夢のカナディアンロッキー大旅行

 これより、数回に亘りこの「夢のカナディアンロッキー大旅行」を掲載します。

1、プロローグ 
 8月23日の深夜、正式に言うと8月24日午前0時半羽田発、9月5日の午後10時羽田着のデルタ航空便で、私共夫婦と同じ長野県の松本に住む姉、そしてタイバンコクに住む兄夫婦は我々よりも一日早くバンクーバーに着いており、また帰りも我々より一日多くアチラに滞在して帰るため、兄弟夫婦プラス姉の、気持ちは未だそれぞれに若いが、72歳の姉から62歳の私の妻までの高年齢のグループによるバンクーバーからカナディアンロッキー、そしてビクトリアへの旅をしてきたのである。
 我が人生に於いて最長にして最大の「夢」の大旅行であった。 

 いい映画には必ず”伏線”と云うものがあり、その主人公がどうしてそんなに危険なこと、あるいは特別なことをしなければならないか?とかという理由付があるものである。
 我々の旅行にも勿論、その伏線があった。 

 事の発端は今年の4月末にタイの兄の会社の20周年記念兼私の兄の古稀のお祝いであった。
 私ども夫婦と私の姉の私達3人は、そのお祝いの席に呼ばれタイバンコクのゴルフ場で開かれたパーティーのその場に居た。
 そのお祝いの席で、兄の会社の息子でありタイの会社TITelectoronics社の現社長である幹佳(ミキヨシ)社長から、兄夫婦に”カナダ旅行”がプレゼントされたのだった。
 
 このカナダ旅行プレゼントにもまた伏線がある。

 今から約20年ほど前までの10年間、この兄夫婦はカナダのバンクーバーに住んでいたのである。
 住でいたと言っても、奥さんと二人の子供は完全に移住し現地暮らしし、兄は当時は私の今の会社セルコの社長であったため、1ケ月の半々を日本とカナダに住むという暮らしをしていたのである。
 であるから、二人の息子と娘は英語は堪能、奥さんも日常会話には殆ど問題無いくらいに話す、私の兄は今もタイにその後20年住んではいるが、タイ人とは単語を並べて会話をするが現地の言葉を覚えようとする気が全く無いため、英語も勿論話さない。
 海外で個人旅行をエンジョイするポイントは、ある程度、現地で会話ができることが必要最低条件となる。
 必ずと言ってよいほど、何らかのトラブルが起きるからだ。

 この”カナダ旅行プレゼント”と云う話には、当然の如く、我々3人も便乗しようじゃーないか?という話が持ち上がった。

 兄一家が約10年バンクーバーに済んでいる間に、未だ存命の私の両親、64歳で病気で亡くなってしまった私の一番上の姉も数回に亘ってバンクーバーに行っていたが、私は当時全くの”仕事人間”であり、社長が半月居ない会社を守り、運営しなければという意識が強く、また2年間だけではあったが当時のセルコの従業員が4名ずつ選抜され、バンクーバー旅行をしたりしていたが、結局私は一度も行かなかったのである。
 また2番目の松本の姉は、その頃旧家の姑に使えており、旅行どころかなかなか実家にも帰してもらえないような非常に過酷な生活を強いられていたため、当然バンクーバーには行けなかった。
 
 更に、このメンバーでの旅行には伏線がある。

 一昨年の12月末にこのメンバープラス従妹の女性の6人でオーストラリア・シドニーに年末大晦日の花火を見に行こうということで、オーストラリア旅行を経験しており、その旅行がハプニングも色々あり、大変面白かった・・・と云う好印象な体験があった。

 これらの”流れ”からすると、当然このグループによるカナダ旅行はあり・・・と言うことになる訳である。
 また、カナディアンロッキーは、兄も10年間で10回ほど行っており、どこにどう泊まり何を見たらよいかを熟知している訳である。

 早速5月頃から計画が始まり、行ってから3日間のバンクバーと帰りの3日間のビクトリアへの移動はレンタカーで対応、カナディアンロッキーへは、兄の知識と旅行社との綿密な打ち合わせの上の行程が組まれ、6月にはほぼホテルや航空券を抑えて、この旅行に臨んでいた。

