有馬温泉

5月の連休は、家族・孫全員7名で、兵庫の有馬温泉へ2泊で行った。
有馬温泉は1昨年、いとこ会の時に、大阪のいとこの企画で行ってきたが、家族の中では私だけであったため、今回の家族旅行と相成った。

ネットで色々と探したが、家族7人で連休、有馬温泉だと、かなりの高い宿泊料になるが、普段、離婚した息子の子供=孫3人の面倒を見ている女房も一緒に行くとなると、学校が休みで会社が休みの時しかなく、毎回、バカ高い料金を出して、家族旅行になってしまうのである。

事前に準備して、どこへ行ってどこで何を食べるか?迄決めて置こうということだったが、結局は、行き当たりばったりの旅行となった。
渋滞に巻き込まれながら、約9時間、息子のアルファードに7人乗で、有馬温泉についた。
取りあえずは、有馬温泉の色んな店巡りをした。
ここは、確かカンブリア宮殿でやっていたが、仕掛け人が居て、街に色んな仕掛けをしながら、人気スポットに育て上げた街であり、歩いていても炭酸せんべいとか、何とか饅頭とか色んなものがあり、とても面白い。
スマホで神戸観光トップ10を見たら、何とその第一位は有馬温泉だった。その次が六甲山ということで、翌日はまず六甲山に向かった。
神戸の街から急速に登り、上に登ると人がいっぱい、色んな施設があって、ここだけで一日十分エンジョイできそう。
お土産物屋がまた、殆どオリジナルのPBブランドだけで、また美味しそうなお菓子や、お酒が沢山並んでいて、ついつい買ってしまう。
孫達は、あちこち飛び歩いていて追うのも疲れるから、放っておくことにした。
神戸の街も一望でき、流石観光スポット第二位、なかなかのスポットだ。

そこから、神戸の街に下りて行った。
前の日から、息子がせっかく神戸に来たのだから、「神戸牛」を食べるべきだと主張するが、本物を食べると一人一万円もするので、これをみんなで食べたら大変なため、どうにか上手く切り抜けようとしていたら、娘が、ランチだったら結構安く食べられるはず・・となかなかの代替案を出したため、この日のランチは神戸牛ということになった。
いい店は予約が必要と、スマホであちこち探すが、なかなか適当な店が見つからない。
あるお店で、11時からの予約の人の後は予約を取ってないため、早めに並べば可能性があるということで、三宮のその店に向かった。
駐車場からその店に向かう途中に、確かスマホに載っていた店があったため、ひょっとしたら・・・と思って、入っていったが、全部予約でいっぱい・・・と云うことでNG,結局、目的の店に辿り着いたが、結構な列、、、
一応皆さんそこに並んで居てもらって、私と娘で近隣の店を探してみることにした。
ところが、その店から10mも離れてないところに、鉄板焼きのステーキの店というのがある。
誰も並んでいないと逆に不安になって中を覗いたら、全てスタンドで、目の前の鉄板でステーキを焼くというスタイルの店だった。
雰囲気が良さそう、値段も手ごろ・・・早速、7人お願いし、席は離れていたが、3人、4人で座って、ステーキを食べることになった。
結局、途中で大きな火が上がったりして雰囲気も良く、肉も柔らかく大変おいしい肉で全員が満足した。
別に神戸牛とは書いては無かったが、神戸でステーキを食べたのだから“神戸牛”ということだ。

