ヨーホー国立公園

朝8時、この日は旅行社から女性のガイド兼ドライバーが大型箱バンでホテルにやってきた。

 日本人である。

 カナダには3年いるという。

 どうも山が好きで、ガイドの仕事をやりながら山登りをしているようだ。

 年恰好30前位。

 非常に対応が良く、やはり気遣いも違う。

 日本人にはに日本人が一番である。

 前回と同じように兄が前に乗り我々は後ろの席に二人ずつ座る。

 結局、このガイドさん、車に乗っている中、イヤホンマイクを付け、社内スピーカーを通じてガイドをしているか、兄と話しているか、ずっとしゃべっり放しであった。

 恐らく眠気を誘わないようにするテクニックだったのではないか?

 我々は、時差の関係があるため代わりばんこにコックリ、コックリしていたが、兄は殆どガイドさんの話を聴いたり話をし通しだった。

 この日は、車を駆使しヨーホー国立公園の湖や滝を見て回ることになっている。

 ヨーホーとは先住民族語で”素晴らしい”と云う意味だそうだが、その通りで本当に素晴らしい景色が次々と現れるのである。

 バスクルーズ最初に訪れたところはモレイン・レイクと言う、その美しさの故に且つてカナダの20¢の絵柄に採用された湖であった。

 残念ながら,行った時は殆ど霧だらけでその美しいという湖が良く見えなかったが、よっぽど我々の行いが良いのであろう、レイク・ルイーズの時と同じように時間と共に霧が上がり始め、この美しい湖とテンピークス(10の頂)という10ケの頂がこの池をぐるりと取り囲み、その風景を一層際立たせている山々も次々にその雄大な姿を露わし始めた。

 カナディアンロッキーの湖の水がなぜ、トルコブルーだったりエメラルドブルーだったりするのか?というと、氷河の溶けだした水が電子を帯び、その粒子が水中に浮遊し、光の反射をさえぎり独特の色合いを見せる。

 湖面の色は、天候により、時間帯によりブルー系の色が様々に変化するため、同じ湖でも訪れる度に色が違ったりするのだそうだ。

 そこへ持ってきて、天気の具合により雲や霧の演出も加わり、雪の季節、芽吹きの季節、盛夏の時期、そして紅葉の時期と次々と変化し、厳密に言えば恐らく二度と同じ風景は観られないだろうというこの風景は、私の様なエセカメラマンではなく、本格的に写真を撮っている人達にとっては、たまらない被写体ではないか?

 5人全員で、ガイドの女性に写真を撮ってもらった。

 このガイドの女性は、恐らく毎日毎日お客の写真を撮っているのであろう。どこではどういうタイミングでどういう構図がベストか知っているようで、その写真はなかなかのモノであった。

 次はタカカウの滝という滝に向かった。

 タカカウとは先住民族の言葉で”壮大な”と云う意味、落差380mのこの滝は「以前より水量が多い」と兄が言っていたが、この時期は氷河の氷が最も融ける時期で水量が多く迫力満点の滝だ。

 歩道があり、滝の直ぐ近くまで行けた。

 ここから、昼食のためポストホテルのレストランに向かう。

 ここはガイドさんお奨めの美味しい料理ということで期待したが、朝にバ

イキング料理でたらふく食べてしまっており、また全員それ程食べられるような歳でもないため、パスタは美味しく食べたが、大きな鳥肉はそれぞれが残した。

 デザートのスィートも結構なボリュームがあり、私はとても食べられないので、別席に似たガイドさんに食べるように・・・と持って行ったのだが、帰りに包んで”お持ち帰り”にしてくれた。

