佐藤芳直氏講演「何のために生きるか」

佐藤芳直氏講演「何のために生きるか」(2014年4月4日 於:上田市民会館

                   上田情報ビジネス専門学校入学式

今日はS・Yワークスというコンサルタント会社の社長佐藤芳直氏の講演を聴いた。

佐藤芳直氏は、船井総研時代の有名なコンサルタントで、私も何冊か氏の本を買ったり、氏のテープを聴いたりしたこともあった。

たまたま私の学生時代の友人が、この会社の講演の講師をしており、私の本と同じようなことを佐藤氏が仰ってるということから、2月に仙台まで出かけて行って会おうとしたが、行き違いで会えずにいた。

今回、上田情報ビジネス専門学校の入学式の講演に上田に来るということで、小諸から約30分の以前に日野原重明先生の講演の時に使った取り壊し寸前(既に新しい会館が出来つつある)の上田市民会館にやってきた。

客席に座りながら、あの時、「新老人の会」東信ブランチの代表として1400人の満席の会場で、日野原先生には全く不釣合なおやじロックバンド「セルパップブラザーズ」を演奏したり、締めのご挨拶をしたりしたかと思うと、私もかなり図々しい男だなぁと我ながら思った。

佐藤氏は、34年前に船井総研に入社し、1800社のコンサルタントをしてきたということですが、この日は、ビジネス学校の入学式の講演のため、「何のために生きるか」という演題で講演が始まった。

幸せな生き方を学ぶということであるが、就職とは生き方を見つけることである。これからは75歳定年制になる可能性があるため、仕事上で幸せになれなければ、人生の幸せは有り得ない。

私は、私の会社の月曜日の朝礼で、事あるごとに言っている。

「みなさんは、たまたま縁あって、この会社に入った。しかし、会社がただの生活のための手段と思って時間から時間までおざなりにつとめて帰ってしまうような仕事をしている人は結局、人生を無駄にしてしまうことになる。

 なぜならば、人生は正に「時間」であり、その多くの時間(一日の起きている時間の2/3以上)を仕事に費やしているからです」

「仕事を、受け身や指示待ちでやっていては何も生まれない。自ら考え、自ら行動する、セルコの社名の基となっているセルフコントロールによって、積極的に仕事をすることが大事です」

「積極的に仕事をすることで、仕事も早く身に付き、失敗や成功から様々なことを学び取り、結果、仕事が楽しくなり、自分の人生そのものが充実してくるのです」

「皆さんが、仕事に喜びを持ち、仕事に生き甲斐を感じ、仕事を通じ成長をすること・・・これが私の一番の喜びです。」

そして社員は常に輝いていなければならない。“社員はシャイン(Shine)”なのです。

幸せは人それぞれということであるが、3・11の大震災時に、全世界が日本の、日本人の生き方にその「幸せ」ということを感じ取った。

今や日本は、世界の文化を引っ張っていると言ってよい。

オリンピック開催決定時に話題となった「おもてなし」は、それまでに「おもてなしスピリット」としてアメリカやヨーロッパでは既に使われていた。

「おもてなし」は英語では表現できない言葉であり、英語ではホスピタリティがこれに近いが、ホスピタリティというのは神の愛を他の人に施すことであり、おもてなしの様に何の見返りが無い行為というモノはアチラの文化には無い。

アメリカではレストランで「水をください」と言っても担当以外のウエイトレスには拒否されたり無視される。この国では、自分の担当以外のお客にサービスをするとその担当者の業務侵害となってしまうため、拒否したり、無視したりするとのこと。

日本では考えられないが、これが文化の違いと言うことだ。

また「思いやり」という言葉も英語、中国語にはない。

更に日本の江戸時代には「うかつ謝り」という言葉があり、誰かが慌てて他人にぶつかった場合、ぶつかられた方が謝る。また足を踏まれても足を踏まれた方が謝る。勿論ぶつかったり、足を踏んだ人も負けずに謝る。こんなことは他の国では全く理解できず、宇宙での出来事のようだ。

「幸せ」とは「良い人間関係を作ること」であり、「よりよい人間関係の中に、よりよい自分がある」そして、「よりよい人間関係を作ることが仕事なのである」

成功したり幸せになる人は能力ではなく、性格である。

日本人の持つ、この互助の精神、譲り合いの精神は、決して家庭や学校で学んだものではない。これは、日本という島国にして農耕民族であったという独特の環境の中で、しかも他の多くの国と異なり、山とか、岩とか大木=自然を尊び、崇めるような、極めて自然そのものが”神“というような独特の宗教観を持ち得る国民であったことに起因しています。

お話にもありました「うかつ謝り」を始め「こぶし腰浮かせ」とか「傘かしげ」等々素晴らしい「江戸しぐさ」という慣習があった日本ですが、最近は西洋文化が入り込み、車の接触事故などでは、逆に「絶対に自分の非を認めるな!謝るな!その後の補償問題で不利になるから」・・と言われます。