 しかし人生どこに何があるかは分からない。

 女房の大腿骨骨折と手術で旅行がピンチ
 7月20日、ここ数年毎年恒例となった、北海道札幌に住む私の平塚という友人のところに昨年見事北海道の山を最後に100名山登頂の偉業を成し遂げた神奈川に住む宗本夫妻と我々夫婦も合流し、3夫婦プラス平塚君の友人の7人でイタリア人の経営するとても美味しいイタリアンレストランで、大ワインパーティーをするということになっており、今年も私は女房と共に北海道旅行で、昨年は旭川、美瑛を中心にレンタカーで回ったが、今年は平塚夫妻が積丹半島を自家用車で案内してくれるということであった。

 ”積丹ブルー”と云う非常深く濃いブルーの海を満喫、またすぐに売り切れてしまう”うに丼”を堪能し、平塚夫妻がお奨めの民宿に泊まり、これまた海の幸満載でとても食べきれない料理を堪能し、風呂に入って寝ようとしていた時、事件は起きた。

 私に次いで3階にあるお風呂に行った女房の叫び声が、二階の隅の部屋で寝始めていた私の耳に飛び込んだ。
 「お願いです!」「誰か来てくださ~い!」と悲痛な叫び声に私は驚いて三階の女子風呂に駆け上がって行った。
 そこには女房が倒れていて、どうやっても起き上がれないという、風呂場と云うとどうしても風呂場の中かと思ってしまうが、女房はお風呂の入り口が真っ暗で電気のスイッチを探して30センチくらいの段差に気付かず、足を救われ大転倒をしてしまったようだ。 
 私は即、民宿の人を呼び救急車を要請し、救急病院に運ばれ、レントゲンの結果、”大腿骨骨折”と云うことで、私が見ても明らかに骨の一部が粉々で無くなってしまっていた。 
 結局20日に小樽で転んで骨を折り、2日後札幌に移動、手術は24日、この間、たまたま平塚君の友人の従兄が札幌でも有名な整形外科病院の副医院長だということで、色々便宜を図ってもらい24日に手術ができた。
 手術の前に恐る恐る担当医に聞いたら「カナダ旅行?それは無理です!」というそっけない答え。
 私は諦めかけて松本の姉にその旨を伝えると、姉は「それは一人で二週間も残して行くのはかわいそうだから、車椅子でもいいから是非連れて行くように・・・・」「お母さんも車椅子でハワイまで行ったことがあるから大丈夫・・・」との激励のお言葉・・・。
 本人に言ってみたら、本人も行きたそう。
 そこで、お医者には内緒で、そのまま連れて行こうということになった。
 
 この大腿骨骨折というのは、年寄りに多く、殆どが骨粗鬆症の人が多いとのことであったが、女房の場合は骨は正常であり、相当の転び方をしたのだろうと先生が言っていた。
 この手術は、最近の技術が大分進歩し、骨の代わりにチタン合金を体内に入れるが、ギブスとかの必要が無く、手術の翌日からリハビリができるということだったが、女房は数日おいてからリハビリが始まった。
 それが、一度も「痛い」という言葉が発せられず、最初は車椅子、その後は歩行器、そして数日後には何もなしで歩けるようになっていた。
 2週間後、札幌から小諸の病院に移る時も、かなり大げさに車椅子レベルの移送計画を立てていたが、結局は余り必要が無かった。
 小諸の病院の診察の結果、かなり回復しているとのこと。
 
 62歳という年齢からすると、結構筋肉が付いており、転倒後の全ての処置がベストであったというお褒めの言葉を戴いた。
 普段、私と共にジャズダンスを習い、カーブスという女性専門のフィットネスクラブに通っている効果が出たのかも知れない。
 それにしても、先生には「この月の23日にはカナダに行きたい」とはなかなか言い出せず、結局女房が直談判して2週間後の8月17日に強引に退院してしまった。
 それから一週間もしないうちのカナダ旅行である。

 娘や息子、札幌の友人達からは、「無謀だ!辞めた方がいい!」との声が上がったが、殆ど払い込みも済んでおり、キャンセルも大変なため、そのままカナダ旅行へなだれ込んだ。
 行く前から”波乱含み”の夢の大旅行であった。

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2020年 東京五輪開催の年に メイド・イン・ジャパンが復活する ~ 中小零細製造業活用が メイド・イン・ジャパンを大復活させる(下)いよいよ発刊!

お待たせしました!

