時間の観念の全くない列車

前日の2時間遅れの列車の確認をしたら、何と今日は4時間遅れになっているという。

 その次の日程は、バンクーバーからビクトリアへレンタカーを借りフェリーに乗ることになり、そのフェリーがシーズン中は予約をしないと乗れないことがあるということで、兄の方で予め十分に余裕時間を取って予約をとってあったが、4時間の遅れでは余裕時間の域を超えている。

 朝、案内のカウンターに黒人のお兄さんがおり、唯一のイングリッシュスピーカーの兄の奥さんが頼むと、快く予約の変更をしてくれた。

 バンクーバー9時42分着で12時発のフェリーを5時間ずらして午後5時のフェリーに変更した。

 それにしても、この列車、午後2時前の出発が夕方の7時近くになるため、このジャスパーで一日待ちぼうけになる。

 こういった場合は、その時間を利用してどこか一日観光とかという気分にはなれない。

 結局、ホテルをチェックアウト後、駅まで行き駅で大きな荷物を預け、街をぶらぶらする。

 この街もバンフに負けず劣らず小さな観光の街で10分も歩けば店が無くなってしまう。

 最初はじっくり駅前に並ぶお土産物屋さんに入り、お土産を見つけて歩いたが、どの店も同じようなモノが置いてあり、やがて飽きる。

 スーパーがあって、そこがカナダの特産メイプルバターが一番安いと、お土産に沢山買い込んだりした。

 公園があったため、ベンチに座って待つが、結構肌寒いため、手荷物を置いて代わりばんこに、アチコチの店などを覗いたりした。

 やがてお昼の時間となる。

 ガイドブックに日本料理の店があるため、そこへ行こうということになった。

 日本人のオーナーらしき人が厨房にいて、金髪の若い娘が、お茶を運んできて注文を取っている。

 大変かわいらしく愛想もいい。

 よくよく見ていると同じ服を着て同じような顔の女の娘が二人いる。

 恐らく、姉妹か双子かどちらかだろう。

 ここでウドンとか寿司を食べたが、ここは結構美味しかった。

 何せめったに美味しいモノが無いから、ちょっと普通(日本のレベルで)の味に出会えば、最高に美味しく感じるという状況でもあったが・・・・。

 その可愛いウエイトレスのお姉さん二人にお願いして写真を一枚パチリ。

 この店が待ちぼうけ中の最大のヒットとなった。

 その先にパン屋があるとガイドブックにあり、探して歩いたらすぐに見つかったが凄い混雑。

 その夜の電車の中の夕飯用にその列を作るパン屋さんのパンを沢山買い込んだ。

 後はやることもなく、駅の待合室を陣取りひたすら待つ。

 それでも・・・と思い、私は抜け出して街に行き、シャッターチャンスを狙うが、これと言ってカメラの被写体になるような風景や建物も少なく、なかなか時間は潰せない。

 4時頃、駅員が一枚の貼り紙を持って来て掲示板に貼った。

 4時間遅れがもう2時間6時間遅れになるという貼り紙だった。

 最終的には13時40分発が、7時間近い遅れの夜8時半発で列車が出発した。

 夢の大陸横断鉄道かと思ったがエコノミー車両はえらく古く、とても「夢の・・・」という表現は使えず、おまけに一番の前の席でトイレが目の前、それもあちらの常識では、中に人がいるかいないか分からないため、ドアは開けて置くのだとのこと。

