第45期を終えて

 今年でこの会社も45年目を迎える。
 会社の寿命は30年と云われるが、本当に30年前にこの会社は一度奈落の底まで落ちた。
 この記述は、ある冊子に掲載された文章を基にしてリメイクしたものだ。

 <15年前が新創業>
 今年で創業45年目のセルコは15年前、それまでに最高 18億円/年、直前10億円/年だった売上高が突然、3000万円/月まで落ち込み、最高120名3工場だったのを1工場13名までリストラし、その時に私小林が社長に就任した。
 しかし、私はそれまでの下請時代の流れで「仕事は待っていれば必ず来るもの」と思い込み1年近く待つも全く仕事が来ず、逆にそれまであった仕事も減って行き、結局600~700万円/月レベルになってしまった。
 正に会社存亡の崖っぷちに立った私は、とにかく仕事を取ることだと考え、それまでは全く無かった営業の必要性を感じ「どんな仕事でもいいからとにかく取ろう!」と決意し、慣れない営業を始めた。
 結局、まとまった仕事は無く、試作、開発品を中心とした「人がやらない、人ができないモノ」「少量多品種のこまごましたモノ」が中心となったが少しずつ仕事が入ってきた。
 その後、生き残りのため無我夢中で受けてやり続けていたコイル製造の中で「高密度コイル」という、それまでには無かった超精密なコイル技術が生まれた。
 この技術は、その後半導体の露光装置用ステッパー、そしてマウンター、ロボット、搬送装置等のリニアーモーター、超精密機械のモーター、各種超精密センサー等にも使われ始め、今、ようやく以前の1社依存の下請ではなく複数のメーカーの開発から量産を請け負い、この平成27年度の期末には6億7千万円/年、今年度第46期、平成28年度には以前の売上高10億円/年に届く勢いの売上高を目指すまでになった。

 <セルコの社名の元となっているセルフコントロールを全面に出した組織で小さな高収益会社を実現!>
 私は、社名の元となっている「セルフコントロール」の会社をめざし、組織とか職階とかではなく、真に仕事を自主的にやる意欲のある人、できる人を前面に出して実際の業務を推進すべきだと考えている。
 今回は特に33歳の自分の息子を中心とした30歳代の若手を中心に各得意先毎のグループを形成し、各グループがそれぞれ目標を立て、最大利益を競うというシステムを考え推進している。
 私は「人には無限の能力がある。」「当社にたまたま入ったかも知れないが、社員の中で伸びる人間は天井知らずに伸ばしてやりたい」と思っている。
 セルコは今、タイと中国大連が主な生産場所である。
 このタイと中国での生産も、日本での生産のノウハウを活かし、現地で陥りがちな低品質体質と異なり、海外では考えられないような高品質の生産を維持し続けている。
 今後も会社としてはファブレス的な方向をめざし、日本では営業と技術に特化して行くが、メーカーの国内回帰に対しては国内自動化で対応し、できれば世界に向け大量にして高品質なコイルを、低価格で提供しながら「小さな高収益会社」を目指したい。

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東レのモノ造り

たまたま商工中金経済研究所の小冊子に、「2014年経営者夏季セミナー」」の講演録として東レ株式会社 代表取締役社長の日覺昭廣氏の記事があり、目を通したらびっくりした。

 特に国内でのモノ造りの部分に関し、私が盛んに唱えることと殆ど同じだったからである。
 同じことを私がいくら唱えてみても、世の中に対してさほど影響はないが、ヒートテック、炭素繊維等で今を時めく東レの現役社長、日本経団連の会長が言った言葉であれば、その重み、その価値観がガラッと変わって聞こえることは間違いない。
 以下にその言葉の一つ一つを見て行こう。

・日本の産業構造の中で基幹をなす製造業
 社会の高度化に伴って、サービス産業を中心とする第三時産業で外貨を稼ぐことは、殆どできていません。すなわち製造業に依存する貿易立国こそが日本の基本構造であり、この構造は当分の間変わりようがないと思います。
 ご承知の様に米英などの世界の主要国も製造業の復活を国の経済活性化の中核に位置付けて政策を推進しています。
 ・・・日本の場合は、間違いなく「製造業」=広い意味で「モノを造る力」しかないかと思います。後は今後、「おもてなしの心」とか「気配り、心配り」等のサービスに関する分野での可能性はあるかもしれないが・・・。