ようやく下巻が完成しました。

下巻は大分前に書き上がっておりましたが、どうにかディスカバー・トェンティーワンさんに正式な本として発刊できないか?と講演で知り合った大学の先生まで巻き込んで交渉をしましたが、その時間がかなり経ってしまい、大分遅くなってしまいました。

結局は、今回も自主電子出版ということに落ち着きました。

結論として、出版社の部長さんと大学の先生は、私の日本の”モノ造り“に対する思い入れが強すぎるのではないか?と指摘されました。

モノ造りにしても、開発にしても社長が言うほど海外もそんなにダメなことは無い・・ということでした。

素直な私は、その話を聴いた一瞬、私の考え方が世の中の考え方とは合ってないのか?と思いましたが、よくよく考えた結果、やはり日本と、他の国のモノ造りは明らかに違っていることを確信し、逆にこの本を出版することの大きな意義を感じました。

これが、現在の日本の一般的な見方であり、考え方であり、特に大企業の考え方なのだということです。

確かにあまり遜色ないのであれば、まだまだ高い日本の労働者を使う必要が無いと考えるのは当たり前であり円安が続こうが、大会社は未だに安い労働力を求め、新・新興国に活路を求めるのはやむを得ないことではあります。

しかし、どう考えても日本の”モノ造り“は他の国とは違います。

それも、特に日本の中小零細製造業のモノ造りは、各段に違うのです。

車産業と一部の産業に従事していた中小零細は、価格の絞り込みはあったとは思いますが、我々のような全くやるべき仕事が無い状態は余り経験されては来なかったかと思います。

しかし我々のように、その他の電気製品や電子機器に使う部品を供給する中小零細は、それこそナーンにも仕事が無い状態の中から活路を見出してきており、今生き残っているこれらの中小零細は、間違いなくそれ相応の”技術力”を持っております。

これからは当社も含め、これらの会社が活躍すべきです。

最近では、海外メーカーが日本の中小零細の技術を認め、高く評価してくれる・・というような話を良く聴きます。

当社もスイスの会社と取引をしておりますが、2017年までの計画を示してくれ、一度決めればその後の値下げの話は全く無しで支払いもスムース、とても良好な関係を続けております。

当社も今後、海外の会社とのチャンネルを持つべく、体制を考えつつあります。

日本のメーカーが、自分の足元を見ず、海外に目を向けている間に日本の主要なコア技術は皆海外に持って行かれてしまう可能性もあります。

そんなことにならないことを願い、私は敢えてこの本を発刊します。

この下巻を書く中で、トヨタとかコマツの事例を検証しながら、ホンモノのモノ造りの神髄を知ることができたかと思います。

日本の各メーカーが、更にこれらのことを突き詰めて考え、これらの考え方を踏襲したモノ造りをすれば、間違いなく日本は世界の中で”モノ造り大国日本“が認知され、世界におけるメイド・イン・ジャパンが復活するかと思います。

先着30名様には、無料で製本印刷した本をお送り致します。

セルコのH.P.のお問い合わせ欄から、「社長の本希望」と書いて送って戴ければ、1週間以内にはお届け致します。

上巻もご希望の方は「上巻も希望」とお書きください。

また、当社に来られた方々には、もれなくお土産にこの本を贈呈致します。

是非、お申込み、ご来社をお願い致します。

無償提供する代わりに、お願いがあります。

是非、この本を上司の方、あるいは会社の上層部の方々に読んで戴いてください。

そして、ご感想をネット上にお書きください。

前著「立ち上がれ中小零細企業」は、沢山のネット評を戴いており、全く知らない方々からの忌憚のないご意見、読後評は、大変に参考になり、励みになります。

なお、電子図書で読まれる方は、“DLmarketで小林延行”で購入できるかと思います。

30名の上のご希望があった場合は、一応上下巻共、500円(原価)でお分けいたします。

宜しくお願い致します。

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久しぶりの昇幹夫 先生

日本笑い学会副会長の昇幹夫先生は昭和22年生まれで私と同学年、大阪で初めて会った時に何故かウマが合って、それ以来の”お友達関係”をさせて戴いている。

この先生の、特に健康に関しての情報は早くて正確、私の最も信頼のおける情報源だ。

元々は超過酷な産婦人科の医師として夜も昼もなく働きづくめであったが、思うところあって、今から15年前から全国行脚の「あなたの笑顔何より薬」と、笑いがいかに人間の健康に有益であるかを説いて回る、自称“健康(兼好)法師”と称し、講演をして歩いている人である。

