古希にビートルズを歌う

 9月28日に70歳=古希を迎えた私は10月2日にライブでビートルズを歌うことになっていた。  これも遡(さかのぼ)れば、18歳でビートルズ旋風に巻きこまれ、私の多感な青春時代はビートルズが常に付きまとっていた。  毎日一度はLPレコードを聴き、一緒に歌い、詞を訳し、自分のギターで同じような曲ができないか?の試行錯誤の方が大学の授業よりはるかに時間をかけていた。  会社に入ってからも、私が暮らしたマンションは、常に音楽関係の若者が泊りがけで来ており、夜中まで曲作りに精を出したりしていた。  作った曲は50曲を超え、あわよくばレコードに・・・と云うような場面もあったが、結局、“ビートルズのような曲”はできず、28歳頃からは、それこそ仕事一筋の「仕事人間」になり紆余曲折の末、セルコの社長になっていた。  61歳の時に、たまたま三島さんという同年代の友人が「還暦ライブ」をやりたいとの話から、私のスタジオを使う代わりに、私にも1,2曲歌わせる・・という話になり、そこでビートルズを歌ったのが私の“おやじロック人生”の始まりとなった。  その後、音楽のきちっとした素養のある小泉氏と出逢い、素人のおじさん二人の三人でセルパップブラザーズというグループで街の商店街のイベントからデビューした。  この時作った「中小零細Q.C.D.」という曲が、中小零細製造業の応援歌として上手く嵌(はま)り、地方の新聞に大きく取り上げられ、NHKの地方版に出、関東甲信越の「おはよう日本」に出、最後には地方版であったが年末スペシャルで峰竜太さん等も出演していた番組の結構クライマックスな時間帯に生出演で演奏するという生涯忘れられぬ思い出となった。    今回は、その私の50年来の夢であった本格的なハモリでビートルズを歌いたい・・・という夢を実現させるイベントでもあった。  そのハモらせる相手は、teaさんという「一人クイーン」で有名な人である。  クイーンというグループの歌は、ただのロックではなく、曲の中でオペラとかミュージカルのような要素が多分に含まれるが、これをギター一本、一人きりで歌いこなす凄さは、実際に観て聴いてみないと分からない。  メチャ低音から、物凄い高音迄一気に昇りつめる凄さは、なんとも表現しようがないのだ。  初めてこの人のビートルズを聴いた時、本人より上手い・・と思った位だ。    このようなハイスキルの人とこの古希の私が対等に声をぶつけ合う・・と云う無謀な挑戦ということになる。  私はビートルズマイナスワンというCDをネットで購入し、まずこれのジョン・レノンのパートを何回も聴きジョンのパートを覚え、その後逆にジョンのパートが入っていないカラオケで練習を重ね、ほぼ完璧に近い状態で初めての合同練習に臨んだ。  相当の自信があった私であったが、5~6人いる演奏のメンバーの雰囲気に飲み込まれたのもあったが、音は狂う、声はひっくり返るで、ひどい状態であった。  そして2週間後、また次のセッションに臨んだが、teaさんの声の大きさに引きずられ、あれほど練習を重ねたジョンのパートがいつの間にかポールのパートになってしまう。  結局この時は、teaさんが手加減して私のパートを保護するような感じで終えた。  それから本番までの一週間、私はある練習法を実践した。  スタジオに籠(こも)り、カラオケの音量を最大にし、私はマイクを通さず生声でハモリを実践した。  最初はやはり持って行かれたが、そのうちに、どうにかハモれるようになってくる。  これを会社が終わると毎日1時間続けた。  本番当日、リハーサルが始まる。  当然teaさんとその演奏グループは前の練習時のまんまの私しか頭にはない。  そして、リハーサルが始まり、私は大音響で鍛(きた)えたハーモニーを結構うまく歌えた。  終了後teaさんが、「すみません!もう一度お願いします!」と云う。  これは私がダメだったからではなく意外に行けそうなため、再度声をもっと出してみようと云うことだったかと思う。    私は司会をしていたが、次から次へとスキルの高いミュージシャンが登場し、有料ライブに私のような“下手な横好きの爺さん”が最後に出て失敗でもしたら台無しになる・・と云う恐怖感が私を襲い、よっぽど「やめようか!?」と思ったが、ここは持ち前のズーズーしさで本番を迎えた。  さて、本番である。  MCで古希のお祝いに付き、多少のズッコケはご勘弁・・と言い訳を一発かましてからの第一声 「ミスター ムーンライト!」のあの高い声は、一寸外れかけたが持ち直してどうにかクリアー、それからは徐々に調子が載ってきた。  音響が非常に良く、練習時には大声での歌は声がどうしてもひっくり返ってしまうところがあったのが、殆どクリアー、いつもよりはるかに声が伸びる野だ。  結局次の曲「ディス・ボーイ」は、小泉さんからも褒められ、teaさんからは、これまでの5本の指に入る位の出来・・と言われた。  次の曲の「涙の乗車券」は、teaさんから「気持ちよく声が出せた」というお言葉を戴いた。  ビートルズの歌というのは、歌を歌うというよりも地声をぶつけ合う・・と言った感じであり、ハモる相手が強烈だと、本当に腹の底から声を出さないと負けてしまうため、歌い始めると気が抜けない。  涙の乗車券はまた全く間奏がなく歌い放しとなるため、途中で呼吸が苦しくなりこのままぶっ倒れるのではないか?と思うことが練習中もあったし、本番中でもあった。  しかし、この本番はそれまでの練習と違い、声も伸びているし、とにかく全身全霊で歌っているという感覚があり、正に「この世の天国!」、「ここで倒れても本望!」というような、なんとも表現のしようのない至福を味わったのであった。