 私も何回か接触事故を起こした時に、後から考えると、こちらが100%責任で無いにもかかわらず、最初に謝ってしまう・・という極めて日本的な対応をしてしまいますが、これは私に備わったDNAが後から受けた教育に勝っているという私自身の例かも知れません。

 会社でもやはり、一番大事なのは「人間関係」です。当社の経営理念にはこの「調和」ということを最も高く掲げております。

 このお話の中では「成功したり幸せになる人は能力ではなく、性格である。」というくだりである。これは、能力があり、いくら好成績を上げようが、すばらしい成果を上げようが、自分がそれにより何かを得、またそのことにより周りの人々がハッピーにならなければ意味がない(調和)。・・ということかと思いますが、確かに、そのような状態を作りだす元は、その人の「性格」というか「人徳」というか能力、実力のような作為的な面を超えたところにあるのかも知れません。

命の使い方が分かった日が「立命の日」というが、佐藤氏は船井幸雄氏に入社試験の時に「お前は一体何のために働くのか」と問われたが、その答えは、「人間はみんな何かしらの役割を持って生まれてきている。」そして「その役割は働くことでしか見つからない。」

「だから人の2倍、3倍働き、1日でも早く自分の役割が分かったら、うれしくないかい?」

と言われた。

今現在も、「役割」はなかなかはっきりしないが、人間が生まれてきた役割は分かるようになった。

佐藤氏の息子さんが先天性発達障害者、知的障害者であり、この息子さんから教えられたことは、「人間は誰でも、誰かに喜ばれるために生まれて来る。」ということ・・・。

そして、「成長は人に喜ばれることによって成長する」

「仕事とは、お客や仲間に喜ばれること」

「産まれた目的は、人に喜ばれること」

「人間は一つの言葉、一つの動作、一つの表情で誰かを喜ばせることが出来た時に初めて人間となれる」

「 挨拶」「掃除」「素直」がこの学校の基本である。

「挨拶」一つでも、本気の挨拶をすることが大事。

集めた「アリガトウ」の数だけ人間は幸せになれる。

 佐藤先生のお子さんが障害児であることは、確か以前の船井のカセットでお聴きしたことがありましたが、昨日講演の中で改めてお聴きしました。

 佐藤先生の人間に対する洞察力の鋭さ、深さは、このお子さんから学ばれたことが大きいのではないか?と推測致します。

お話の中でのお子さんとの逸話には感動と共に、「人間は人に喜ばれるために生まれて来る」・・ということがスッと胸に落ちました。

そして、入社式に船井幸雄氏が言った言葉

「メモを取る」

「お見送りをする」

「手紙を書く」

という極めて簡単なことをきちっと完璧にやることである。

あいづちを打ちながらメモを取る。

分かったとは言わずに、分かったような気がしますと言え。

お見送りは、キリの良いところで切り上げること。見えなくなるまで、お見送りすると、お客に逆に気を使わせることになる。

手紙には、相手の名前を3回書く。出逢い時のエピソードを書く。最後に希望を書く。(またお会いしたい等)

これは、早速、実践したいと思いますが、手紙を書く部分は、メールを書くことで代用させて戴きます。

世界で幸せになれる人とは、誰かの利益に一生懸命の人。

「自分」のためはNG。

2011年4月の画像「広野君兄弟が福島の支援する自衛隊員に手を振り、ありがとうを連呼し続けた」・・・何の見返りもない行為を出来る国民は、日本人を置いて他にいない。私達は、自分たちを大いに誇りに思うべきだ。

日本の「おもてなし」や「おもいやり」の精神の凄さは、」この”見返り”を求めずに、只管真心からの思いを実践すること・・であると思います。

これは、全ての価値基準を“お金”屋”自分の権利”におく西洋文化とか中国文化とは全く違う世界であり、これこそが日本が世界に誇れる最大の精神的価値ではないか?と思います。

勿論西洋にも、ナイチンゲールのような無私の精神を発揮した人達がいましたが、日本では、広く一般の人達の心にそのような心があることが凄いのです。

先般、東京に物凄くきれいな虹が見えた。

虹は米国が6色、ドイツは5色、ポピ族は2色、日本は7色だが、7色と言っている国はそんなに多くない

「心が違えば、見え方が違う」

経験、環境、教育によっても違う。

船井幸雄氏に教えられたこと「素直に心のありのままに見る」それを伝えることが出来る。

協和株式会社のハイポニカ農法を見せられた。

これはガイアシンフォニーという自主上映作品の映画で有名となった野沢重雄氏のビニールハウスで、本物のトマトが一つの幹に13,000ケ生っていた。

非常に美味しい。地球上では一本で30m位、宇宙空間では無限となる。

「常識で生きるな、惰性で生きるな、常識を捨てろ」

自分の常識がドンドン広がって行く。

人間はその受容力で決まって来る。

「受け止める力」が必要となる。

 人間は常識とか、科学とかに捉われていると、“真実”が見えない。

 私の会社のホームページには「常識を疑ってみませんか?」というページがあり、そこに様々なコイルに関する常識を打ち破る技術が沢山載っている。

 通常の常識から、物事を捉えている限り、新しいモノは決して生まれない。

 先ほどの日本人の自然崇拝の話ではないが、私は、人間が万物の霊長とし、この世界の全てを知り尽くし、全てを支配できる・・・と言うような思い上がった感覚でいると思いますが、自然の叡智、自然の大きさ、自然の凄さは、私達が想像するよりも、遥か遠くにあると思っています。

