殆どが県内の中小企業の社長が参加しているため話は面白い。 隣のN社のK社長は特に面白かった。 私がいつも唱える”MAID IN JAPAN精神“を地で行く社長で、話に筋が通っている。 超精密加工,超微細加工を得意とする試作製作にプライドを持っていて、どこにも負けない技術力を発揮し、生産は国内のみで意気揚々とやっている。 この社長、脳の障害で一時全く記憶がなくなってしまったというが、リハビリで見事回復し、見ていても全く問題ない。 やはりその道で凄い人は、自分の身体の問題にも凄いということか・・・・。

 翌日は9時15分にホテルを出発、ベトナムの計画投資大臣との意見交換会ということで、ベトナムの政府機関を訪れ、阿部知事と大臣の代行の人との意見交換と経済交流の署名式が行われた。プリントには書いてあったが、はっきり前の日に言われなかったため、ノーネクタイで行ったら全員がネクタイ着用で、ちょっとばかり肩身の狭い思いをした。しかし、一人だけしてない社長が居た。 昨晩のK社長であった。

 かたぐるしい交換会が終わり、バスは郊外の日本の企業が密集している工業団地に向かった。 京セラ、パナソニック、トヨタの関連の会社等、かなり大きな工場がずらりと並んだ工業団地の入り口にレストランがあり、そこで和食の弁当を食べてから、一件目の会社見学をした。

<トピーファスナーという会社 > 国内409名、タイ340名、米国140名、ベトナム163名、そして今メキシコに工場建設中というこの会社、車のミッション部品、ブレーキ部品等バネ板とか止め輪、ホースクランプ、チムニーナット等のプレス小物部品ばかりで年商日本で90憶近い売上をしている。これだけの生産量があれば、全部国内自動化で・・と考えたいが、作業現場を見ると、熱処理工程とか研磨工程、検査工程それぞれ3K仕事もあり、人手に頼らざるを得ない工程が多いため、全量日本では難しいということであろう。また顧客の工場の近くに・・という物流的な要望もあり、世界各地で展開しているようだ。大手部品メーカーがあまりやりたがらない、プレスから熱処理、研磨、バレル、タップ、検査と人手がかかって面倒くさい部分をきちっとやりこなしている部分がコア技術となっている。山本社長の説明によると、ベトナム人のワーカーは何処よりもワーカーの質が良く、覚えが早く、勤勉で、スキルが非常に高いとのこと。 このベトナム工場の平均年齢は25歳。 立ち上げ時は、主にタイ工場から指導者が来て、立ち上げたとのこと。 最近小集団活動を始め、毎年3月には「活動事例発表会」をし、優秀グループは日本への研修旅行を実施しているそうだ。1年未満の離職率は高いが、2年以降となると給料もスキルごとに上がり、落ち着いて来て離職率が少なくなるとのこと。 MATEX(ベトナム(LTD この会社も精密バネの専門メーカーとして日本の工場を起点に中国、フィリッピンそしてベトナムと進出している。こちらの工場の立上げは中国工場から来た指導者によって行われたとのこと。こちらではローコストオペレーションが可能でローカルスタッフが順調に育っており、 社員の平均年齢は31歳で主婦が多いとのこと。問題点は、年々給料が上がって行くこと。法律があいまいなこと。現地調達率が低いこと。残業をあまりしたがらないことなどを中山社長は挙げていた。

 その晩も、現地に居る企業や活躍している人との交流会があり、隣に来た社長は未だ4年目だということであるが、金型で10数名の社員を一人前の職人に育て上げると言って、張り切っていたが、なかなか業界の情報に詳しく好人物であった。

 翌日は7時出発でハノイからホーチミンへフライトした。約1時間半のフライトでホーチミン=昔尾のサイゴンに着いた。ハノイより都会だ。 車の数も多い。 初めての本格的なベトナム料理をレスrトランで食べた。肉料理も、ホ―という牛肉麺も、皆なかなか美味かった。そこからバスでHUTECK(越日工業大学)へ向かったが、途中大雨でバスから降りられない。こちらの人は殆どが素足でサンダル履きで、大雨が降ってもモノともせずにカッパをかぶってバイクでスイスイと動き回っている。 傘をさす人は余りいなく、カッパが標準のようだ。どうにか通れなかった道の看板を外して学校に横付けされたバスから降りることができた。 学校には、大学一年生が80名ほど待っており、雨でこのまま帰った方がいい・・などと思っていたが、これだけ歓迎されていると、それは無理かと思った。 学校の代表者とこちらの代表者によるそれぞれのプレゼンが終わり、日本側の企業からの要望事項が色々な人から発せられたが、その中で、こちらで社長をやられてる方からの言葉が大変印象的であった。 「日本の企業に何をやってもらえるか?では無く、自分達が一体何をするのか?」「日本に学び、日本のようになりたいということではなく、日本を追い越すような気概をもってもらいたい!」という言葉に学生たちから大きな拍手が沸き起こった。色んなベトナム関係の人から聴くと、どうしてもベトナムの人達は、日本の政府が飛行場や、アクセス道路をODAで造ったように、自分達に何かしてもらえる・・と思う気持ちが強いようだ。 こういうところを考えると、日本の明治維新の時は様々な人が自分の国にとってよかれ・・と思うことに命を懸けたのだから、これは凄いことだ。これは他の国に望んでも仕方ないことかもしれない。日本人のDNAはエイリアンであり、一寸他の国で真似しようにも簡単にはできることではない。