15年前というと、ちょうど私が先生に会った時期と一致している。

私もその頃、とにかく仕事人間で仕事以外は何もやらず、土曜も日曜もなく会社に出ていたが、いくら頑張っても大した成果もなく、「このままの人生でいいのか?」という疑問を持ち始めていた頃であったから、昇先生の人生転換の時期と時を一にしている。

この先生は、とにかく面白い。

しかもゲラゲラ笑いながら大変ためになることを沢山教えてくれる。

この先生は、講演で松本だ、上田だ、群馬県だ、埼玉県、だ新潟県だと・・・この小諸・佐久の近くに来ると、わざわざ足を伸ばし一泊こちらに泊まり、我々の仲間との談笑を楽しみにしておられる。

我々も先生の来訪を心待ちにしており、しばらく来ないと、先生の噂が出て、「最近見えないけど、元気でやっているかなぁ?」というような話になる。

とにかく、この先生は、硬軟取り合わせて、色んな情報を我々にもたらしてくれる。

それも、“十年一日如く”・・同じ話を繰り返して話すのではなく、その度に新しい情報を沢山聴かせてもらえるため、私の重要な情報源となっている。

それと、何と言ってもお互いの”ダジャレ合戦“が楽しい!

先生の話も最後まで聴かないと、分からない話が1/2か1/3位の割合であるから、あまりまともに聴いていると最後に「がくっ!」と落とされるため、気を付けなければならない。

人間の三大欲求は「食欲」、「性欲」、そして・・・・・「海水浴」の類いだ。

お正月の掛け軸に鶴と亀が書かれているが、この丹頂鶴という鳥は、着地、飛び立ちには滑走路が必要であり、松の枝にちょこんと乗っかることは出来ないという。

それでは、この描かれた鳥は何か?

これを先生は

「鷺(詐欺)」だという。

「男の顔は履歴書」それでは女の顔は・・・・ 「請求書」

なるほど、これは身に覚えのある男性も多いかと思います。

大阪のおばちゃんが竹久夢二の大正時代の美人画を観に美術館へ行きましたが、その美人画の中になんと一枚だけピカソの絵があり、そのおばちゃん、その会場の係の人にクレームを付けました。

「何よ私は美人画を見に来たのよ‼、こんなピカソの絵をまい違えて展示しちゃーダメじゃないの!!」

係員の人は、ちょっと言いにくそうに言いました。

「あのー!奥様それは”鏡”です」

「長男盆に帰らず」・・・「復水盆に返らず」のパロディー

今この瞬間が全て、今日できることは今日やる・・・・・・明日では「明日ベスト(アスベスト)」と言って良くない。

孫が来たらうれしい。帰ったらもっとうれしい。・・・孫の相手も大変!

思いどおりにしたいのが子供

思いどおりにならないのが子供

サラリーマン川柳で、必ず先生が毎回出すのは・・・

「プロポーズ、あの日に帰って断りたい」

「僕とあなたはサボテン夫婦、“棘”はあれども“水入らず”」

帆立貝の話には、私はコロリ騙された。

「月の綺麗な、波の静かな夜に、何万という帆立貝が一斉に海に浮かび、貝の蓋をあけて、帆立船のように風を受けて、一斉に集団移動することがあり、それは、それは壮観なンです」

「・・・へぇーそれはすごいなぁ!」

と思って感心していたら

先生:「ウソだよ!」

先生は、3年くらい前に、子宮頸がんワクチンは危険なため、嫁さんや知っている人には打たせないように・・・と警告していたが、それから2年もしてから、世間が騒いだ。

 M社(マクドナルド)のポテトフライと、自分で上げたポテトフライのカビ具合を比べた。自分で揚げたのは3日目からカビが生えてきたが、M社のモノは1年経っても何にも変わらない。最近の日本人の死体は土葬をしたら腐らないだろうと言われている。

 一人平均、一生の間に小錦の脚一本分位の添加物を採っている。

 子供ができない・・・と言うが、添加物の取り過ぎで、精子が弱かったり、できない男性、子宮内膜症になる女性が増えており、今日の新聞にも赤ちゃんの30人に一人は不妊治療の末に生まれてきているとのこと。

 アメリカで、ハンバーガーだけを食べて自分の体で実験した人がいて、半年後だか1年後には、あらゆる生活習慣病が現れた。糖尿、高血圧、肝臓病等々。

飽食は痴呆食、食べ過ぎが最も体に悪い。小食がベスト。(先生はなぜか太り気味!)