 これはその夜の例のカップヌードルパーティー時に5人で少しづつ食べた。

 ここから、道路沿いにある結構大きな湖ボウ・レイクに向かう。ここからの眺望は素晴らしく、絵葉書そのものだ。

 次はペイト・レイク・・・どの湖も氷河が融けた水でその色が大変美しいが

、このペイト・レイクはその中でもまた格別な美しさを誇る。

 夏はコバルト・ブルー、秋はエメラルド・グリーン、時間や気温、光のあたりぐあいによって刻々と変化し、午前中の方がきれいだとのこと。

 我々は午後の訪問であったが、”まるで絵の具のような・・・”と案内書には書いてあるが、本当に綺麗だ。

 「20年前より湖が小さくなった」

 と兄が言っていたが、地球の温暖化に伴って氷河も年々少しずつ縮小してしまっており、湖の水量もそれに伴って少なくなってきているのであろう。

 20年という単位は、それを顕著に表わす。

 写真をバチバチ撮り、名残りが尽きないこの湖を後にし、ここからこの日の宿泊地エメラルド・レイクへ向かうが、途中大陸横断鉄道のスパイラルトンネルが良く見える展望台に行った。

 スパイラルトンネルと言うのは、この鉄道の最大の難所で急勾配のため直線で持って行けないため、8の字型に上がって行くのだが、それが殆どトンネルなのである。

 この大陸横断鉄道の車両はとても長く、実際に数えたが130両から150両くらいまであり、そんなにスピードを出さないため踏切の通過などはメチャ長く、車は待つのを嫌って信号無視して突っ込み、結構事故があるとのこと。

 その長い車両がこれまた8の字の長いトンネルをくぐる際、先頭の車両がトンネルを出ても未だ後ろの方の車両が見えるとのことで、運がいいと実際にそのような光景が見えるということである。

 そこから1時間位走り、エメラルド・レイクに着いた。

 ここもなかなか神秘的で素晴らしいのだが、生憎雨が降り出しており、辺りは殆ど霧だらけ、ここの宿泊はロッジ形式で、私達と姉は一階と二階に分かれ、兄達は違う棟に入った。

