「原発比率20~22%」の虚構

 信濃毎日新聞の日曜版に慶應義塾大学経済学部の金子勝教授の手記が載った。
 6月1日に経済産業省が「長期エネルギー需給見通し小委員会」を開き、2030年度の電源構成比率について、20~22%を原発、22~24%を再可能エネルギー、残り56%を火力で賄うとする報告書を決めたことに対する意見だ。
 
 まずこの数字からすると、全ての原発に40年廃炉の原則を適用すれば、2030年の原発比率は15%になるはずであるということ、しかもこの15%の中には福島第二原発も東海大地震の震源地に近く民主党の菅さんが止めた浜岡原発も。活断層の疑いのある各所の原発も全て含まれている。
 もし、こうした危険性のある原発は動かさないとすると、他の原発を40年以上の延長稼働をしても、更に新増設しないと20~22%にはとても届かない勘定だ。
 この地震の巣のような国、火山がアチコチで煙を上げる国が一基でも原発を動かすというのは「気違い沙汰」で、今度もしも・・・ということがあれば、日本経済は一気に奈落の底に落ち、2000万人の観光客を目指す観光も、観光客どころか海外の人達は誰も居なくなってしまうということを考えたことがあるのだろうか?
 それでもこの国では未だ新設しても動かしたいという。
 頭がおかしいとしか言いようがない。
 
 記述は更に続く、、、、、、
 実はこの「原発比率20~22%」というのはもう一つのカラクリがあったのだという。
 それは原発のコストを安く見せたいためだという。
 廃炉のコストが高くつくため、この費用を入れたくないためにこの比率を示し、現実動かすのは無理な原発まで動かすことにし、40年以上たった原発も動かすことにして、「
原発のコストが一番安い」ということにしようとしたのだという。
 実際、今回の賠償コストを入れたりして計算すると、17.3~33.9円となってしまい、石炭や再生可能エネルギーのコストより高くなってしまう可能性があるからだという。
 また今までの試算では、福島のような大事故が「40年に一回」起きることを前提にしていたが、今回の試算は「80年に一回」程度に半減させ、事故費用予算を減らしての試算だという。
 欧州では当たり前になっているコアキャッチャー(溶け落ちたん燃料を受け止める設備)や二重格納容器もなく、避難計画も不備のまま、「世界一安全な基準」とか言って動かそうとしているのである。

 また、高速増殖炉「もんじゅ」、「六ケ所村」の使用済み核燃料の処理工場は双方とも莫大な費用をつぎ込みながらも、未だに稼働する目処が立っていないが、こうした費用も無視した上に、使用済み核燃料は核燃料サイクルの原材料として、何んと資産計上しているのだそうだ。
 したがって、当然これから使用済み燃料を何万年も補完し続けなければならない膨大な費用は隠されたままになってしまっている。

 また私がいつも唱えるように、「再生可能エネルギー」に特化すれば、CO2問題も、海外からのエネルギー買い入れ問題も無くなり、日本がエネルギー100%自給の国になれるということは全く考えに入れておらず、誠に何を考えてエネルギー政策をおこなっているのか?大変に疑問なのである。

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第45期を終えて

 今年でこの会社も45年目を迎える。
 会社の寿命は30年と云われるが、本当に30年前にこの会社は一度奈落の底まで落ちた。
 この記述は、ある冊子に掲載された文章を基にしてリメイクしたものだ。

