台北にて・・・2

<猫空ロープウエイ>

一日半予定していた故宮が頑張って一日で見てしまったため、 次の日の午前中は、どこか行くところにはないか?ということになり私がたまたま持っていた旅行ガイドにロープウエイの写真があったため、ここに行こう・・と云う事になった。

 MRTに乗った。

 このMRTは席がきちっとひとりづつ凸シャコして掛けるようになっており、日本であれば3人掛けのところ2人しか座れないようになっている。

 結構混雑しても日本の電車の様に”押し合い圧し合い”の椅子取り合戦にはならない。

 このMRTに40分ほど乗り、「猫空ロープウエイ」というフランス製の最高に安全だというゴンドラに乗り込んだ。

 この各ゴンドラには何故かキティちゃんが描かれていたが、これは”猫空”の猫に因んでこのロープウェーのトレードマークになっているようだ。

 床が透明で足下が透けて見えるシースルーのゴンドラに乗ると緑深い森が大変きれいにスイスイと移動して行く。

 頂上までに2~3駅あり、途中下車する人は減速したゴンドラから降りることになる。

 普通のロープウエイは昇る一方であるが、このロープウエイは途中駅の関係から、昇ったり下りたりする。

 頂上に着くと結構観光客がおり、お土産物屋や食べ物屋が立ち並んでいたが、ちょっと歩くと、本当の片田舎の風景であり、下の方には遠く山や街の風景が見渡せる。

 見晴らしの良い休憩所でコーヒーを飲んだりしゃべったり居眠りをしながらゆったりとした時を過ごした。

<台湾の巻線機メーカー>

 当社の巻線機は基本的にはオリジナルだが、一から全てを造ることはまずない。

 これまでは30年前からの機械を改造し、コイルを高密度巻できるようにしている。

 また新しい巻線機についても、既存の巻線機をそのまま使うということは殆どない。これに手を加えて更に機能をアップさせる、あるいは補強をする。

 ・・・としても、できるだけ手を加えなくても使える機械があればそれに越したことはない。

 そんな訳で、最近はこの台湾の巻線機メーカーの巻線機を買うことが多い。

 私の兄は、このコイル業界に於いては”老舗的存在”であり、それこそ30年以上前は、日本の巻線機メーカーに本当の意味の巻線を伝授し、それが元で巻線機メーカーは様々な巻線ノウハウを掴み、最終的には全自動機ができ、それを結果的にメーカーが使い出したことにより、我々は仕事を失ったという何とも皮肉な結果をもたらしたのであった。

 そんな兄とその巻線機メーカーに置いてあった巻線機を一台ずつ動かしながら見せてもらったが、このメーカーはなかなかいいセンスがあり、結構魅力ある工夫がアチコチに見られたり、結構完成度の高い機械もあった。

 機械も上手くハマれば、そのまんま動かすだけで結構な仕事になるが、ただ既存の機械で勝負した場合は、早く償却した方が勝ちということで、機械を既に持っている会社が圧倒的に強いし、エンドユーザーのメーカーは、機械代等の設備費はカウントせずに、ただ変動費のみで勝負されれば、我々にはまず勝ち目がないため、当社の場合はそのまんまの機械ではまず勝負しない。

<台北101ビル>

 101の超高層ビルは、台北に居ればどこからでも見える。

 猫空ロープウェイからは山の上にちょこんと一番上の部分だけが見え、ガイドさんに「あのお寺は何?」と聞いてしまったほどだ。

 この建物は地上101階、地下5階ということで「101」という名称になった。

 全長が508mあり、末広がりの8階ずつ節くれが付き、地上から伸びる若竹をイメージしているようだ。

 建物は日本の熊谷組が請負い、耐震は2500年周期で起きる大地震にも耐え、風速60mを超える強風にも耐える構造となっているとここと。

また、エレベーターは東芝製で毎分1010mの速さで地上382m、89階の展望台までわずか37秒で昇ってしまうというギネスブック認定の世界最速だ。

 こんな国を挙げての象徴的なビルの建設を日本のメーカーに任せるというこの素直さはこの国の最も優れたことだ。ちなみに台湾の新幹線は日本の新幹線「のぞみ」を改良したものだという。