 ロッジの中は個人まりしており、暖炉があったりして山小屋の雰囲気が出ている。

 朝晩と普通に食べたため、今晩はみんなで一所に集まり、カップヌードルパ

ーティの夜となった。

 とにかくカナダは物価が高い。

 昼間でもちょっとしたモノを食べるとすぐ3000円位はする。

 夜をディナーを楽しむと、軽く一人当たり5000円以上にはなりそう。

 そしてそれがそれほど美味しくない。

 コストパフォーマンスが非常に悪いのだ。

 兄達は恐らくそのことを知っていて、カップヌードルを買ってくるようにと言ったのだろう。

 兄弟夫婦和気アイアイの食事が済んだが、未だ8時前、雨も上がっており、未だ明るいため、私はお得意のカメラを持って湖をに向った。

 明日の朝も晴れるかも知れないが、とにかくこの晩と、明日の朝しかチャンスが無いから、ここは何が何でもカメラに収めておきたいところだ。

 明け方4時頃に兄から電話が入り、星空がきれいだから見ろと言う。

 女房と起き出して夜空を眺めた。

 雨はすっかり上がり、夜空には最近見られない大粒の星が沢山きらめいている。

 あまりにもはっきりす過ぎていて、どれがどの星座か良く分からないが、3人で美しいエメラルド・レイクで、満天の星をしばらく眺めていた。

 そのまま私はメールチェックやらしていて夜が明けてきたため、私は再びカメラを持って湖に向かった。

 昨日は見えなかった遠くの山々が見えてきて、また横にそびえる山を湖が写し、これまた素晴らしい風景だ。

 やがて全員ぞろぞろとやってきたため、写真に収め、朝はホテルのモーニングサービスにしようということにうなった。

 私はメイプルシロップを付けて食べるパンケーキを食べた。

 これは外れることは無かった。

 この日は9時半頃、昨日のガイドさんが迎えに来てコロンビア大氷原と言う大きな氷河により、カナディアンロッキーの終点となる一路ジャスパーへ向かう。

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ロッキーの宝石 ~ レイクルイーズ

朝8時、ホテルチェックをチェックアウトし、定期バスでホテルルイーズに向かう。

 この日も、バスがなかなかやって来ないため、みんなでイライラして待っていたが、定刻の10分遅れ(!?)位で、バスがやって来て無事に乗れたのであった。

 外は生憎の雨である。

 週間天気予報では、この週はどうも雨勝ちの様だ。

 せっかくの夢のカナディアン・ロッキーの雄大な景色は観られないのか?不安に思いまがら、このバスに揺られ、1時間半後に”レイクルイーズ”に着いた。

 きれいな青い湖はどうにか見えるが、その先に雄大にそびえているという氷河は雲だか霧だかで良く見えない。

 チェックインは未だ午前中のため出来ないので荷物を預けて、ホテルの中を見て回ることにした。

 レイクルイーズ・・・まずは旅行社のパンフレットの説明書きをご覧いただこう。

「”ロッキーの宝石”と言われる氷河の浸食によって出来た有名な湖。水は氷河の溶け水が流れ込むため水の温度は夏でも4℃程と冷たい。ビクトリア女王の娘ルイーズ王女にちなんでレイク・ルイーズと名付けられました。神秘的な青緑色の湖水は長さ約2.4km、深さ90m。水面に3464mのビクトリア山(氷河)が湖面に映る姿は一枚の絵のような美しさです。」

 ルイーズ王女・・・まるで「アナと雪の女王」のモデルか?と思わせるような神秘性のある湖に霧がかかり、更に神秘的であった。

 雨が降り続いているため、ホテル内は宿泊客、日帰り客で大賑わい、ヒマに任せてホテル内にある売店を一店一店見て回った。

 カナダは様々な鉱物が採れる。金、ニッケル、ウラン、鉛、カリウム等、特にウランは世界第一の産出国であるが、自国では原発は造らず、アメリカを中心とした他の国に”売らん(ウラン)”と言いながら売っているとのこと。石油やシェールガスも豊富に出て経済的には安定した国だ。

 そんな国のお土産は、色んな珍しい石があり、これをブローチにしたりイヤリングにしたり、キーホルダーにしたりして売っている。

 その中に銅の塊が売られており、銅線を扱う私としては何故か興味が沸き、結構高いその銅の塊を衝動買いをしてしまったが、ケチな私は後から考えたら、当社の不良コイルを丸めて、圧縮しても同じようなモノができるかな?とも思ったりした。 

 お昼になったため、レストランにしようかと思ったが、あまりお腹がすいてないため、簡単なパン中心のカフェのような所へ行った。

 女性達にパンとか飲み物を買ってもらい、兄と私は席の確保をして待っていたが、いくら待っても食べ物も飲み物も来ない。

 お客が一列に並んでパンや食材、飲みモノを選び最後にレジでお金を払うというシステムであるが、お客が大勢でレジの中がパニくってしまい、とにかく頼んだ品物が出て来ないらしい。

 パンを多少温めたりするため、手がかかるのは分かるが、あの中国だってこれほど時間はかからない。

 パンを買うのに約30分、最初に出てきたコーヒーは冷めてしまっていた。

 この国の70%はサービス業だとのことだが、あっちでもこっちでもとても”サービス”と云えるような状態ではない。これでこの国の人達は満足しているのだろうか?と大きな疑問が生じた。