講演の中で先生は、ビデオを見せながら説明する・・・元気で長生きするためには、「生涯現役」が一番いい

80歳を超えたポーラレディ(化粧品の販売)をしているおばあさん

高年齢者のサッカーチーム・・・70台が赤、80台が銀、90台が金のパンツを履いてハッスルしていた

スポーツジムでの高年齢者のトレーニング風景・・・若者と変わりない

高年齢者のファッションショー・・・皆さんイキイキして、若く見える

金さん銀さんも、テレビに出て、世間から注目されるようになってから、かなりシャンとしてきた・・・人は人に見られることで、意識が変わり若返る

圧巻は、胎児の3D,4D映像

赤ちゃんがお腹の中で、笑ったり、しかめっ面をしたりする…お母さんの気持ちの状態が赤ちゃんに伝わり、夫婦喧嘩などをすると、耳をふさぐ場面もあると言うが、この映像は観れなかった。

また、「体内記憶」で3歳から6歳くらいまでの子供の1/3位は自分がお母さんのおなかの中に居た時に記憶があるとのこと。

 子供が、お腹に入る前に、お母さんお父さんを選んだことを記憶している子供が居て、「優しそうだったから・・・」と言っていたが、そんなことを言われたら、とても幼児虐待などできやしないだろう。

 とにかく、6月22日は朝の朝食会から手打ちクルミそばのお昼、大変好評だった講演会、夜の打ち上げ、その後の蛍見物迄の丸一日お付き合いし、とにかく笑ってためになって、楽しい一時でした。

 昇幹夫先生 感謝です!

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中国出張・・・またしてもドジ

  今回は、大連の工場経由で、先般ドジってチケットの二度買いとなった珠海の材料メーカーへ行った。

 計画としては、タイのTITの会長と香港のフェリー乗り場で落合い、一緒に珠海の九州港まで行き、そこで材料メーカーさんに迎えに来てもらう予定だった。

 前回は、マカオ経由ということでフェリーの心配は無かったが、イミグレが何故か3度もあり、迎えに来てくれる人が大変なため、今回はオーソドックスに香港経由で行くことにした。

 大連=マカオのチケットが割高であったということもあった。

 私は、基本が”ケチ”であり、航空便とかホテルは安ければ安いほどいいと思っているため、とにかく須らく「安く、安く」なのである。

 今回はタイのTIT会長=私の兄と待ち合わせの時間とフェリーの時間が問題であった。

 私の兄は3時半着でタイから来ている。

 私は大連1時頃発で4時25分着の便である。

 これまでの体験から、中国国内便できちっと定刻通りに飛び立ったことは殆ど無いため、恐らく遅れるだろうと、綿密な連絡網を敷いて、私の便が遅れた場合は、大連から香港に降り立った兄に連絡が行くようになっていたし、フェリーに迎えに来る材料メーカーさんの方にも兄から連絡が取れるようになっていた。

 手荷物は、預けずに小型のキャリーバックヲ予め用意し、機内持ち込みして荷物待ちの時間も省くように考えていた。

 ところが、何と今回の便は離陸が非常に正確であり、逆に15分早く着いたのである。

 これはこのままいけばうまく行けそう・・・と思ったが、スマホのメールをたまたま見たら、中国の取引先からのちょっとした苦情メールが英語で来ており、私は飛行機がタラップ前に止まって乗降ドアが開くまでのわずかな間に、つたない私の英語で、どうにか返信し、そそくさと香港空港のフェリー乗り場を目指すはずだったが、直前のこの英語メールで私の脳の左脳右脳の関係なのか、全くフェリーのことは忘れ、いつもの混雑するイミグレにいち早く並び、気が付いたら外に出ていた。

「さて!目指すフェリーは?」と思ったが、フェリー乗り場の案内板が無い。

1,2分してから、ようやく気が付いた。

 空港のフェリー乗り場は、イミグレを通らずそのまま珠海に行かなければならないのである。これは、以前も利用したこともあるし、事前にネット情報で基礎知識を得てきており、全く問題ないハズであったが、出てしまうともう戻れないのが、このイミグレの怖さである。

