2019年㋃19日、幕張のテクノフロンティア2019、技術シンポジウムのモーター技術部門で、圧縮・成型技術についての発表をし、この技術の安全性,有効性を写真,データで証明した。
台風の被害について
テレビ等で長野県の台風被害が報じられておりますが、ここ小諸地区では、全く問題ありませんので、ご報告しておきます。
ご心配、お掛け致します!
国谷裕子信州岩波講座 SDGs
SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)とは、2015年9月の国連サミットで採択された、2030年までに「持続可能な社会をつくる」ために、世界で取り組むべき行動を示した17つの目標です。
ネットにこう書いてある。
私は国谷さんが23年間続けたNHKのクローズアップ現代を不本意ながら外されてから、報道ステーションの古賀茂明さんと共に一度話を聴きたい一人だった。
日本の報道の在り方が、あのころから変わり始め、今や政府に批判的な言動をする番組はほとんどなくなってしまった。
今香港では大騒動が起きているが、日本では色んな報道弾圧が行われても、だれも気にもしない。
とてものどかで平和な国だ。
国谷さんも、このことについては、講演では触れようとしなかったが、せっかくフリーになったのであれば、どんどん、日本の報道の現状について意見を言って欲しかった。松本芸術館を埋めた多くの人達も恐らくこのことが聞きたかったのかと思う。
国谷さんのお話は、SDGsについてであった。
「持続可能な・・・」という言葉は、私の昔の記憶を蘇らせた。
高木義之さんである。
今から20年以上前の話である。
仕事人間だった私が、突然目覚め、人間の生き方・考え方とか無農薬野菜と化学肥料、農薬、食品添加物の害、そして地球環境の問題にのめり込んで行った。
その手の本を200冊以上読み、また日曜ごとに会社の空き社屋を利用して、近隣の農家の人達と、無農薬の野菜だとか無添加の食品だとか、EM発酵させた生ごみを食べさせた鶏の卵とかを売ったりしていた。
高木義之さんの講演を先頭に立ってセッティングし、追っかけをやって大阪まで行き、丸一日のセッションを受けたりしたこともあった。
仕事そっちのけで、会社の食堂で、高木さんのお話を聴く会も開いた。
その時の、講演のビデオ、カセットテープ(CDはまだ無かった)、本を殆ど全て買い揃え、何度も繰り返し聞き、「地球温暖化」、「オゾン層の破壊」、「人口爆発」、「種の絶滅」、「森林破壊」、「食料自給率」等々、様々なテーマについて、自分で講義できる位できるような状態になった。
考えてみれば、いくら高木さんが声高に叫んでみても、いくら私のような狂信的な信者が自分のできることをやったとしても、時代の流れは、一向に止まらず、あれから20数年、高木さんが警告した通りの世の中に今、なってしまっていた。
その中で、ちょっと違ったのは、「エネルギー枯渇」の問題で、20年後、すなわち今頃は石油エネルギーが枯渇しているはずであったが、未だに中東も枯渇せず、逆にアメリカのシェールガスなどで、まだまだ当分賄える状態にある。
時代を読むに良く間違えるのは、「技術力の進化・進歩」である。
石油の切削技術の進化、シェールガスを掘り出す技術の進歩によって局面が大分変わってしまった。
私は、その後、会社の売上が奈落の底に落ち、だれもやりたがらない社長となり、自分のやりたい、やりたくないの気持ち拘わらず、会社をどうにかしなければならない立場に追い込まれて行ったのであった。
ただ、私が心を痛めた問題が勃発した。
東日本大震災時の福島原発事故である。
原発の問題は、その危険性は叫ばれていたものの、実際にあのような事故が起きるまでは、殆どの人が何の危険も感じないで来た。
この小さな地震国に原発を54機も作ってしまったことはもはや取返しもつかない。イーズスアシュアとか言う前に、原発テロの防御を考えるのが、国として大事なことなのは、だれが考えても明らかである。
北朝鮮は、夜な夜な日本に侵入し、何人もの人を拉致して行った。
夜な夜な、原発に忍び寄って爆弾を仕掛けるくらいのことはお手の物ではないか?と思う。
とにかく、私たちは子供や、孫たちに偉大なる負の遺産を残すことになったのは間違いない。
国谷さんのお話は、やはり洗練されていてなかなかのものであった。
しかし、仕事人間だった私をのめり込ませた、あの時の高木さんの迫力にはとても及ばない。
高木さんは、今のようなプロジェクターのない時代に、フィルム状の投影機を使って、様々な記事とか、数値を駆使して会場の一般人を説得して行った。
地球環境問題は最早どうにもならない。
国谷さんのお話では・・・・・。
人はどんどん増え、どんどん贅沢になって行く。➡人口爆発
水も食料も、とても賄いきれるものではない。➡食料不足,水不足
食料を採るためには、森林を畑にする必要があり、➡森林破壊
そのことが二酸化炭素のさらなる排出を促し、➡地球温暖化
海水が上昇し、今まで住んでいたところに住めない人達が続出、➡難民問題、貧困問題
難民が都市に集まり、都市のスラム化からテロ集団の発生、それが不安定な世の中にする。
ちょっととても持続可能な世の中は無理のようだ!
