イプシロン打ち上げ成功!

以前は、毎回失敗していた日本製のH2ロケットは最近20回連続、打ち上げに成功している。

これらの部品も、結構中小零細が請け負っているが、以前は、この部分はこうしないと良くない・・と指摘しても、「設計図通りやればよい!」と一喝され、全く聴く耳を持たなかったと聞く。

 最近は、当社でも、ロケットや衛星のコイルを請け負っており、結構我々の意見も通るようにはなっているかと思うが、基本は依然“これまで実績のある造り方”が基本となっており、結構がんじがらめの部分もある。

 もっと安くて、いいものを造るのであれば、もっと我々の意見を取り入れるべきであると思う。 

9月14日、JAXAはイプシロンロケットの打ち上げに成功した。

 このロケットには当社の高密度コイルが使われており、もう何年も前から、いつかいつか?と心待ちにしていたのが、ようやく私もブログに書き込めるようになった。

 先月末に打ち上げられる予定が伸びたため、なおさら今回はうれしい! 

日本経済新聞社の記事より見てみよう。 

宇宙産業、海外開拓へ イプシロン打ち上げ ~新興国向け「安さ」競う
    国産小型ロケット「イプシロン」の打ち上げが14日成功し、惑星観測衛星を予定の軌道に乗せた。小型衛星を安く打ち上げられる新型ロケットの実績を手にし、国内宇宙関連メーカーの目は本格的に海外市場の開拓に向く。新興国の衛星打ち上げ需要を取り込み、官需依存からの脱却をめざす。「独り立ち」に向け、スタート点に立った。  

IHIエアロスペースはイプシロンの生産を担う(群馬県富岡市)=JAXA/JOE NISHIZAWA提供

     イプシロンは宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発し、IHIエアロスペース(東京・江東)が生産。先端部で衛星を覆う「フェアリング」は川崎重工業、計測通信系機器はNEC、ガスジェット装置を三菱重工業が納入するなど、ほぼ純国産といっていい。

     日本の宇宙関連産業の2012年度の売上高は2800億円規模とみられ、世界シェアは数%。売り上げのほとんどを政府が支える構造だ。政府は今年1月に決定した今後5年の「宇宙基本計画」で民間需要と海外需要の取り込みを明記し、イプシロンをその主力ロケットと位置付けている。

     ロケットの競争力を左右する大きな要素は打ち上げコストだ。イプシロンの場合、今回の初号機こそ53億円だが、2号機以降は38億円、量産に入る17年以降は30億円以下をめざす。

     初号機はいわば「安全運転のロケット」(木内重基IHIエアロ社長)で、既にロケットに搭載実績がある素材や部品を多く使った。これらを機能性が高い先端素材に置き換えていけば「性能と価格の両方を改善できる」(木内氏)という。

     科学観測や防災などに使う小型衛星の需要はアジアの新興国を中心に伸びると予想される。だが米国や欧州、ロシア、中国、インドがしのぎを削る世界の商業衛星打ち上げ市場で勝ち抜くのは容易でない。

     商業ロケット最大手の欧州アリアンスペースが昨年、打ち上げ能力を小型衛星向けに1.5トンに抑えたロケット「ベガ」を投入するなど、既に顧客獲得競争は始まっている。ロシアは弾道ミサイルを転用したロケットで打ち上げコストを大幅に抑えている。

     ロケットだけでなく、搭載する小型衛星も新興国に売り込みたいというのが日本勢の思惑だ。イプシロンが今回運んだ衛星はNEC製。惑星を観測するための宇宙望遠鏡は住友重機械工業が生産した。IHIは昨年、超小型衛星や衛星搭載カメラなどを生産する明星電気を買収。ロケットと衛星の両方を手掛ける「総合メーカー」をめざす。

     日本の宇宙産業は今回のイプシロンの打ち上げ成功で、名実ともに国際競争に参加する切符を手に入れた。新興国が宇宙利用を本格化させる初期の段階で新興国に食い込めば、三菱重工や三菱電機が手がける大型のロケット・衛星でも案件を獲得しやすくなる効果が見込める。