 午後になると雨も止み、霧も上がり始め、青緑色と言うかエメラルド色と言うか、とにかくきれいな湖が目の前にくっきりと現れてきた。

 対岸の方の氷河は途中までは見えるが、最上部の方は良くは見えない。

 この景色、ほぼ諦めかけていた我々にとっては、これでも大満足である。

 写真をガンガン撮りまくった。

 カヌーに乗ろうと兄が言い出して、カヌーの発着所まで行ったが、一人8000円位すると聞いて断念した。

 ここにも小さなリスがアチコチ出現し、カメラの被写体となっていた。

 3時近くなってようやく部屋に入った。

「湖に面した部屋」と兄の方で予約してあったため、3部屋とも湖に面した部屋で、姉の一人部屋は湖に近い方の建物の部屋で、我々兄弟夫婦の部屋は湖からちょっと離れた建物の5階の隣部屋であったが、部屋と部屋の間にドアがあり、そこから行き来出来て大変便利であった。

 そして湖と氷河も綺麗に見えていた。

 この大自然の美しさと、サービスの悪さの両極端・・・この大自然にもし日本流のサービスやインフラが整っていたら、これは凄いことになりそう!なんて思ってしまうのは、私だけであろうか?

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いよいよカナディアンロッキーの旅が始まる

 アメリカに向かうミキヨシ君とは空港で別れ、カルガリ―空港を降りると、大型の箱バンで旅行社の日本の若者が待っており、これからバンフまで送ってもらえるとのこと。
 兄の方でこのカナディアンロッキーの日程は、日本の旅行社に色々な要望を入れながらホテルやガイドを頼んであったのだ。
 この若者は20年近くカナダにおり、20年前まで10年間バンクーバーに住んでいた兄と話が盛り上がっていた。
 やがて1988年のカルガリー冬季オリンピックのスキーのジャンプ台会場だったという場所が見えてきたが、この若者が言うには、この会場は選手達にはあまり評判が良くなかったのだとのこと。
 リフトではなくエレベーターで一気に上に上がってしまうため、”心の準備”が整わないこととか、ジャンプをすると目の前が道路で車がガンガン通るため、気持ちが乗らなかったそうだ。
 まっすぐな道を結構なスピードで走って行くと、徐々に大きな山が現れ始め、カルガリーから約2時間でバンフの街に着いた。
 街としては軽井沢の旧軽の街を拡大したようなイメージで、ホテル、飲食店、お土産物屋が立ち並ぶまるっきり観光の街であった。

 しかし何と言っても凄いのは、周りが急速に立ち上がり、そそりたっている綺麗な岩山である。
 ここは標高1384mの山岳リゾート。7500年以上前に誕生したといわれている場所で、ロッキー山脈の壮大な自然に囲まれ、カナダで最初にナショナルパークに指定された場所だとのこと。
 
 これは写真でじっくり見てもらいたい。
 この風光明媚なワクワクするような街に我々は2泊する。
 午前中にホテルに着いたため、荷物を預け、早速街に繰り出す。
 どこを見ても様になっている風景、しばらく歩くと街は直ぐに通り抜けてしまうから引き返して、ガイドのお兄さんが推薦したステーキハウスを探そうということになったが、お客がテラスで肉をジュージュー焼きながら旨そうに食べている店があり、ここがいいということで、6人ドヤドヤと入り込んだ。


 
 英語で書いてあるメニューのどれがどうかは良く分からないため、とにかく頼んでみんなでシェアすればいいということでオーダーした。
 こちらの肉は日本の霜降り肉とは異なり全て赤身の肉だ。
 これは日本では牛は牛舎の中であまり運動をさせずに育てるのに対して、こちらの牛は放牧が主なため、肉が締り筋肉もしっかりついており、筋が硬く、焼くとさらに肉が硬くなるようだ。
 日本の肉を基準にすると、あまり美味しくはないが、そういうもんだと思えば食べられないことはない。
 ただし美味しさは肉そのものの味よりタレの旨さによって決まるのではないかとも思った。
 