・製造業の国際競争力が急速に落ち込んだ背景
 一つは、「六重苦」=円高、高い法人税、貿易の自由化の遅れ、労働規制、温暖化対策、電力不足。
 ・・・円高は今は円安、高い法人税は法人税の引き下げ政策、貿易の自由化はTPPで現在対応中、労働規制は残業代無し政策や、派遣労働者の扱い、海外労働者の規制緩和等で諸規制を緩和、後の温暖化対策と云うのはちょっと良く分からないし、電力不足も今現在は余り関係がない。
 今、阿部政権は、この日覺氏の言葉を全て実行しようとしているかに見える。
 ただ、温暖化対策と電力不足を即、原発再可動20%超の利用に結び付けている点が大きく間違っている。ここは再生可能エネルギーへの大きな転換がこの国には最も必要なことである。
 直近では、各新エネルギー産業が動くことによる製造業の活性化、長期的にはエネルギーの完全自給化と温暖化ガスの全くゼロ化である。同時に30兆円のエネルギー輸入費用の限りなくゼロ化でもある。

 もう一つは、すり合わせのデジタル化→製造装置を一式買えばどこでも誰でもある程度の性能のものを造れるようになってしまったこと。
 ・・・これも考えてみれば、どこでやってもできるのであれば、何も他国でやる必要な無く、自国で売るものは自国で造れば良いかと思う。一番の理由は「海外=安い」、「国内=高い」という単純な思い込みであり、ベストは「地消地産」で、ニーズのある場所で造ることであろう。

・素材産業の国際競争力を維持・強化するために
 素材産業については、その開発と事業化には、高度なすり合わせ、したがって長期の研究、技術開発、ノウハウの蓄積が必要です。デジタル化は容易ではなく、振興勢力の
参入、追撃には時間がかかるかと予想されます。
 ・・・炭素繊維は40年以上も前から研究を重ねてきた結果ということで、簡単には真似してできるようなものではなさそうです。
 
 製造業。特に素材産業が国際的な競争力を維持・強化して行くためには、日本に於いて研究開発とものづくりの現場を維持して行くことが特に重要です。 
 日本での研究開発により、技術、技能を蓄積し、付加価値を生み出す能力の高度化を進めること、またものづくりの現場にて高付加価値製品を生産する能力の向上と効率的な生産技術の構築は必須です。
 このような考えに基づいてグローバル経営を実践して行くことが、日本の製造業、素材産業に必要とされています。
 ・・・国際的な競争力は、日本における研究開発と、「モノ造り」の現場を維持して行くことが特に重要!
 このような。考え方に基づいてグローバル経営を実践して行くことが必要ということで、安いからと言ってもろ手を上げて出て行って、「もう帰れない」などと思っている日本の企業は先がある訳がない。

・東レのグローバル経営の考え方
 まず国内で最先端、革新的な研究・技術開発を行い、先端材料の創出、高負荷価値製品の事業化を行います。
 また革新的なプロセスの開発にも取り組み、生産技術まで確立することで抜本的なコストダウンを図ります。
 時間の経過と共に製品のコモディティ(汎用品)化が進んできた場合には、需要、コスト競争力などの観点での検討を踏まえ、最適な海外拠点で生産することにより、さらなる事業拡大を図って行きます。
 またグローバルで得た利益は国内マザー工場における次なる先端材料、革新プロセスの研究、技術開発に再投資します。このサイクルを回すことで、国内と海外でのものづくりの両立が図られ、かつ長期的視点に立った経営、持続的な成長が実現できると考えています。
 ・・・この辺は、私がこれまで主張してきたことを更に具体的な形で示されており、私としては読んでいて「その通り!」と声を上げたくなるほどです。
 グローバル化を図るにも、まずは国内でのモノ造りが基本となるというこの考え方を日本の家電メーカーが持っていたら、今のような高付加価値製品はほとんど海外メーカーという非常に情けない状態は無かったかと思います。