そこから、第三のスポット「神戸メリケンパーク」へ向かう。
当家のメンバーは、そこに何があって何が面白いのか?とか聞いてくるから、神戸ポートタワーがあって色々ありそうだよ・・・と云うと、そんなタワー見たって何が面白いんだ?とか言いたい放題云う。
「こっちは、ただスマホの観光スポットの上位ランキングを言っているだけで、何がどう面白いかなんてわからんよ!」と言いながら、目的地についた。
 車の渋滞で、息子は運転して駐車場に置いてくるから、後の人は先に出て、遊んでようと云うことになった。
 私の目が向くのは、即、ライブ会場の女子ロックグループの演奏だ。
 席が一つ空いていたから、そこに陣取ってライブを楽しんだ。
 しばらくして、女房に携帯をしたら、孫2人(10歳、7歳の男の子二人)とはぐれてしまったとのこと。
なんと云っても、ここは物凄い人だかりで、ここではぐれたらまず見つからない。
とにかくはぐれたところで待ちながら、一応息子にも電話を入れておこうと電話したら、何とその孫2人はおとうさんの車迄来て一緒に居るとのこと、、  
迷った時は、お父さんの車を探すこと・・・と云うことを長男にいつも言ってあったということで、未だお父さんが駐車場への列に並んでいて、駐車場に入っていなかったため、即見つかったようだ。
その広場には、ワインの試飲とか旨そうな肉の試食があり、特に肉の試食は長蛇の列が出來、炎天下で待つのもつらいため、それはあきらめた。
息子達3名は、向かいのハーバーランドに居るというので、ちょっとばかり歩いてそのハーバーランドに向かった。
ちょうど東京お台場のショッピングモールと殆ど同じようなイメージのショッピングセンターで、人の数はメチャ多い。
4歳の女の娘の手を引いて歩くのも、結構大変だ。
その内に孫が綿アメが欲しいと言いだした。
綿アメといっても3色の綿アメでバカでっかいのがいいという。
何をするにも並ばなければならないため、並んで買った。
並ぶのは、東京銀座の食パン屋さんで慣れているから、10分やそこらは全く気にならない。
その人ゴミの中で、後から来た女房と娘と再開ができた。
その内に男の子の孫が現れたが、ろくに再開の感激も無しに、すぐにそばの店の中へ消えた。
結局腰掛も何も無い場所で、孫たちの買い物の時間かれこれ1時間近く待たされた。
そこで夕食でも食べて本日終了・・・と普通の人は考えるかもしれないが、そこで終わらないのが、我が家のユニークなところ。

娘が、旅行に来る前から見つけて置いたイルミネーションスポットがあるという。
「NESTA RESORT KOBE」というイルミネーションが凄いところが神戸近郊の三田(サンタ)市というところにあるという。
ナビを使って、結構1時間以上かかってその場所に到着した。
途中、夕食は軽く・・・と云うことで、インドカレーの店に立ち寄り、それぞれ辛い辛いと言いながらも完食した。

この「NESTA RESORT KOBE」=ネスタイルミナという場所は、バカ広い敷地がきちっと整備されておりホテルもある。
 後で調べたら、どう考えても、今回泊まった有馬温泉のホテルより安くて、部屋も広くて快適そうだったが後の祭り。
今後は、みんなで色々と探してから決めようということに一致した。

イルミネーションは確かに凄い。
まずは教会のような建物にイルミネーションの縁取りがしてあり、この建物が幻想的な音楽と共に様々な色に変わって行く。
次は、洞窟型のイルミネーション通路。
ここも上を軍用機が飛び、おまけに日本の国旗とアメリカの国旗が並んで飛んで行ったりして、安倍首相が喜びそうな趣向だった。
そこを抜けると、イベント広場のような空間があり、池の上で、とても幻想的なギリシャ神話の物語映像を5分位流してあっけなく終わる。
もうちょっとどうにかなるのかな?と思ったが、一寸物足りなさが残った。

いずれにしろ、この膨大な敷地を管理するだけでも大変だし、これだけのイルミネーションの電気代も、とてもこの程度の入場者では賄いきれるものでは無い。
ハウステンボスも、開園当時、確か市役所の一職員が発想し、色んな人達を説得して作り上げたリゾートとして絶賛されていたが、結局はずーっと赤字状態で、HISの澤田社長が立て直して黒字化したというが、ここも澤田社長級の人が現れなければ、とても維持、発展は難しそうだ。

門限が10時と云われた有馬温泉のホテルに、どうにか時間内に着いて、ひと風呂浴びて寝た。
お風呂は、露天風呂があり、湯質も温度も良かった。
ここのお湯は、9つの温泉成分のうち、7つの成分が含まれていて、身体に大変良いということで、二日間とも5時頃起きて、1時間弱ゆっくり浸かった。
しかし、朝のバイキングは、二日間とも劣んど同じ食材の上、一時に大人数が料理に向かい、私はその隙間隙間で、取れるものを取って食べた。
これまでで最悪のバイキングであった。