 そんなことでバンフでの最初の食事が終わり、三時のチェックインの時間にはちょっと早かったがホテルに行き、多少待たされたがようやく部屋に入
った。
 部屋の窓からは、あの雄大なほぼ垂直に切り立つ岩山を常に見れるというのは凄い!
 これまで、バンクーバーの街並や、吊り橋、ヘリコプタからの景色、アイマックスシアターの迫力など、毎日が驚きと感激の連続であったが、このバンフという街は、人里離れた全くのリゾート地で風光明媚、加えて気候的にも暑くもなく寒くもない大変良好な環境下で、リゾート気分を十分味わえた。
 昼は豪華にステーキだったため、夜はまた例のカップヌードルパーテイーと相成った。
 色んな種類のカップラーメンや焼きそばから好きなのを選んで食べる。この日も結構美味しくみんなで盛り上がって食べた。

 次の日の朝、私はようやく時差ボケの中でも自分のペースを取り戻し始め
、朝結構早く目が覚め6時頃散歩に出ると、ちょうど隣の部屋の兄夫婦も散歩に出かけるところだったので合流した。
 ホテルの裏側に池があり、この池が結構水の色が青くきれいな池であり、私の芸術心(?)をくすぐるモノがあり、朝靄と共に何枚か写真に収めた。
 そこからその池の淵の細い道を歩いて行くと、「あっ!エルクだ!」と兄の声、我々が歩く方向から、ちょうどちょっと小柄の馬位の大きな鹿が、ノ
ッシノッシとこちらに向かって来るではないか!?
 これこそ願ってもないシャッターチャンス!
 「近寄ると危ないぞ!」の声に、付かず離れずしながら写真を撮りまくるが、いざという時はなかなかうまく行かないモノだ。

 やがて、一匹が居なくなってしまった後に、また違うエルクが現れた。
 今度はちょっと白っぽい。
 またもシャッターチャンスで撮りまくる。 
 そこへ車が一台スーとやって来て、降り立ったのは麻酔銃らしきものを持った警察官らしい。
 その警察官が銃を構える隙も無く、エルクは先の森の中へ素早く逃げ込んでしまった。それこそ”動物的な勘”で危険を察知して逃げ去ったのだろう

 兄の話では、20年前はエルクがこの街にはウヨウヨいたとのことであるが、結構凶暴なところもあるということで恐らく住民や観光客と何らかのトラブルがあったのであろう。
 今は警備員がエルクを見かけると麻酔銃で眠らせ、どこか違うところへ強制移住させているとのことで、この二匹のエルク発見は偶然でありなかなか得られない体験となった。
 
 その日は10時集合で、乗り合いバスに乗って近くのサルファー・マウンティン(2285m)という山にゴンドラに乗って登ることになっていた。
 旅行社のお兄さんより10時10分前にはホテルのロビーで待つようにと言われており、待っていたがなかなか来ない、結局は10分ほど遅れて到着した。
 バスは、途中でまた乗客を載せ、一路山の方に向かって登り出し、あっという間に山の麓に着いた。待つ時間の方がよっぽど長かったが、バスが早く来たり遅く来たりして運行が日本の様に正確ではなく、適当だということなのだろう。
 中国に出張している時も、遅れるのが当たり前の中国で、出発時刻に間に合ように停車場に着いたら既にバスが出て行ってしまったということがあった。
 予約のお客が全員乗ったため早めに出発したようだ。
 ”日本の常識は海外の非常識”・・・海外では電車やバスが時刻表よりいつも遅れるが、たまに早く出発することもあり・・・である。

 
 4人乗りのこじんまりしたゴンドラに2人、3人と別々に乗り込み、約8分で急速に1000m近く上がった。
 多少霞がかかっていたが景色は良く、またしても感動の一瞬を迎える。

 この山小屋から頂上まで、階段が繋がっており、てっぺんまで歩いて行くことができる。
 女房の足がちょっと心配だったが、本人が行くと言うので、歩き出した。
 歩道の周りに色んな花が咲き、小さなリスが沢山出ては引っ込んでしている。
 中には、観光慣れしているリスがいて、しばらくポーズをとっているリスがいたので、ここはお得意のズームカメラで、バッチリ写真に収めた。