 ここで20時間近く過ごすのかと思うとちょっとうんざり・・・と云う感じであった。

 座り込むと早速あの行列のできるパン屋さんのパンに食らいついたが大して美味しくない。なぜあの店にあんなに行列ができていたか?不思議だ。

 みんなの意見は、「他にパン屋さんが無いのでしょう」ということだった。

 その夜は、どうにか疲れも手伝って眠りについた。

 朝目が覚め窓の外を見ると、谷と谷の間を川が流れ、その川沿いにこの鉄道が走っている。

 時々150両近くあるながーい貨物列車がすれ違う。

 短いトンネルがいくつもあり、同じような景色が延々と続く。

 朝飯は食堂車で食べようということになり、荷物があるため順番に行こうということになった。

 食堂車までは何両も歩く必要があり、いちいち重い引き扉を開けたり閉めたりしなければならない。

 また寝台車の車両の通りは狭く、大きな外人とはとてもすれ違えないため、結構歩くだけでストレス。

 私は兄夫婦が最初に食堂車に行くと言うので、一緒に視察がてら行ったが、途中で引き返すのが嫌になり、途中の人がいない車両・・・恐らく軽く食事やお茶を飲むための車両であると思うが、フリーの車両があったため、そこへ座って、兄達が食事を終わり、女房や姉と交代するのを待っていた。

 ところがその車両にパンと飲み物が置いてあり、時々乗客らしき人達が来て食べたり飲んだり持って行ったりしているため、私もそこのパンと飲み物を戴き、朝飯とした。

 タダだからうまいとかまずいと言う話は無しで食べた。

 バンクーバー到着は4時だという。

 4時に到着し、バッグを取り出してからタクシーに乗り、街のレンタカー屋に行き、そこからフェリー乗り場まで行くと5時のフェリーは殆ど無理であった。

 結果から言うと間に合わなかった。

 途中で3時15分頃にはバンクーバーに着けそうと言うような情報が入り、みんなで喜んでいたが、確かに3時過ぎにはバンクーバーの近くまでは行ったが、そこからがいけない。

 列車がスロ-なったり、止まったりで、なかなか進まない。

 そこへ持って来て、何の都合があったのか、逆に後ろにスィッチバックをし始め、そのうちに前に進んだりしていて、列車が定まらない。

 最終的に4時15分頃下車し、急いで駅舎に向かいバッグを待つが、これが待てど暮せどなかなか出てこない。

 20分ほど待ってようやく出てきたが、女房の車椅子がなかなか出て来ない。

 兄夫婦は、先にバンクーバーの街中のレンタカーの店に行き、我々3人が残ってこの車椅子を待った。

 最後の最後まで待ったが、結局出て来ない。

 バッケージクレームの紙は兄夫婦が持って先に行ってしまっているし、私の英語力で交渉しても自信もないので、女房と相談し、この車椅子は殆ど必要もも無いため、ここに捨てて帰るということにした。

 日本では、あの超スピード、超過密ダイヤで走る新幹線が1分たりとも狂わないのが当たり前であり、ちょっとでも遅れたら、構内放送でうるさいほどのお詫びと状況説明が行われるが、今回のこのカナダの現場では、構内放送は無し、掲示板に手書きで何時間遅れると何度も表示されるだけ、乗客もこれが当たり前かのように抗議をする人も無く、おとなしく列車が来るのを待っている。

 列車に乗ってからも、乗務員の態度が我々黄色人種への差別が未だあるのか非常に態度が悪い。

 結局、遅れたからという理由で、お昼にそんなに美味くもないパンと飲み物とお菓子を配給しただけで、何の悪びれた様子も見られなかった。

 私は、カナダは先進国だと思っていた。

 中国の航空便は2時間や3時間は当たり前で遅れ、5,6時間ということもたびたびあったが、先進国カナダがまさか一日一本という列車が6時間も遅れ、しかもそれが当然の如くに行われている事実は、私にとっては驚愕的な出来事であった。

 日本が世界の中であまりにも設備面、対応面、ホスピタリティ面等のインフラが整い過ぎているのか、たまたまこの長距離列車に限っての出来事だったのかは分からないが、海外旅行中の6時間という貴重な時間をさしたる理由や説明もなくただただ持って行かれてしまったということ体験は、中国ならあきらめもつくが、先進国カナダでは如何なものであろうか?