     イプシロンの打ち上げを現地で見守ったIHIの斎藤保社長は「日本の航空宇宙事業の『産業化』に力を尽くす」と語った。日本の宇宙ビジネスが思い描く「成長軌道」に乗れるかどうか、正念場はこれからだ。

このロケットは、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれ、小惑星探査機「はやぶさ」が行った惑星「イトカワ」の名前となった糸川英夫博士が1955年に発射したペンシルロケットの流れを汲む日本独自の固体燃料ロケットとのこと。

このロケットは、最新のIT技術を駆使し、コストを大幅に削減し「ロケットの世界に革命をもたらす」と言われ、将来の世界標準になる可能性があると注目されている。

このロケットは人工知能を備え、打ち上げ前の点検を自ら全自動でし、準備完了を知らせるため、従来は100名程の作業員が必要だったのが、ノートパソコンでたったの数人でできる等、小型軽量、大きさもコストも従来のロケットの半分。

コストは、これまでの100億円に対し、今回は53億円、次は38億円と約1/3になり、更にコストダウンが可能。

宇宙関連の産業もこのイプシロン打ち上げ成功により、これからの日本は世界をリードする可能性がある。

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ホームページのリニューアル

当社のホームページがリニューアルしている。
出来るだけ、ページの追加や修正ができるように・・・との機能的な面と、これからの当社の方向付けを示したホームページとなっている。
このホームページ最大のコンセㇷ゚トとは、「高密度コイルの量産化」だ。
高密度コイルは、ここに来て、様々なメーカーが注目し始めてきている。
各メーカーが、モーターの追求をして、結局最後に辿りつくのが、コイルの“巻き”の問題なのだ。
これまで、コイルは決められた径の電線を決められた数巻けば、それでいい・・ということで、巻きについては、「乱巻よりは順整列巻き、できれば整列巻き」という位で、それほど重要視されず、とにかく安く造ることに多くの関心があった。
私は、この高密度コイルについては、当社が特許を出した8年前から、必ずや最終的には、コイルは高密度か、それに準じた巻線が必要な時代が来る・・・と思った。
それ以降、広告やブログでは、ずーっと言い続けてきたが、なかなか世の中の”安さ“追求の波には勝てずに、数社の理解を得ただけで、ここまで来てしまった。
しかし、ここに来てようやく有力メーカーさん数社から、同時多発的にこの高密度コイルを使って究極のモーターを狙いたい・・・というようなオファーが来ている。

今回のホームページでは、この高密度コイルはタイでも中国でも造りますヨ、そして国内は自動化を考えますヨ!というコンセプトです。

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北海道旅行

 友人の宗本禎之夫妻が、20年かけて登り続けていた日本百名山登頂の最後の一つ、日高山脈の主峰、北海道難易度ナンバーワンの幌尻岳(2052m)に登るという。

 これを、宗本さんを私に紹介してくれた札幌在住の友人平塚英孝君が、「百名山登頂のお祝い」をしようと言い出した。

 もちろん、失敗した場合は、「残念会」に変わるのであるが、昨年も、彼等はこの山に挑戦し、前日の雨で、20ケ所もある川を渡れずに断念していたから、失敗の可能性は十分あるのだが、我々は、百名山達成の祝賀会参加・・・ということで、便乗旅行を決め込んだ。

 私の奥さんに手続きを頼み、結局、3泊4日の北海道の旅をすることになった。

 行きは羽田から旭川に飛び、レンタカーを借り、まずは、かの有名な旭山動物園へ行った。

 動物園がいくら面白いと言っても、まぁそれなりであろうとタカをくくっていたが、これが、結構面白い。

最初にアシカの水族館へ行ったが、これが、うまくできており、アシカが結構細いガラスの管の中を見ている我々の目の前を白い大きなお腹を見せながら、行き来する様は、なかなか面白いし、端においてある複雑な形状のテトラポットのコンクリートの隙間を一回転しながら、得意そうに泳ぐ様は、見ていて飽きない。