 私達は自然に逆らたり、自然を侮ってはいけない・・と思います。

 以前に「地球を守るために地球を破壊しようとする人類を滅ぼしに来た」という宇宙人の映画を見ましたが、何時までたっても、化石燃料を堀り出し、原発を動かし、戦争は必要悪とするこの世の中を見ていると、正に私はこの映画が、決して空想の世界では無いような恐怖心を覚えました。

「必然、必要、ベストの理」

どんな失敗も学びのために起きる。

あらゆる出来事は、世の中に何かを教えるために起きる。

一度目:学び、2度目:教訓、3度目:警告

失敗の数だけ成功に近づく。

若いうちに失敗しなさい。

弟子はどんな言葉であっても、理解しようと努力しようとすること。

「3・11の大震災をも必然、必要ベストと言えるか?」

「あんな大変なことがあったから、私達はこんな未来を作ることができた」・・・と言うべき。

色んな出来事をただの結果で終わらせてはいけない。

全てを原因にしなければいけない。

 3・11の大震災で、多くの人達が命を落とし、多くの人達がその被害に会われました。

 これも「必要、必然。ベスト!」と言えるのか?ということで、佐藤先生は大分悩んだとのことでした。

 これを、教訓に・・というには、あまりにも、悲惨で、あまりにも多くの犠牲者が出たからです。

 しかし、先生はよくよく考えた末に「この教訓を活かし、次の時代に、未来を作って行くべきだ」と結論されたとのことです。

 日本は、先の第二次世界大戦で、壊滅的な敗戦を味わい、原爆という地球を破壊するような力を持つ兵器の実験場にされ、その後、唯一の被爆国として、不戦の誓いを立て、原爆の不使用を訴えてきました。

 また、3・11時の福島での原発事故により、未だに20数万人の方々が、自分の家に帰れずにおり、福島原発そのものの汚染水問題も、使用済み燃料問題も、何も解決しておりません。

 船井先生の「一度目:学び、2度目:教訓、3度目:警告」ということですが、戦争や原発事故は、2度、3度はありません。

 特に、“自然を尊び、自然を愛する”この国は、平和や思いやりの心を広く世界に訴え、日本人の素晴らしい叡智で、自然エネルギーで全てを賄えるようなシステムに全力を傾けることが、地球的視点というか宇宙的視点から見た、“我が国の使命”であると、私は思います。

「どうせ仕事をやっているんだから、一流になれよ」

「自分を一流だと思い込めば良い」

「立居振舞を完璧にすること」が一流。(ホテルの泊まった後をきれいにする。新幹線の背もたれ、ゴミの片づけをする等。)

「目の前の人に一生懸命喜んでもらえ」・・メモを取る、お見送りをする。

「離れている人に一生懸命喜んでもらえ」・・手紙を書く

「見ず知らずの人にも一生懸命喜んでもらう」・・道路掃除をする。

 一流の人間になることは、難しいかも知れないが、少なくとも私達は一流の人間を目指した行動をすることが大事かと思います。

人間の本気の言葉は、永遠に残る。

1時間20分の話の中で、何かを誰かの心に残せたか?

自分の命を使ったか?

終戦時の特攻攻撃がいかに英米にダメ―ジを与えたか?

アメリカが日本の恐ろしさを一番良く知っている。

自分の時間=命

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最近学んだこと

ここのところ、色んなセミナー、工場見学、講演に参加して、新しい情報を得たため、ここに皆さんに披露したい。

まずは、3月3日上田東急インで行われた、長野県中小企業振興センター主催、ジェトロ共催の」「中小企業グローバル展開戦略セミナー」である。

第一部の方で「ラオス・カンボジア経済視察団」に参加された振興センターの下條専務から報告があった。

1、国際関係

2015年には、「AEAN経済共同体」が発足し、同時にメコン流域の国をまたぐ道路整備が着々と進み、物流の効率化が図られるため、これからどこで造り、どこで売るかの選択肢が益々増加してくるであろう・・とのことであった。

2、政治・制度

政府による税制面での外資奨励が盛んであり、輸入依存から自国内生産へ二次産業へのシフトのスタート地点であり、日系企業も年々増加してきている。

しかし、行政や法運用の不透明性は、他の新興国が辿ってきた道のりと同様様々な問題が横たわり、政情は比較的安定と言われるが、最近のカンボジアは、インドネシア同様、賃上げ闘争があり、少し不安が残る。