   その夜は、自由行動で勝手に夕飯を食べるということで、だきたばかりだとう高島屋の食堂街に行き、K社長と焼き肉を食べた。  こちらの物価的にはタイよりは安い。  タイの高級品は日本の値段とあまり変わらないためベトナムは割安感が未だある。 食事後K社長がホテルの広告案内を持っていたため、その中の明朗会計のカラオケ店を探すことにしたが、多少小雨のホーチミンの街を、二人のオッサンがウロウロ歩いている様は、いくらベトナムは安全安心の街でも、見る人からにいいカモに見えたことと思う。その地図と、K社長のスマホのグーグル地図を頼りにあっちへ行き、こっちへ行きしていたら、ポン引きのお兄さんが日本語で盛んに声をかけてくる。そのしつこいお兄さんたちを振り切り、ちょっととした路地を入ったところに目的のカラオケバーを探し当て入った。私についた女性は22歳で学生で日本語はできないが、英語なら多少大丈夫ということで、サービスで英語の歌を中心に歌った。K社長の演歌もなかなかのもので結構年期が入っていた。 ここの会計は本当に明朗会計で、飲み放題一人4000円ぽっきりだった。ちょっと学生のお姉さんにチップをはずみ、タクシーでホテルに戻った。 ニッコーホテル・ホーチミンは、高層ホテルで、なかなか新しくて良いホテルだった。二つだけ欠陥があった。 トイレは日本式にバスタブとは分離した個室になっていたが、戸を押して入ると、必ずカタンと音が鳴る。何かと思ったら、トイレ用の受話器が戸のすぐ脇に設置してあるため、入る時に身体が接触し、受話器が外れてしまうのだ。もう一つは洗面所だ。  洗面所がかなり豪華に独立してあるのはいいのだが、その後ろに隙間があり、そこに洗面用具を落としたら隙間も狭く、かなり無理な体制をしないと裏まで手が届かない。 機能性やスタイルを優先し、ちょっとした“心遣い”が足りないベトナムであった。

 次の日は最後の一日となる。 朝は、阿部知事との朝食会とのことで、7時半にレストランに行った。 一言ずつということで、その日集まった皆さんは結構ベトナムと縁の深い人達が多く、税関の問題とか法制の問題とか具体的なお願いも出ており、私のような”物見遊山“の人間の出る幕ではない・・とおざなりの発言をした。この日最初の訪問会社はナスダック上場会社エムケー精工さん。この会社は、部品から製品まで手掛け、OEMや下請けもやってはいるが、オリジナルのちょっと大手では手の付けないようなニッチなパン焼き器や餅つき器、また「工事中」とかのLED表示装置、灯油等の電動ポンプ等、また車の自動洗浄機は市場の70%を占めるというから凄い! ニッチトップの積み上げと丸山社長は言うが、部品とアッセンブリー程度の我々にとっては、これからの中小零細の進むべき方向・・といった感がある。このベトナム工場も、500種類の製品を造りだしているとのことだから、これも凄い!弟さんが社長とて仕切っており、番頭さんともいうべき人もおり、かなり盤石の体制だ。318名で日本人が5名は多いと思うが、これだけのアイテムをこなすためには5名でもシンドイとのこと。前日の工場も、この後訪問した工場も言っているが、一年以内の離職率は高いが、その後の定着率は良いという。