次の日は帰る日であったが、最後の日も何かビッグスポットを・・・と考え、有馬温泉から帰る方向とは逆に約一時間の姫路城に行くことにした。
白鷺城とも云われるこのお城は、本当に美しい。
改装したばかりだから猶更、壁の白さが目立つ。
裏の方に車を止めて、表の方へ向かうと、そこは長蛇の列で、今日は天守閣に登るのは無料ということで、お城に入るのは約30分待ち、天守閣は約1時間待ちということで、天守閣はあきらめた。
ここもじっくり見れば、悠に一日コースの観光地だった。
ここは、スマホなんかではなく、持って行ったミラーレスの一眼レフカメラの登場で、構図を考えパチリパチリ・・であるが、このカメラ、買った時から調子が悪く2度修理したが、未だ何かがおかしい。
途中でシャッターが下りなくなってしまう。
結局は、馬鹿にしていたスマホのカメラで、撮らざるを得ない。
天守閣には登らなかったが、西の丸には入った。
西の丸もかなり大きく、普通のお城の中と同じくらいの見どころがあった。
千姫が大阪城からこのお城に来て、余生を送った場所がこの姫路城西の丸だったということだ。

お城の守りとしてもかなり工夫がされており、敵が一気に攻められないように要所要所曲がりくねった階段があり、その守りの壁には△,□の鉄砲打ちの穴があり、お城の中にも石落としの穴もあったが、実施には石を落とせるような大きな穴ではなく、幅は1メートル、隙間が15センチ位の蓋付きの穴があり、説明のおじさんが話していたが、実際には石を落とすのではなく、横から鉄砲を撃ったり、敵が傍まで登ってきていないかを見るための穴だということだ。
それにしても、このような仕掛けは、わが信州上田、真田一族のお得意の手法であり、大阪夏の陣以降、このような城備えが恐らく、全国的に流行ったのではないか?などと勝手に思った。

大阪ではちょっと土地の問題があって無理だが、上田のどこかに、あの真田丸をできるだけ忠実に再現し、そこを日光江戸村のように映画のロケ地にしたり、様々なアイデアで観光地化したら、かなり全国から人が呼べるのではないか?などと思ったが、生半可な費用ではないため、最終的にIHIのお世話になる可能性もありそうだ。

 お菊井戸という大きな井戸があり、ここに皿を割って殺されたお菊が投げ込まれ、その後化けて出てくるという例の「番町更屋敷伝説」の井戸である。
あれは確か江戸の街の話だったかと思ったら、全国に似たような話があるのだそうだ。
とにかく、このお城大きくて立派で美しい。
しかし我々は早めに帰る必要がある。
無料で入れる天守閣は次のお楽しみとしてお城を後にした。
帰りがけ、またも途中で見失った孫(長男)は、ちゃんと出口付近で待っており、無事合流できた。
小学校5年生ともなれば、きちっとポイントを掴めるようになるのだと感心したが、もう少し大人になれば、はぐれるようなこともなくなるだろう。

帰りは私の発案で、富山の方を回って帰った方が渋滞がなくていい・・・と云うことで、山陽道から日本海に向かって走った。
息子の車のナビがちょっと古くて危なっかしいということで、娘のスマホのグーグルナビを頼って走り出した。
 スマホのナビも、車のナビと同じような声でガイドする。
 そのナビに従って運転していたら、途中でまた大阪の方へ戻る道に入ってしまい、隣のインターで降りUターンした。
 ナビはどうも最初の設定時の最短の情報を優先するらしい。
 途中、私が運転した。
 行きは渋滞があり、なかなか運転交代のタイミングがつかめず、そのまま息子が運転していたため、息子も自分が全部運転したとことあるごとに云うし、さすがに一寸気が引けていたため、今回は少しでも運転したという実績を付けておきたかった。
 この日本海側の高速は、普段普段余り車が通らないとみえ、殆ど片側一車線で、とても走りずらく、ハンドルをきちっと握っている必要があり肩が凝る。
 途中、美浜、高浜、大飯とここは原発銀座である。
 現在、北朝鮮のミサイルが大変とか言っているが、私はいつも言うが、一番危ないのは日本の54機の原発である。
 北朝鮮は20万人もの屈強な工作員を養成しており、いざという時は韓国にも日本にもそれらの工作員が大量に流れ込んで来る。
 そして一番狙い易く効果的な標的に向かう。
 どう考えても原発は狙われる。
 特に稼働していれば完璧にやられてしまう。
 そんなことを嘯きながら、運転をしていたら、敦賀ジャンクションで、結局間違えて名古屋方面に向かってしまった。
 気が付いたのは賤ヶ岳(しずがたけ)サービスエリアで、ああここが豊臣秀吉の賤ヶ岳7本槍で有名なところか?と思ったが、ちょっとおかしいと思ってよく見たら、何と名古屋方面に向かっていたのだった。
 娘のナビも、未だ当初の設定を忘れることができなかったため、こちらに案内したのだった。
 私も能登半島に行く道と富山方面に向かう道の分岐だと思い、右の車線に入ってしまった。全く土地勘が無い場所でのとっさの判断というのは非常に難しい。
 ここからまた引き返すのも時間がかかる。
 後は息子の運転で帰ったが、関ヶ原付近で大きな事故があったらしく、高速は全く動いていないということで下道に降り、次のインターで乗った。
 その後は多少は混んでいたが、息子のちょっと乱暴だが快適な(?)運転で帰途についた。
 行きあたりばったりの無計画、多産財の小林一家の家族旅行であったが、終わってみれば、結構多彩で見どころ満載の贅沢旅行であった。
 今度は、もうちょっと企画を練り上げてから行こうという話になった。
 次回は果たしてどこに向かうのか? お・た・の・し・み!!

