A hard day’s night

このタイトルは、勿論我がビートルズの曲の題名である。「ヤァヤァヤァビートルズがやって来る!」という映画にもなったので、結構ご存知の方も多いかと思う

先般、そのビートルズの一人、ポール・マッカートニーが来日し、日本で2年ぶりのライブ公演をした。
私も4月29日の東京ドームへ娘と共に見に行ったが、その冒頭の曲が、この”A hard day’s night”であった。

私のこの1ケ月の間は正に“Hard day‘s night”だった。
8日に東京に行き、2泊した後会社に戻れば、たまったメールの処理、来客、会議に追われ、13日~15日まではアチーブメントの社内研修で、当社のスタジオに缶詰状態、15日研修終了後、東京成田へ飛び、翌日から5日間大連にて新規事業立ち上げ準備、17日からはお客が4名大連に来て合流、19日に戻ったら、今回の「ものづくり補助金」の説明で、朝一で長野まで車で飛んだ。
2000万円の助成金を貰うのも、結構大変!首相の奥さんのお友達でもちょっと知っていれば、プレミア付きで忖度して貰えそうだが、生憎そのような人徒のお付き合いは無い。
帰ってくれば、来客ラッシュ、次の日は、私が代表を務める「新老人の会」東信ブランチの1日バスツアー旅行で秩父へ向かう。
 信州観光の27人乗りサロンバスで20名で秩父方面へ向かい、有名な長泉寺の藤の花を見ようと思ったが、残念ながら今年はだいぶ遅くなってしまったようで、ナーんにも無し、藤棚がたくさんあるところを見て、長瀞ライン下りをした。
こちらも流れが余り急ではなく、スリルが無かったが、まぁまぁだった。
ここから昼食は、私のお奨めの花園インター近くのとんかつ屋「三峰」へ向かった・
私がとんかつが抜群に旨いと言っているにも関わらず、殆どの人が、コストの高いうなぎを選んだ。カロリーも少なかったからかも知れないが・・・。
ちなみに私は何度もこの店に来ているが、うなぎは未だ一度も食べたことはないが、皆さん満足そうだったから旨かったということか!?
午後は、羊山公園の芝桜を見て帰って来た。
花はイマイチだったが、とにかく皆さん楽しそうで、何よりだった。

翌週は、少し楽になったが、来客と助成金の手続き関係に追われ、東京にも一日出張、28日は従業員のお誕生日お食事会の日、翌29日は、母の13回忌の法要を兄弟関係が皆集まり長野で行い、その帰った足で娘と東京へ向かい、東京ドームへと向かった。
ポールの冒頭は“A hard day’s night”で、最初から全員立ち上がり、盛り上がったが、さすがに3曲も立って騒いでいると疲れが出てきて、結局は殆ど座っていた。

最後のサージェントペパーの関係の演奏はクライマックスで立ち上がり、なけなしの体力を振り絞り頑張った。
それにしてもポールはいつもの通り20数曲、全く水も飲まずに、ぶっ続けで歌い続けている。今年6月で75歳のはずだが、一寸鍛え方が違うようだ。
アンコール終了後、声が涸れ何か飲みたいと思ったが、帰りの人混みは、これまでの最後列の席と違い、結構グランド席側だったため、とにかく人混みの中で身動きが取れない。
人の流れに任せて、どうにか道路に出て少し歩き、電車に乗るのもかったるいので、娘の行きつけの恵比寿のスナック迄タクシーを拾ったが、初期料金は安くなったが結局5000円もかかった。
次の日は、銀座に食パンだけを売っている店があり、とても美味しくて評判ということで10時開店のところ、9時半に行って並んだが、既に70人も並んでおり、結局1時間近く待たされて、2斤で800円位の食パンを3つ買って帰った。
その後も未だ忙しい。
帰ったその足で佐久平の駅からそのまま、ジャズダンスの先生等のステージがあるということで、そちらの会場に直行、そちらが終わって家に戻ると、今度は軽井沢大賀ホールにて岩崎宏美と国府弘子の演奏会があり、車で軽井沢に向かう。
大賀ホールは、音響のプロに言わせるとマイク音響を通さずに歌や演奏するのが最も良い音響となると聴いていたが、岩崎宏美は正に出てくるなり、マイクなしで「アベ・マリア」を歌い出した。
考えてみれば、昔はマイクやアンプは無かったわけであるからオペラとか演奏はその建物の壁・天井の反響が全てということか?
特に印象に残った曲は沢田研二の曲、「時の過行くままに」と「思秋期」は、岩崎宏美の歌唱力と国府弘子のピアノの力、そして阿久悠の詞の力が相まって素晴らしかった。
それにしてもピアノ一本で凄い迫力も出す国府さんとのコラボは最高だった。
4月のバタバタはこのコンサートで終わった。
このA hard day’s nightの結果、私は孫の風邪が移ったらしく、2年半ぶりに風邪をひいた。咳と鼻水が止まらない。