 餌やりを「もぐもぐタイム」と言って、係の人が、アシカの説明をしながら餌をやるのが、またなかなか面白い。

 なんの魚か忘れたが、エラの方向性がエラくキツイ魚は、のどにツカエルことを知っていて、いくら逆に口に持って行こうが、必ず、頭の方からにクワえ直して飲み込むとか、陸と水の中では、全く動きの速さが違う様など、圧巻である。

ペンギンはエサを食べると、自分の子供にエサをやるため、集団でヨチヨチ並んで歩く姿が皇帝ペンギンの映画のようで印象的であった。

白熊は、通常ただ寝ているだけかと思ったら、ここの白熊は常に動き回っていて、2頭しかいないのに、あちこちに表れて、何頭もいるように見えた。

 携帯で、近づいたところを撮ろうとしても、動くのが早すぎて携帯のカメラではシャッターのタイミングが合わず、顔を映してもお尻とか、何も映ってなかったりした。

面白い時間はすぐに過ぎる。

 5時半に大雪山の麓の「ラビスタ大雪山」というホテル迄行かなければならない。
北海道の道は、まっすぐだ。
 ところが、特に県外車は交通違反で捕まる率が高いということで、結構ゆっくり目に走っていたが、動物園でちょっと時間がかかり、ナビで到着時間が6時と出たため、山道でもあり、ちょっとばかりスピードを出した。
 これは、後ほど、我々の車はレンタカーであり、レンタカーは結構おまわりさんも大目に見ているらしいということであったが、車がほとんど走ってない道路を快適なドライブで、結局6時到着予定が、5時15分には着いた。
5時半からの食事は、豪華なコース料理であった。
北海道の料理…特に魚類、野菜類、そしてお米もおいしい。
夜は、サービスのカクテルをバーで奥さんと一杯づつ飲んで、早々に眠りについた。
 朝は、団体も入っていて込みそうだったため、6時のオープンと同時にバイキング会場で食べた。
 案の定、レストランを出る頃には、歩くのも困難になるほど、人が増えた。
この日は、富良野、美瑛地区をドライブしようということで、まずは富良野へ向かった。
 まずはフラワーガーデンの発祥の地ということで、「ファーム富田」へ行く。
 このあたり周辺は丘陵が多く、ちょうどこの花畑が一望できて壮観だった。
 今年の夏はエラく暑いが、この地は風も結構強く吹き、半そででは寒かった。
 紫のハーブ園がメインであるが、色とりどりの花々が咲き競い、素晴らしい光景が目の前に広がる。

 映画「風のガーデン」のロケ地はプリンスホテルの敷地内にあり、有料500円で入場者70万人突破と書いてあり、もう少しロケ時の写真とか、解説とかしてあるかと思ったら、な~んにもなかった。
 そこから、美瑛方面へ車を走らせ、四季彩の丘で花畑の中をトラクターが牽引するバスに乗って見学、拓真館は二人の写真家のこの周辺のきれいな写真が満載、そこで売っていたビデオを買ってきた。  

青い池は紺色とかでは無く本当に青い色の池、白髭の瀧は軽井沢の白糸の滝を思わせる地中から流れ出る瀧で、向かいの橋の上から見た。不動の滝の滝はちょっと奥まった場所にあったが、霊験あらたかな滝で、周りにお地蔵さんや仏さん等の石像が沢山あった。ケントメリーの木は、丘の上にぽつんとポプラの木が立っており、よく見ると二手に分かれているため、ケンとメリーの二人なのか?と勝手に想像したりした。