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「第二回結いの里こもろ大音楽祭」開催

 10月2日、日曜日2時より5時半頃まで「第二回結いの里こもろ大音楽祭」が開催された。

 予想通り、素晴らしいライブとなった。司会は私、エルビス・小林と佐久にお住いのとてもチャーミングなMIWAさんの二人で、結構びしっと決めたスーツと黒いシックなドレスで「絵になるようなニ人」で・・というイメージで臨もうと思ったが、MIWAサンはとても魅力的で素敵のままだったが、結局私は演芸大会で使うような大きくて金ピカの蝶ネクタイで、ちょっとズッコケを入れて臨んだ。

 オープニングはteaさんの「一人クイーン」、「ボヘミアン・ラボソディ」で始まった。これは凄い迫力で同じ人間であの低音からメチャ高い高音までがどうしたら出るのか?不思議なくらい凄い。

 続いて元セルパップブラザーズの三島さんが、「カルフォルニア・オン・ステージ」と題してカルフォルニア・ドリーミング~ホテルカルフォルニア~カルフォルニア・コネクションと弾き語った。   

 そして4月23日軽井沢大賀ホールで見事単独コンサートを張った佐久の「吟遊歌人」俊智さんが、3曲のオリジナル曲を高クォリティで歌った。  

 続いてrioさんが登場、東京から軽井沢に移り住んでから13年間ということであるが、私は今回初めてお会いした。 スキルのメチャ高いミュージシャンでボンジョビ、クイーン、ビートルズ等を難なくこなし、今回はボンジョビの曲を中心に素晴らしいギターと歌の披露となった。

 そして元セルパップブラザーズの音楽面でのリーダーSACHIOさん。 この方はEXILEの曲でジャズダンスの土屋先生のダンスとコラボし、なかなかのショーとなった。 土屋先生のダンスは、曲や詞の内容をダンスで表現する・・と云う素晴らしい才能に裏付けられており、いつ見ても圧巻だ! このSACHIOさんの音楽的な才能はまた抜群である。

 そしてピアノデュオ「エミュ」のお美しいお二人、篠原美智子さんと神原恵里子さん。 これはまた凄かった。 グランドピアノでは無く、小さな一台の電子ピアノに並んで、お二人でクラシックを一曲引いた後の「ルパン三世」を弾いたがが、これがまた物凄いことになった。 私は司会で真横から観ていたが、お二人の美しさとは裏腹、鍵盤の上では正に「鍵盤のバトル」、「白魚の手の格闘技!」・・・電子ピアノがぐらぐら揺れて、今にも壊れそうな位にピアノを叩き、そこから発せられた音の迫力は実に見事であった。 私はピアノは「打楽器」ということを改めて思い知らされた。