 <15年前が新創業>
 今年で創業45年目のセルコは15年前、それまでに最高 18億円/年、直前10億円/年だった売上高が突然、3000万円/月まで落ち込み、最高120名3工場だったのを1工場13名までリストラし、その時に私小林が社長に就任した。
 しかし、私はそれまでの下請時代の流れで「仕事は待っていれば必ず来るもの」と思い込み1年近く待つも全く仕事が来ず、逆にそれまであった仕事も減って行き、結局600~700万円/月レベルになってしまった。
 正に会社存亡の崖っぷちに立った私は、とにかく仕事を取ることだと考え、それまでは全く無かった営業の必要性を感じ「どんな仕事でもいいからとにかく取ろう!」と決意し、慣れない営業を始めた。
 結局、まとまった仕事は無く、試作、開発品を中心とした「人がやらない、人ができないモノ」「少量多品種のこまごましたモノ」が中心となったが少しずつ仕事が入ってきた。
 その後、生き残りのため無我夢中で受けてやり続けていたコイル製造の中で「高密度コイル」という、それまでには無かった超精密なコイル技術が生まれた。
 この技術は、その後半導体の露光装置用ステッパー、そしてマウンター、ロボット、搬送装置等のリニアーモーター、超精密機械のモーター、各種超精密センサー等にも使われ始め、今、ようやく以前の1社依存の下請ではなく複数のメーカーの開発から量産を請け負い、この平成27年度の期末には6億7千万円/年、今年度第46期、平成28年度には以前の売上高10億円/年に届く勢いの売上高を目指すまでになった。

 <セルコの社名の元となっているセルフコントロールを全面に出した組織で小さな高収益会社を実現!>
 私は、社名の元となっている「セルフコントロール」の会社をめざし、組織とか職階とかではなく、真に仕事を自主的にやる意欲のある人、できる人を前面に出して実際の業務を推進すべきだと考えている。
 今回は特に33歳の自分の息子を中心とした30歳代の若手を中心に各得意先毎のグループを形成し、各グループがそれぞれ目標を立て、最大利益を競うというシステムを考え推進している。
 私は「人には無限の能力がある。」「当社にたまたま入ったかも知れないが、社員の中で伸びる人間は天井知らずに伸ばしてやりたい」と思っている。
 セルコは今、タイと中国大連が主な生産場所である。
 このタイと中国での生産も、日本での生産のノウハウを活かし、現地で陥りがちな低品質体質と異なり、海外では考えられないような高品質の生産を維持し続けている。
 今後も会社としてはファブレス的な方向をめざし、日本では営業と技術に特化して行くが、メーカーの国内回帰に対しては国内自動化で対応し、できれば世界に向け大量にして高品質なコイルを、低価格で提供しながら「小さな高収益会社」を目指したい。

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東レのモノ造り

たまたま商工中金経済研究所の小冊子に、「2014年経営者夏季セミナー」」の講演録として東レ株式会社 代表取締役社長の日覺昭廣氏の記事があり、目を通したらびっくりした。

 特に国内でのモノ造りの部分に関し、私が盛んに唱えることと殆ど同じだったからである。
 同じことを私がいくら唱えてみても、世の中に対してさほど影響はないが、ヒートテック、炭素繊維等で今を時めく東レの現役社長、日本経団連の会長が言った言葉であれば、その重み、その価値観がガラッと変わって聞こえることは間違いない。
 以下にその言葉の一つ一つを見て行こう。

・日本の産業構造の中で基幹をなす製造業
 社会の高度化に伴って、サービス産業を中心とする第三時産業で外貨を稼ぐことは、殆どできていません。すなわち製造業に依存する貿易立国こそが日本の基本構造であり、この構造は当分の間変わりようがないと思います。
 ご承知の様に米英などの世界の主要国も製造業の復活を国の経済活性化の中核に位置付けて政策を推進しています。
 ・・・日本の場合は、間違いなく「製造業」=広い意味で「モノを造る力」しかないかと思います。後は今後、「おもてなしの心」とか「気配り、心配り」等のサービスに関する分野での可能性はあるかもしれないが・・・。