 即、兄に電話をして後から行く旨を伝え、空港の案内で珠海行きのフェリーはどこから出るのかきいたら、「マカオ フェリー」という埠頭から乗ればよく、バスの乗り場を教わった。

 その番号のバス乗り場に行くと、「マカオ フェリー」と書いてあった。

 このバスに乗り込み、一路「マカオ フェリー」へ向かった。

 ところが、このバスなかなか目的地に着かない。私は当然バスの終点がマカオ フェリーだと思っていたので、途中結構人が降りた停留所があったが、あまり気にかけず、乗り続けていた。

 ようやく終点に着いたが、確かにフェリー乗り場はあるが、ちょっと様子がおかしい。

 結局、そこはマカオ フェリーではなかった。

 7時半と言うフェリーの時間も迫ってきたため、私も少し焦って、タクシーを捕まえて「マカオ フェリー」と言ったら「ノープロブレム」という答えが返ってきたため、安心して乗り込んだ。

 結局、そのフェリー乗り場まで、バスは香港$40で、戻ったタクシー代が$85であった。

 また7時半に出る便は既に満席ということで、諦めて次の9時半で行くことにした。

 このフェリー乗り場には、「味千ラーメン」とか「吉野家」があり、ここでビールでも飲みながら時間を潰そうと思ったら、このフロアーはなぜか一切お酒の類は扱っていないようで、結局はスターバックスのなんとかフラッペを飲んで1時間半くらいをやり過ごし、珠海のホテルに辿りついたのは現地時間の11時、日本時間の12時過ぎであった。後で聞いたら、香港人は余りお酒を飲む習慣が無いとのこと。

 ちょっとした手違い、行き違いが、多大な時間と費用を消費してしまったということだ。

 次の日の会議は、結構な難題を抱えていて最初はどうなるかと思ったが、どうにか纏まって、次の日のフェリーで香港に戻り、一泊してからその翌日帰ることになっていた。

 結局、出来るだけ安いチケットということで、香港の朝早い便しかないということで、どうしても香港に一泊しなければならないスケジュールとなっているのである。

 これもネットで、出来るだけ空港に近くて安いところ・・・と言う基準で探したら、“Silvermine Beach Resort”というリゾートホテルがヒットし、1万円位で香港としては安いためここに決めた。

 成田も朝便のため前泊したが、成田の駅前で空港送迎付き、素泊まり4700円で済んだことを考えると、日本の物価はメチャ安いのではないか?と思うと同時に、円安のせいもあるかと思うが、最近は海外のどこへ行っても物価が非常に高いと感じている。

 次の朝、兄と一緒に例の空港フェリーまで行き、空港からそのホテルに行けば良いと考えた。

 しかし、空港フェリーの場合は、そのままフライトする人のみであり、空港から外に出る訳には行かないのではないか?と、その日の夜中に思い付き、早朝材料メーカーさんの人に聴いたところ、やはりダメ、急遽、違うフェリーで香港へ向かうことになった。

 そうなると、違うフェリー乗り場からこのリゾートホテルまで、どうやって行けば良いか? が全く分からない。

 その担当者の人に聞いても、それがある地名も場所も定かではないという。

 安さを追い求めるあまり、地元の人もあまり知らないような所を選んでしまったようだ。

 フェリーに乗れば、フェリーを降りてから、歩いて5分ぐらいと書いてあったので、そうしようかと思ったら、私のこれから行くフェリー乗り場と、そのホテルへ行くフェリー乗り場は違うため、材料メーカーの担当者は、前科(?)が豊富な私は、絶対に難しいことはせずに、その降りたフェリー乗り場から直接タクシーでホテルまで行った方が良いとのこと。

 お言葉に従って、タクシーに乗り込んだが、タクシーの運ちゃんも英語で書いた住所やホテル名が分からないらしく、書いておいた電話番号に電話して場所を確認してから走り出した。