 まだまだ続くのですが、東レの企業理念は「私たちは、新しい価値の創造を通じて社会に貢献します」ということで、「最先端の東レ」をめざし、斜陽産業と云われていた繊維も、グローバルに見れば繊維は成長産業と考え、結果、炭素繊維、ヒートテックと云った最先端繊維の開発を成し遂げている。
 ちなみに。東レの研究開発要員は3千5百名強、そのうち73%が日本、残りの27%が海外、日本の東レ本体ではおよそ三人に一人が研究開発要員だとのこと。
 また、研究開発費は、景気に左右されず着実に維持・増加させており、2013年度で5百55億円を投入、2014年度以降、三年間で1千8百億円以上を投入する予定だとのことである。景気によって、即開発を止めてしまう多くの日本の大企業に聴かせたい言葉だ。

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台北にて・・・2

<猫空ロープウエイ>

一日半予定していた故宮が頑張って一日で見てしまったため、 次の日の午前中は、どこか行くところにはないか?ということになり私がたまたま持っていた旅行ガイドにロープウエイの写真があったため、ここに行こう・・と云う事になった。

 MRTに乗った。

 このMRTは席がきちっとひとりづつ凸シャコして掛けるようになっており、日本であれば3人掛けのところ2人しか座れないようになっている。

 結構混雑しても日本の電車の様に”押し合い圧し合い”の椅子取り合戦にはならない。

 このMRTに40分ほど乗り、「猫空ロープウエイ」というフランス製の最高に安全だというゴンドラに乗り込んだ。

 この各ゴンドラには何故かキティちゃんが描かれていたが、これは”猫空”の猫に因んでこのロープウェーのトレードマークになっているようだ。

 床が透明で足下が透けて見えるシースルーのゴンドラに乗ると緑深い森が大変きれいにスイスイと移動して行く。

 頂上までに2~3駅あり、途中下車する人は減速したゴンドラから降りることになる。

 普通のロープウエイは昇る一方であるが、このロープウエイは途中駅の関係から、昇ったり下りたりする。

 頂上に着くと結構観光客がおり、お土産物屋や食べ物屋が立ち並んでいたが、ちょっと歩くと、本当の片田舎の風景であり、下の方には遠く山や街の風景が見渡せる。

 見晴らしの良い休憩所でコーヒーを飲んだりしゃべったり居眠りをしながらゆったりとした時を過ごした。

<台湾の巻線機メーカー>

 当社の巻線機は基本的にはオリジナルだが、一から全てを造ることはまずない。

 これまでは30年前からの機械を改造し、コイルを高密度巻できるようにしている。

 また新しい巻線機についても、既存の巻線機をそのまま使うということは殆どない。これに手を加えて更に機能をアップさせる、あるいは補強をする。

 ・・・としても、できるだけ手を加えなくても使える機械があればそれに越したことはない。

 そんな訳で、最近はこの台湾の巻線機メーカーの巻線機を買うことが多い。

 私の兄は、このコイル業界に於いては”老舗的存在”であり、それこそ30年以上前は、日本の巻線機メーカーに本当の意味の巻線を伝授し、それが元で巻線機メーカーは様々な巻線ノウハウを掴み、最終的には全自動機ができ、それを結果的にメーカーが使い出したことにより、我々は仕事を失ったという何とも皮肉な結果をもたらしたのであった。

 そんな兄とその巻線機メーカーに置いてあった巻線機を一台ずつ動かしながら見せてもらったが、このメーカーはなかなかいいセンスがあり、結構魅力ある工夫がアチコチに見られたり、結構完成度の高い機械もあった。

 機械も上手くハマれば、そのまんま動かすだけで結構な仕事になるが、ただ既存の機械で勝負した場合は、早く償却した方が勝ちということで、機械を既に持っている会社が圧倒的に強いし、エンドユーザーのメーカーは、機械代等の設備費はカウントせずに、ただ変動費のみで勝負されれば、我々にはまず勝ち目がないため、当社の場合はそのまんまの機械ではまず勝負しない。