・製造業の国際競争力が急速に落ち込んだ背景
 一つは、「六重苦」=円高、高い法人税、貿易の自由化の遅れ、労働規制、温暖化対策、電力不足。
 ・・・円高は今は円安、高い法人税は法人税の引き下げ政策、貿易の自由化はTPPで現在対応中、労働規制は残業代無し政策や、派遣労働者の扱い、海外労働者の規制緩和等で諸規制を緩和、後の温暖化対策と云うのはちょっと良く分からないし、電力不足も今現在は余り関係がない。
 今、阿部政権は、この日覺氏の言葉を全て実行しようとしているかに見える。
 ただ、温暖化対策と電力不足を即、原発再可動20%超の利用に結び付けている点が大きく間違っている。ここは再生可能エネルギーへの大きな転換がこの国には最も必要なことである。
 直近では、各新エネルギー産業が動くことによる製造業の活性化、長期的にはエネルギーの完全自給化と温暖化ガスの全くゼロ化である。同時に30兆円のエネルギー輸入費用の限りなくゼロ化でもある。

 もう一つは、すり合わせのデジタル化→製造装置を一式買えばどこでも誰でもある程度の性能のものを造れるようになってしまったこと。
 ・・・これも考えてみれば、どこでやってもできるのであれば、何も他国でやる必要な無く、自国で売るものは自国で造れば良いかと思う。一番の理由は「海外=安い」、「国内=高い」という単純な思い込みであり、ベストは「地消地産」で、ニーズのある場所で造ることであろう。

・素材産業の国際競争力を維持・強化するために
 素材産業については、その開発と事業化には、高度なすり合わせ、したがって長期の研究、技術開発、ノウハウの蓄積が必要です。デジタル化は容易ではなく、振興勢力の
参入、追撃には時間がかかるかと予想されます。
 ・・・炭素繊維は40年以上も前から研究を重ねてきた結果ということで、簡単には真似してできるようなものではなさそうです。
 
 製造業。特に素材産業が国際的な競争力を維持・強化して行くためには、日本に於いて研究開発とものづくりの現場を維持して行くことが特に重要です。 
 日本での研究開発により、技術、技能を蓄積し、付加価値を生み出す能力の高度化を進めること、またものづくりの現場にて高付加価値製品を生産する能力の向上と効率的な生産技術の構築は必須です。
 このような考えに基づいてグローバル経営を実践して行くことが、日本の製造業、素材産業に必要とされています。
 ・・・国際的な競争力は、日本における研究開発と、「モノ造り」の現場を維持して行くことが特に重要!
 このような。考え方に基づいてグローバル経営を実践して行くことが必要ということで、安いからと言ってもろ手を上げて出て行って、「もう帰れない」などと思っている日本の企業は先がある訳がない。

・東レのグローバル経営の考え方
 まず国内で最先端、革新的な研究・技術開発を行い、先端材料の創出、高負荷価値製品の事業化を行います。
 また革新的なプロセスの開発にも取り組み、生産技術まで確立することで抜本的なコストダウンを図ります。
 時間の経過と共に製品のコモディティ(汎用品)化が進んできた場合には、需要、コスト競争力などの観点での検討を踏まえ、最適な海外拠点で生産することにより、さらなる事業拡大を図って行きます。
 またグローバルで得た利益は国内マザー工場における次なる先端材料、革新プロセスの研究、技術開発に再投資します。このサイクルを回すことで、国内と海外でのものづくりの両立が図られ、かつ長期的視点に立った経営、持続的な成長が実現できると考えています。
 ・・・この辺は、私がこれまで主張してきたことを更に具体的な形で示されており、私としては読んでいて「その通り!」と声を上げたくなるほどです。
 グローバル化を図るにも、まずは国内でのモノ造りが基本となるというこの考え方を日本の家電メーカーが持っていたら、今のような高付加価値製品はほとんど海外メーカーという非常に情けない状態は無かったかと思います。

 まだまだ続くのですが、東レの企業理念は「私たちは、新しい価値の創造を通じて社会に貢献します」ということで、「最先端の東レ」をめざし、斜陽産業と云われていた繊維も、グローバルに見れば繊維は成長産業と考え、結果、炭素繊維、ヒートテックと云った最先端繊維の開発を成し遂げている。
 ちなみに。東レの研究開発要員は3千5百名強、そのうち73%が日本、残りの27%が海外、日本の東レ本体ではおよそ三人に一人が研究開発要員だとのこと。
 また、研究開発費は、景気に左右されず着実に維持・増加させており、2013年度で5百55億円を投入、2014年度以降、三年間で1千8百億円以上を投入する予定だとのことである。景気によって、即開発を止めてしまう多くの日本の大企業に聴かせたい言葉だ。