 たまたま日経ビジネスに日本の鉄道事業のグローバル化の記事が載っており、これを読んでいたら、面白い記述があった。

 川崎重工の米国での鉄道車両のシェアが首位の米国企業を追い上げる第二位で23%を占めるということだ。

 その中の記述で「米国では保証期間が過ぎた後、車両が故障した場合、欧米ではすぐに弁護士を送り込んで来るが、川崎重工は保証期間か否かに関わらず、故障時にはまず技術者を送り込み問題解決をまず優先するという。

 こんなことは日本では極く当たり前のことであるが、アメリカではとても新鮮に映り、評価され始めているという。

 このような事実は、私が常に主張し続けている「良いモノは良い。時間がかかるかも知れないが、良いモノを造り続け、地道にこれを伝え続ければ必ず、この技術は世界中に広がるだろう」ということの証明となるかと思う。

 技術立国日本は、決して焦る必要はない。どの国よりも良いモノを造り、良いサービスをし続けるならば、必ずや徐々に徐々に世界に浸透して行き、最終的には「憧れの日本製品」「憧れの日本流のサービス」となり、日本の製品も勿論、サービスも食品やカルチャーの様な文化そのものが全世界に広がるということだ。

 あの「ジャパンアズナンバーワン」の日本は、バブル崩壊後の1990年代以降の景気低迷から、「失われた10年」、「失われた20年」という時間の中で日本はすっかり自信を失い、「グローバル化」という言葉にただただ踊らされ「低価格でなければモノは売れない」・・・「だから安い労働力のある場所でモノを造る」という本物のモノ造りの精神を忘れ、日本の中核技術である中小零細製造業をバサバサ切り捨て猫も杓子も中国や東南アジアへとシフトして行った。

 今は旅行記を書いているので、この辺で話を戻そう。

 結局、5時のフェリーは間に合わず、レンタカーで6時のフェリーにどうにか乗ることができた。

 予約の5000円はパーとなった。最初の予約金3000円と合わせると、8000円がパーになったのである。

 フェリーは問題なく兄が最もお奨めのカナダ旅行最終となる美しい観光都市ビクトリアに向って突き進んでいる。

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コロンビア大氷原からジャスパーへ

エメラルドレイクで、写真を撮っていると、約束の9時半にガイドさんがやってきた。時間は正確である。

 前日と同様5人がそれぞれ車に乗り込み、一路コロンビア大氷原へ向かう。

 周りを3000m級の山々が取り囲み、途中展望台から「カラスの足」と呼ばれる氷河=「クロウフット氷河」を眺める。以前は3本の足だったようだが、その後氷河が後退し、現在では2本になっている。

 ちょうどお昼近くになり目的のコロンビア大氷原に着いた。

 すぐ目の前に大氷原が広がり、5,6分バスで行き、そこから雪上車に乗り換えるのだという。

 気温もグーンと寒くなり、持って行ったユニクロの軽いが大変暖かいダウンジャケットを着こみ、更にその上にジャンパーを着込むと備えは万全。
 

 ビッフェスタイルのお昼を食べた。私はカレーがあったため少しだけ盛って食べたが、やはりご飯の味がイマイチで余り美味しくはなかった。

 ガイドさんの案内でまずは氷原までのバスに乗り込む。

 運転手兼ガイドのお姉さんは歌手なのだそうだ。

 何を言っているか分からないがお客に発した軽快なトークに反応してバスの中が盛り上がっている。

 そのうちに運転しながら歌が始まった。

 なんと今日本では大人気の「アナと雪の女王のテーマ」でメチャうまい。この曲や映画は、こちらでもかなりヒットしているのだろう。

 日本だと、運転手とバスガイドの二人体制になるかと思うが、こちらは須らく一人で二役、運転しながら超一級の歌をお客に聴かせるところは流石カナダの面目躍如といったところか?