<台北101ビル>

 101の超高層ビルは、台北に居ればどこからでも見える。

 猫空ロープウェイからは山の上にちょこんと一番上の部分だけが見え、ガイドさんに「あのお寺は何?」と聞いてしまったほどだ。

 この建物は地上101階、地下5階ということで「101」という名称になった。

 全長が508mあり、末広がりの8階ずつ節くれが付き、地上から伸びる若竹をイメージしているようだ。

 建物は日本の熊谷組が請負い、耐震は2500年周期で起きる大地震にも耐え、風速60mを超える強風にも耐える構造となっているとここと。

また、エレベーターは東芝製で毎分1010mの速さで地上382m、89階の展望台までわずか37秒で昇ってしまうというギネスブック認定の世界最速だ。

 こんな国を挙げての象徴的なビルの建設を日本のメーカーに任せるというこの素直さはこの国の最も優れたことだ。ちなみに台湾の新幹線は日本の新幹線「のぞみ」を改良したものだという。

 展望台からの眺めは最高で360度パロラマだ。

 また91階に昇ると超高層の天辺から屋外に出れ、風に当たったり窓越しではなく直接パノラマを楽しめる。

 ただ、この日は少しかすみがかかっていたが、このような日が多いということだった。 

 この階の室内に入ると、熊谷組によるこのビルの建設過程やこのビルから打ち上げられる年越し花火の様子がビデオで見られた。

〈「千と千尋の神隠し」のイメージにお舞台となった街=九份(きゅうふん)>

 「台北の街から車で約1時間、山の斜面にとても面白い街がある。

 ネットで調べたら、次のような紹介があった。

「太平洋に面した傾斜地に群がる金の採掘によって栄えた街の集落九份(九ふん)。ベネチア映画祭でグランプリに輝いた名作映画『非情城市』の舞台となり、『千と千尋の神隠し』の世界に似ていると話題となった今、九份(九ふん)は台北郊外の観光スポットとして絶大な人気を誇ります。昼は傾斜地の街から海が望め、夕方からは提灯に灯りがともりノスタルジックな雰囲気です。1日中楽しめる台北郊外のおすすめスポットです。」

 記述の通り、大変面白い街だ。

 1980年の金鉱の発見でゴールドラッシュに沸いた面影が残る街。海を臨み、斜面に石段や石畳の小道、古い家並み、お土産物屋がびっしり続き、そこに観光客がわんさか溢れている。

「千と千尋の神隠し」の発想の原点となったのではないかといわれるレストランもある。

 宮崎駿監督は、おそらくこの地に来て、この現実離れした空間をヒントに、トンネルをくぐったら全く異次元の世界に迷い込んでしまったという少女の世界を発想したかと思う 

 このお土産物屋で、オカリナを上手く吹きながら、手作りのオカリナを売っている店があり、3人の孫のお土産に3つ買おうとしたが、色んな動物の形があり大分迷った挙句、動物と云うより色によってこれはこの子、これはあの子・・・と云うように考えて買ってきたのだが、結局下の子二人が取り合いになり、挙句の果てに一個割ってしまって、大泣きの原因となった。

 お土産もなかなか難しい。

 兄の奥さんが、101の高層ビルでたまたま他の観光客が持っていたキティちゃんのシルエットバックが丁度探していたイメージだと言ったら、ガイドさんが気を効かし、その観光客にどこで買ったか聴いたら、この九份で売っているとのことで、さっそくその店を探して買うことになった。