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日本の国技の大相撲が帰って来た!?

先週、大相撲が終わったが、新横綱稀勢の里は感動モノの逆転優勝だった。

前の日の稀勢の里の相撲は全く力が入らず、あっけない相撲内容であったため、まさかあの痛々しい身体で照の富士に2連勝するとは殆どの人は思わなかっただろう。

私は子供の頃から相撲が大好きだったが、モンゴル相撲になってしまってからは、全く関心が無かく、「ああ、大相撲またやっていたのか?」というような程度だった。

 しかし、最近は稀勢の里の活躍、同部屋の高安、長野県出身の御嶽海、小さくても面白い相撲を取る宇良とか石浦、遠藤、そして栃煌山等が頑張り始めて、かなり面白くなってきた。

 テレビで相撲を見ていると、ついつい日本人力士VS外国人力士で、日本人力士の応援をしてしまっている。

 また最近のスポーツ界の日本人の活躍は目を見張るものがあり、先般のWBCの野球を始め、サッカー、スキー、水泳、スケート、テニス、卓球、バトミントン、柔道、スケボー等々、とにかく最近の若者の活躍は素晴らしいと思う。

 今日は、私のスポーツに対する考察を展開することになるが、これらのスポーツは貧しい発展途上国と豊かな先進国では、スポーツで頑張る動機が異なるのではないか?と思う。

例えば、貧しい国の若者は兎に角ハングリーであり、自分がスポーツで勝って、親や家族に少しでも楽をさせたい・・・という思いで頑張るし、逆に先進国の選手の動機は・・・もはやハングリー精神はないため、自分のスキルに対する向上心とか、成長に対する貪欲さとかいう自己概念の高さが問題となる。

「夢」、「希望」、「願望」とかの自分との約束=戦いがその動機となるのだ。 

イチロー選手が子供の頃からプロ野球の選手になるという大きな目標に向かって、普通の子供の遊びはせずに、野球の練習に専念していたという話は有名だ。

今各スポーツ界で活躍し始めている若い選手は、殆どその範疇かと思う。

「マズローの欲求の5段階説」を持ち出すと、更に分かり易くなる。

 私が、今から50年ほど前に、大学のゼミの卒論で「人間関係」を扱った際に、出て来たアメリカのアブラハム・マズローという人の唱えた、「人間は自己実現に向かって 絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求の5段階説を唱え、これが半世紀以上たった今でも、アチコチで引用されているため、これは本物の説かな?と思っている。

:生理的欲求
:安全欲求
:親和欲求
:承認欲求
:自己実現欲求
 *1から2までは物質的な欲求、3から5は精神的な欲求に分けられる。

結局、私が言いたいのは、発展途上国の人達(戦後の日本も同様)は、この5段階のうちの物質的な欲求が強く、自分の命、自分の生活に関って来るため、簡単にはあきらめず、最後まで頑張る。

 また先進国になると、自分の命や生活は安定しており、この図から言うと、上位の精神的な欲求が強くなる。

 特に、自分が勝つことにより、世の中に認められたいという欲求、そして最上級の「自己実現の欲求」に向かう。

 相撲は・・と云うと、ここ10数年はモンゴルの人達とかの物質的な欲求=ハングリー精神が日本の相撲取りを圧倒してきたのかと思う。

 また相撲業界という古く厳しい伝統の中では、ハングリー精神のような人間の根源に拘る動機が、「夢」、「希望」、「願望」というような甘っちょろい動機を一蹴してきたのではないだろうか?

