コイルの常識が変わってきた!?

  これまで当社はこの日本を中心に「多品種小ロット」、「試作」、「開発品」を中心に少しずつ売り上げを伸ばしてきた。

  しかしここにきてちょっとばかり様子が変わってきた。
 当社の「高密度コイル」技術が必要となる製品が結構な量で出るようになってきた。
 また、そのようなコイルの引き合いが非常に多くなってきた。
 現在当社はその大量なコイルをタイで生産しているが、こちらは”ボビンタイプ”、そして今、引き合いが来ているのは”空芯タイプ”である。
 ・・・と云うことは、”ボビン”、”空芯”を問わず、世の中が当社で巻くようなコイルの高密度化=完全整列巻きを求め初めている…と云う事かと思う。
 私はこのコイルの高密度化の技術が確立した時に、世の中、最終的にはこのコイル技術は必ず世の中に広まると確信し、「この会社は将来間違いなくブレイクし、小さな高収益会社になる」と宣言し、それから10年以上経ってしまった。
 その間、リーマンショックあり、大震災ありで、何度も振りだしに戻され、私の言うことが信じられずに、辞めて行った従業員も結構居た。
 この技術は、医療、ロボットを始めとして、精度が必要な製品、各製品間のバラつきがない製品には間違いなく必要となるであろう。
 ただ、担当の技術者がこの「高密度コイルの威力に気付くか否か?」ということかと思う。
 これはあくまでも私の感だが、ハイブリット、EVが進む車のモーター開発は、未だ各社色んなトライをしているようだが、最終的にはこの技術に集約されて行くような気がする。

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平和憲法こそ日本の誇り

 MIT名誉教授 歴史学者ンジョン・ダワー氏の言葉は胸に沁みる。

 「以前、外務省の高官から『日本はソフトパワーを重視している』と聞かされたことがあります。日本車、和食、漫画やアニメ、ポップカルチャー。世界が賛美するものは確かに多い。しかし、例えばハロー・キティーが外交上の力になるかといえば、違うでしょう。世界中が知っている日本の本当のソフトパワーは、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」
 「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」
 「このソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」
 「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は、高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて、もう一つの重要な時期は、60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め、戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」

「平和憲法」こそ日本の誇りなのだ。
 戦争をやらない国、できない国こそが今この世界の中で必要であり、重要なのだ。
 このような根源的なことが、日本人の口から出たのは無く、アメリカの学者によって述べられ、それを大きく取り上げるということは日本人として誠に残念である。
私はこの事をずーと云い続けてきているが、残念ながら私の発言が、どこかに取り上げられることは無い。
 
 いつも言うように、軍事強化をいくらやってもアメリカや中国やロシアのレベルには程遠い。喧嘩は強い方が勝つ。抑止力というが、追い詰められれば、なりふり構わず戦いは始まる。
 原発を50基近く持つ日本は生半可なことでは守れない。
 今現在一番の防衛策は、「ひたすら平和を世界に訴え、他の国との外交努力を重ねること」である。
 今の政府の様に、今世紀最大のお客様の中国を仮想敵国とするなど、とんでもない方向違いなのである。”爆買いで潤った”国はどこかよその国だったんだろうか?

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お茶にしますか?コーヒーにしますか?(報道ステーション)

先日テレビで、養老猛さんと古舘伊知郎アナの対談の場面があり、養老さんの日本人と西洋人の違いに関する決定的な違いの指摘があって、これはとても面白かったし、私が主張する世界の中で特別の存在としての「日本人」を説明するには大変有効な話だと思った。

西洋人が良く「お茶にしますか?コーヒーにしますか?」と訊くが、これは日本人が聞くと、自分の好みを訊いてくれる「おもてなし」の一種と捉えるが、実は違うのだという。

これは、「あなたにはお茶にするか、コーヒーにするかを選ぶ“権利”がありますよ」と言っているという。

西洋人の”I am a boy”の”I”は日本では要らないが、英語では必ず”I”がついて回り、その人の主体の存在を主張するものだ・・と云う事なのだ。

日本では「行って来ます!」「只今!」と言って、決して「私が」を付けない。

「私が」は分かりきったことだから、必要がないのだ。

 ここに西洋人の「自我」と日本人の「無我」の意識との大きな差が出て来るというのだ。

 但し日本人はこれまで“滅私奉公”、“一億玉砕”、“本土決戦”と自分を殺しても会社のためとか国のため・・と極端な“無我”に走っていたことの反省と、西洋風な考え方の浸透に依り、最近の日本人はかなり「我」を意識した言葉や行動が多くはなってきているが、日本人のDNAそのものはそう簡単には変わらない。

 逆に西洋の方が最近では、日本的、東洋的な自分中心ではなく、全体のことを考えて行くような考え方になびきつつある・・と云う話もあった。

このような話から、私の主張する「日本は世界平和を唱えられる唯一の国」・・・と云う事が真実味を帯びて来る。

 西洋的な「我」を主体とした生き方の先には、必ず「戦い」「争い」がある。自己を主張し、双方が譲らなかったら間違いなく、その先は「争い」なのだ。

ところが、日本的な考え方で行くと、争いはまず起きない。

「無理が通れば、道理が引っ込む」的な主張の強い人の意見が通ってしまう(今の安倍首相)という弊害もあるが、総じて日本人は争いを好まない。

 この様な生き方、考え方が世界に広がれば、世界から争いが無くなり、戦争が無くなる可能性があるということで、私はこれまで「日本は世界を変えるべき国であり、武器を持って戦う国になってはならない」と言ってきたのだ。