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台北にて・・・2

<猫空ロープウエイ>

一日半予定していた故宮が頑張って一日で見てしまったため、 次の日の午前中は、どこか行くところにはないか?ということになり私がたまたま持っていた旅行ガイドにロープウエイの写真があったため、ここに行こう・・と云う事になった。

 MRTに乗った。

 このMRTは席がきちっとひとりづつ凸シャコして掛けるようになっており、日本であれば3人掛けのところ2人しか座れないようになっている。

 結構混雑しても日本の電車の様に”押し合い圧し合い”の椅子取り合戦にはならない。

 このMRTに40分ほど乗り、「猫空ロープウエイ」というフランス製の最高に安全だというゴンドラに乗り込んだ。

 この各ゴンドラには何故かキティちゃんが描かれていたが、これは”猫空”の猫に因んでこのロープウェーのトレードマークになっているようだ。

 床が透明で足下が透けて見えるシースルーのゴンドラに乗ると緑深い森が大変きれいにスイスイと移動して行く。

 頂上までに2~3駅あり、途中下車する人は減速したゴンドラから降りることになる。

 普通のロープウエイは昇る一方であるが、このロープウエイは途中駅の関係から、昇ったり下りたりする。

 頂上に着くと結構観光客がおり、お土産物屋や食べ物屋が立ち並んでいたが、ちょっと歩くと、本当の片田舎の風景であり、下の方には遠く山や街の風景が見渡せる。

 見晴らしの良い休憩所でコーヒーを飲んだりしゃべったり居眠りをしながらゆったりとした時を過ごした。

<台湾の巻線機メーカー>

 当社の巻線機は基本的にはオリジナルだが、一から全てを造ることはまずない。

 これまでは30年前からの機械を改造し、コイルを高密度巻できるようにしている。

 また新しい巻線機についても、既存の巻線機をそのまま使うということは殆どない。これに手を加えて更に機能をアップさせる、あるいは補強をする。

 ・・・としても、できるだけ手を加えなくても使える機械があればそれに越したことはない。

 そんな訳で、最近はこの台湾の巻線機メーカーの巻線機を買うことが多い。

 私の兄は、このコイル業界に於いては”老舗的存在”であり、それこそ30年以上前は、日本の巻線機メーカーに本当の意味の巻線を伝授し、それが元で巻線機メーカーは様々な巻線ノウハウを掴み、最終的には全自動機ができ、それを結果的にメーカーが使い出したことにより、我々は仕事を失ったという何とも皮肉な結果をもたらしたのであった。

 そんな兄とその巻線機メーカーに置いてあった巻線機を一台ずつ動かしながら見せてもらったが、このメーカーはなかなかいいセンスがあり、結構魅力ある工夫がアチコチに見られたり、結構完成度の高い機械もあった。

 機械も上手くハマれば、そのまんま動かすだけで結構な仕事になるが、ただ既存の機械で勝負した場合は、早く償却した方が勝ちということで、機械を既に持っている会社が圧倒的に強いし、エンドユーザーのメーカーは、機械代等の設備費はカウントせずに、ただ変動費のみで勝負されれば、我々にはまず勝ち目がないため、当社の場合はそのまんまの機械ではまず勝負しない。