 ここからは遠い山々とバンフの街が望め、フィルムの枚数を気にしなくていい写真を撮りまくった。
 ゴンドラの発着所には売店があり、山を登ってちょっと喉が渇いたため、ジュースでも買おうとしたが、売店の女の娘がレジ用のコンピュータが壊れたためと言っていて、なかなか買えない。
 日本であれば、コンピュータは諦めて、品物の値段を見て売ればいいのだが、この女の娘は、ひたすらコンピュータをいじくっているだけ、10分近く待ち、我々の後に行列ができたが、結局、買うことは出来ずに諦めた。
 ”日本の常識は世界の非常識”・・・日本ではトラブル発生時には、当事者の判断で対応できる場合が多いが、海外ではマニュアルがあり、それ以外のことはしない、やらない場合が多い。技能的にできない場合もあるかと思う。
 日本ほど教育レベルの整っている国は珍しく、また顧客対応はあくまで顧客が一番の国は少ない。
 ゴンドラを降り、下の発着所から少し行ったところに温泉があるというので見に行った。
 温泉は水着を着て沢山の人が入っていたが、タイのプーケットリゾートのプ―ルの時のようなゾクゾクするようなスタイルのお姉さんは見つからなか
った。


 兄が「シャッターチャンス!」・・・と叫ぶのでカメラをスイッチオンにして構えたら、二人分の身体?と思わせるような巨体の女性が二人水着姿で並んで入っており、私のお得意のズームカメラも途端に萎えてしまった。
 バンフの街に戻り、この日のちょっと遅い昼食は、兄がご飯を食べたいということで、日本食のレストランに入った。
 かつ丼やカレー、牛丼などのメニューがあり、それぞれ思い思いの日本食を頼んだ。
 結果的には、あまり美味くは無かった。
 ご飯がぱさぱさしており、私の頼んだ牛丼もご飯が粘りが無いため箸から零れ落ちてしまいイマイチであった。
 しかし値段はそれぞれ1000円位し、また日本の”すき屋”や”吉野家”の300円と比較してしまうのであった。

 翌日は、いよいよバンフを発ち、専用車に乗ってレイクルイーズに向かう。いよいよカナディアンロッキーの旅も佳境に入って来るのである。

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ヘリコプターに乗る

 カナダは且つてイギリス領であったにも拘らず、アメリカとの地続きの関係から左ハンドルとしたとのこと。

 8人乗れる大型ランドクルーザーをレンタルし、運転は息子のミキヨシ君。
 タイも日本と同じ右ハンドルのため慣れないと大変のようだが40代の彼は手慣れたもので、全く違和感を感じさせずに運転している。
 ミキヨシ君はたまたま今回アメリカの得意先へ出張ということでバンクーバー迄足を伸ばし、我々と合流していたが、三日後には我々と別れて一人アメリカの方へ行くことになっていた。
 旅行後半の兄の運転時には、最初は同乗者から「あー!」とか「キャー!」とか声が上がるような運転振りであり、ようやく慣れた頃には帰る日になっていた。
 ”若さ”はやはり何をやるにも大事な要素である。

 この大型ランクルに乗って、一行はバンクーバーの北にある”キャラピノ吊り橋”と云う長さ137メートル高さ70メートルという長い吊り橋、それも渡るとユッサンユッサン揺れる吊り橋に行き、みんなで渡った。

 私の女房はカナダに来る前は、とてもこのような場所は行けないため車椅子で待っているか?と思っていたのが、あの過酷な?トランジット長時間飛行もなんのその、この吊り橋も渡るとのこと。
 結果的にこの日の万歩計は1万6千歩という驚異的な歩数であり、女房は多少足をひきずり気味ではあったが、ほぼ自力でクリアーしてしまった。
 筋肉云々もあるが、やはりカナダに行きたい”という気持ちがその回復を倍も三倍も加速させたのではないか?と思った。
 