 この店は、この店だけのオリジナルバッグということであったが、目的のキティちゃんのバックの他にも結構センスのいいバッグが沢山並んでいた。

 その中で兄の奥さんがどちらにしようか迷ったバッグの選ばなかった方のバッグを私も今孫の面倒を見ている女房にと・・買った。

 こちらは結構女房も気に入って、早速使っている。

「千と千尋の神隠し」のモデルとなったというレストランで食事を食べた。

 これが、料理の出てくる順序がバラバラで、もう終わりかと思うとまた出て来る・・と云った調子で、なんだかんだ結構な量になってしまった。

 出来るだけ量を少なく・・・と注意している私にとっては最悪のパターンであった。

 食べるモノのことを言えば、台湾は総じて食事は美味しい。

 ついつい食べ過ぎてしまう。

 今回、当社の主要取引先H社の董事長に二度に亘って食事をご馳走になったが、この二度ともかなり食べ過ぎてしまった。

 この時も、エンドレスに美味しいモノが出てきて珍しくて美味しそうなものはつい手が出てしまう。

 もうだめだと思って手を出さないでいると、隣の董事長が料理を私のお皿に採ってくれる。

 せっかく取って貰ったモノを残すわけにはいかないと食べると、更にまた採ってくれる。

 ビールも私は最初の一杯がなんとも好きで、後は惰性で飲み、ちょっと飲んだだけですぐ眠くなるのであるが、あちらの習慣で「カンペイ!」となり、飲み過ぎてしまう。

 家に帰ったら完全にプラス3kgで、これから地獄の減量生活が始まる。

 また5月の連休を控えており、連休前までに依然の体重迄戻せるか否か?

 そのレストランの中があの千と千尋の映画のような色んな部屋やスペースがあるのかと思ったら、それは無いようであり、ちょっとがっかりした。

 しかしとにかく、面白い街であった。

 昔の映画館もそのまま残っていて、中国語の昔の映画を上映していてしばらく休憩がてら観たり、写真を撮ったりした。

 その後、なんでも願い事が叶うというお寺や「中正紀念堂」という蒋介石の記念館(中正は蒋介石の本名)を回ったが、特に蒋介石の大きな銅像があり、その前での儀仗隊と呼ばれる衛兵の交代式は台湾観光の名物となっている位で、二名の衛兵の交代が1時間瞬きもせずに立っており、1時間経つと交代する。その交代の様は、左右で寸分もたがわずきちっとしておりかなり見ごたえがあった。

 蒋介石の乗っていた大きなキャデラックが2台あったが、これは凄く存在感があった。

 この人の人となりをネットのウイスぺディアから拾ってみよう。

「実務的な貢献としては大陸から撤退するにあたって大量の美術品、巨額の金銀やドル紙幣、料理人を含めた優秀な人材を運び込んだ。このことが後に中華人民共和国における文化大革命時の美術品の組織的破壊から守ることとなった上、インフラ整備や経済発展の原動力となったという説もある。また、戦後の台湾島一帯は、冷戦下においてアメリカと強い関係を持つ蒋介石が統治したため、共産主義者の手に落ちなかったと主張する人もいる。

『アメリカは、日本には原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした』として、(特に本省人の間には)根強い拒否反応を持つ者が多い。また、蒋介石が本省人知識階級を大量虐殺し、日本語の使用を完全に禁止したために、台湾経済の発展は大きく後退したとの説もある。また、蒋介石が「反攻大陸」のことを第一に考えたためアメリカや日本などの説得を無視して、国際連合を脱退してしまった。そのため、台湾は現在の様な国際的に国家としては承認されない状況に陥ってしまったと考える者は少なくない。」

 ・・・というようなことであるが、最終的には現在の台湾という国はこの蒋介石無くしては成り立たなかったということだ。

 前述した通り台湾は戦後、日本がアメリカに追いつき追い越せと頑張って来たと同様、日本から多くを学び、今や半導体やコンピュータの生産等では日本を凌ぐ力を付けてきている。