 展望台からの眺めは最高で360度パロラマだ。

 また91階に昇ると超高層の天辺から屋外に出れ、風に当たったり窓越しではなく直接パノラマを楽しめる。

 ただ、この日は少しかすみがかかっていたが、このような日が多いということだった。 

 この階の室内に入ると、熊谷組によるこのビルの建設過程やこのビルから打ち上げられる年越し花火の様子がビデオで見られた。

〈「千と千尋の神隠し」のイメージにお舞台となった街=九份(きゅうふん)>

 「台北の街から車で約1時間、山の斜面にとても面白い街がある。

 ネットで調べたら、次のような紹介があった。

「太平洋に面した傾斜地に群がる金の採掘によって栄えた街の集落九份(九ふん)。ベネチア映画祭でグランプリに輝いた名作映画『非情城市』の舞台となり、『千と千尋の神隠し』の世界に似ていると話題となった今、九份(九ふん)は台北郊外の観光スポットとして絶大な人気を誇ります。昼は傾斜地の街から海が望め、夕方からは提灯に灯りがともりノスタルジックな雰囲気です。1日中楽しめる台北郊外のおすすめスポットです。」

 記述の通り、大変面白い街だ。

 1980年の金鉱の発見でゴールドラッシュに沸いた面影が残る街。海を臨み、斜面に石段や石畳の小道、古い家並み、お土産物屋がびっしり続き、そこに観光客がわんさか溢れている。

「千と千尋の神隠し」の発想の原点となったのではないかといわれるレストランもある。

 宮崎駿監督は、おそらくこの地に来て、この現実離れした空間をヒントに、トンネルをくぐったら全く異次元の世界に迷い込んでしまったという少女の世界を発想したかと思う 

 このお土産物屋で、オカリナを上手く吹きながら、手作りのオカリナを売っている店があり、3人の孫のお土産に3つ買おうとしたが、色んな動物の形があり大分迷った挙句、動物と云うより色によってこれはこの子、これはあの子・・・と云うように考えて買ってきたのだが、結局下の子二人が取り合いになり、挙句の果てに一個割ってしまって、大泣きの原因となった。

 お土産もなかなか難しい。

 兄の奥さんが、101の高層ビルでたまたま他の観光客が持っていたキティちゃんのシルエットバックが丁度探していたイメージだと言ったら、ガイドさんが気を効かし、その観光客にどこで買ったか聴いたら、この九份で売っているとのことで、さっそくその店を探して買うことになった。

 この店は、この店だけのオリジナルバッグということであったが、目的のキティちゃんのバックの他にも結構センスのいいバッグが沢山並んでいた。

 その中で兄の奥さんがどちらにしようか迷ったバッグの選ばなかった方のバッグを私も今孫の面倒を見ている女房にと・・買った。

 こちらは結構女房も気に入って、早速使っている。

「千と千尋の神隠し」のモデルとなったというレストランで食事を食べた。

 これが、料理の出てくる順序がバラバラで、もう終わりかと思うとまた出て来る・・と云った調子で、なんだかんだ結構な量になってしまった。

 出来るだけ量を少なく・・・と注意している私にとっては最悪のパターンであった。

 食べるモノのことを言えば、台湾は総じて食事は美味しい。

 ついつい食べ過ぎてしまう。

 今回、当社の主要取引先H社の董事長に二度に亘って食事をご馳走になったが、この二度ともかなり食べ過ぎてしまった。

 この時も、エンドレスに美味しいモノが出てきて珍しくて美味しそうなものはつい手が出てしまう。

 もうだめだと思って手を出さないでいると、隣の董事長が料理を私のお皿に採ってくれる。

 せっかく取って貰ったモノを残すわけにはいかないと食べると、更にまた採ってくれる。

 ビールも私は最初の一杯がなんとも好きで、後は惰性で飲み、ちょっと飲んだだけですぐ眠くなるのであるが、あちらの習慣で「カンペイ!」となり、飲み過ぎてしまう。

 家に帰ったら完全にプラス3kgで、これから地獄の減量生活が始まる。

 また5月の連休を控えており、連休前までに依然の体重迄戻せるか否か?