今、年金問題が騒がれているが、私はこの環境問題を追っかけている頃、盛んに「日本は姨捨山状態」になると叫んでいた。
少子高齢化が進むととても自分の親を見る余裕がなくなり、「早く死んでくれ!」という状態になる。
これを防ぐためには、今から自給自足をし、自分たちの事は自分達でできるようにし、ピンピンコロリ人生を目指そう!と色んな企画や案をまとめ、「結いの里こもろPPKセンター構想」なるものを打ち立て、実現に向けて盛んに発信したりしていたものだ。
20年以上経った今も、この構想は捨てていない、私の最後の事業として、できれば私と関係した人達だけでも、どうしようもない時には、このセンターに入ってもらい、どうにか人間らしい最後を迎えてもらいたいと思っている。
それにはかなりのお金と体力が必要となる。
身体を鍛え、コイル事業の発展が必要となる。
TECHNO-FRONTIER 2019シンポジウム
昨年10月末に、突然日本能率協会よりメールが入り、2019年4月19日に幕張メッセで行われるTECHNO-FRONTIER2019のモーター技術シンポジウムの発表をして戴きたいとのこと。
展示会で良く開かれているシンポジウムは聴講料が3万~4万円もし、内容はかなり技術的に先進にして高度で専門的な内容であり、我々中小の製造業にはあまり縁のなさそうな内容なため、一度も参加したこともなかったが、今回はいきなりそのようなシンポジウムの発表者をやってほしいとの依頼である。
どんな内容か?と思って覗いてみると、モーター技術・・・とあって、日本の錚々たるメーカーの技術者が委員に連なっている。
私は早速、とてもセルコのような弱小製造業が発表するような場でないと思い、お断りのメールを入れた。
しかし、コーディネーターのデンソーのK氏より直接電話がかかってきて、再度依頼された。
「難しい質問をされても答えられませんよ」と念を押して引き受けることにした。
これまで私も色んなことをやって来た。
大分昔の話だがベーシック言語のパソコンの講師、結婚式の司会、親父バンドでライブ活動、最大は日野原先生の102歳の時の講演時にあやかって1400人の前でのトーク&ロックを披露、テレビでNHKの「おはよう日本」を含む3回立て続けの出演、民放へも1回、そしてセルコの技術紹介の番組で2~3回、ハイライトはNHKスペシャル。
また「立ち上がれ中小零細企業」の本の出版で、日本の各地から声がかかり、出版から2年間位は月一平均でその本の内容について講演、これも最大700名位のところで講演、最近では「もづくりNAGANO2018」のグランプリ受賞で、久しぶりにテレビ出演・・・・。
まだあった。
FM佐久平というFM局に15分番組を毎週金曜日に持っており、毎週そこでトーク&ミュージックのディスクジョッキーのようなことをやっている。
私は考えてみるとただの中小企業の社長ではなく、半分タレントがかった変な社長であった。
その私が、「技術者の技術者のための技術発表会」をするということで、これまでとは違った緊張感が生じた。
これまでの私の講演では、パワーポイントとかは使わずに殆ど言葉だけで1時間半から2時間、聴講者に伝えてきた。
最近は映像による説明が多く、確かに分かり易いが、同時に薄暗くなり眠くもなる。
私の話の時も時々居眠りを始める人もいるが、そんな時は、自然に声が大きくなる。
私の声は、結構通りが良く、マイクを通すと更に良く通る声のため、司会などにはうってつけの声質である。
しかし、今回は技術シンポジウムであり、これは何が何でも映像で説明・・・という形式は外せない。
当社にはUさんという優秀な女性の取締役経理部長が居り、画像とデザインには強く、これまでの画像に関する、会社のパンフレットや、会社案内のパワーポイントは全て彼女にお願いしてきた。
しかし、今回は満を持してその手のプロにお願いすることにした。
東京の営業顧問の紹介で慶應大学関係で、元日航の広告を扱っていたSさんにお願いすることになった。
航空会社とコイル巻線の弱小製造業では、それこそ天と地…それも地の中の砂ほどの違いがあり、そこに東京と佐久との距離の違いも加わり、結構大変であった。
まず私が考えたのは、当社の技術をどう表現して伝えるか?と言うところであったが、技術の詳細に亙る説明は映像の大きさ、バランス等を中心に考えるSさんにすると余り好ましくない。