 ここからさらに100人も乗れるのではないかと思える大型ゴンドラに乗りグラウス・マウンティンというバンクーバーの街が一望できる山に登った。
 そこで兄が突然「ヘリコプターに乗ろう」と言い出した。
 ヘリコプターは私も女房も未だ乗ったことが無く、ちょっと不安があったし、結構が金額も嵩むが、この際思い切って挑戦してみようということで、全員が乗るということに決まった。
 いざ、ヘリコプターの乗り場へ行くと、係員とミキヨシ君が何やら係員と交渉している。
 下と上のコミュニケーションが取れておらず、お客のダブルブッキングをしてしまったとのこと。
 兄は日本語で係員にブーブー文句を言ったが、勿論通じはせず、結局一時間程遅れて3人づつ乗った。
 ホテルの”予約なし”の件といい、カナダ人は良くい言えば”おおらか”、悪く言えば”いい加減”なのではないか?という疑念がこの時人芽生えた。
 
 いざという時のことを考えて夫婦、親子は別々に乗った。
 理由は、”お葬式を相手が出せるから・・・”というようなことであったが、いざとなると人間は取りあえず変なことで意思決定をするものだ。
 ちょっと曇っていたが、バンクーバーの外れからバンクーバーの街をヘリコプターで見る・・・という超豪華な観光となった。
 やはりヘリコプターは少し怖い感じがしたが、山や谷の上を行く快感は何とも言えなかった。

 二日目、バンクーバーのグランビル・アイランドというところはとてもにぎやかで様々な野菜や果物のマーケットがありショッピングを楽しんだ。

 またオーストラリアのオペラハウスを思わせるようなシルバーのギザギザのツノが出た建物のカナダプレイスというところで、ディズニーにあるような椅子を動かしながら超大型スクリーンでその臨場感を楽しむアイマックスシアターがあり、ここに入ったが、これはディズニー以上に凄かった。
 テーマはカナダの大自然であり、モーター付きのパラグライダーで撮ったものと思われる大迫力映像が視野全体に広がり、原野の上を飛んでたかと思ったら突然底が抜けて断崖絶壁の上に出たり、ナイアガラの滝の上を飛んで見せたり・・・と前の日の桁違いに高かったヘリコプターよりも危険もなく迫力があった・・・とみんな大興奮であった。

 街でサムソナイトのバッグの専門店があり、前の日から買いたいバッグあり、よっぽど買おうかと思ったが、結局思いとどまった。
 日本にはなかなかこの手の店は無く、品揃えがちょッと違う。

 メインのロブソン通りで、洋装店に入ったらなかなか出て来ない女性軍と別行動を取り、今話題をさらっているテスラの電気自動車の展示場に行った。
 ボンネットとトランクが両開きに開かれていたが、その中は全く何もなく、荷物の収納スペースとなっている。
 4秒で100メートル走ると書いてあった。
 価格は最初兄が100万円だというから、これが100万円ならすぐにでも買いたいと思ったが、一ケタ違って1000万円であった。
 逆に中に何もないのに1000万円は高すぎると思った。
 コイルの部分がちらっと見えたが、これを当社の高密度コイルに変えたら100メートルが何秒になるのか?見てみたいとも思った。
 
 二日目の夜の食事は、昼間ヘリコプターに乗ったりして散財が多かったため、日本やタイから持ってきたカップヌードルが夕飯ということになった。
 カナダは珍しく水道水が飲める国であり、お湯を沸かして次々とカップラーメンにお湯を注いでみんな仲良く美味しく食べた。
 次の日は飛行機で1988年に冬季オリンピックが開催されたカルガリーに向けて出発する。
 夜は8時半頃まで明るく、日本との時差も手伝って、夜だか昼だか分からないような感覚で早めに床についた。 

(写真は後日入ります。読んだ人は後日=月曜日 またこのページを観てください)

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