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A hard day’s night

このタイトルは、勿論我がビートルズの曲の題名である。「ヤァヤァヤァビートルズがやって来る!」という映画にもなったので、結構ご存知の方も多いかと思う

先般、そのビートルズの一人、ポール・マッカートニーが来日し、日本で2年ぶりのライブ公演をした。
私も4月29日の東京ドームへ娘と共に見に行ったが、その冒頭の曲が、この”A hard day’s night”であった。

私のこの1ケ月の間は正に“Hard day‘s night”だった。
8日に東京に行き、2泊した後会社に戻れば、たまったメールの処理、来客、会議に追われ、13日~15日まではアチーブメントの社内研修で、当社のスタジオに缶詰状態、15日研修終了後、東京成田へ飛び、翌日から5日間大連にて新規事業立ち上げ準備、17日からはお客が4名大連に来て合流、19日に戻ったら、今回の「ものづくり補助金」の説明で、朝一で長野まで車で飛んだ。
2000万円の助成金を貰うのも、結構大変!首相の奥さんのお友達でもちょっと知っていれば、プレミア付きで忖度して貰えそうだが、生憎そのような人徒のお付き合いは無い。
帰ってくれば、来客ラッシュ、次の日は、私が代表を務める「新老人の会」東信ブランチの1日バスツアー旅行で秩父へ向かう。
 信州観光の27人乗りサロンバスで20名で秩父方面へ向かい、有名な長泉寺の藤の花を見ようと思ったが、残念ながら今年はだいぶ遅くなってしまったようで、ナーんにも無し、藤棚がたくさんあるところを見て、長瀞ライン下りをした。
こちらも流れが余り急ではなく、スリルが無かったが、まぁまぁだった。
ここから昼食は、私のお奨めの花園インター近くのとんかつ屋「三峰」へ向かった・
私がとんかつが抜群に旨いと言っているにも関わらず、殆どの人が、コストの高いうなぎを選んだ。カロリーも少なかったからかも知れないが・・・。
ちなみに私は何度もこの店に来ているが、うなぎは未だ一度も食べたことはないが、皆さん満足そうだったから旨かったということか!?
午後は、羊山公園の芝桜を見て帰って来た。
花はイマイチだったが、とにかく皆さん楽しそうで、何よりだった。

翌週は、少し楽になったが、来客と助成金の手続き関係に追われ、東京にも一日出張、28日は従業員のお誕生日お食事会の日、翌29日は、母の13回忌の法要を兄弟関係が皆集まり長野で行い、その帰った足で娘と東京へ向かい、東京ドームへと向かった。
ポールの冒頭は“A hard day’s night”で、最初から全員立ち上がり、盛り上がったが、さすがに3曲も立って騒いでいると疲れが出てきて、結局は殆ど座っていた。