 あっという間に、氷原に着きバスを雪上用のキャタピラではなく馬鹿でかいタイヤの車に乗り換え、氷の上を走って行く。

 雪上車から降り立つと、そこは全くの氷というか雪の上、ところどころに融けた水が流れて小さな筋状の川になっている。

 これが下に流れて行ってあの青い神秘的な湖になるのである。

 ここの水そのモノはかなり冷たいが極く普通の透明であった。

 30分ほど、写真を撮ったり、アチコチ歩いてみたりしてバスに戻り、バスを乗り継いでロッジまで戻った。

 そこからジャスパーというカナディアンロッキーの終着となる街に向かう。

 途中大きな滝があるという。

 結構な幅もある川が急にカーブし、谷のような狭いところへ落ち込み、更に穴の空いた岩に流れ込むため、結構な迫力がある。

 そこからしばらく走るとジャスパーの街に着く。

 ガイドさんの話によると、最初に予定していた駅前のホテルが取れなかったため、同一料金でちょっと離れてはいるが、格上のホテルを予約してあるとのことである。

 ホテルは確かに悪くは無かったが駅までは遠いため、気軽に街に出る訳には行かない。

 しかしその近くにはガイドさんお薦めのステーキハウスがあるという。

 夜はそこでディナーで決まりである。

 そのホテルで、二日間我々の面倒を見てくれたガイドさんと別れ、明日は大陸横断鉄道に乗ってバンクーバーまで帰ることになる。

 ガイドさんにお礼のチップを上げると、一所懸命固辞している。

 こちらではチップを出すのが当たり前で、これが非常に面倒であったが、時々お釣りをきちっと要求しないとそのまま結構な金額をチップとして持って行かれたりするこの国で、ジェスチャーでもチップを断る姿はとても新鮮で、すがすがしく思えた。

 その後、ベルボーイのチップをどうするか?まとめて払うか?それぞれが払うか?決まらないまま部屋に入り、結局二重払いとなってしまった。

 こちらでは、「さっきもらったからいいです。」などという言葉はとても出てきそうにない。

 さて、お待ちかねのディナーである。

 多少半信半疑の部分はあったが、ガイドさんの”お薦め”を信じて、ホテルから5分位歩いてステーキの店に行った。

 運よくスンナリ5人座れた。

 とにかくこちらの料理は量が多いため、とてもひとりずつという訳には行かない。

 適当に選んでみんなでシェアする。

 最初のサラダが美味しい。

 大体料理は一品でも美味しければ後は押して図るべし・・・である。

 果たして出てきた肉は・・・・!?

 これが例の赤身の肉ではあるが大変美味しい!

 当たりだ!

 5人で3人前位で、量もちょうど良い。

 久しぶりの美味しいディナーを満喫した。

 ついでにデザートにアイスも頼んだが、これもかなり大きかったので、みんなでつついて食べた。

 翌日は、いよいよ大陸横断鉄道に乗ってバンクーバーに戻る。

 ガイドさんから今現在2時間遅れている・・と聞いていたが、明日までには戻るだろうと思って誰もあんまり気にも留めず、その夜は、美味しいステーキも食べたし、満足して明日の「夢の大陸横断鉄道」の豪華列車を夢見て早めに寝た。 

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ヨーホー国立公園

朝8時、この日は旅行社から女性のガイド兼ドライバーが大型箱バンでホテルにやってきた。

 日本人である。

 カナダには3年いるという。

 どうも山が好きで、ガイドの仕事をやりながら山登りをしているようだ。

 年恰好30前位。

 非常に対応が良く、やはり気遣いも違う。

 日本人にはに日本人が一番である。

 前回と同じように兄が前に乗り我々は後ろの席に二人ずつ座る。

 結局、このガイドさん、車に乗っている中、イヤホンマイクを付け、社内スピーカーを通じてガイドをしているか、兄と話しているか、ずっとしゃべっり放しであった。

 恐らく眠気を誘わないようにするテクニックだったのではないか?