<台北101ビル>

 101の超高層ビルは、台北に居ればどこからでも見える。

 猫空ロープウェイからは山の上にちょこんと一番上の部分だけが見え、ガイドさんに「あのお寺は何?」と聞いてしまったほどだ。

 この建物は地上101階、地下5階ということで「101」という名称になった。

 全長が508mあり、末広がりの8階ずつ節くれが付き、地上から伸びる若竹をイメージしているようだ。

 建物は日本の熊谷組が請負い、耐震は2500年周期で起きる大地震にも耐え、風速60mを超える強風にも耐える構造となっているとここと。

また、エレベーターは東芝製で毎分1010mの速さで地上382m、89階の展望台までわずか37秒で昇ってしまうというギネスブック認定の世界最速だ。

 こんな国を挙げての象徴的なビルの建設を日本のメーカーに任せるというこの素直さはこの国の最も優れたことだ。ちなみに台湾の新幹線は日本の新幹線「のぞみ」を改良したものだという。

 展望台からの眺めは最高で360度パロラマだ。

 また91階に昇ると超高層の天辺から屋外に出れ、風に当たったり窓越しではなく直接パノラマを楽しめる。

 ただ、この日は少しかすみがかかっていたが、このような日が多いということだった。 

 この階の室内に入ると、熊谷組によるこのビルの建設過程やこのビルから打ち上げられる年越し花火の様子がビデオで見られた。

〈「千と千尋の神隠し」のイメージにお舞台となった街=九份(きゅうふん)>

 「台北の街から車で約1時間、山の斜面にとても面白い街がある。

 ネットで調べたら、次のような紹介があった。

「太平洋に面した傾斜地に群がる金の採掘によって栄えた街の集落九份(九ふん)。ベネチア映画祭でグランプリに輝いた名作映画『非情城市』の舞台となり、『千と千尋の神隠し』の世界に似ていると話題となった今、九份(九ふん)は台北郊外の観光スポットとして絶大な人気を誇ります。昼は傾斜地の街から海が望め、夕方からは提灯に灯りがともりノスタルジックな雰囲気です。1日中楽しめる台北郊外のおすすめスポットです。」

 記述の通り、大変面白い街だ。

 1980年の金鉱の発見でゴールドラッシュに沸いた面影が残る街。海を臨み、斜面に石段や石畳の小道、古い家並み、お土産物屋がびっしり続き、そこに観光客がわんさか溢れている。

「千と千尋の神隠し」の発想の原点となったのではないかといわれるレストランもある。

 宮崎駿監督は、おそらくこの地に来て、この現実離れした空間をヒントに、トンネルをくぐったら全く異次元の世界に迷い込んでしまったという少女の世界を発想したかと思う 

 このお土産物屋で、オカリナを上手く吹きながら、手作りのオカリナを売っている店があり、3人の孫のお土産に3つ買おうとしたが、色んな動物の形があり大分迷った挙句、動物と云うより色によってこれはこの子、これはあの子・・・と云うように考えて買ってきたのだが、結局下の子二人が取り合いになり、挙句の果てに一個割ってしまって、大泣きの原因となった。

 お土産もなかなか難しい。

 兄の奥さんが、101の高層ビルでたまたま他の観光客が持っていたキティちゃんのシルエットバックが丁度探していたイメージだと言ったら、ガイドさんが気を効かし、その観光客にどこで買ったか聴いたら、この九份で売っているとのことで、さっそくその店を探して買うことになった。