最後のサージェントペパーの関係の演奏はクライマックスで立ち上がり、なけなしの体力を振り絞り頑張った。
それにしてもポールはいつもの通り20数曲、全く水も飲まずに、ぶっ続けで歌い続けている。今年6月で75歳のはずだが、一寸鍛え方が違うようだ。
アンコール終了後、声が涸れ何か飲みたいと思ったが、帰りの人混みは、これまでの最後列の席と違い、結構グランド席側だったため、とにかく人混みの中で身動きが取れない。
人の流れに任せて、どうにか道路に出て少し歩き、電車に乗るのもかったるいので、娘の行きつけの恵比寿のスナック迄タクシーを拾ったが、初期料金は安くなったが結局5000円もかかった。
次の日は、銀座に食パンだけを売っている店があり、とても美味しくて評判ということで10時開店のところ、9時半に行って並んだが、既に70人も並んでおり、結局1時間近く待たされて、2斤で800円位の食パンを3つ買って帰った。
その後も未だ忙しい。
帰ったその足で佐久平の駅からそのまま、ジャズダンスの先生等のステージがあるということで、そちらの会場に直行、そちらが終わって家に戻ると、今度は軽井沢大賀ホールにて岩崎宏美と国府弘子の演奏会があり、車で軽井沢に向かう。
大賀ホールは、音響のプロに言わせるとマイク音響を通さずに歌や演奏するのが最も良い音響となると聴いていたが、岩崎宏美は正に出てくるなり、マイクなしで「アベ・マリア」を歌い出した。
考えてみれば、昔はマイクやアンプは無かったわけであるからオペラとか演奏はその建物の壁・天井の反響が全てということか?
特に印象に残った曲は沢田研二の曲、「時の過行くままに」と「思秋期」は、岩崎宏美の歌唱力と国府弘子のピアノの力、そして阿久悠の詞の力が相まって素晴らしかった。
それにしてもピアノ一本で凄い迫力も出す国府さんとのコラボは最高だった。
4月のバタバタはこのコンサートで終わった。
このA hard day’s nightの結果、私は孫の風邪が移ったらしく、2年半ぶりに風邪をひいた。咳と鼻水が止まらない。

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日本の国技の大相撲が帰って来た!?

先週、大相撲が終わったが、新横綱稀勢の里は感動モノの逆転優勝だった。

前の日の稀勢の里の相撲は全く力が入らず、あっけない相撲内容であったため、まさかあの痛々しい身体で照の富士に2連勝するとは殆どの人は思わなかっただろう。

私は子供の頃から相撲が大好きだったが、モンゴル相撲になってしまってからは、全く関心が無かく、「ああ、大相撲またやっていたのか?」というような程度だった。

 しかし、最近は稀勢の里の活躍、同部屋の高安、長野県出身の御嶽海、小さくても面白い相撲を取る宇良とか石浦、遠藤、そして栃煌山等が頑張り始めて、かなり面白くなってきた。

 テレビで相撲を見ていると、ついつい日本人力士VS外国人力士で、日本人力士の応援をしてしまっている。

 また最近のスポーツ界の日本人の活躍は目を見張るものがあり、先般のWBCの野球を始め、サッカー、スキー、水泳、スケート、テニス、卓球、バトミントン、柔道、スケボー等々、とにかく最近の若者の活躍は素晴らしいと思う。

 今日は、私のスポーツに対する考察を展開することになるが、これらのスポーツは貧しい発展途上国と豊かな先進国では、スポーツで頑張る動機が異なるのではないか?と思う。

例えば、貧しい国の若者は兎に角ハングリーであり、自分がスポーツで勝って、親や家族に少しでも楽をさせたい・・・という思いで頑張るし、逆に先進国の選手の動機は・・・もはやハングリー精神はないため、自分のスキルに対する向上心とか、成長に対する貪欲さとかいう自己概念の高さが問題となる。

「夢」、「希望」、「願望」とかの自分との約束=戦いがその動機となるのだ。 

イチロー選手が子供の頃からプロ野球の選手になるという大きな目標に向かって、普通の子供の遊びはせずに、野球の練習に専念していたという話は有名だ。

今各スポーツ界で活躍し始めている若い選手は、殆どその範疇かと思う。

「マズローの欲求の5段階説」を持ち出すと、更に分かり易くなる。

 私が、今から50年ほど前に、大学のゼミの卒論で「人間関係」を扱った際に、出て来たアメリカのアブラハム・マズローという人の唱えた、「人間は自己実現に向かって 絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求の5段階説を唱え、これが半世紀以上たった今でも、アチコチで引用されているため、これは本物の説かな?と思っている。

:生理的欲求
:安全欲求
:親和欲求
:承認欲求
:自己実現欲求
 *1から2までは物質的な欲求、3から5は精神的な欲求に分けられる。

結局、私が言いたいのは、発展途上国の人達(戦後の日本も同様)は、この5段階のうちの物質的な欲求が強く、自分の命、自分の生活に関って来るため、簡単にはあきらめず、最後まで頑張る。

 また先進国になると、自分の命や生活は安定しており、この図から言うと、上位の精神的な欲求が強くなる。

 特に、自分が勝つことにより、世の中に認められたいという欲求、そして最上級の「自己実現の欲求」に向かう。

 相撲は・・と云うと、ここ10数年はモンゴルの人達とかの物質的な欲求=ハングリー精神が日本の相撲取りを圧倒してきたのかと思う。

 また相撲業界という古く厳しい伝統の中では、ハングリー精神のような人間の根源に拘る動機が、「夢」、「希望」、「願望」というような甘っちょろい動機を一蹴してきたのではないだろうか?