 我々は、時差の関係があるため代わりばんこにコックリ、コックリしていたが、兄は殆どガイドさんの話を聴いたり話をし通しだった。

 この日は、車を駆使しヨーホー国立公園の湖や滝を見て回ることになっている。

 ヨーホーとは先住民族語で”素晴らしい”と云う意味だそうだが、その通りで本当に素晴らしい景色が次々と現れるのである。

 バスクルーズ最初に訪れたところはモレイン・レイクと言う、その美しさの故に且つてカナダの20¢の絵柄に採用された湖であった。

 残念ながら,行った時は殆ど霧だらけでその美しいという湖が良く見えなかったが、よっぽど我々の行いが良いのであろう、レイク・ルイーズの時と同じように時間と共に霧が上がり始め、この美しい湖とテンピークス(10の頂)という10ケの頂がこの池をぐるりと取り囲み、その風景を一層際立たせている山々も次々にその雄大な姿を露わし始めた。

 カナディアンロッキーの湖の水がなぜ、トルコブルーだったりエメラルドブルーだったりするのか?というと、氷河の溶けだした水が電子を帯び、その粒子が水中に浮遊し、光の反射をさえぎり独特の色合いを見せる。

 湖面の色は、天候により、時間帯によりブルー系の色が様々に変化するため、同じ湖でも訪れる度に色が違ったりするのだそうだ。

 そこへ持ってきて、天気の具合により雲や霧の演出も加わり、雪の季節、芽吹きの季節、盛夏の時期、そして紅葉の時期と次々と変化し、厳密に言えば恐らく二度と同じ風景は観られないだろうというこの風景は、私の様なエセカメラマンではなく、本格的に写真を撮っている人達にとっては、たまらない被写体ではないか?

 5人全員で、ガイドの女性に写真を撮ってもらった。

 このガイドの女性は、恐らく毎日毎日お客の写真を撮っているのであろう。どこではどういうタイミングでどういう構図がベストか知っているようで、その写真はなかなかのモノであった。

 次はタカカウの滝という滝に向かった。

 タカカウとは先住民族の言葉で”壮大な”と云う意味、落差380mのこの滝は「以前より水量が多い」と兄が言っていたが、この時期は氷河の氷が最も融ける時期で水量が多く迫力満点の滝だ。

 歩道があり、滝の直ぐ近くまで行けた。

 ここから、昼食のためポストホテルのレストランに向かう。

 ここはガイドさんお奨めの美味しい料理ということで期待したが、朝にバ

イキング料理でたらふく食べてしまっており、また全員それ程食べられるような歳でもないため、パスタは美味しく食べたが、大きな鳥肉はそれぞれが残した。

 デザートのスィートも結構なボリュームがあり、私はとても食べられないので、別席に似たガイドさんに食べるように・・・と持って行ったのだが、帰りに包んで”お持ち帰り”にしてくれた。

 これはその夜の例のカップヌードルパーティー時に5人で少しづつ食べた。

 ここから、道路沿いにある結構大きな湖ボウ・レイクに向かう。ここからの眺望は素晴らしく、絵葉書そのものだ。

 次はペイト・レイク・・・どの湖も氷河が融けた水でその色が大変美しいが

、このペイト・レイクはその中でもまた格別な美しさを誇る。

 夏はコバルト・ブルー、秋はエメラルド・グリーン、時間や気温、光のあたりぐあいによって刻々と変化し、午前中の方がきれいだとのこと。

 我々は午後の訪問であったが、”まるで絵の具のような・・・”と案内書には書いてあるが、本当に綺麗だ。

 「20年前より湖が小さくなった」

 と兄が言っていたが、地球の温暖化に伴って氷河も年々少しずつ縮小してしまっており、湖の水量もそれに伴って少なくなってきているのであろう。

 20年という単位は、それを顕著に表わす。

 写真をバチバチ撮り、名残りが尽きないこの湖を後にし、ここからこの日の宿泊地エメラルド・レイクへ向かうが、途中大陸横断鉄道のスパイラルトンネルが良く見える展望台に行った。