 その晩は、旭川駅前でレンタカーを返し、近くのホテルに宿泊、次の日は、旭川に住んでいる平塚君の元会社の同僚の小岩さんという方と待ち合わせて、9時発の札幌行きの特急電車に乗った。
 10時20分に札幌到着、平塚君の奥さんが迎えに来ており、そのまま彼の車で、「トリトン」というクルクル回転寿司屋さんへ向かった。
 トリトンにはすでに100名山を登頂した宗本夫妻が待っていた。
 このトリトンという回転寿司は、生半可な店ではなく、11時回転と同時に、結構広い店が、あっという間に埋まってしまい、12時から1時頃は、かなり待たないと座れないという。
 ・・・ということで、11時前に我々は一番乗りで並んだわけである。
 6人掛けのボックス席に7人が座り、その夜の「祝賀会」の前に、お茶で乾杯してまず第一回目の「100名山登頂達成祝い」をした。

さて、そのお寿司の味であるが、これが絶品!

 帆立を口に入れたら、普通よりも少し大き目な帆立が、口の中でトロリと溶けるようなイメージ、何を食べても皆おいしい!
 結局、メタボ防止の食事制限は一時休止で、これ以上はもう・・・というところまで食べたが、代金は一人頭1400円ということで、これまたびっくり!
 帰りの新千歳空港で、時間がなく「駅弁」ならぬ「空弁」という飛行機の中で食べるお弁当を買ったが、具の質も量も劣っていて、1680円であったため、このトリトンの旨さと、安さは、生半可ではなかったということだ。
ホテルのチェックインまでにはちょっと時間があるため、羊が丘展望台へ行き、クラーク博士像の前でみんなで写真を撮ったり、宗本夫妻が他の友達からもらってきた「100名山達成祝いのケーキ」カットをしたりして過ごした。

 夜は、イタリア人が経営するレストラン「ベネチアーノ」で、ワインで乾杯する本格的な祝賀会を行った。
 昔話に花が咲き、18年前に出会った頃、私に最初にEMを紹介したのがこの宗本さんであり、また当社が経営困難に陥り、私の精神状態もメロメロになっていた時、今まで、何度も死地をさまよい、一文無しになりながらも、持ち前の前向きプラス発想で乗り切ってきたこの宗本さんに言われた「小林さん!大丈夫よ、どうにかなるよ!」の一言が、どれほど私の心に響き、励まされたかを考えると、私の命も会社も救ってもらった…という話になり、人生の大恩人ということになった。

 次の日は、我々は小樽を見て、新千歳空港から帰るということで、皆さんとは別れた。
小樽では、人力車のお兄さんの口車に乗って、人力車に乗った。

 人力車も楽でいいが、それよりこのお兄さんのガイドがいい。
 小樽は、明治時代、近海でニシンがメチャ取れ、この小樽は函館と共に北海道の玄関口として隆盛を誇り、大正時代には海岸を埋め立てて大型船からハシケを使った荷物運搬用の運河が作られたり、立派で大きな倉庫が作られたとのこと。
 隆盛を誇るこの小樽は、北のウォール街と呼ばれ、日本銀行、三井銀行、拓殖銀行などが、軒並み石造りの立派な建築物を建て、今現在は、その名残で、倉庫や銀行跡が、レストランや、土産物屋として残っている。
 戦後、海運から陸送への変遷の中で衰退し、各倉庫は、最後はこれを壊すお金もなく、そのまま放置され、運河も、埋め立ての運命にあったが、住民の反対運動で半分位残って、これらの隆盛時の残骸が、小樽の一番の観光スポットになったのだという、歴史の皮肉である。
 運河を前にして、「今日は、いい人力車のお兄さんに巡り合って“運河いい!(運がいい)”」とリップサービスをしたら、大分喜んでいた。

帰りは、小樽から新千歳空港行きの電車で向かい、無事羽田に到着し、家に帰った。

今回の旅行は、だだっ広い北海道の旅にしては、密度が濃く、内容も充実していて、大変面白かった。
この次は、会社の社員旅行で、あのきれいなフラワーガーデンをみんなに見せてあげたい。

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バルーンに乗って!