 そこへ、最近の若者が殻を打ち破り始め、頭角を現し始めて来たのではないか?

 すなわち、角界の伝統とか常識が少しずつ変化し、他のスポーツと同じように「精神的な欲求」により、頑張る若者が増えて来たのではないか・・・などと勝手に想像しているのである。

 兎に角、日本の国技と云われる相撲が日本人の元に帰りつつあることはうれしい限りだ。

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久しぶりの講演

久しぶりに講演の依頼がかかり、県内須坂の商工会議所にて1時間半の講演をしてきた。 今回は、事例研究「セルコの47年間の軌跡」として、当社の47年間の売上高と経常利益をグラフ化し、企業の生き様をこのグラフの中に見ながら解説をした。
長野県須坂商工会議所工業部会講演会レジメ(平成29年1月27日) (株)セルコ 代表 小林延行  私が7年前に書いた「立ち上がれ中小零細企業」という本により、発刊当初は大体月一位で講演依頼が来たが、今回は、コンサル会社からの依頼で須坂の商工会議所工業会の定例講演会の講師として呼ばれた。

「立ち上がれ中小零細企業」

1、 NHKのビデオによる会社紹介
約8年前、「おやじバンド」でNHKに立て続けに3度出る。 会社紹介は、8年前におやじバンドで3回立て続けにNHKテレビに出た最初のビデオでどんな会社かを紹介した。

2、 事例研究=(株)セルコの47年の軌跡
① 気楽な下請け時代・・・何も考えない経営 セイコーエプソンのドットヘッドのプリンター用コイルの完全下請け しかし平均利益率は17年間で何と2.8%→「生かさず、殺さず」の下請け政策がアリアリと分かる。
② ラッキーだと思っていた海外取引が地獄の入り口 米国ウエスタン・デジタル社、韓国サムソン社のハードディスク用スイングアームを受注し6年間は良かったが、技術流出で一気にゼロへ。
③ 大リストラの末、社長就任・・・58名から17名へ 私が社長になったものの「何もしなくても仕事は来る」・・と思ってのほほんとしていた。
④ 2年の間にさらに売上低下 そのまま、2年間何の手も打たずにいたら、600万円/月迄落ちる。 父の残してくれた資金も底を突き、絶体絶命のピンチを迎えた。
⑤ 誘われた自己啓発セミナーにて”気づき“、社長としての役割を自覚し営業活動を開始。V字回復を目指すが簡単ではない。
⑥ 自社のPR=ホームページの充実、新聞記事、有効な展示会、有効な広告 営業関係の本、セミナー、講演会で猛勉強、お金がかからず、一番宣伝効果の高い方法は「新聞記事」・・・新聞記者は”良いネタ“を探している。良いネタを提供すれば必ず記事になる。
⑦ 「高密度コイル」の誕生、以降「高密度コイルのセルコ」としてPR ニコン半導体露光装置ステッパー用のコイルから高密度コイル(特許技術)が生まれる。
⑧ ボビンタイプのコイルも高密度コイル 抵抗やインダクタンスが通常±5%、厳しくても±3%のところ、当社は顧客規格±1%を実現している。
⑨ これからが、本格的高密度コイル時代、モータ製作に挑む。 車、医療、ロボット、航空宇宙等々、まずは性能、精密さが特に要求されるモータやセンサーから採用され、最終的には当たり前の技術となって行く。(大分大学の教授) もしかしたら、当社のもーたーによりドローンが今より2倍飛べるかもしれない。   