 こちらの駐在員のベトナム人の見立ては大変参考になる。 ① 甘いものが好き。大食い。糖尿病などの成人病が増えつつある。 ② 親戚も含め、家族とのつながりが大事。出身地が違う人を雇っても3年位すると故郷に帰ってしまう。(これは他の企業からも聴いた) ③ 老人を大事にする。・・・これはタイ人も一緒。家族を大事にすることの延長線上にある。 ④ マイペースで時間を余り気にしない。これはどの程度かはわからないが、タイ人と一緒か? ⑤ 勉強熱心、勤勉。・・・時間も守りそうなものだが・・・? ⑥ 女性の方が責任感があり、良く仕事をする。これは温かい国ではみんなそうかもしれない。 ⑦ お酒好き。 ⑧ バイクの運転が上手い。バスに乗っていると、後ろから次々とバスの側面ぎりぎりにスイスイは知って行く様を見れば、皆さん、なかなかのものだ。 ⑨ 街の発展が早い。リゾート開発が非常に盛ん。20年目のマレーシアを思い出す。 ⑩ 工場のワーカーよりオフィス勤務を望む傾向が強い。 ⑪ 新日国家である。日本に憧れ、日本に期待している。 これからのターゲットは「オート」、「情報」、「生活」だとのこと。

 BtoBとB to Cの使い分けが必要となる。 M&Aとか業態の横展開、生活の感覚をつかむために女性の開発担当を増やす必要がある。今年の技術系新卒者は8名中4名が女性。 この会社は円高の方がありがたい。 中国、韓国はコピーされ易く、常に警戒している。

 次に行ったのは、何と日本電産サンキョーだ。大分以前(20年位前)に中国の紹閑という深圳からかなり内陸には入った古い都市にサンキョーさんの工場があり進出を考えて行ったことがあるが、そこそこの工場であり、これと言って取り立てたこともなかったが、今回の工場はちょっとばかりビックリした。 「すぐにやる! 必ずやる! できるまでやる!」・・という永守イズムということか?  3700名の従業員に対し日本人が17名居るが、規律がしっかりしているのと、工場の5Sが行き届いている。ステッピングモーターを月1600万台造るこの工場のローラーシャフトの自動機がズラーっと並び、良く世の中にこんな数があるな?という感覚になる。これは自動機でやった方が・・という工程もあったが、この工場の諸事情もあるのだろうと思う。それからこの工業団地への誘致を勧める公共機関とか、最先端の研究を団地の企業と組んで進める研究所とか、日本企業へワーカーや管理者を送り出すための職業訓練校とかを回ったが、とにかく皆んな3階、4階を昇ったり下りたりで、前の晩あまり寝てない私は、プロジェクターでのプレゼン時は非常に心地よい休み時間となった。

 夕食は、こちらのホーチミン近郊で活躍している長野県出身の人達と阿部知事が参加の”打ち上げ”となった。  阿部知事はなかなか気遣いの人でアチコチのテーブルに行き、色んな人達と飲みニケーションを図っていた。   食事の後は、空港に向かい0時30分発の飛行機に乗り込み、朝8時前に成田着。 無事に小諸まで返って来た。  会社で仕事をしているのが、一番楽だということが、今回は特に感じる良好であった。 初めてのベトナムであったが観光は全く無しで、工場見学と交流会の連続で結構疲れる旅であったが、その中でも3名の社長とは結構ウマが合い、今後も付き合いが繋がりそうである。 ハノイは20年前のバンコク、ホーチミンは20年前のシンガポールといったところか?  但し、その発展ぶりは加速度的であり、恐らく年々進歩して行くだろう。 バイクが車に代わると交通渋滞とか公害問題とかが深刻化してくるような気もする。生活水準のアップが、本当の人類の幸せか?というとそうでもないようなことが多い。 ベトナム人は勤勉で、真面目なことはわかったが、日本人と全く一緒か?というとそうでもない。自分で切り拓いて行く・・・といった点においては、いわゆる「指示待ち」という面は否めない。日本人管理者が居て、これをこの通りやりなさい・・ということに関しては、ほぼ間違いなくやるようなので、他の国でなかなか言った通りに動かないワーカーに手を焼いている会社はベトナムに進出した方が手っ取り早いかもしれない。特に日本の中小企業が思い通りにモノを造ろうと思ったら、このベトナムが最適ではないかと思った。 現に、工場見学をさせてもらった各企業は、それぞれ素晴らしい体制を取っておられ、高品質なモノ造りが実現できているようだ。ベトナムに限らず、日本の大手メーカーがこぞって中国、タイ、フィリッピン、ベトナム等々へ進出し、それを取り巻く各中小部品メーカーも無数に出ており、かなりきちっとしたモノを造っている訳で、私の唱える“国内での生産”の難しさを感じざるを得ない。 しかしそれでもなお、私はこれからの日本は日本でモノ造りをすべきだと思う。  その手段はやはり基本が「自動化」である。ベトナムの各工場を見ていると、やはり大量で続くものは自動化が進んで行く。モノを造っている現場は強い。