 そのレストランの中があの千と千尋の映画のような色んな部屋やスペースがあるのかと思ったら、それは無いようであり、ちょっとがっかりした。

 しかしとにかく、面白い街であった。

 昔の映画館もそのまま残っていて、中国語の昔の映画を上映していてしばらく休憩がてら観たり、写真を撮ったりした。

 その後、なんでも願い事が叶うというお寺や「中正紀念堂」という蒋介石の記念館(中正は蒋介石の本名)を回ったが、特に蒋介石の大きな銅像があり、その前での儀仗隊と呼ばれる衛兵の交代式は台湾観光の名物となっている位で、二名の衛兵の交代が1時間瞬きもせずに立っており、1時間経つと交代する。その交代の様は、左右で寸分もたがわずきちっとしておりかなり見ごたえがあった。

 蒋介石の乗っていた大きなキャデラックが2台あったが、これは凄く存在感があった。

 この人の人となりをネットのウイスぺディアから拾ってみよう。

「実務的な貢献としては大陸から撤退するにあたって大量の美術品、巨額の金銀やドル紙幣、料理人を含めた優秀な人材を運び込んだ。このことが後に中華人民共和国における文化大革命時の美術品の組織的破壊から守ることとなった上、インフラ整備や経済発展の原動力となったという説もある。また、戦後の台湾島一帯は、冷戦下においてアメリカと強い関係を持つ蒋介石が統治したため、共産主義者の手に落ちなかったと主張する人もいる。

『アメリカは、日本には原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした』として、(特に本省人の間には)根強い拒否反応を持つ者が多い。また、蒋介石が本省人知識階級を大量虐殺し、日本語の使用を完全に禁止したために、台湾経済の発展は大きく後退したとの説もある。また、蒋介石が「反攻大陸」のことを第一に考えたためアメリカや日本などの説得を無視して、国際連合を脱退してしまった。そのため、台湾は現在の様な国際的に国家としては承認されない状況に陥ってしまったと考える者は少なくない。」

 ・・・というようなことであるが、最終的には現在の台湾という国はこの蒋介石無くしては成り立たなかったということだ。

 前述した通り台湾は戦後、日本がアメリカに追いつき追い越せと頑張って来たと同様、日本から多くを学び、今や半導体やコンピュータの生産等では日本を凌ぐ力を付けてきている。

 私の泊まったホテルは結構高級なホテルであり、トイレもウォッシュレットだった。

 しかしこのウォッシュレット・・・操作板が真後ろにあり暗いトイレの隅のボタンが良く分からない。

 またロール紙もちゃんとミシン目が入ってはいるが、普通に引っ張るとすぐにちぎれてしまうため、かなり丁寧に真下に引っ張る必要がある。 

 帰りは兄達と一緒に帰ってきたが、帰りの北陸新幹線「はくたか」の車両を見ながら兄が呟いた。

「やっぱり日本のこのモノ造りの技術、運行の正確さは凄い!」

 日本に追いつけ追い越せの台湾ではあるが、未だ何かが違う。

 逆に未だ日本には世界から見てきらりと光る誇りべきすばらしい技術、文化がある。

 これをはっきりと自覚し、いかに守り育てて行くのかが、この国にとって当面の最大の課題なのだと改めて思った次第である。

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台北にて・・・その1

<親日的な国> 

台湾・台北は2度目である。
 前回は一泊しただけのチョイ寄りで殆ど何も分からなかったが、今回はタイに居る兄夫婦がソンクランの休みに台湾旅行をしたいということで、私もそれに便乗した。
 また当社の主要取引先の董事長等に二晩に亘り大変なご馳走をしてもらい、大いに親交を深められたし、巻線機のメーカーを訪問し、じっくり機械を見て回ったりし、公私一体、全てが仕事であり全てが遊び、結局全てが”我が人生”の私にとっては正に当を得たりの「出張旅行?」であった。

 ・・・ということで今回は色々と観て回る機会があり、台北をじっくり見聞きできた。
 大変「親日的な国」である。
 なんでも日本のいいところを学ぼうという姿勢があり、中国、韓国にも是非見習ってもらいたい国だ。
 セブンイレブンがタイのバンコク程ではないが、かなりアチコチにあり、時々ファミリーマートも見かける。
 ネットで調べると・・・・・
「人口2300万人の台湾には他社を含めて約1万店のコンビニがひしめき合っており、その密度は世界一。セブンイレブンは業界最大手に君臨し、2013年からチョコレート菓子”ビックサンダー”の販売を開始したところ、供給が追いつかないほどのブームを巻き起こしている。」
 コンビニ密度が世界一・・と云う事なのだ。
 お店に入ると、おでんコーナーがデ―ンとありビックリする。また品物もネットの言う通り日本のお菓子やらがずらっとならび、おにぎりまで売っている。
 車もトヨタ社が圧倒的に人気らしく、タクシーもトヨタ社だ。
またバイクの数が圧倒的に多く、人口2270万人に対し、バイクの数が1280万台で1.8人に一人の割合とのこと。たとえば同じくバイク天国のベトナムでも5.9人に一人という事であるから、いかにこの国のバイクの利用度が高いかが分かる。
 お店に行くと、年寄りばかりか若者も結構日本語を話すため、言葉の不便さは他の国に比べて余り感じない。
 面白いのはレジのソートに8桁の番号が打たれており、これが、2ケ月に1回、宝くじの様に抽選がありが当たり出るのだそうだ。
 これは消費税(台湾は5%)を払うことに対するサービスで、レシートは支払額の多寡とは関係なく10元でも1万元でも一枚は一枚としての効力があるとのこと。
 数字が全部あった場合は20万元(約8百万円)であり、これがなかなか当たった人が現れないと1000万元になったりし、台湾には「レシートドリーム」が広がっているとのこと。
 日本の良いところを取り入れると同時に、独自の政策を盛り込む台湾、日本もただ消費税を上げてどこへ行ってしまうのか分からないようなことをしないで、このような方法を見習って消費者還元でもすれば、多少でも消費者の購買意欲を煽ることに繋がるのではないか?