 今回の養老猛さんのお話は、この私の主張を裏付けるものであり、またしても私の「直感」は脳科学的にも裏付けが取れた。

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それダメ―! メイド・イン・ジャパン

テレビで「それダメー!」というのをやっているが、最近の“メイド・イン・ジャパン”の部品が結構“海外製”というのがあるようだ。

「それダメー!」なのだ。

 それは逆なのである。

 部品が全部国内産で、我々中小零細が造ったものであるならば、組み立てが多少ヘボくてもいいが、肝心の部品がきちっとしていなければ、な~んの意味もない。

 もしそのような生産体制を取っているメーカーがあるとしたら、それは本当の意味で“モノ造り”を知らない会社だということである。

 中には、ものづくりを熟知しているメーカーがあり、日本でも海外でも、自社内でも、外作でも全く問題なく造るメーカーもあることはあるが、殆どのメーカーはそこまで追及していない場合が多い。  

特にメーカーの海外工場の“内製”で部品製造というケースは要注意だ。

ブランドではいい部品は造れない。

それこそ日本の町工場のおっさんが造り出す部品の精度、バラつきの無い品質には絶対にかなわない。

誰もが、生産現場を見れば、3Kを絵に描いたような汚い工場、前世紀の遺物のような古い機械で造っているモノと、クリーンな職場で最新鋭の機械で造っているモノを比べれば、後者の方が絶対優れていると思ってしまうと思うが、それがそう単純な話にはならないのだ。

ネットで見ていたら、「最近は自動化が進み、中国でもタイでも自動機で造るから日本の部品と遜色ない」・・というようなことが書かれていたが、それもダメ!である。

日本では、どんなに小さな工場でも、ある製品が大量に続いて出るということになると間違いなく自動化を考える。

最小費用で最大効率、問題が起こらないような自動機を考える。

それは、手作業でやって来た仕事の自動化になる訳で、手作業の時の色んなノウハウや、職人芸をその機械に入れ込もうとする。

一方、大手メーカーでは自社にそのような自動化の部門がある場合は、そこを使うし、無い場合は機械屋さんに頼む。

機械屋さんにも勿論ノウハウはある。

自社工場にもあることと思う。

たとえば、当社の場合であれば、機会屋さんにもメーカーさんにも無いノウハウや技術を必ず自動機には組み込む。

これと同じように、メーカーと日本の中小零細では、自動機の造り方も違うのである。

また、最も問題になるのが、自動機の「進化」だ。

我々は、とにかく同じモノを造り続ける場合、それが手作業であろうが自動機であろうが、いかにより良く、より早く造れるかを常に考え続ける。

これは自動機ではないが、ある有名な海外メーカーのコイルを当社で手掛け、1年間ほど仕事をやったことがある。

我々は台湾製の100万円そこそこの巻線機を購入し、それを土台にそのコイルを完璧に全く問題なく巻けるようにしてコイルを納入していた。

やがて、その海外企業は、スイスの会社に依頼し“億”と云うコストをかけて当社と同じコイルを巻き始めたため、当社のコイル事業は無くなってしまったが、100万円と1億円の違っいって一体何なんだろうか?

話が飛んだが、またその度合いは会社の大きさと逆比例する。

最も小さい会社=町工場のおっさんが一番考えるかと思う。

なぜならば、ちょっとした改善が自社の収益に大きく響いてくるからだ。

100万個/月の部品を1円改善すれば、月100万円の利益になるからだ。

これが、会社の規模が大きくなればなるほど、そのような意識が希薄になってしまう。

これも、提案制度等を使って上手く従業員のアイデアやノウハウを引き出している大手もあるため、全ての・・・とは言えないが、私は相対的なことを言っている。

また、海外の場合は、いつも言うが「決められたことを決められた通りにやらせる」・・・と云うことが、まず海外工場の鉄則であり。海外工場で自由に改善をやらせたら、大変なことになってしまうケースが沢山ある。

・・・と云うことは、海外での自動機の改善は難しいということになる。

私はこれまで6年前に「立ち上がれ中小零細企業」を書いてから、ずっーと日本の中小零細製造業の危機を訴え続けてきたが、結局は、何の社会的な変化は起きず、また最近の円安、そして中国を始めとする東南アジア各国の賃金水準が上がり、さて、いよいよ日本回帰か・・・と期待していたが、結局はそれほどの回帰は無く、未だに後継者不足で小さい会社は自主廃業をし続けている。

後は、我々のような生き残った「小企業」が日本の“モノ造り”を一身に背負って立つしか方法が無さそうだ。

私は、この日本に於いて、本物の”メイド・イン・ジャパン”を目指す企業が一社でも多く現れ、世界に向けて本物の製品を送り出し、再び日本が世界の中で「やっぱり”日本製だ!“、”メイド・イン・ジャパン”が一番だ!」と唸らせるような時代を未だに夢見るものである。

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