 こういう時は、スマホのヤフーの地図案内は非常に役に立つ、自分が今走っている位置と、向かっている場所が分かるのだ。

 フェリー乗り場からかなり走ったところで止まり、何かわからない英語で降りろと言っている。結局はタクシーの管轄外で、地元のタクシーに乗り換えろと言うことらしかった。

 そこの待合のタクシーにホテルの名前を言ったら、大丈夫らしいので乗り込んだ。

 地図からも察しがつくが、結構な山を横切るような道であり、おんぼろ車でその曲がりくねった道を猛スピードで走る。

 悪い風をひいているらしく時折「ゴホンゴホン」とよからぬ咳をする。

 私も色んな不慮の出来事で疲れているし、変な風邪をうつされたら大変だと思ったが、運転手は前、私は後ろだから「まっいっか!」とも思った。

 この山は結構深く急で、草木も日本のように立派に茂っており、ちょうど伊豆の「天城越え」のような感じであった。

 ヤフーの地図が徐々に目的地に近づき、それらしい建物も見えて、ようやく“Silvermine Beach Resort”というホテルに着いた。

 結局、タクシー代は$300プラス$200位、トータルで7000円位かかってしまった。帰りの空港までのタクシー代を加えると、1万円弱になると思われ、これだと、2万円のもっと便利なホテルに泊まった方が良かったかと思ったが、時既に遅し・・であった。

 リゾートと云えば、先般タイの兄の古稀のお祝い時に兄からプレゼントされたプーケット島のリゾートホテルは最高のホテルであり、プライベートビーチがあって素晴らしかったが、このリゾートのホテルは、その辺の貧しい農村にたまたま豪華リゾートを夢見て20年位前に建てた「兵どもの夢の後」的なホテルであり、確かに目の前は白い砂浜のビーチではあった。

 示された離れの建物に入ろうとしたら、ドアが開かない、一人前にカードキーをかざさないと入れないようになっていた。

 中にも廊下に続くドアがあり、開いたがドアが非常に重く、開き切れなくて、したたか腰の辺を打った。

 この日の朝のサッカー=日本対ギリシャのなんとも歯がゆい試合を2時間タップリ見たが、あの時、選手たちがぶつかり合ってイエローカードだレッドカードだとファウルの度に、痛がって倒れていたが、あの選手たちも、こういう痛みを堪えて頑張ったンだなぁと考え、我慢した。

 部屋は、ネットでは今年改装したとか書かれており、結構小奇麗だが、コンセントが合わないし、インターネットが使えない。

 勝手がわかった重いドアとカードキーが必要な表ドアを通って、フロントに行って聞いたら、インターネットは$100(1400円)、コンセントのアダプターは$20ドル(280円)取られてしまった。

 インフラの不備を恥じるどころか商売にしてしまうところは、見習うべきか?

 一応、周りの状況はどんなもんかと思って、散歩に出かけた。

 思った通りこのリゾートは、香港という世界的都市をすぐそばにしたさびれた漁村が賑わうリゾート地の夢を見て、フェリー乗り場を作り、花咲こうとしたが、つぼみのまま時間が経ってしまった・・。という感じで、これと言って何にもない。

 一軒だけ気の利いた店と云えば、マクドナルドだった。立ち寄って甘ったるいアイスのパフェのようなものを食べた。

 もう一軒、小さなセブンエレブンがありアサヒドライがあったので、寝酒用に一本買ったら、冷えたまんま裸で渡された。

 日本は、エコバッグとか言って、ビニール袋が要りますか、要りませんか?と聞いてくるが、ここでは何も聞かずに、「一本じゃー袋もつけられネ~や」と言うような顔をしていたから、そのまま持ってホテルまで帰ったが、結構冷えていて、手が冷たくなってしまった。

 朝は6時にタクシーを予約して、洗面所で身支度していたら、小さな虫のようなのがちょろちょろとタオルの下に潜り込んだ。私は反射的にタオル上から一撃した。ゲジゲジの類は、これで潰れるが、この生き物は、しぶとく全く元気でチョロチョロ動き回って、洗面所のドアの下から逃げて行った。

小さなヤモリであった。

 改装前は、さぞかしこのようなのがうようよしていただろうな?と思いながら、この夢破れた?リゾート地を離れ、またあの「天城越え」をしながら香港のエアポートに向かった。

「安物買いのなんとか」・・・私の場合は、どうもこの傾向が強い。

 根が貧乏性というか?乗るとか泊まるとかに出来ればあまりお金を使いたくない・・・という気持ちが強いため、このような様々な事件が起きるということかも知れない。

 まあ、結局一生、この性格・性質からは抜けきれないだろう。

 この次は果たして内が起きるのか?

 乞うご期待!!

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