 そしてteaさんがこの日のために結成した「結いの里スペシャルバンド」。リードギタ―、ベース、キーボードと近隣のスキルの高いミュージシャンを集め、ドラムはteaさんの奥さんのりっちぃさん、・・・、そこにいつの間にかrioさんも加わって、更にパワーアップ、ボンジョビの曲からオールディズまで素晴らしい演奏を繰り広げた。 これらの皆さんの素晴らしいステージが進み、いよいよ「私=古希70歳にしてビートルズを歌う」のプログラムとなるが、ここは別のブログで紹介する。

 その後、上田でさだまさしさんの娘さんとのテレビ収録があって、ぎりぎり到着したスペシャルゲストの元H2Oの赤塩正樹さんのオン・ステージはさらに盛り上がった。 全くリハーサルなしで伴奏をした神原さんは、殆ど即興に近い形で赤塩さんの曲の展開に合わせた。 13年間、軽井沢の結婚式場で場数を踏んで来ている彼女ならではの対応力も見ものであった。

 そしてフィナーレは、スペシャルバンドの皆さんに赤塩さんも加わり、会場の皆さんも腰掛を折りたたみ、皆んなで踊りまくろうという趣向で、松本のマグバンドというグループのリーダー阿久津さんが「悲しき街角」、「ルイジアナ・ママ」を歌い、私がお得意の「ダイアナ」、そして赤塩さんが「ジョニービーグッド」を歌ったが、この赤塩さんがスペシャルバンドのメンバーにソロを促し、メンバーが次々とこなして行く、ジャズセッションのような即興的な楽しみがあった。 そして最後の最後は私がリードを取らせて戴き、再びビートルズのツィスト&シャウトで大盛り上がりをして終了した。

 終了後は、会場の皆さんから大絶賛! その後もメールやフェイスブックでも盛り上がり、大分懸念し精力をつぎ込んだ音楽祭は大成功裏に終わった。

しかし、私の声は涸れ、腰は痛む、それまでの疲れがどっと出てきた。

やはり歳か!?

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古希に花束

9月28日は私の誕生日、今年でいよいよ70歳、古希を迎えた。

これまでの誕生祝は家庭では母、姉の誕生日が近かったため、合同誕生日のお祝い、ニコニコグループという結いの里のグループも、同じく合同誕生祝いだった。 この日の朝、いつものように会社に行き、いつものように社員と共に朝の清掃、そしていつもの朝礼、その時突然、常務が「社長こちらへ!」と全員立ち並ぶ前の中央に案内された、私の場合は社長として、これまで全て自分が仕切ってきたため、会社の中では私の知らないことはなかったのが、突然の常務による指示で一瞬戸惑ったが、、、、、、、 次の瞬間「今日は社長のお誕生日です。これまでのご恩に対する感謝の気持ちです」と言って、簡単なメッセージと共に女子社員による、きれいな花束の贈呈が行われたのだった。 私はぐるりと取り巻いた従業員40数名の顔を見て、お礼の言葉を述べようとしたが、胸が詰まって言葉にならなかった。

私はこの10年来、社員の誕生日にはちょっとしたプレゼントを送り、その人の会社に対する貢献、あるいは優れた点を強調し、お祝いしてきた。 また今年の社内研修後の6月よりその月の誕生日の社員と食事会をし、コミュニケーションを深めようとしてきたが、まさかこんな形の“お返し”があるとは思っていなかったので、大変な感動と歓びが胸を突き上げた。 次の朝、社員に一斉メールで下記のようなメールを送った。