 そこへ、最近の若者が殻を打ち破り始め、頭角を現し始めて来たのではないか?

 すなわち、角界の伝統とか常識が少しずつ変化し、他のスポーツと同じように「精神的な欲求」により、頑張る若者が増えて来たのではないか・・・などと勝手に想像しているのである。

 兎に角、日本の国技と云われる相撲が日本人の元に帰りつつあることはうれしい限りだ。

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久しぶりの講演

久しぶりに講演の依頼がかかり、県内須坂の商工会議所にて1時間半の講演をしてきた。 今回は、事例研究「セルコの47年間の軌跡」として、当社の47年間の売上高と経常利益をグラフ化し、企業の生き様をこのグラフの中に見ながら解説をした。
長野県須坂商工会議所工業部会講演会レジメ(平成29年1月27日) (株)セルコ 代表 小林延行  私が7年前に書いた「立ち上がれ中小零細企業」という本により、発刊当初は大体月一位で講演依頼が来たが、今回は、コンサル会社からの依頼で須坂の商工会議所工業会の定例講演会の講師として呼ばれた。

「立ち上がれ中小零細企業」

1、 NHKのビデオによる会社紹介
約8年前、「おやじバンド」でNHKに立て続けに3度出る。 会社紹介は、8年前におやじバンドで3回立て続けにNHKテレビに出た最初のビデオでどんな会社かを紹介した。

2、 事例研究=(株)セルコの47年の軌跡
① 気楽な下請け時代・・・何も考えない経営 セイコーエプソンのドットヘッドのプリンター用コイルの完全下請け しかし平均利益率は17年間で何と2.8%→「生かさず、殺さず」の下請け政策がアリアリと分かる。
② ラッキーだと思っていた海外取引が地獄の入り口 米国ウエスタン・デジタル社、韓国サムソン社のハードディスク用スイングアームを受注し6年間は良かったが、技術流出で一気にゼロへ。
③ 大リストラの末、社長就任・・・58名から17名へ 私が社長になったものの「何もしなくても仕事は来る」・・と思ってのほほんとしていた。
④ 2年の間にさらに売上低下 そのまま、2年間何の手も打たずにいたら、600万円/月迄落ちる。 父の残してくれた資金も底を突き、絶体絶命のピンチを迎えた。
⑤ 誘われた自己啓発セミナーにて”気づき“、社長としての役割を自覚し営業活動を開始。V字回復を目指すが簡単ではない。
⑥ 自社のPR=ホームページの充実、新聞記事、有効な展示会、有効な広告 営業関係の本、セミナー、講演会で猛勉強、お金がかからず、一番宣伝効果の高い方法は「新聞記事」・・・新聞記者は”良いネタ“を探している。良いネタを提供すれば必ず記事になる。
⑦ 「高密度コイル」の誕生、以降「高密度コイルのセルコ」としてPR ニコン半導体露光装置ステッパー用のコイルから高密度コイル(特許技術)が生まれる。
⑧ ボビンタイプのコイルも高密度コイル 抵抗やインダクタンスが通常±5%、厳しくても±3%のところ、当社は顧客規格±1%を実現している。
⑨ これからが、本格的高密度コイル時代、モータ製作に挑む。 車、医療、ロボット、航空宇宙等々、まずは性能、精密さが特に要求されるモータやセンサーから採用され、最終的には当たり前の技術となって行く。(大分大学の教授) もしかしたら、当社のもーたーによりドローンが今より2倍飛べるかもしれない。   

