国内活性化の秘訣

 当社の大連工場も、タイの兄の工場もフル稼働し始め、ようやく・・・と思っていたら、ここのところの急速な円安が当社に大きな影響を及ぼし始めてきている。

 先般、久しぶりに大連工場へ行ってきたが、大連も早くも稼働してから2年半が過ぎているが、創業当初の円のレベルと現在のレベルを比べたらなんとあちらのレートだったが1.52倍となっていた。

 これでは、確かに円建てで大連がいくら頑張ってみても利益が上がらない。 タイの方も、円建てで取引しているため一緒だ。結局、当社としては双方共、対応せざるを得ない。   

 この“為替”という代物は、我々にとっては全く余計なモノである。計算が計算通りに行かない。

 誰か相手がいれば文句を言いたいところだが、これもかなわない。ただただ泣き寝入りし、死んだ子の年を数えるが如く、これが1ドル80円だったら、せめて90円だったら・・と嘆くしかない。

 それにしても、期待したアベノミクスはどうなってしまったというのか?

 確かに円安、株高にはなり、多くの上場企業にとってはかなりインパクトがあるかと思うが、我々中小零細は、ただただ諸物価が上がり、円安によって実害がドンドン大きくなり何もいいことが無い。 

 この政府が、私が書いた「2020年東京五輪の年にメイド・イン・ジャパンが復活する!!」の通りの政策を実行していたら、今頃、多くのメーカーが国内回帰し、国内の部品を造る中小零細が活性化し、日本経済は底の方からジワジワと浮上し始めたことと思う。

 いくら金融緩和をしようが、企業が国内でモノ造りをしなかったら、設備投資などする必要がないし、円安の輸出効果が出る訳がない。

 また、最近のテレビ番組で盛んに取り上げられるのは、”メイド・イン・ジャパン“の海外での評判の良さをアピールする番組だ。

 寿司等の和食の海外進出を始めとして、コンビニ、クールジャパンのアニメや様々なエンターテイメント、そして日本の安全でおいしい農作物等々、、、、、 

 私は本にも書いたが、日本のこの「おもてなし」の精神、人の気持ちを汲み取り、人を不快にさせないための心配りの心は、間違いなくあらゆる世界で受け入れられると考えている。

 その表れが、最近の諸々のテレビに紹介され始めているということかと思う。

 昨日、日経の一面トップ記事に「東レが米ボーイング社から炭素繊維1兆円の受注」と大きく出た。

 私は本の中で日本のモノ造り企業の代表としてトヨタ、富士重工、マツダ、コマツを挙げて説明したが、この東レも正に日本のモノ造り企業の典型といえるかと思う。

 東レは、これからアメリカに日本より大きな生産拠点を持ち、この10年以上に亘る受注に備えるようであるが、やはり「海外生産」か!?と思われる人に良く聴いてもらいたい。

 東レは、確かにアメリカで日本以上の量を生産をしようとしているが、同時に「愛媛の工場では、先端技術を開発するマザー工場の役割を強めて行く」と言っており、この会社はあくまで日本を中心としたモノ造りをして行こうとしている。

 トヨタの豊田章男さんが「どんなに円高になっても国内で300万台は造る」と宣言しているが、1000万台のうちの300万台だ・・・と思われるかもしれないがこれが最も大切なモノ造りの要点である。

輸送費用の問題や、その国との様々な問題があり、やはり「地産地消」で「現地生産」が基本となるが、その元となるモノ造りは絶対に”日本“でなければならないのだ。

 それは一言で言えば、日本の”質”の問題である。

 日本でのモノ造りは、下はホンの数人の町工場から始まり、多くのスキルの高い企業や技術者が寄り合って素晴らしく高品質で均一なモノ造りをする。

 それだけではない。

 その造り方も、全てが時間と共に改善に次ぐ改善がなされ、ドンドン“進化”して行くのである。

 この進化こそが、”より良いモノ造り“、”より高品質で使いやすいモノ造り”に繋がって行くのである。

 海外は確かに安い、安くモノが造れる。

 しかし、この”進化”がない。 

だから私は言う。

 日本で開発しマザー工場的に日本である程度量産しながらドンドン製品を改善し、進化させて行くことがモノ造りには絶対に欠かせない重要なポイントなのである。

 トヨタも富士重工も、マツダもコマツも、皆国内の生産を重視し中心にしながら海外生産も考えている。

 日本のメーカーの多くは、ただただ安さを追求し海外で造るということにのみ特化しているうちに、安さでは抜群の強みを持つ韓国や中国メーカーにその地位を脅かされることになったのである。