3、市場、需要

両国とも、人口規模が小さく、労働市場、消費市場もベトナム、タイとは違う。

少しずつ、富裕層が形成され、若年層の多さもあり、今後の市場の伸びに期待。

4、コスト

 労働力や土地が安い。ワーカーの賃金は、10数年前の中国程度。

 原材料や部品、製造機械の殆どが現地調達できず輸入品頼りでコストが高い。

 特にラオスは海が無く、他国の港湾と陸路を使わざるを得ない。

 電力

 ラオス:水力発電で、周辺国と比べ、安価で供給も安定している。

 カンボジア:60%以上を輸入であり、割高で供給不安定。

 結果的には、日本とあまり変わらない。

5、人的資源

 労働スキルは、未だ低く熟練労働力が不足している。ラオスは加えて高い離職率の問題がある。

言われたことはキチンとやるが、日本人の様に厳しくすると、叱られたと思い、辞めてしまう。

 労働力は、農村部には未だ潜在労働力があるが、その数には自から限界がある。大きな工場が出来ると、途端に労働力が不足する。

仏教国で、親日的である。

このセミナーの話を聴く限り、私の主張する“チャイナプラスワン”“新・新興国”への進出は容易ではないことが解る。

賃金が安いというメリットも、絶対的な労働力が不足しているため、賃金は驚異的な勢いで高騰する可能性が高い。

また土地は安いかもしれないが、インフラ的には、殆ど自力で整備する必要があり、トータル的に見た場合、それ程メリットがあるようには思えない。

また、労働争議は、これらの国は遅かれ早かれ発生し、カンボジアのみならず、タイからラオスへ進出した日本企業がこの労働争議でどうにもならず、ホウホウノテイで、逃げ帰ったという話もある。

“離職率の高さ”と云う問題は、結局、いつまでたっても品質が安定しない・・と言うジレンマに陥る可能性が高い。

次に愛知淑徳大学の学部長、真田幸光氏の「中小企業グローバル展開戦略セミナー」という講演であった。

この先生は、かなりはっきりモノをいうタイプであり、聴き方によっては、非常に分かり易い。

結論から言って、中小零細がこれからグローバル化で、新・新興国途に出て行くことは、お薦めできない・・・とはっきり言っている。

これは、大企業とて全くの同じことであり、言葉、通貨、法律、製造基準、会計基準・・それぞれが異なり、これらが、非常に大きなリスクになることが多い。

特に、為替の問題は、全く予測がつかないリスクである。マネー経済は実体経済の20倍規模であり、いつ何時、円高になったり、円安になったりするか誰も予想がつかない。

先生のグローバル化の定義というのが面白い!

先生は、「自社の強みの製品を、一番高く評価してくれる国、企業をと取引することが、グローバル化だと言うことで、何もリスクの高い海外に出て行って、他のコストの安い企業とローコスト競争をするのがグローバル化ではない・・・と言うことだ。

自社の強みで、他社にまねができなければ、値決めも自分のペースで決められ、取引も有利に展開できる。

日本に居ながらにして=雇用を守りながら、世界に売って(打って)出、外貨を稼ぐのが、また、あまり大量品を狙わず、少量多品種、高付加価値の製品を売ることが、これからの日本の中堅・中小企業にとって一番良い方向ではないか?としている。

日本が特に強いモノは

「インフラ輸出、核心部品、高度素材、製造装置、世界富裕層に対する高度耐久消費財の生産・販売、各地進出による各地耐久消費財の生産・販売、メンテナンス・アフタ―ケア」の分野とのことである。

先生のプリント中で、赤字で書かれた部分に大変良い“お言葉”があったので、紹介しておく。

「キーワードは、とにかく自力再生!」

「人にはできない力量、=無形資産=に究極の価値を見出し、人に頼りにされながら、社会のお役に立ちながら、胸を張って生きて行こう!」

「日本の製品や技術は今までのままで十分に凄い!世界に通用する。だからこそ、当面は技術輸出や人材の海外派遣による外貨獲得の可能性も模索すべき。」

海外展示会参加のコツ

「その業界で世界最大の展示会に参加すること」

「参加企業のリストアップをし、行く前にパワーポイントを作り、その企業に送り込んでおいてから、参加する、勿論、ミーティングのセットアップを事前にしておく→先手必勝!」

3月10日には長野テクノ財団、ア様テクノポリス地域センター主催で、「コマツ 小山工場 見学会」に参加した。

この会社は、世界中に売っている会社であるが、この販売比率は、見事である。

日本、北米が筆頭で各17%、中南米15%、アジア13%、オセアニア12%、中国7%、欧州、アフリカ各6%、その他7%と、世界中に万遍なく売っている。

売る地域で、車体は造り、社員の58%が外国人ということで、まぎれもないグローバル企業である。

しかし、この会社の“モノ造り”の基本は全くブレていない。

日本をマザー工場と位置づけ、開発と生産化の一体化を図り、日本での生産を非常に重要視している。

工場長が、「協力工場の実力の高さによる日本一極調達」・・・ということを仰ったが、日本国内に於けるモノ造りを中心として、各国の工場の面倒を見るとのことである。

改善活動が盛んで、1991年に200件そこそこであった提案件数は、今年は3265件に昇り、累計で約16万件となっているとのこと。

1月300件近く出される提案のうち、工場長審査に残るのは20件位とのこと。

但し、各提案には、きちっと回答を出すようなシステムが構築されているとのこと。最近は、特に”安全“に関する提案を奨励し、効果が出ているとのこと。

「海外の提案活動はどうか?」と私が質問したところ、「海外もやっているが、レベルはそれぞれです」との答え。

海外では、日本の様に従業員からの提案は、あまり望めないのではないか?というのが私の見解である。

この小山工場は、エンジンと、油圧機器の工場であり、この双方の工場を見せて貰ったが、4000名弱とのことだが、日本で久しぶりに、モノをガンガン造っている工場を見た。