 私の泊まったホテルは結構高級なホテルであり、トイレもウォッシュレットだった。

 しかしこのウォッシュレット・・・操作板が真後ろにあり暗いトイレの隅のボタンが良く分からない。

 またロール紙もちゃんとミシン目が入ってはいるが、普通に引っ張るとすぐにちぎれてしまうため、かなり丁寧に真下に引っ張る必要がある。 

 帰りは兄達と一緒に帰ってきたが、帰りの北陸新幹線「はくたか」の車両を見ながら兄が呟いた。

「やっぱり日本のこのモノ造りの技術、運行の正確さは凄い!」

 日本に追いつけ追い越せの台湾ではあるが、未だ何かが違う。

 逆に未だ日本には世界から見てきらりと光る誇りべきすばらしい技術、文化がある。

 これをはっきりと自覚し、いかに守り育てて行くのかが、この国にとって当面の最大の課題なのだと改めて思った次第である。

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台北にて・・・その1

<親日的な国> 

台湾・台北は2度目である。
 前回は一泊しただけのチョイ寄りで殆ど何も分からなかったが、今回はタイに居る兄夫婦がソンクランの休みに台湾旅行をしたいということで、私もそれに便乗した。
 また当社の主要取引先の董事長等に二晩に亘り大変なご馳走をしてもらい、大いに親交を深められたし、巻線機のメーカーを訪問し、じっくり機械を見て回ったりし、公私一体、全てが仕事であり全てが遊び、結局全てが”我が人生”の私にとっては正に当を得たりの「出張旅行?」であった。

 ・・・ということで今回は色々と観て回る機会があり、台北をじっくり見聞きできた。
 大変「親日的な国」である。
 なんでも日本のいいところを学ぼうという姿勢があり、中国、韓国にも是非見習ってもらいたい国だ。
 セブンイレブンがタイのバンコク程ではないが、かなりアチコチにあり、時々ファミリーマートも見かける。
 ネットで調べると・・・・・
「人口2300万人の台湾には他社を含めて約1万店のコンビニがひしめき合っており、その密度は世界一。セブンイレブンは業界最大手に君臨し、2013年からチョコレート菓子”ビックサンダー”の販売を開始したところ、供給が追いつかないほどのブームを巻き起こしている。」
 コンビニ密度が世界一・・と云う事なのだ。
 お店に入ると、おでんコーナーがデ―ンとありビックリする。また品物もネットの言う通り日本のお菓子やらがずらっとならび、おにぎりまで売っている。
 車もトヨタ社が圧倒的に人気らしく、タクシーもトヨタ社だ。
またバイクの数が圧倒的に多く、人口2270万人に対し、バイクの数が1280万台で1.8人に一人の割合とのこと。たとえば同じくバイク天国のベトナムでも5.9人に一人という事であるから、いかにこの国のバイクの利用度が高いかが分かる。
 お店に行くと、年寄りばかりか若者も結構日本語を話すため、言葉の不便さは他の国に比べて余り感じない。
 面白いのはレジのソートに8桁の番号が打たれており、これが、2ケ月に1回、宝くじの様に抽選がありが当たり出るのだそうだ。
 これは消費税(台湾は5%)を払うことに対するサービスで、レシートは支払額の多寡とは関係なく10元でも1万元でも一枚は一枚としての効力があるとのこと。
 数字が全部あった場合は20万元(約8百万円)であり、これがなかなか当たった人が現れないと1000万元になったりし、台湾には「レシートドリーム」が広がっているとのこと。
 日本の良いところを取り入れると同時に、独自の政策を盛り込む台湾、日本もただ消費税を上げてどこへ行ってしまうのか分からないようなことをしないで、このような方法を見習って消費者還元でもすれば、多少でも消費者の購買意欲を煽ることに繋がるのではないか?

<故宮博物館> 
 故宮博物館を丸一日かけてじっくり見てきた。
 今から七、八千年前の新石器時代から宋、元,明、清の4大王朝を中心に、各時代の至宝を約65万4500点、常設展示はそのうちの約2万点に及ぶという正に中国の誇るべき遺産の数々が置かれている。
 この展示物は元々中国北京にあったモノが日本軍の侵入により疎開を繰り返し、最終的に蒋介石により安全な台北に持ち込まれ、戦後一度戻されたが、中国の内戦により再び台北に持って来られ、そのまま展示されているのがこの故宮博物館の展示物ということだ。
 そのまま北京に置かれていたら、日本軍はおそらくきちっと管理したかと思うが、文化大革命時にイスラム国の文化遺産破壊のようなことが起こっていたらどうなっていたか?と思うと結果的にこの台湾疎開は大正解であったかも知れない。