3、日本の現状と問題点
① 日本の会社の99.7%は中小零細企業、労働者の69.9%は中小零細企業で働いている。→この人達が潤わない限り消費は上向かない。   
日経1月14日の記事「企業の休廃業/解散最多」昨年2万9500件超越す ・・・倒産は減ったが閉める会社が増えている。加工費が安すぎる。 「生かさず、殺さず」の下請け仕事が、次の世代に仕事を引き継ぐことを阻んでいる。
② 金融緩和、円安、株高で大企業の業績は上がるが、中小零細にとっては必ずしもプラスにならない。
③ 政府のやるべき施策:大企業には日本でモノ造りをするように仕向ける。また部品は日本の中小零細企業を使うように働きかける。(アメリカトランプ氏のように・・)➡詳しくは小林著の電子図書「2020年 東京五輪の年にメイド・イン・ジャパンが復活する。(中小零細企業の活用でメイド・イン・ジャパンが大復活する)」を参照。   「日本のモノ造りの凄さ」 日本は“島国で農耕民族” ポイントは“一つ所でコツコツコツコツ”と“協調性”“助け合いの精神”“思いやりの心”“以心伝心”“人類皆兄弟”の精神。 中国も、アメリカも、ヨーロッパも“大陸で遊牧民族” ポイントは“自分にスキルを付け高く売り込む、会社を移れば移るほどハクが付く”“人より先に自分がでる”“自分が中心”“イエスかノーか”“人を見たら泥棒と思え”が彼らの常識。 何千年、或いは何万年育まれたこれらの精神は、良くも悪くもこの100年位の変化では変わらない。 先年の大震災で証明された助け合いの精神、我慢の精神・・・「子供たちが老人の面倒を見る」「自分より困っている人を先に・・・」「略奪したりしない」 ・・・・・・この心、精神こそが、「日本のモノ造りを支える精神」・・職人の精神。 新幹線の掃除の人達。7分で全て完了。これは日本人だけしか出来ない。 それに比べ、タイ、中国の特に船便の荷扱いの悪さ。 基本は、同じ事を、同じ所でコツコツコツコツ、頭の良さではない。 そして、協調性。⇒小さな島国、土着型農耕民族のDNA,文化であり、他の国には殆んどない特性。⇒本には詳しく書いてある。       
特に、日本のモノ造りは中小零細製造業の生産技術に負うところが大きい。 日本の中小零細の社長は生命をかけて仕事をしている。 ・日本の自動機とかロボット技術は世界一。これを駆使する。中小零細も考える。  
・自動化、ロボット化はお菓子とか食品業界のお家芸ではない。我々の会社に何百万、何千万という安定した部品の受注があれば、間違いなく自動化し、安くて高品質な部品を作り出せる。スマホの4割の主要部品は日本の部品メーカーが造っている。ムラタ、アルプス、TDK、日本電産等々、すべて自動化して国内で十分採算が取れている。
・少子高齢化は全く問題がない。
④ 大企業のサラリーマン化が進み、斬新的な新しい製品がなかなか出てこない。海外のバカ高い家電製品が売れている。ダイソンの掃除機、扇風機、ドライヤー等、アイロボットのロボット掃除機等   日本は”安い”モノを造れば売れると思って、韓国、中国と競争の末に見事破れ去った。
トヨタ、マツダ、富士重工、コマツ、東レ等、日本を中心とした「モノ造り」をしているメーカーは強い。  

4、今後の日本の製造業の方向性 <バルミューダ> 
ベンチャー企業 独特な家電製品:蒸気トースター、蒸気炊飯器、ポット、空気清浄機、ヒーター等を製造・販売している。   ・・・・国内生産であれば、かけたコスト以上に“質”という製品価値を生み出すことができる。「人件費以外のトータルコストを1つずつ見直して圧縮していけば、たとえ日本国内で生産しても海外で生産した場合と同じぐらいにコストが引き下げられると寺尾自身が判断しました」(阿部氏)。・・・・  ・・・という社長の言葉に集約される。  

5、セルフコントロール=セルコの経営
① 上司や他人から言われてやるのではなく、まずは、自分が発起人となってやる・・と云う自主性、自発性を重んじる。 
② 中小零細企業の従業員は「寄せ集め」・・・殆どが中途採用者で、様々な環境で育ってきた人達で構成されている。 ➡研修に数百万かけ社内に講師を呼び、3日間缶詰研修。  社員の誕生日月には誕生食事会  朝は全員で握手会をして、気合いを入れてから仕事をする。 ➡「家族経営」の奨め。
③ 5年後75歳で社長を息子(現36歳)に譲る。現在、息子以下の30代の部長、課長に実際の業務運営は全て任せている。  責任感、自発性が増し、社内が活性化し始めている。    以上