1日に平均でも2組は来るという見学ツアーの担当の女性の慣れた説明を聴きながら、工場を見て回ったが、大体の概要は分かるが、詳しくは分からない。

とにかく、大型から小型の建機のエンジンや、シリンダーが、次々に完成品に向かって動いている様は圧巻であった。

生産技術は100名、外部指導は、以前にトヨタの改善を指導されたが、今現在は自社で独自でやっているとのこと。

“ダントツ品質”を目指し、工程にも、様々な工夫を凝らして品質を守り、安全を守る姿勢が随所に見られた。

技能検定があり、全員ではないが、かなりの人が技能検定者としちぇ名前が貼り出されていた。

その中に、指導員、世話人の資格を持つ人がおり、この人達が、新人や外国人の指導に当たるとのこと。

また、社内で年一の「技能オリンピック」があり、「ビギナー技能」、「一般技能」、「熟練技能」、「高度熟練技能」の4つのレベル技能を競う。

建機は、原則として2.5屯以下は電動、それ以上は油圧方式となる。

コムテックスという、独自の通信システムを使い、自動運転トラック等を動かし、24時間稼働とかも可能にし、稼働率の向上に強力なツールとなっている。

私も、今回の「2020年 東京五輪の年にメイド・イン・ジャパンが復活する(下巻)」で、このコマツを取り上げているが、トヨタを始め日本で強い会社は、日本での”モノ造り“を中心として、世界に展開しているというこの重要なポイントの確認をしたくて、今回このツアーに参加したが、間違いなく、この会社も”本物のモノ造り“を熟知し、実行している会社であった。

次の日は、先般のセミナーと同じく、上田市の東急インでキヤノン電子の坂巻久社長の講演があり、こちらも参加した。

坂巻社長の声が、非常に聞き取りにくく、耳を澄ましていたが、半分以上は聞き取れなかった。

プリントがあったので、こちらを中心に展開する。

今後の製造業にとって世界で勝ち抜くには

① すり合わせの技術を持つ→デキタルとアナログ技術のすり合わせ。

② 高度な機械的な機構を持つ→自動化、半自動化の推進。

③ 製造ノウハウを外部流出させない→製造装置は」出さない、見せない。

④ 高付加価値製品(製造コストが見えないようにする)。

⑤ 自社のコア技術力を発揮できる成長市場へ。

その他、

選択と集中→選択したら、長く持続して集中させる。

目標の明確化→小泉元首相の様に短い単語で周知徹底する。

経常利益は15%を目標とする。

物流コストの低減 現在は売り上げの0.75%。

モノ造りは決して学歴ではない キヤノン電子では、中卒、高卒の人が活躍。

社員には、自主的に自分自身で考えさせる

提案を出させ、やらせる→提案は決して拒否しないこと。

1/2のルール→コストは半分にすることを目標とする。無駄をなくす。

日本回帰をする場合は、早くやる→円安(103円~106円)が6年位は続きそう。

新規事業を始めた時が会社の危機となり易い。

キヤノンが50%国内回帰をし、国内調達を増やす。→長野県を中心に調査中。

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中小零細企業の問題点

 日経ビジネス2014年2月10日号 86ページより梅原勝彦氏[エーワン精密相談役]の記事(先般の講演会資料)を元に私の書いた本「2020年東京五輪の年にメイド・イン・ジャパンが復活する‼!(上)~中小零細製造業の活用がメイド・イン・ジャパンを大復活させる」を検証しながら日本の中小零細製造業の問題点を見る。

 梅原勝彦氏 1939年生まれ。12歳からネジ工場で働く。70年、エーワン精密設立。工作機械に取りつけるコレットチャックでシェア首位。高収益企業に育てた。 

<日本の町工場はまだまだ強い

安易な値下げ要求に屈するな>

 アベノミクス効果で、円安基調がすっかり定着した。

 自動車をはじめとして、輸出依存度が高い大手メーカーは行き過ぎた円高が是正され、経営が随分楽になったはずだ。

 しかし、町工場の多くは相変わらず経営が苦しい。仕事を発注する大手メーカーが、円高だった頃と同じように、下請け業者に対して過酷な値下げを求めてくるからだ。

 懸命にコストダウンしても、浮いた利益は全部、大手に吸い取られてしまう。これでは町工場がなかなか元気にならない。

大手は益々利益を上げ、中小零細は益々経営が厳しくなる。

 一億総中流から“富裕層と貧民層”への流れはアメリカと同じような方向へ向かっている。

 政府が金融緩和策を取ると、一般的には富裕層、貧民層の差がドンドン開く方向になるようです。

 値下げの要求に安易に応じてしまう町工場にも問題がある。「品質のいいモノは値段が高いんだ」「その値段では作れない」などと、正直に主張するのが筋だろう。

 大手メーカーの購買担当者はこう切り返してくるに違いない。

 「おたくがこちらの提示する金額で仕事を引き受けられないと言うのであれば、人件費が安いアジアの下請けメーカーに発注するまでだ」、と。

 けれども、ガセネタに振り回されてはいけない。

 日本の町工場はこれまで血のにじむ思いで、製造コストを下げ、精度を高め、納期を短くしてきた。例えば製品を10万個製造して、不良品が1つも出ないというような、すごいレベルに達している。