 スパイラルトンネルと言うのは、この鉄道の最大の難所で急勾配のため直線で持って行けないため、8の字型に上がって行くのだが、それが殆どトンネルなのである。

 この大陸横断鉄道の車両はとても長く、実際に数えたが130両から150両くらいまであり、そんなにスピードを出さないため踏切の通過などはメチャ長く、車は待つのを嫌って信号無視して突っ込み、結構事故があるとのこと。

 その長い車両がこれまた8の字の長いトンネルをくぐる際、先頭の車両がトンネルを出ても未だ後ろの方の車両が見えるとのことで、運がいいと実際にそのような光景が見えるということである。

 そこから1時間位走り、エメラルド・レイクに着いた。

 ここもなかなか神秘的で素晴らしいのだが、生憎雨が降り出しており、辺りは殆ど霧だらけ、ここの宿泊はロッジ形式で、私達と姉は一階と二階に分かれ、兄達は違う棟に入った。

 ロッジの中は個人まりしており、暖炉があったりして山小屋の雰囲気が出ている。

 朝晩と普通に食べたため、今晩はみんなで一所に集まり、カップヌードルパ

ーティの夜となった。

 とにかくカナダは物価が高い。

 昼間でもちょっとしたモノを食べるとすぐ3000円位はする。

 夜をディナーを楽しむと、軽く一人当たり5000円以上にはなりそう。

 そしてそれがそれほど美味しくない。

 コストパフォーマンスが非常に悪いのだ。

 兄達は恐らくそのことを知っていて、カップヌードルを買ってくるようにと言ったのだろう。

 兄弟夫婦和気アイアイの食事が済んだが、未だ8時前、雨も上がっており、未だ明るいため、私はお得意のカメラを持って湖をに向った。

 明日の朝も晴れるかも知れないが、とにかくこの晩と、明日の朝しかチャンスが無いから、ここは何が何でもカメラに収めておきたいところだ。

 明け方4時頃に兄から電話が入り、星空がきれいだから見ろと言う。

 女房と起き出して夜空を眺めた。

 雨はすっかり上がり、夜空には最近見られない大粒の星が沢山きらめいている。

 あまりにもはっきりす過ぎていて、どれがどの星座か良く分からないが、3人で美しいエメラルド・レイクで、満天の星をしばらく眺めていた。

 そのまま私はメールチェックやらしていて夜が明けてきたため、私は再びカメラを持って湖に向かった。

 昨日は見えなかった遠くの山々が見えてきて、また横にそびえる山を湖が写し、これまた素晴らしい風景だ。

 やがて全員ぞろぞろとやってきたため、写真に収め、朝はホテルのモーニングサービスにしようということにうなった。

 私はメイプルシロップを付けて食べるパンケーキを食べた。

 これは外れることは無かった。

 この日は9時半頃、昨日のガイドさんが迎えに来てコロンビア大氷原と言う大きな氷河により、カナディアンロッキーの終点となる一路ジャスパーへ向かう。

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ロッキーの宝石 ~ レイクルイーズ

朝8時、ホテルチェックをチェックアウトし、定期バスでホテルルイーズに向かう。

 この日も、バスがなかなかやって来ないため、みんなでイライラして待っていたが、定刻の10分遅れ(!?)位で、バスがやって来て無事に乗れたのであった。

 外は生憎の雨である。

 週間天気予報では、この週はどうも雨勝ちの様だ。

 せっかくの夢のカナディアン・ロッキーの雄大な景色は観られないのか?不安に思いまがら、このバスに揺られ、1時間半後に”レイクルイーズ”に着いた。

 きれいな青い湖はどうにか見えるが、その先に雄大にそびえているという氷河は雲だか霧だかで良く見えない。

 チェックインは未だ午前中のため出来ないので荷物を預けて、ホテルの中を見て回ることにした。