送った写真等が重すぎてうまく届いてないところで議論をしたりして、お互い大分焼きもきする場面もあったが、どうにかお互いの接点を見出し、最終盤迄こぎつけた。
今回は、なんといっても当社の「圧縮・成型技術」を世に知らしめるための絶好の機会であった。
私の最大の仕事としては、いかにこの開発をしている技術者から有力情報を引き出すか?がポイントである。
技術者は、お客様との機密保持の問題もあり、また自分の持っている技術についての明確なアピールとかはまずしないため、なかなか持っている技術のきちっとした説明が出てこない。
誇張することはないが、持っている技術をいかに多くの人にその技術の安全性とか有効性をPRするか?によって新しい技術が埋没してしまうか?それともブレイクするか?の分岐点になることも十分にありうる。
特に今回のコイルの圧縮・成型技術は本来タブーとされている変形巻きにしたコイルを潰しながら成型してしまうといういかにも危険そうな技術を、車のモーターに採用を・・・と訴えるのであるから猶更、きちっとした説得力のあるデータや写真が必要となる。
今回は、めったにないチャンスであるから、できる限りの出せる情報を出すよう説得し、ほぼどうにかなる技術データや写真が揃った。
この時、今までこれらのデータや写真があれば、かなりのお客様を説得できたのにな・・・と思ったが、過去は過去、今は前を向いて進むしかない。
Sさんの背景を黒とか青にし、文字を白にしたデザイン性の高さと、今回私が腐心した高密度圧縮成型コイルの技術説明を中心としたパワーポイントが出来上がった。
今回のパワーポイントは、こうして優れたデザイナーと当社のコア技術を紹介する写真や図やデータとのマッチングが、大変見た目にもインパクトがあり、分かり易く説得力のあるものになった。
これをまた私のような経験豊富な(?)スピーカーが発表したため、それなりの反響があったのだと思う。
しかし、今回は今までと違い、72歳という私の年齢からくる体力との戦いでもあった。
最近は自慢の喉も時折老人性の嗄れ声になってしまうこともあり、喉の調子にはかなり気を使った。
今回は、前の晩からセルパップを声帯付近に6ヶ貼り付け、プロポリス喉飴をなめながら臨んだせいか?心配された嗄れ声にはならなかった。
ただ、パワーポイントの調子が今一で、リハーサルした時にはいつも出てきた発表者用の解説文が、カーソルを当てても下に降りず、結局、書いてある文字をきちっと追うことができなかった。
私の場合は、ちょっとしたメモさえあれば、いくらでもしゃべれるため、本来はこの文字は必要ないのであるが、今回は40分という限られた時間内に終わらせなければならないということで、あらかじめ、必要な事項を吟味しながら、パワーポイントに書き込んで置き、できるだけ、それを読み、逆に余計なことを言わないようにする必要があったのだった。
書いてある文字を読むと言っても、私の場合は、ただの棒読みにはならない。
これはFMラジオのディスクジョッキーの時の技術で、書いてある文字を読みながらも普通に話すようにしゃべれるのである。
・・・・と言うことで、若干カーソルで文字が移動しなかった部分は適当に言葉をつないだことから、言うべきことを言わなかったり、言うはずではないことを言ってしまったりということがあったが、無事終わると、結構の反応があった。
質問がたくさん来た。
1/3位は技術者の方へ回答依頼したものが間に合わなくて、回答できなかったが、それなりの当を得た質問があったし、その後の名刺交換でもかなり有力そうなお客様の名刺が重なった。
一番は、このパワーポイントを作ったSさんが、称賛してくれたことだ。
仕事がら色んなシンポジウムや講演等を聴いておられるSさんから、「素晴らしい!」と言われたことが私にとっては大きな金賞となった。
Sさん曰く、まずこの会場が素晴らしい。
画面も普通のプロジェクターではなく、かなりきれいに大画面に映し出された。そして音も前も後ろも同じようにはっきりくっきり聞こえたとのこと。
そして私の発表中は結構受講者の反応が良く、熱心にメモを取っている人が結構いたとのこと。
それと、私の説明が大変分かり易かったこと、また私のこのコイルに関する自信と思い入れが伝わってきたことが最高に良かった…とのことであった。
終わった後は、かなり疲れが出たが、この言葉で疲れがすっ飛び、思わず歓びの感情が沸き上がってきた。