この5月3日、4日、5日、佐久平は「バルーンフェスティバル」で賑わった。

3日間で例年30万人と云われていたが、今年はまた天候にも恵まれ、43万人の人出・・ということであるから、結構な大イベントとなった。
このイベントに先立ち、私は佐久の井上隆さん=その昔、プロとして荒木一郎さんと組んで、テレビドラマの主題歌等を作っていたという方で、現在 は、佐久で優良製造業の取締役工場長を務めておられる方・・・と組み、私が作詞、井上さんが作曲し「バルーンに乗って」という曲を作った。
これを”一人Qeen”で有名(“一人Qeen tea”でユーチューブ“参照)なteaさんに歌ってもらい、この曲を私のfmの番組を皮切りに、アチコチへ発信した。
この曲は、副題が「Brand new town SAKUDAIRA」ということで、単にバルーンフェスティバルの歌ではなく、“佐久平賛歌”的な部分もある。
これを、信濃毎日新聞がまず取り上げ、カラー写真(二人が、ピアノに向かって曲作りをしているような写真)入りで、大きく取り上げられた。また、この地域の小諸新聞、佐久市民新聞にも取り上げられた。
これを、最近2期目の市長となられた佐久の柳田市長に、プレゼントしよう‥・・ということになり、二人して柳田市長にお会いし、CDをお渡ししてきた。

その際、私は、せっかくだったので、この佐久平の活性化について、簡単な提案書を持って行き、その說明を行った。
私の佐久平活性化のポイントは・・・
①全国一の長寿県=長野県の中でも、さらに「ピンコロ地蔵」或いは「佐久総合病院」を中心として、健康で長生きを促進しているこの地域を強調すること。
②全国的にも“晴天率”の高さを強調⇒バルーンフェスティバルの開催と宣伝=「歌とか、ダンス」とかでバックアップ。
③特徴があり魅力がある“ゆるキャラ”を売り出し、全国的に“有名”にすること。
④結いの里システム=高年齢者小集団活動の推進。・・・これは市長さんも関心があるらしく、大分熱心に聞い入っていた。

・・・というような提案をして来たが、これを採用するか否かは、市長さん次第である。
ただ、特に「長寿」についての“全国発信”は大事である。チャンスは、今年だけかもしれないからだ。
私が市長であれば、「長寿全国一」・・・と聴いた途端、即、作戦会議を開き、どうやって、テレビ局とか、新聞とか雑誌に特集されるか・・・・を考えるが、そのような立場になると、色んなシガラミがあったりして、なかなか簡単では無さそうだ。

しかし、チャンスはそんなに度々はない。
会社も、地方自治体も、同じである。
いかに、チャンスをモノにして行くか?が大事かと思う。

それは、とにかく、曲を聞きたい人は、ユーチューブにバルーンの写真と共に歌詞も出てきて、結構な歌が聴けるため、是非、聴いて欲しい。

Brand new town SAKUDAIRA バルーンに乗って
  作詞:エルビス小林  作曲:井上 隆 歌:tea

さぁ 行こう!
あの空 晴れ渡る大空へ
バルーンに乗って 向かおう
涯(ハテ)しない 大空へ

Go up together!
今 飛び立とう! 準備はOK!
色とりどりの バルーンが並ぶ
胸弾ませて バーナー燃やし 舞い上がる
やがて 人も川も 車も 家も どんどん小さく 遠くなって行く
僕らは鳥になる 空の上

さぁ 行こう! 未来へ
二度とない 青春よ
輝きと 情熱
抱きしめて 突き進もう!

Clapping together!
手拍子打って リズム刻めば
弾ける君の こぼれる笑顔 明るい声が 雲の向こうに こだまし響く 
駅が見えたら一緒に 叫んでみよう!
みんなのSAKUDAIRA 高原の街
僕らの夢を 育む街

<間奏>

Singing together!
手に手を取って 共に歌おう
眩ゆく光る 千曲の流れ 霞の向こう 広がる大地 そびゆる浅間 
街を見下ろしながら 叫んでみよう!
みんなのSAKUDAIRA 高原の街
僕らが築く Brand new town みんなで築く Brand new town

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