 レイクルイーズ・・・まずは旅行社のパンフレットの説明書きをご覧いただこう。

「”ロッキーの宝石”と言われる氷河の浸食によって出来た有名な湖。水は氷河の溶け水が流れ込むため水の温度は夏でも4℃程と冷たい。ビクトリア女王の娘ルイーズ王女にちなんでレイク・ルイーズと名付けられました。神秘的な青緑色の湖水は長さ約2.4km、深さ90m。水面に3464mのビクトリア山(氷河)が湖面に映る姿は一枚の絵のような美しさです。」

 ルイーズ王女・・・まるで「アナと雪の女王」のモデルか?と思わせるような神秘性のある湖に霧がかかり、更に神秘的であった。

 雨が降り続いているため、ホテル内は宿泊客、日帰り客で大賑わい、ヒマに任せてホテル内にある売店を一店一店見て回った。

 カナダは様々な鉱物が採れる。金、ニッケル、ウラン、鉛、カリウム等、特にウランは世界第一の産出国であるが、自国では原発は造らず、アメリカを中心とした他の国に”売らん(ウラン)”と言いながら売っているとのこと。石油やシェールガスも豊富に出て経済的には安定した国だ。

 そんな国のお土産は、色んな珍しい石があり、これをブローチにしたりイヤリングにしたり、キーホルダーにしたりして売っている。

 その中に銅の塊が売られており、銅線を扱う私としては何故か興味が沸き、結構高いその銅の塊を衝動買いをしてしまったが、ケチな私は後から考えたら、当社の不良コイルを丸めて、圧縮しても同じようなモノができるかな?とも思ったりした。 

 お昼になったため、レストランにしようかと思ったが、あまりお腹がすいてないため、簡単なパン中心のカフェのような所へ行った。

 女性達にパンとか飲み物を買ってもらい、兄と私は席の確保をして待っていたが、いくら待っても食べ物も飲み物も来ない。

 お客が一列に並んでパンや食材、飲みモノを選び最後にレジでお金を払うというシステムであるが、お客が大勢でレジの中がパニくってしまい、とにかく頼んだ品物が出て来ないらしい。

 パンを多少温めたりするため、手がかかるのは分かるが、あの中国だってこれほど時間はかからない。

 パンを買うのに約30分、最初に出てきたコーヒーは冷めてしまっていた。

 この国の70%はサービス業だとのことだが、あっちでもこっちでもとても”サービス”と云えるような状態ではない。これでこの国の人達は満足しているのだろうか?と大きな疑問が生じた。

 午後になると雨も止み、霧も上がり始め、青緑色と言うかエメラルド色と言うか、とにかくきれいな湖が目の前にくっきりと現れてきた。

 対岸の方の氷河は途中までは見えるが、最上部の方は良くは見えない。

 この景色、ほぼ諦めかけていた我々にとっては、これでも大満足である。

 写真をガンガン撮りまくった。

 カヌーに乗ろうと兄が言い出して、カヌーの発着所まで行ったが、一人8000円位すると聞いて断念した。

 ここにも小さなリスがアチコチ出現し、カメラの被写体となっていた。

 3時近くなってようやく部屋に入った。

「湖に面した部屋」と兄の方で予約してあったため、3部屋とも湖に面した部屋で、姉の一人部屋は湖に近い方の建物の部屋で、我々兄弟夫婦の部屋は湖からちょっと離れた建物の5階の隣部屋であったが、部屋と部屋の間にドアがあり、そこから行き来出来て大変便利であった。

 そして湖と氷河も綺麗に見えていた。

 この大自然の美しさと、サービスの悪さの両極端・・・この大自然にもし日本流のサービスやインフラが整っていたら、これは凄いことになりそう!なんて思ってしまうのは、私だけであろうか?

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