 大手メーカーは、とにかく「安く」がバカの一つ覚えの様に繰り返しているが、本物のモノ造り=メイド・イン・ジャパンを復活させるためには、日本のこの高精度、高均一の素晴らしい部品を使う必要がある。

 価格は、同じ部品を大量に発注すれば、間違いなく日本の中小はあらゆる工夫をして安くて良いモノを供給するようになる。

 アジアの製造業には悪いが、日本と同じような品質や納期を、より安くより短く提供できないだろう。駄物は別にして、精密品に関しては、間違いなく日本製の方が優れている。

日本人ほど、モノ造りに適している国民はいない。海外でいくら逆立ちをしても日本のモノ造りにはかなわない。

 賃金の差も、インフラ(バスや食堂、宿舎)や輸出入費、管理費(海外駐在員のコスト等)を考えれば、我々中小零細の賃金と比べれば、さほど違いは無くなってきており、この傾向は年々強まってきている。

 またインドネシアの労働争議、タイの政治紛争等の問題は、新興国、新・新興国にとっては全く同様の問題を孕んでいる。

 ところが、自社製品の国際競争力を正確に把握していない町工場の社長さんが多過ぎる。本来なら中国をはじめとしてアジア各国の製造業の実力をもっと正しく知っておくべきなのだが、日本に閉じこもり、現地を視察しようとしない。

 珍しく視察しに行ったと思ったら、張り切るのは夜だけという人もいる。残念だ。

 中国やタイの工場の実態を知る事。私は、20年前にタイで痛い目にあったこと、また10年ほど前の中国での生産の成功で、これらの国の実力値と共にこれらの国でどうしたら上手く行くのか?のポイントも学んだ。

 その辺ポイントをきちっと掴んでいれば、海外でもそれほど大きなミスはしないで済む。

少なくとも中国人は、自分たちの”いい加減さ“を自ら自覚している。一般の人達が、「中国製はダメ、日本で造ったモノがいい」とはっきり言う。

 このままでは、「品質で日本はアジアに追いつかれた。価格では負けている」という思い込みから抜け出せない。そして、安易に大手メーカーの値下げ要求に応じてしまう。

アジアのメーカーは、「日本の町工場は、なぜこんなに高い品質のモノを、これほど安く供給できるんだ」と、不思議がっているのが実情なのだが。

品質が中国、アジアに追いつかれた・・・と言うような報道や記事を良く目にするが、一部を見れば、たまたまそういうこともあるかもしれないが、きちっとマクロ的に見れば、これは絶対にありえないことである。

 他の国から見れば、日本のモノ造りは”ミラクル“

 当然、競争相手は日本にもいる。国内の町工場同士で、激しい価格競争を繰り広げている。ただ、足を引っ張り合って、共倒れにならないかとても心配だ。

日本人は、国内でも海外でも競争をして、お互いに価格を下げ合っている。

 私はコスト競争が悪いと言っているわけではない。ただ同業の経営者同士で、もう少し交流した方がいいのではないか。現在は、「仕事を取った」「取られた」などと張り合って、互いに疑心暗鬼になってしまっている。