 またこのテレビ番組を見るまでもなく、中国を始め多くの海外の人達が日本の製品にあこがれ、日本の製品が欲しいと望んでいるが、日本で造っているモノは今や非常に僅かしかない。

 先般、大連に行くときに買ってきてほしいと頼まれたのは、赤ちゃん用の粉ミルクであった。

 その依頼者は、赤ちゃんのミルクは全て日本で買っており、中国製は全く信用していないと言う。

 メイド・イン・ジャパンは日本人が思っている以上に海外では高品質、安全、安心のブランドなのである。 

 最近の家電製品を見ると日本のメーカーのふがいなさを強く感じる。

 ダイソン社の掃除機、Iロボット社のルンバ、フィリップス社のノンフライヤー等々、今の家電のメインは海外ブランドで結構な価格がするモノが日本の安いモノ真似製品より圧倒的に多く売れている。

 何故、こういう高付加価値製品で、日本国内で造っても問題のないと思われるような高価格の製品を日本は開発したり、売り出したりできないのか?

 ちょっと前までは、これらは間違いなく日本のお家芸的な分野であったかと思う。

 私はi-Podが出た時、これは間違いなくソニーが出すべきものであったと思ったし、アップル社の次のi-Phoneにしても当然日本の製品でなければおかしいと思った。

 これが全て、海外に重点を置いたせいだ・・・とは言わないが、日本でモノ造りをしていたらどうなったかな?と私は思う。

 だから今からでも遅くはない。

 国内回帰し、国内で量産品を作ること。

 そして部品は日本の中小零細製造業を使うことだ。

 後は農業を何時までも票集めのためにジイちゃんバアちゃん農家や兼業農家を援助するのではなく、農業の大規模化を促進し、自給自足を達成するだけでなく広く世界に向けて日本の美味しくて安全な農産物を輸出し、また太陽光だけに偏るのではなく、地熱や海洋発電等をもっともっと活用しエネルギーも自給し、この技術を海外に向けて売りだす。

部品等下請で出来るような仕事は出来るだけ日本の中小零細に出せば、

99.7%の日本の下請零細企業が活性化し、下から炙る薪のように景気に火が点き、日本の隅々まで活性化して行くはずである。

そうなれば、2020年頃には間違いなく、「メイド・イ

ン・ジャパン」が復活するのである。

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第17回 日経 ものづくりパートナーフォーラム(展示会)への参加

このフォーラムは、ビジネス誌「日経ものづくり」に広告を載せている企業を中心とした展示会であり、当社が最も重要視している展示会です。
広告代理店のアントラムの工藤社長さん飲んお蔭で、当社は多くの重要な顧客とお付き合いさせて戴いております。
当社のみならず、様々な優秀な企業が多く種ってしておりますので、この展示会は中身が非常に濃い展示会です。
是非、お出かけください。
19日は、私と小澤が担当します。
20日は浅沼部長と、小澤が担当致します。

詳細は下記のサイトをアクセスしてみてください。
事前登録が必要となりますので、ご注意ください。
http://techon.nikkeibp.co.jp/mono-partner/

開催概要
ものづくりパートナーフォーラムは、企画・開発から設計、生産技術、製造まで、ものづくりのあらゆる場面で、課題解決に直結する特色ある加工技術や受託開発ノウハウを持つメーカーによる技術展示・相談・プレゼンテーションの専門イベントです。

会期: 2014年11月19日(水)10:30~17:00
20日(木) 9:30~17:00
会場: 東京都立産業貿易センター 浜松町館
事前登録・詳細情報は>> http://mpf-event.jp/

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当社が[NHKスペシャル」に出ます。

 タイトルは
「ドキュメント“武器輸出” 防衛装備移転の現場から」という、ちょっとばかりキナ臭いタイトです。

5日、午後9時からの放送です。詳細は、以下のHPに記載されております。

http://www.nhk.or.jp/special/

当社は、小な会社ながらも先般のイプシロンロケットの重要部品に使われる等、コイルに関しては最先端の技術を持っており、当然これは武器や兵器に使われる可能性がある技術です。