<故宮博物館> 
 故宮博物館を丸一日かけてじっくり見てきた。
 今から七、八千年前の新石器時代から宋、元,明、清の4大王朝を中心に、各時代の至宝を約65万4500点、常設展示はそのうちの約2万点に及ぶという正に中国の誇るべき遺産の数々が置かれている。
 この展示物は元々中国北京にあったモノが日本軍の侵入により疎開を繰り返し、最終的に蒋介石により安全な台北に持ち込まれ、戦後一度戻されたが、中国の内戦により再び台北に持って来られ、そのまま展示されているのがこの故宮博物館の展示物ということだ。
 そのまま北京に置かれていたら、日本軍はおそらくきちっと管理したかと思うが、文化大革命時にイスラム国の文化遺産破壊のようなことが起こっていたらどうなっていたか?と思うと結果的にこの台湾疎開は大正解であったかも知れない。

 これらの遺物や書画骨董に詳しい人であれば、何日見て回っても飽きることがないだろうが、普段全くそのようなものに興味を持たない我々は、ガイドさんの説明を聞きながらほぼ一日かけて1楷から3楷までくまなく見て回った。
 特にガイドさんから強調されたのはかの有名な親子三代に亘り掘り続けられたという清の時代の「象牙透彫雲龍文套球」という少なくとも17層、24層とも言われている象牙の球であり、あの硬い象牙をどうやって何重にもくりぬきながら形作ったかか皆目見当がつかない。これは究極の象牙細工と呼ばれている。
 
 次は昨年初めて日本に持ち込まれ展示された2品。
 一つは、やはり清の時代の作品で「肉形石」と呼ばれるどう見ても豚のばら肉ブロックの角煮であり、ホンモノそっくりにメノウに彫刻、染色されている作品だ。
 もう一つはこれまた清の時代、有名な「翆玉〈スイギョク)白菜」という、ヒスイの白の部分と緑の部分を上手く使って掘り上げた作品で王の妃の嫁入り道具とのこと。
 葉の部分にキリギリスとイナゴがおり、これは繁殖力の強い虫を拝することで”子孫繁栄”を願ってのことだという。

 たまたまタイの兄が頼んだ女性の台湾人のガイドさんは大変勉強していて説明が大変分かりやすかった。
 このガイドさんの説明で色んな事が分かった。
 殆どの製作物の色や形には様々な”意味”があるということだ。
 たとえば、丸は天を表わし、四角は地を表す。
 下方が四角で上方が丸の置物などは、天と地にへの感謝の願いというような意味となる。
 ”天と地と人で王という字となる”と云う事で王は全てを支配するということ。
 ヒョウタンが結構アチコチにあったが、これはヒョウタンの種が多いことから”子孫繁栄”を願うもの。
 桃は長寿の意味があり、蝶々も長寿を著し数が多く描かれているほど長生きできるという。黄色は皇帝の色、龍の足の本数が色々あるが、5本が皇帝、4本が僧侶、3本は平民とか決まっているようだ。
 鹿は禄に通じ豊の象徴、特に白い鹿は沢山の財を成すと言われている。
 ラーメンのどんぶりの淵のカクカク模様は縁起の良い模様とのこと。
 鯉と龍が一緒に描かれている作品が多いが、これは鯉の滝登りと龍が天に向かって飛び交う様を表わし、立身出世とか”隆運”を表している。
 