 交流が生まれても、相手がライバル企業の社長さんなので、手の内を明かすようなことはないだろうけれど、無駄に相手を追い落とすような真似は減るに違いない。

 たまにはお茶を飲んだり、食事したりする仲になってほしい。

中小零細企業同士、ライバル同士の交流をもっと持った方が良い。

 大体、政治的に見ても、大企業と比べて99.7%を占める日本の中小零細は何の団体も連携も持たない。政治的にも非常に弱い立場だ。

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帰宅難民

金曜日に雪の恐れあるということで、夕方6時からの講演会で午後出れば十分だったのだが、午前11時の電車に乗り込んで、静岡の島田市へ講演の途に就いた。

 新幹線は全く問題なく動き、島田市のホテルには講演3時間前の午後3時にチェックインした。

 講演を終えて直ぐ帰れば帰れたが懇親会に誘われたため、いつも講演後盛り上がる懇親会に参加し、一泊してから帰ろうと思った。

 ホテルから会場の島田氏の商工会議所迄は、歩いて5~6分ということで、歩いたが、物凄い暴風雨である。

 いくら近くても、暴風雨の中を全く知らない街で全く知らない場所をこの辺だと検討を付けて探すのも容易ではない。

 道を歩く人も殆どなく、ようやく高校生の女の娘に聞いたら、やっぱり行き過ぎていた。

 びしょ濡れになりながら商工会議所に辿りついたが、20人から30人と言われていた参加者が10人ちょっとしか集まって来ない。

 しかし、定刻6時になったため始めた。

 講演は8時ちょっと前に終わりマイクロバスで懇親会場に向かった。

 案の定、懇親会での話は非常に参考になる。

 私が講演で、日本の中小零細は、これまでの〝下請時代“のなごりで、いい技術を持ちながら、それをPRし活かすすべも知らなければ、何も行動を起こそうとしない・・・と言うことをそのノウハウと共に話したが、ある溶接を営む社長さんは、自分のところは、こと”溶接“に関しては絶対他には負けないという自負を持ち、新聞、テレビ等のメディアにもドンドン出る。そして展示会に年14回参加し、自社のPRをガンガンしているということである。

 先般の慶應義塾大学のゼミのOB会でちょっと話をしたら、やはり面白い情報が色々と入った。

 あるメッキ会社の社長の話であるが、日本の最大手のメーカーの下請けでメッキの仕事をしていたら、ある日中国のそのメーカーの工場に呼ばれた。

 なにかと思ったら、そのメーカー、中国の自社工場に、そのメッキメーカーと全く同じシステムで設備を導入したが、いくらやってもそのメッキメーカーのようにはメッキできず、結局、そのメッキメーカーの社長にこの機会を使ってここでメッキをしてもらえないか?と依頼されたとのこと。

 私が、メーカーは小さな工場で出来ているところを見れば、設備さえ見れば自分でも出来ると思い、なかなか同じようには出来ない。この大メーカーの様に降参して下請けメーカーにお願いするようなことは稀で、殆どは今までより品質は落ちるか自社内につき、「まっいっか!」でその部品を使うようになるのである。

 私の最新式の10数万円もしたパソコンは、そのメーカーのモノかどうかわからないが、未だ半年もたたないうちにスペースキーとかの塗装が剥げ始めてしまっている。

 まぎれもなく”メイド・イン・チャイナ“の日本メーカー製である。

 そのメッキメーカーはその大メーカーに対して丁重にお断りしたそうである。

 恐らく、数倍に費用をかけて作っただろうと言っていた。

 講演の後の懇親会は、私の言ったことが、次々と証明されて行く”場”として私には貴重な場なのである。

講演の話はさておき、懇親会も終わり、次の日7時過ぎの電車に乗り込み、帰ろうとしていたら女房から電話で、小諸が大雪で家から出る来著も出来ない・・・とのこと。当然長野新幹線は止まってしまい動いてないとのこと。

 私は直ぐに作戦を立てた。

 東京駅で待つことは止め、できれば高崎まで在来線で行き、ここで新幹線の動向を見ようとして、そのまま京浜東北線で大宮まで行き、高崎に向かおうとしたが、全く動いていない。

 新幹線は?まだまだ動きそうもない。

 大宮でホテルを探すことにした。

 一軒,2軒と雪が解けだしてべちょべちょの中を、時折靴の中に水を入れながら、キャリーバックを引きずりながら回ってみたが、どこも満杯!

 ここで、自分の考えの甘さに気付いた。

 すぐさまスマホを使いネット[小林延行1] でホテル検索をしたが、どこもここも満杯で、ホテルが取れない。

 しかい、新幹線が動けばいい訳であるから、ここは持久戦に持ち込む他は無い…と云うことで、大宮のアリーナの反対側にある立派な映画館で「エージェント・ライアン」という映画を見る。

 佐久の映画館と違い、画面も大きく、音も凄く、画面もかなりクリアーだ。

「投資銀行員という表向きの顔を持つCIA情報分析アナリストのジャック・ライアンが、世界恐慌勃発を狙う巨大な陰謀に立ち向かう。」と言った内容の映画で、元海兵隊員で現在経済アナリストと言う設定で、ロシアに派遣され高級ホテルに着いた途端、迎えに来たボディガードが突然ライアンを殺そうとし、どうにか切り抜けるところから、大痛快アクション映画が始まった。

 ちょっといつもと違うのは、ただの銀行員が、経済テロ計画を防ぐためにロシアに飛び、突然襲われたところから、途端にCIA工作員になったような活躍を始める。

 圧巻は、美女に弱い敵の目を自分のフィアンセに向けさせておき、自分は敵のアジトに入り込み、コンピュータから経済テロ(株の暴落)の情報を探り出すという、コンピュータの扱いと金融取引に精通していなければ、できない危険な仕事だったということかと思う。