先般、阿部内閣にて「武器輸出三原則」の見直し法案を閣議決定し、海外に武器・兵器を輸出できるようになりました。、

今回の取材では、当社は当社の技術を人を殺傷するような武器や兵器に使かわれることを良しとしない

・・・と云う立場の会社として登場します。

取材はこの5月頃から3回に亙って行われましたが、番組では後半の5~6分位かと思います。

是非、ご覧下さい。

これは、またとないことかと思います。

お知り合いの方々にお知らせ願えれば…と思います。

宜しくお願い致します。

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いよいよ帰国

当初我々夫婦と姉の3人の帰国便は夕方であったが、航空会社の都合で、3時間程早まり、午後3時のフライトとなった。

そのため午後の出発予定が午前8時にはペンションを出発する必要があったため、通常朝食は8時過ぎから(ガツガツしてない)のところを7時半にお願いした。
せめてカナダでの食事の最後は、このペンションの心のこもった美味しいハムエッグで飾りたかった。

 
 さてこの便の早まりは、早く日本に着けるかというのではない。
 来た時と同じように途中シアトルでトランジットとなるのだが、このトランジットでの待ち時間が3時間長くなるだけであり日本に着く時間は同じでいいことは何もない。
 ペンションの支払いはそれなりの豪華な(!?)価格であったが、このような豪華ペンションには今後もなかなか泊まれないだろう。
 オーナーのご夫婦にご挨拶をして去り難い豪華ペンションを後にした。
 来た時と同じフェリーに11時に乗りバンクーバーに向かう。
 フェリーを降りると、エアポートに向かいひた走る。
 兄達はバンクーバーでもう一泊し翌日タイに戻る。
 途中30分位走ったら、飛行場のマークが出てきたため、これは間違いないということで、ドンドン進んで行ったが、兄がこれはちょっとおかしい・・と言いだした。

 
確かにそう云われてみると、時々見える飛行機の降りる方と逆の方に向かっているようだ。
 途中からユーターンして戻って行ったら、先刻の飛行機マークがある場所に戻った。
「この先が問題だ!」という兄の言葉に、目を皿のようにして見ていたら、先刻間違えた道の左側に、小さく飛行機マークの付いた標識が見えた。
 そこを曲がれば問題なかったが、如何せんこの小さな標識では道を知っている人以外、分かるはずはない。
 またしても、日本と比べたくなった。
 日本の標識は、高速や飛行場に行く道となれば、何度でも大きくはっきり表示するはずである。

 
 無事に飛行場に着き兄達とは別れ、3人で早速チェックインしようとしたが、あるはずのeチケットが見つからない。
 以前、中国でeチケットが無いとチェックインできないという経験があるため、先進国だか後進国だか良く分からないカナダも同じようなことがあるかも知れないという不安が頭をよぎった。
 荷物を端から引っ剥がして探すも出て来ない。
 最後にeチケット関連のファイルを出したのはジャスパーのホテルだったが、そこへ置き忘れてきたか?
 ならばコンピュータでeチケットのメールを見つけようとしたが、良くある話で、こういう時に限ってルーターがうまく効かない。
 しょうが無いため、腹をくくってカウンターに向かうと、何と言うことは無い、ここは流石、やはり先進国カナダであった。
日本や先進国と同じように電子登録式のチケット発行機が立ち並び、パスポートをかざすだけで問題なし。
 そばにいた親切な係員が手伝ってくれ、荷物の預け入れまで手伝ってくれた。
 我々夫婦の1ケだけのキャリーバッグはお土産も満帆に入っており、量ったら26kgあり、23kg制限より3kg重い。
 仕方なしに荷物の中身を取り出して姉の方に入れてもらおうと思ってバッグを持ちあげた途端、バッグの握りの部分が壊れてしまった。
 去年北海道へ行った時に、やはりタイヤの部分が壊れてしまった大型バッグを捨て、替え換えたばっかりであったが、またも壊れてしまった。
 
 それから、余ったカナダドルを消化しようと、またしても旨そうなレストランを探すが、なかなか見つからず、結局、その辺の売店でパンを買って食べたが、いつもの通りであった。
 最後の最後まで、食に付いては期待を裏切られ続けた。