 面白いところで、こちらでは「扇子」は別れることを言い、時計は終わりを意味するものだそうだ。(掛け時計と置時計が対象で腕時計は良いとのこと)
 当社の40周年記念で、台湾のお客様にも掛け時計を送ってしまったことを後悔してみても今や遅い。

 様々な芸術品に様々な願いや思いが込められている。
 そうやって見て歩くと、私のような芸術品音痴でも、結構面白く見て回れた。

<中国は職人の国だった?>
 しかし、中国4000年の歴史とは云うが、これだけの各年代の遺物を良く歴代の皇帝が守り続けてきたものだと感心する。
 書画等には、歴代の皇帝が自分の印を押してあり、多い作品は10数個も押してあった。
 また最も分からないことは、これらの展示品は、どれをとっても職人技であり、日本の職人に負けづ劣らず素晴らしいモノが所狭しとある。
 ・・・ということは、現在商人の国となっているこの中国は実は職人の国だったのではないか?と思うのだ。
 これはかの文化大革命の時に旧文化を否定・破壊したことにより職人文化がなくなってしまったのか、それとも華僑の成功により職人の文化から商人の文化への移行が徐々に進んだのかは全く分からない。
 しかし人のDNAと云うのはそう簡単に失われることはなく、いかにして中国が清の時代からの100年余りで現在のような状態になったのかは十分研究する価値がありそうだ。

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東洋ゴムは日本の企業?

 東洋ゴムの耐震性能為装問題は、私が唱える”モノ造り国家=日本”にとって大変重用且つ深刻な問題である。

 日本のモノ造りの特徴を一言で言えば、「真面目で正直、みんなで仲良くコツコツと・・・」
ということになるが、その内容については良くは分からないが、顧客に対してウソを言って売っていた・・と云う事実は、我々”まじめで律義で正直な”日本人にとっては大変ショックな出来事である。
 これまでこう云う問題は、中国や韓国の「お家芸」的なイメージだったのが、まさか日本の一流メーカーで起きたということに大きなショックを受けた。
 この会社はネットによると過去にも問題を起こしているから、会社の体質の問題ということになりそうだ。
会社側は「担当者が・・・」と一所懸命一人の社員に全て押し付けようとしているが、会社・・それも大企業になると絶対にそれはあり得ない。あり得るとすれば、個人的に何かしらの”見返り”がある場合であるが、今回は業者に対して云々という話ではないため、それもあり得ない。
 
 誰しも自分の身は自分で守ろうとする。
 大企業で働く殆どの人はサラリーマンだ。
 最近では社長もサラリーマンが多い。
 サラリーマンの一番の護身は「報告」であり「承認」である。
 問題が発生すると必ず「責任問題」が浮上する。
 その時に、もし個人が誰にも言わずに全て自分だけでやった・・と云うことになると、その人は完璧にその責任を問われることになる。
 だから、問題の多寡にもよるが、担当は主任とか係長に、係長は課長に、課長は部長に、部長は管轄の取締役に、取締役は社長に報告を上げ、承認のお墨付きをもらっておく必要がある。
 部課長制、稟議制度、取締役会の審議・承認・・・どれも個人に全ての責任が行かないようにする、いわゆる「みんなで渡れば怖くない」方式の日本特有の制度である。
 役員会での多数決で決まれば、それがもしも頓挫しても社長には責任が行かない。
 当然提案した取締役の責任が一番重いことは間違いないが、責任を取って懲罰対象にはまずならない。
 社長を始め、他の多くの役員が賛成しているからである。
 
 ちょっと長くなったが、このような日本のサラリーマン社会の仕組みを知れば、今回のような完全に犯罪となるようなことを一担当者が全て独断で実行するというようなことはあり得ない。
 これは会社側がいくら釈明をしようが、会社ぐるみ・・と云うしかない。
 ただし、もし発覚した場合は、その担当者一人の責任にすることは決まっていたということはあり得る。
 その場合は、結局、会社がその人がその後どんなことになろうが会社がその人の面倒は見るという約束があるということだ。

 この日本で、このような問題が起きると、私が唱える「メイド・イン・ジャパン構想」はなんだかわからないモノになってしまう。
 私は、日本という国は、細かいところまでうるさく「過剰品質」だとか、「ガラパコス」でそんなもの他の国じゃー全然必要ないよ・・とか言われるようなモノ造りこそが必要なのだと思っている。
「真面目で、馬鹿正直、商売下手」の日本人だからこそ、きちっとしたモノ造りに一番適した国民なのである。