3、日本の現状と問題点
① 日本の会社の99.7%は中小零細企業、労働者の69.9%は中小零細企業で働いている。→この人達が潤わない限り消費は上向かない。   
日経1月14日の記事「企業の休廃業/解散最多」昨年2万9500件超越す ・・・倒産は減ったが閉める会社が増えている。加工費が安すぎる。 「生かさず、殺さず」の下請け仕事が、次の世代に仕事を引き継ぐことを阻んでいる。
② 金融緩和、円安、株高で大企業の業績は上がるが、中小零細にとっては必ずしもプラスにならない。
③ 政府のやるべき施策:大企業には日本でモノ造りをするように仕向ける。また部品は日本の中小零細企業を使うように働きかける。(アメリカトランプ氏のように・・)➡詳しくは小林著の電子図書「2020年 東京五輪の年にメイド・イン・ジャパンが復活する。(中小零細企業の活用でメイド・イン・ジャパンが大復活する)」を参照。   「日本のモノ造りの凄さ」 日本は“島国で農耕民族” ポイントは“一つ所でコツコツコツコツ”と“協調性”“助け合いの精神”“思いやりの心”“以心伝心”“人類皆兄弟”の精神。 中国も、アメリカも、ヨーロッパも“大陸で遊牧民族” ポイントは“自分にスキルを付け高く売り込む、会社を移れば移るほどハクが付く”“人より先に自分がでる”“自分が中心”“イエスかノーか”“人を見たら泥棒と思え”が彼らの常識。 何千年、或いは何万年育まれたこれらの精神は、良くも悪くもこの100年位の変化では変わらない。 先年の大震災で証明された助け合いの精神、我慢の精神・・・「子供たちが老人の面倒を見る」「自分より困っている人を先に・・・」「略奪したりしない」 ・・・・・・この心、精神こそが、「日本のモノ造りを支える精神」・・職人の精神。 新幹線の掃除の人達。7分で全て完了。これは日本人だけしか出来ない。 それに比べ、タイ、中国の特に船便の荷扱いの悪さ。 基本は、同じ事を、同じ所でコツコツコツコツ、頭の良さではない。 そして、協調性。⇒小さな島国、土着型農耕民族のDNA,文化であり、他の国には殆んどない特性。⇒本には詳しく書いてある。       
特に、日本のモノ造りは中小零細製造業の生産技術に負うところが大きい。 日本の中小零細の社長は生命をかけて仕事をしている。 ・日本の自動機とかロボット技術は世界一。これを駆使する。中小零細も考える。  
・自動化、ロボット化はお菓子とか食品業界のお家芸ではない。我々の会社に何百万、何千万という安定した部品の受注があれば、間違いなく自動化し、安くて高品質な部品を作り出せる。スマホの4割の主要部品は日本の部品メーカーが造っている。ムラタ、アルプス、TDK、日本電産等々、すべて自動化して国内で十分採算が取れている。
・少子高齢化は全く問題がない。
④ 大企業のサラリーマン化が進み、斬新的な新しい製品がなかなか出てこない。海外のバカ高い家電製品が売れている。ダイソンの掃除機、扇風機、ドライヤー等、アイロボットのロボット掃除機等   日本は”安い”モノを造れば売れると思って、韓国、中国と競争の末に見事破れ去った。
トヨタ、マツダ、富士重工、コマツ、東レ等、日本を中心とした「モノ造り」をしているメーカーは強い。  

4、今後の日本の製造業の方向性 <バルミューダ> 
ベンチャー企業 独特な家電製品:蒸気トースター、蒸気炊飯器、ポット、空気清浄機、ヒーター等を製造・販売している。   ・・・・国内生産であれば、かけたコスト以上に“質”という製品価値を生み出すことができる。「人件費以外のトータルコストを1つずつ見直して圧縮していけば、たとえ日本国内で生産しても海外で生産した場合と同じぐらいにコストが引き下げられると寺尾自身が判断しました」(阿部氏)。・・・・  ・・・という社長の言葉に集約される。  

5、セルフコントロール=セルコの経営
① 上司や他人から言われてやるのではなく、まずは、自分が発起人となってやる・・と云う自主性、自発性を重んじる。 
② 中小零細企業の従業員は「寄せ集め」・・・殆どが中途採用者で、様々な環境で育ってきた人達で構成されている。 ➡研修に数百万かけ社内に講師を呼び、3日間缶詰研修。  社員の誕生日月には誕生食事会  朝は全員で握手会をして、気合いを入れてから仕事をする。 ➡「家族経営」の奨め。
③ 5年後75歳で社長を息子(現36歳)に譲る。現在、息子以下の30代の部長、課長に実際の業務運営は全て任せている。  責任感、自発性が増し、社内が活性化し始めている。    以上

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