 この店は、この店だけのオリジナルバッグということであったが、目的のキティちゃんのバックの他にも結構センスのいいバッグが沢山並んでいた。

 その中で兄の奥さんがどちらにしようか迷ったバッグの選ばなかった方のバッグを私も今孫の面倒を見ている女房にと・・買った。

 こちらは結構女房も気に入って、早速使っている。

「千と千尋の神隠し」のモデルとなったというレストランで食事を食べた。

 これが、料理の出てくる順序がバラバラで、もう終わりかと思うとまた出て来る・・と云った調子で、なんだかんだ結構な量になってしまった。

 出来るだけ量を少なく・・・と注意している私にとっては最悪のパターンであった。

 食べるモノのことを言えば、台湾は総じて食事は美味しい。

 ついつい食べ過ぎてしまう。

 今回、当社の主要取引先H社の董事長に二度に亘って食事をご馳走になったが、この二度ともかなり食べ過ぎてしまった。

 この時も、エンドレスに美味しいモノが出てきて珍しくて美味しそうなものはつい手が出てしまう。

 もうだめだと思って手を出さないでいると、隣の董事長が料理を私のお皿に採ってくれる。

 せっかく取って貰ったモノを残すわけにはいかないと食べると、更にまた採ってくれる。

 ビールも私は最初の一杯がなんとも好きで、後は惰性で飲み、ちょっと飲んだだけですぐ眠くなるのであるが、あちらの習慣で「カンペイ!」となり、飲み過ぎてしまう。

 家に帰ったら完全にプラス3kgで、これから地獄の減量生活が始まる。

 また5月の連休を控えており、連休前までに依然の体重迄戻せるか否か?

 そのレストランの中があの千と千尋の映画のような色んな部屋やスペースがあるのかと思ったら、それは無いようであり、ちょっとがっかりした。

 しかしとにかく、面白い街であった。

 昔の映画館もそのまま残っていて、中国語の昔の映画を上映していてしばらく休憩がてら観たり、写真を撮ったりした。

 その後、なんでも願い事が叶うというお寺や「中正紀念堂」という蒋介石の記念館(中正は蒋介石の本名)を回ったが、特に蒋介石の大きな銅像があり、その前での儀仗隊と呼ばれる衛兵の交代式は台湾観光の名物となっている位で、二名の衛兵の交代が1時間瞬きもせずに立っており、1時間経つと交代する。その交代の様は、左右で寸分もたがわずきちっとしておりかなり見ごたえがあった。

 蒋介石の乗っていた大きなキャデラックが2台あったが、これは凄く存在感があった。

 この人の人となりをネットのウイスぺディアから拾ってみよう。

「実務的な貢献としては大陸から撤退するにあたって大量の美術品、巨額の金銀やドル紙幣、料理人を含めた優秀な人材を運び込んだ。このことが後に中華人民共和国における文化大革命時の美術品の組織的破壊から守ることとなった上、インフラ整備や経済発展の原動力となったという説もある。また、戦後の台湾島一帯は、冷戦下においてアメリカと強い関係を持つ蒋介石が統治したため、共産主義者の手に落ちなかったと主張する人もいる。

『アメリカは、日本には原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした』として、(特に本省人の間には)根強い拒否反応を持つ者が多い。また、蒋介石が本省人知識階級を大量虐殺し、日本語の使用を完全に禁止したために、台湾経済の発展は大きく後退したとの説もある。また、蒋介石が「反攻大陸」のことを第一に考えたためアメリカや日本などの説得を無視して、国際連合を脱退してしまった。そのため、台湾は現在の様な国際的に国家としては承認されない状況に陥ってしまったと考える者は少なくない。」

 ・・・というようなことであるが、最終的には現在の台湾という国はこの蒋介石無くしては成り立たなかったということだ。

 前述した通り台湾は戦後、日本がアメリカに追いつき追い越せと頑張って来たと同様、日本から多くを学び、今や半導体やコンピュータの生産等では日本を凌ぐ力を付けてきている。

 私の泊まったホテルは結構高級なホテルであり、トイレもウォッシュレットだった。

 しかしこのウォッシュレット・・・操作板が真後ろにあり暗いトイレの隅のボタンが良く分からない。

 またロール紙もちゃんとミシン目が入ってはいるが、普通に引っ張るとすぐにちぎれてしまうため、かなり丁寧に真下に引っ張る必要がある。 

 帰りは兄達と一緒に帰ってきたが、帰りの北陸新幹線「はくたか」の車両を見ながら兄が呟いた。

「やっぱり日本のこのモノ造りの技術、運行の正確さは凄い!」

 日本に追いつけ追い越せの台湾ではあるが、未だ何かが違う。

 逆に未だ日本には世界から見てきらりと光る誇りべきすばらしい技術、文化がある。

 これをはっきりと自覚し、いかに守り育てて行くのかが、この国にとって当面の最大の課題なのだと改めて思った次第である。

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