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この年の締めくくりに・・・・


2016年、平成28年ももう僅かである。
 我々が何を考え、何をしても、間違いなく時間は過ぎて行く
 人間生まれて生を受けたと同時に死へのカウントダウンが始まる。
 それが長いか?短いか?の違いはあるにせよ、このことはいかなる人間にとっても等しく与えられた宿命である。

 私も古希=70歳を昨年迎えた。
 50歳の頃、その体調の悪さに、とても60歳までは生きられない・・と思っていた私が70歳まで生き、そしてまだまだ自分の人生に挑戦を続けようとしている姿は、悪あがきの人生というべきものであろうか?それとも特別私に与えられた神からのプレゼントなのであろうか?
 私の生涯の師というべき中村天風先生は、生きている限り挑戦し続けろ・・というし、昨年105歳になられた日野原重明先生は、「まだまだ・・」という。

 私としては、“生きている”=“生かされている“ということであり、やはり生きている限りは、自分は何らかの使命があり、何かをすべきなのだ・・と考える。
 昨年、70歳を迎えるに当たり、5年後、75歳にて社長の座を息子に譲ると社内外に宣言した。
 実際、その後、殆どの業務は息子以下の30代の若者が取り仕切り始めており、このまま行けば何とか恰好が付いて行けそうである。
 若者たちは任され責任を感じると、それなりの自覚が生まれ、それなりの仕事をするものだ。

 この会社も創立から46年が過ぎ、47年目を迎える。
 設立からセイコーエプソンさんの下請けとして結構順調に推移して来たが、経営的には何の戦略もなく、ただただ従業員を抱え、毎月来る仕事をこなしていただけの日本の典型的な下請け企業・・と云う会社だった。
 それが「企業30年説」とはよく言ったもので、16年前の設立後30年にして仕事が激減し、間違いなく潰れていた会社であった。
 メインだったドットヘッドのプリンターのコイルが時代の流れ=技術革新により、インクジェット、レーザープへと取って替わり、メインの仕事が無くなったことが、主原因であった。
 それから私の悪戦苦闘が始まった。
 10億円/年以上売り上げていたものが、2憶そこそこに落ち込み、ひどい月は600万円まで落ち込んだ。
 今から考えると、奇跡的な復活・・と云えるだろう。
 メインのお客は無く、毎年毎年日替わり定食並みにメイン得意先が入れ替わった。
 結構、最先端のプロジェクトが多く、大体途中まで行くと得意先の方で挫折するケースが多かった。
 今、16年かかって以前の10億円/年の売り上げに戻ってきたが、今後はこの売上高をキープする必要があり、更に伸ばして行く必要がある。
 幸い、当社が10数年前から手掛けてきた「高密度コイル」の需要が、急速に増えつつあり、この波にうまくに乗れれば・・・と云う期待がある。
 先般、九州の方から磁気学の権威の先生が来社し、日本のモーターとか発電機は大分遅れているが、これからセルコのようなきちっと巻く技術が違いなく、世の中で必要とされるようになって行くだろう・・・と仰っていたが、私は10数年前にそのことを直感し、この会社を「高密度コイルのセルコ」として世の中に「きちっと巻くコイルは間違いなく他社との差別化に有効」と言い続けてきた。
 
今年は、総じて良い年であった。

 社内的には、アチーブメント株式会社の「社内研修」を社員全員で受け、社内がこれまでに無く、まとまって来た感じがする。
 私の古希の誕生日には朝の朝礼時に従業員から花束を送られるというサプライズもあった。
 私は10年ほど前から、社員の誕生日には、一寸したプレゼントをしながら、その人の特に良い面を褒めたたえて誕生日のお祝いとしている。
また昨年の社内研修後には、思うところあって、社員の誕生月にはゲスト一人を伴っての「食事会」を開いているが、自分の誕生日は、これまで誰もウンでもスンでもなかったのが、今年は突然の花束で、涙、涙の誕生日となった。

 明日からの来年は、またどんな年になるか?
 なってみなければ分からない・・・が、どんなことがあっても、生きている限り逃げる分けにはいかない!

 皆さん!良いお年を!!
 来年もよろしくお願いします!!
 

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