 ここで私の「大予言」を一つしておきたい。
 これからその速度は分からないが、日本の様々なモノが海外で評価され、最終的には日本のモノはいい、最高だというジャパンブランドがもてはやされると思う。
 既に、日本の「食」はあちこちでブレイクしているし、日本のコンビニや外食産業も頑張っている。
 アニメやマンガ、キャリーパミュパミュのようなテクノポップ等は熱狂的なファンが世界中に居る。
 日本の食文化「旨み」はフランスの3つ星、4つ星レストランで使い出したというから食文化も日本がこれから世界を席巻して行きそうである。
 変わり種では、日本のハイテクを駆使した家が評価され出したとか、日本刀の技術の流れを継ぐ包丁なども専門家の間ではメチャ好評だ。
 また日本に観光に来ると、日本人のやさしさ、親切さ、おもてなしの心に何とも言えない魅力を感じる外国人も多い。
 私は、これから「こんなものまで・・・」と言われるようなものまで出て行くようになり、最後は日本の文化そのものとか、自然を愛し、平和を愛する心そのものまで世界に広がって行くような気がする。
 しかし今の政権は、そのまったく逆の方向を取ろうとしており、自然破壊の頂点である原子力とか軍隊とかを増強しようとしている。
 日本と言う素晴らしく「美しい国」をもっと良く知り、自国の最も良いモノを世界にアピールし、それを経済に結び付けることにより、日本は世界の精神的リーダーになることさえ可能だと思う。
 先般亡くなったシンガポールの元首相リー・クアンユー氏の様に、あの小さな国で、何の資源もない国をあのような世界でも冠たる国にしてしまうような政治家がこの国には大いに望まれる。
 日本の国は、シンガポールの何十倍もの人的資源と、文化と歴史がある。
 素晴らしい指導者が現れれば、間違いなく日本は精神的には勿論、経済的にも世界のリーダーになれるのである。

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サイレントチェンジの恐怖

先般、日経ビジネスに「サイレントチェンジの恐怖」という記事が載った。

電機などの大手セットメーカーが取引き先のメーカーによって許可なく、いつの間にか材料の組成を変えられ、事故を引き起こす・・・と云う恐怖である。
記事には、ジュピターテレコムという会社が2014年4月にリコールを始めたケーブルモデムの付属ACアダプターであり、台湾メーカーに製造させたもの・・と云う例と他の例もいくつか載っていた。

当然造るのは中国である。

私がいつも云うのがこのことである。
中国人は「商人」、日本人は「職人」。中国でははっきり言って、日本人の様に馬鹿ッ正直に指定された高い材料や部品を使って造る、あるいは決められた手順を守って造り続けているのは「バカ」か「まぬけ」の「お人よし」なのである。相手にいかに分からないようにごまかしたり、手を抜いたりできるかが”腕”の見せどころなのである。

最近では、確かに韓国、中国、台湾メーカーも十分力を付けてきて、問題のないメーカーも出てきていることも確かではあるが、基本的には「商人」なのであり私が常々言うように、本質的な意味において、日本と他の国との”モノ造り力”の差は計り知れないほどの差があるのである。

中国、東南アジアの賃金が上がり出し、段々日本に追いついてきて、円安も長引いてきたため、普通ならばメーカーは日本回帰すべきところであるが、なかなか戻らない。

本当に”良いモノ”を造るのであれば、日本で造ったらいいかと思う。逆に言うと”本当に良いモノ”は日本で造るしかない。いわゆる”メイド・イン・ジャパン”と云われるモノだ。またその”メイド・イン・ジャパン”を造るための一番の秘訣は、日本の中小零細製造業を活用することである。

日本の中小零細の”凄さ”が正に”メイド・イン・ジャパン”を造りだす一番の”コア”であり”本質”なのである。ここが、私がいくら叫んでも、政府もメーカーも理解できないため、正に”日本の悲劇”であり、日本が今、世界の中でその地位を落としつつある一番の問題なのである。

今、松下幸之助さん、本田宗一郎さん、盛田昭夫さん、井深大さん等が生きておられたら、こんな状態になってしまった日本を本当に嘆くことだろう。

詳しくは拙書「2020年東京オリンピックの年に”メイド・イン・ジャパ”が復活する」~中小零細製造業の活用でメイドイン・ジャパンが大復活するをお読みください。(電子出版です)

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