 私の提案としては、次の時代を築くような全く新しい生産品から徐々に日本で造りだしたらどうか?と思う。  現に私の会社にも、全量日本で造ってもらいたい・・という依頼が最近多くなってきている。  ”メイド・イン・ジャパン“が売り物になり始めているからだ。 私も個人的には衣類などはできるだけ日本製を買うようにしている。 日本のメーカーも「ただただ安くないと売れない」というジレンマから抜け出す必要がある。  今日本で売れている家電製品のランキングを見ると、ダイソンの高い掃除機やドライヤーが上位にランキングしている。 ただ安いモノではなく、きちっとした機能が備わり、それなりの価格のモノであれば買う人も間違いなく多くなる。特に中国人にとっては”メイド・イン・ジャパン“はもっとも信頼できるブランドであり、日本できちっとしたモノを造って行くことが、これからのトレンドになって行くだろう。  若い人達がバイクに乗って未来を夢見る国・・・ベトナム  ベトナムで買った3000円のベルト、今のところ、なかなか良好である。 日本はこれから一体どこへ向かうのか?

《以下はネット情報です》

 ベトナムのバイクの価格(ネット情報) ベトナムではホンダやヤマハといった日本車が人気で、新車の価格は車種にもよりますが、15万円から30万円程度。 ちなみに、中国車は3万円から5万円程度で売っていて、かつては圧倒的なシェアを誇っていましたが、やはり日本車の方が丈夫で質がいいということで、中国車のシェアは少なくなっています。車の価格はというとかなり高価になります。日本で売れられている車が、政府の交通渋滞や環境問題などの懸念による方針によって、倍以上の値段で売られています。例えば、日本で150万円の車が300万や400万もします。ベトナム人の平均所得は20万程度(2000ドル)ですから中々買うことができません。一般的に車の保有台数が増えるようになるのは所得が3000ドル以上になってからと言われていますので、ベトナムの圧倒的なバイクの存在というのはもう少し続きそうですね。

 2008年 07月 27日 ベトナムの家と土地事情  その途中でみた ベトナムの家が あまりに面白いのでご紹介します 土地が狭いわけでもないのに鰻の寝床のように 細長い建物です ノッポの建物ですので 水をポンプで屋上のタンクに貯めますので どの家にも タンクが みえます 一見 コンクリート建築かと思えますが 実際は違います 何本ものパイプをつかって 各階のフロアをつくりますが このフロアには コンクリートをつかうようです でも 壁はすべて レンガでうめつくします その上をモルタルで覆ってしまうと  外目には 鉄筋コンクリートの建物に見えますが  実は 鉄筋は 数えるほどしか はいっていないのです 先の写真にあったように ベトナムの土地は 粘土質ですので 農地を掘ることはできませんが 川の底の土は たまってくると 川底が浅くなってしまい 洪水のもととなりますので これを掘り 乾燥させて レンガを焼きます 乾季は レンガ工場では どんどんレンガがつくられます その豊富な安いレンガを利用するわけです レンガは重いですので 洪水になっても 家が流されることはありません 「ベトナムには 地震がありませんので レンガで大丈夫」って ガイドさんは 自信満々です お金持ちになればなるほど 背がたかい建物で ペンキも 四方にぬられますが お金がない人は3階で 前だけ塗装です ちなみに洪水が多いですので 1階はシンプル台所と食堂で 2.3階以上に大切な家具は おきますし たいていは3世代同居だそうです だいたいこのような家自体は300万円ぐらいで建つそうですが 土地は すごく高いそうです 余談になりますが ベトナムの土地制度について・・・ 社会主義国家ですので 当然土地は国のものです 国民は その土地をつかう借地権を政府から買います それには 赤 ピンク 青の3種類があり 赤は 永久借地権ですので とても高いそうです ピンクは 赤の3分の1の値段でかうことができますが 立ち退きをせまられれば 従わないといけません 代替え地は 用意されるそうですが・・・政府がきめる値段で 売らないといけませんので 損をすることもあるそうです 青は ピンクの20分の1の値段でかえるほど安いのですが これは 農地としてしか 利用を許されていません また 頻繁に洪水の多く発生する(3年に1回ぐらい)地域の 土地は 安く そうでないところは 高いとか。 借地権の売買は ベトナム人にしか権利がありませんので 海外企業は ベトナム政府か 民間の人から 借りて 工場をたてることになります ですから お金のない人は 安い土地を金持ちから借りて 3階だてぐらいの家を建てて(ローンを組んで) 3世代で すむことになるわけで 夫婦共稼ぎは当たり前のようです

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