 皆さん 昨日は私の古希のお祝いに、きれいな花束を戴き、ありがとうございました! 私のこれまでの人生で最大の感動を戴きました。 思い起こすのは16年前、韓国サムソン向けハードディスク、スィングアーム7000万円/月の仕事が突然になくなり会社存続が危ぶまれ、大リストラで40数名いた従業員を13名までに絞るという辛い発表を全員の前でしようとした時です。 その時は東特から社長が派遣されてきており、私は専務でしたが、会社の実質的な責任は全て私でしたので、社長の説明の後、私が話をしようとしましたが、リストラをしなければならないそれまでの仲間の顔を見た途端、その悲しみや辛さが胸にこみ上げて結局一言も言えず終いでした。 その時私は自分自身に誓いました。 「どんなことがあろうと二度とこの様な思いはしない!」・・・と それから16年 長いようで短い年月でした。 そして、またも皆さんの前で泣きました。 しかし、今度はあの辛く悲しい涙ではなく、歓びと感動の涙でした。 「社長」という名称の役職にはなれても、本当の「社長」にはなかなかなれない。 ・・・というのが、私の持論であり、私もそれを目標にしながら、なかなか果たせて来なかったのが、昨日皆さんのおかげで、そのような実感を味わうことができました。 誠に、社長としてうれしく喜びの瞬間だったと思います。 これからもさらに努力し、本当の意味での社長を目指し、これを次の時代に継承して行こうと思います。 これから皆さんと共に力を合わせ、次の時代を構築し、「どこにも負けない良い会社」を築き上げて行こうではありませんか!? よろしくお願い致します。 本当にありがとうございました!                               社長 小林                                                                                         その日のお昼、音楽仲間の一人の人と昼食がてら、この10月2日開催の「第二回結いの里こもろ大音楽祭」の最終打ち合わせをしようということで、東御市のアトリエド・フロマージュというチーズで有名なレストランへ行った。 凄い雨が降ってきて、約束の12時を1,2分遅れて到着した。 席に案内されたが、どう見ても6,7人の席であり、何かおかしいと感じた瞬間、、、、 店の奥から、5人の音楽仲間がエクザイルのグルグル回りを全員でやりながら登場したのだ。 またまたサプライズだった。 紫の素敵なバラの花束と感謝状をプレゼント

                  感謝状 「あなたはこれまでたくさんの人に、歓びや励ましの機会を作ってくださいました。結いの里こもろ大忘年会」と「音楽祭」を通じ、人と人を結びつけ、表現の場を提供して下さいました。その「和」は大きな「輪」に広がる礎となっています。私達は小林延行さんの古希に接し、これまでの感謝とこれからのご活躍を願い、ここに感謝の意を表します。           平成28年9月28日、古希 吉日                 小林延行さんを称え 感謝する会 一同

 そう言えば、この28日より10日前の18日、東京で忙しく働いている娘が珍しく帰って来て、息子と二人で古希のお祝いで、諏訪の「うなぎの小林」へ私の大好物のうなぎを食べに連れてってくれるという。 私も自分が払う時はダイエットのことも考え、特重止まりだったが、この日は遠慮なく特特重というかなり大きめのうなぎをほおばった。 その時に、やはり感謝状をもらった。 その感謝状は、私と女房の似顔絵がかかれていたが、 引退は先延ばし 今もバリバリ 社長業続行 前向きで明るい 多趣味なお父さん いつもありがとう 出版もラジオも歌も パワフルな お父さんの 腕の見せ所 笑顔と勇気を 貰っています これからも元気に 会社と私たちを 引っ張っていってね この文章の下の「引退は先延ばし」の「延」と、「社長業続行」の「行」が私の名前「延行」の文字っていた。

 今回、70歳、古希にして、それぞれの私の人生の“場”から、何か今までやってきたことに対するご褒美をもらったような、いい気分を味わったのであった。

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メガ クライシス(NHKスペシャル)に思う

NHKスペシャル(9月3日放送)