 これらの遺物や書画骨董に詳しい人であれば、何日見て回っても飽きることがないだろうが、普段全くそのようなものに興味を持たない我々は、ガイドさんの説明を聞きながらほぼ一日かけて1楷から3楷までくまなく見て回った。
 特にガイドさんから強調されたのはかの有名な親子三代に亘り掘り続けられたという清の時代の「象牙透彫雲龍文套球」という少なくとも17層、24層とも言われている象牙の球であり、あの硬い象牙をどうやって何重にもくりぬきながら形作ったかか皆目見当がつかない。これは究極の象牙細工と呼ばれている。
 
 次は昨年初めて日本に持ち込まれ展示された2品。
 一つは、やはり清の時代の作品で「肉形石」と呼ばれるどう見ても豚のばら肉ブロックの角煮であり、ホンモノそっくりにメノウに彫刻、染色されている作品だ。
 もう一つはこれまた清の時代、有名な「翆玉〈スイギョク)白菜」という、ヒスイの白の部分と緑の部分を上手く使って掘り上げた作品で王の妃の嫁入り道具とのこと。
 葉の部分にキリギリスとイナゴがおり、これは繁殖力の強い虫を拝することで”子孫繁栄”を願ってのことだという。

 たまたまタイの兄が頼んだ女性の台湾人のガイドさんは大変勉強していて説明が大変分かりやすかった。
 このガイドさんの説明で色んな事が分かった。
 殆どの製作物の色や形には様々な”意味”があるということだ。
 たとえば、丸は天を表わし、四角は地を表す。
 下方が四角で上方が丸の置物などは、天と地にへの感謝の願いというような意味となる。
 ”天と地と人で王という字となる”と云う事で王は全てを支配するということ。
 ヒョウタンが結構アチコチにあったが、これはヒョウタンの種が多いことから”子孫繁栄”を願うもの。
 桃は長寿の意味があり、蝶々も長寿を著し数が多く描かれているほど長生きできるという。黄色は皇帝の色、龍の足の本数が色々あるが、5本が皇帝、4本が僧侶、3本は平民とか決まっているようだ。
 鹿は禄に通じ豊の象徴、特に白い鹿は沢山の財を成すと言われている。
 ラーメンのどんぶりの淵のカクカク模様は縁起の良い模様とのこと。
 鯉と龍が一緒に描かれている作品が多いが、これは鯉の滝登りと龍が天に向かって飛び交う様を表わし、立身出世とか”隆運”を表している。
 
 面白いところで、こちらでは「扇子」は別れることを言い、時計は終わりを意味するものだそうだ。(掛け時計と置時計が対象で腕時計は良いとのこと)
 当社の40周年記念で、台湾のお客様にも掛け時計を送ってしまったことを後悔してみても今や遅い。

 様々な芸術品に様々な願いや思いが込められている。
 そうやって見て歩くと、私のような芸術品音痴でも、結構面白く見て回れた。

<中国は職人の国だった?>
 しかし、中国4000年の歴史とは云うが、これだけの各年代の遺物を良く歴代の皇帝が守り続けてきたものだと感心する。
 書画等には、歴代の皇帝が自分の印を押してあり、多い作品は10数個も押してあった。
 また最も分からないことは、これらの展示品は、どれをとっても職人技であり、日本の職人に負けづ劣らず素晴らしいモノが所狭しとある。
 ・・・ということは、現在商人の国となっているこの中国は実は職人の国だったのではないか?と思うのだ。
 これはかの文化大革命の時に旧文化を否定・破壊したことにより職人文化がなくなってしまったのか、それとも華僑の成功により職人の文化から商人の文化への移行が徐々に進んだのかは全く分からない。
 しかし人のDNAと云うのはそう簡単に失われることはなく、いかにして中国が清の時代からの100年余りで現在のような状態になったのかは十分研究する価値がありそうだ。

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