 そして、またまた問題のシアトル・・・今度はどんなトラブルが待っているか?
 と思って飛行機を降りる。
 今度は女房は車椅子では無いため、通常の手続きで一旦税関を通り来た時と同じようにバッグを取り再び検査を受け搭乗カウンターに向かおうとした。
 バッグのターンテーブルの前で待ち続けたが、一向に出て来ない。
 飛行機便の便名が出ているターンテーブルで間違いがないが、ホンの数個だけ出てきて、後は待てど暮せど出て来ない。
 結構な時間待っても出て来ないため、意を決してバッケ―ジクレームの事務所に行き、下手な英語でチケットを見せながら、「バッグが出て来ないがどうなっているか?」と聞いたら、これは前のバンクーバーからの便から自動的に次の日本行機の便に積み替えられるのだという。
 一応私も、言い方を変えながら3度ほど確認したが間違いなさそうなため、同じく待っていた2組の日本の人達にも教えてやり、そこから手荷物だけの検査をしてゲートに向かった。
 それでも英語の世界で、聴き間違いがあるか?と心配していたが、教えてやった日本のおばさんが、他の人に確認し、間違いなくバッグは飛行場の方で積み替えるということを聞きホッとした。
 
 飛行機は前の便がキャンセルされる位、かなり空いており、一人で2つあるいは3席ぶっつなげて眠れるほどであったため、ゆったり眠って帰ってきた。
 結局。4日の朝8時にペンションを出て、着いたのは日本の夜の10時前、ビクトリアから実に22時間の長旅をしたことになる。
 
 帰りの電車はもう無いため、中央タクシーという空港送迎タクシーに乗って長野県小諸市に向かった。
 空港で、レンタルで借りたルーターを返しに行ったら、カウンターが偉く混んでいる。
 列の後ろに並んで、やっと番が来たら、借りたルーターは、ただカウンターにあるポストに機器を突っ込むだけでいいという。
 コードや部品が結構な点数は入っており、確認が必要なはずだが、そんなに返却業務を省略してしまっていいのか?疑問に思ったが、後でやはり後遺症が残った。
 スマホのメールやネットがおかしくなってしまい、それから3週間おかしいままとなった。
 auに二度も行ったが、原因が分からなかったが3度目の正直で、結局、ルーターの貸し出し時に私のスマホの隠し機能の特殊なチェックが入れてあり、これが悪さをして、ネットの繋がりが悪かったようだ。
 結構な金額を取る訳だから、使用後もきちっとアフターフォローすべきである。
 カナダ旅行の終わりは日本に於いても、「カナダ流」のおもてなしか?

 2週間という初めての長い旅だった。
 素晴らしく雄大な山々と表現ができない程の美しい湖、後進国(今は発展途上国)並みのサービスと、食文化の低さ・・・の両極端を味わう旅であった。
 
 丁度1ケ月前、北海道で大腿骨を骨折し、急遽骨を削り、20cm超のチタンを代わりに入れるという大手術をし、お医者に言えば絶対ダメと言われるため、内緒で行ってしまったカナダ旅行。
 この女房の骨折の後遺症は殆ど無く、毎日我々と共に1万歩以上歩いても夜に痛みが出たり、次の日に歩けなくなったりということは無かった。
 逆に今回は凄い”リハビリ”になったのかも知れない。
 当初は完全車椅子旅行かと思ったいたら、殆ど要らなかった。
 それとこの車椅子、電車に預け入れたまま出て来ないため、カナダに於いてきてしまった。

 行く時の、この女房の骨折問題と共に、羽田でのアメリカのVISAの問題、シアトルでのトランジット時のトラブル、バンクーバーのホテル不予約問題、帰りの電車の7時間遅れ、帰国時トランジットのバッグ問題等々、様々なトラブルを経験しながらも、無事に帰ってきた。
 まあ世の中色んな事があるが、どうにかなるもんだ・・・と言うことをこの2週間の旅行で学んだということか!?
 
 それでも、まったくの先進国と思っていたカナダが、ホテル等のインフラや対応がなっておらず、確かにタイとか中国はこれからの国ではあるが、逆に日本の”良さ”を学ぼうとする気運があり、ホテルの洗面所やその他のファシリティが充実してきたり、中国でもウォシュレットのトイレが出始めたりしているが、カナダの少なくとも我々が行ってきた範囲のホテルでは、全くそのような”気”も無かった。
「もうこれでいい、余計なことは考える必用ない!」と国民の殆どが思っているのではないか?
 それは向上心とか、進歩性とかという感覚がない国民なのか?などと考えてみるが、これは常に「世の中は進歩発展して行くものである」という不文律を信じ切っている私には良く分からない。
 それでも、日本車は結構走っているから、全く”無関心”と云うこちでもなさそうだ。

 撮った写真は2000枚弱、それを270枚にして今流行のフォトブックにして松本の姉とタイの兄に送ったらこれが大受けした。

 この旅行記は、写真をもっと増やして、文章も加筆してできれば、電子自主出版にして書籍として残したいと思っております。

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