想定を上回る大規模地震災害、予測困難な異常気象、新種ウイルスの感染爆発・・・日本社会の行く手にはいくつもの過酷なリスクが予見されている。私たちは“巨大災害の時代”をどんな知恵と力で乗り越えていくのか。「MEGA CRISIS 巨大危機」は、脅威の正体を科学的に解き明かし、その対策の最前線に全4回で迫る、新大型シリーズだ。
「MEGA CRISIS 巨大危機」の第1集は、異常気象に立ち向かう科学者たちの物語。2020年、北極の夏の氷が全て溶けてゼロになる可能性が指摘されている。アラスカやシベリアでは永久凍土が融け、温暖化の加速要因となるメタンガスの大量放出も危惧されているのだ。北極の氷がゼロになる時、何が起きるのか。地球では寒波や熱波が相次ぐとみられているが、“未知の領域”だ。世界中の気象学者たちが結集し、未来を予測するための挑戦を始めている。日本列島での激増が恐れられているのは、スーパー台風、ゲリラ豪雨、落雷など。局所的に起こるこうした現象の詳細な予測は、現在の技術では困難とされているが、今、科学者たちは、不可能を可能にしようと新たな観測技術で解析を続けている。残された時間はあとわずか。温暖化の加速期に突入したとも言われる地球の気象の未来を読み解く新たな闘いを追う。

・・・・NHKスペシャルでこれを見、今現実に起きている異常気象を考えると、あまりのんびりしていられないと感じるのは私だけではなかったかと思う。

特に南極の永久凍土が溶け出し、その氷に閉じ込められていた古代からのメタンガスが大気に大量に放出される。

このメタンガスは今盛んに抑制しようとしている二酸化炭素の約20倍の温暖化ガスなのだそうだ。

永久凍土が溶け、今まで太陽の光を反射していた場所が海になると、その太陽の熱を反射せずに海が吸収し、海の温度を上昇させる方向に動くということであり、この温暖化サイクルが動きだした今となっては、人間の力では防ぎきれない状況になってしまっているようだ。

このまま行くと2030年には気温がプラス4℃となり、東京の気温は45℃になる可能性があり、ゲリラ豪雨も1時間300mm、そして避雷針では防ぎきれないような雷が物凄い勢いで発生し、殆どの電子機器が破壊されてしまう可能性があるという。

「各地で起こった豪雨被害」、「迷走台風で沖縄の方ではなく東北や北海道に上陸するような台風」、「台湾を数か月の間に2度も襲った風速75m以上のスーパー台風」・・・最近起こっているこの異常気象は、このNHKスペシャルの取材からすると、正に今始まったばかり・・と云うことになる。

やはり我々人類がやって来たこと・・・地面に眠っていた地下資源を無節操に掘り起こし、それを生活向上のために燃やし大気に放出し続けてきたことに対する「自然の報復」と言うべきものなのか?

NHKスペシャル(9月11日放送)

第2集は、巨大地震に立ち向かう科学者たちの挑戦の物語。熊本地震で「想定外」とされた2度の震度7だが、そのリスクは予測できたと考える研究者たちがいる。地殻変動や地震の発生パターンを読み解く最新科学によって、従来より高い精度で地震の危険度が予測できるようになりつつあるのだ。その手法で「次の危険地域」をあぶり出し、今度こそ事前に警告を発しようという奮闘が始まっている。一方、南海トラフ巨大地震が懸念される西日本では、海底に設置された最新観測網が異変を捉え始めている。巨大地震へのカウントダウンなのか?海底下に潜む“地震の巣”の間近で、いち早く「兆候」を捉えようとする新たな挑戦に密着する。

・・・・この日本の最大の恐怖は、地震とか火山であろう。

世界的に見ると、この日本は地震の巣の上に乗っかっている国という感じだ。

そんな地震の巣の上にいつの間にか原発を54基も作ってしまったこの国は、なんとも言いようのないほどの「愚かさ」だ。

その怖さを日本は福島で体験した。あの時は偶然が重なって助かったが東京都に人が住めない状態になる可能性があったと聴いた時は背筋が寒くなった。

そんな危険を体験しながら未だに原発を動かそうとする人達がいることを見ていると、「人間の愚かさ」の極を見る思いだ。

今は、この作ってしまった原発をどのように始末するのかを国を挙げて考える時ではないか?

未だこのシリーズは続くが、いずれにしろこれからの人類も、日本も益々大変なことになって行きそうだ。

しかし、我々は今ここに生きている。

これらの危機は回避できないかも知れないが、この地球の霊長類の先頭を行く人間は、何とか知恵を絞りだし、少しでも地球を守り、自然を守ることを考える必要があるように思う。

「本物の叡智」・・・が必要な時だ!!

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