 後は結局一人で、その株の暴落を引き起こすためのウォール街の金融センターのビール爆破を防ぐというところは、全くのアクション映画となる。

 映画にハマっていた時間は、忘れていたが、自分は”帰宅難民”なのである。

 映画が終わると、またスマホによるホテル探しを始めた。

 なかなか見つからなかったが、上野に13,600円というちょっと高めだがどうにか予約が取れた。

 スマホの道案内で、そのホテルまで行こうとしたが雨が降る中、なかなか見つからない。

 大体近くまで来てはいると思うが、段々暗くなってくるし寒いし、大分心細くなってきて、スマホを諦めて、目を向けると、そこがまさしくそのホテルのすぐ

そばであった。

 ホテルに入り、チェックインするとウナギの寝床のように細長い部屋に、縦長にベッドが二つ置いてあり冷蔵庫もなく、とてもこれが1万3千円の部屋とは思えない。

 結局、足元を見た“ぼったくりホテル”だった。

 翌日は、帰れるだろうと思い東京駅に行くと、長野、上越、東北新幹線のチケット売り場は長蛇の列、ホームに行ってみたら、ホームにも人が溢れている。

 しかし、”運休“と云う言葉は何も無い。

 頼みの綱は、ネットへの書き込み情報だ。

 思い思い自分の勝手に書いている情報のため、多少引きながら読む必要があるが、色んな人が書くため、総合的には判断できる。

 それぞれの書き込みを総合すると、結局、始発は間違いなく動いた。

 しかし、軽井沢で止まって動きが取れない。

 2番目の新幹線も動いたが、安中榛名で止まって全く動けない。

 3番目も動いたが、高崎で止まった。

 軽井沢の大雪の除去がままならず、「今か?」「今か?」状態での運行状況のため、運行しているようで、運行していない。

 これは長引くとの判断で、私は有楽町駅へ行き、またもや映画館探しをし、1時間以上彷徨ったあげく、結局は1時25分からの銀座ルミネの9階で今度は「大統領の執事の涙」という映画を見た。

 これは、アメリカの大統領に8代に亘り、34年間使えた実在の黒人の執事の物語ということであった。

 この映画を見て、黒人への人種差別は、生半可なモノではなかったというアメリカの現実を知った。

 黒人差別=有色人種差別ということであり、我々日本人も黒人とあまりお変わりなく差別されていたことを考えると、かなり衝撃的であった。

 ”白人は人間で他の有色人種は動物と一緒“のような風潮がちょっと前までのアメリカには間違いなく存在した。

 ”空気のような存在になり、会話には絶対入ってはならない”と云うのが,執事になるための条件だったが、彼の人間としての誇りと尊厳が、各世代の大統領に伝わり、やがては、それまでには絶対ありえなかった、自分=黒人の昇進が認められた。

 そして、彼が引退した後ではあったが、何とあのアメリカに黒人の大統領=バラク・オバマが誕生したところで終わっている。

 歴代の大統領との逸話がちりばめられ、オムニバス映画のようで、ストーリーとしては“じっくり感動”しにくい部分もあったが、一黒人が歴代大統領に与えた影響力とは、はっきとは言わなかったが、まちがいなく人間として黒人問題を語る時は、すぐ間近に居て、素晴らしい人格者の執事の彼が果たした役割は少なからざるモノがあったと想像できる。

 映画が終わり、さあ!新幹線・・どうなったか?と再び東京駅に4時前に向かった・・が・・・、結局、6時頃には動くのではないか?と言うことであったが、私の判断として、これは今日もダメ!

 東京駅大丸の食堂街に行き、ビールを飲みながら豪華な?食事を一人でし、ホテルを探した。

 スマホのネットで探すのだが、ホテルの会員パスワードとか何かで引っかかって上手く進まず悪戦苦闘したが、5500円というリーズナブルなホテルに予約できた。

 昨日のホテルを見つけて歩く大変さを思い、東京駅からタクシーに乗り、日本橋浜町という場所にあるホテルにスムースに付き、無事にチェックインできた。

 朝食は断り、コンビニに買い物に出たが、色々選び終わって内ポケットを見たら、財布が無い。

 先般、中国へ行った時に携帯を失くし、えらい目にあっていたため、「またか!?といやな予感が頭に走ったが、こういう時は冷静になり、全ての自分の取った行動をチェックして行くことだ。

 タクシーの支払いをカードで済ませ、ホテルのチェックインの代金支払いまではあったから、その後・・というとエレベーターに落とすとか、道に落とすというのは、硬化やカードが詰まっておりかなりかさばって思い財布のため、それは余り考えにくい。

部屋に置き忘れたというのが一番濃厚ということで、結構距離のあったコンビニから取って返してホテルの部屋に行くと、果たしてそのまま置いてあった。

「帰宅難民」となり、着のみ着のままで、東京の街をあっちへふらふらこっちへふらふらしていて、ここで財布を無くしたら、後はどうすればいいだろいう?

と一瞬不安にかられ、職を失った人が、持ち金が無くなり背広を着たまま路上生活者になって行く気持ちが分かるようであった。

 次の日の月曜日は、もともと文京区本郷の医療展示会で東京に来ることになっていたため、出展物は無いが、顔だけでも出そうと思って行った。

 講演時に見せたコイル一つ展示したり、パソコンやアイパッドで製品の写真を見せたりと繕って、どうにか展示会を終え、朝から正常に動いているという新幹線に乗り、順調に佐久平に向かった。

 これで、帰宅難民が終わったわけではない。

 佐久平から家に帰れないのだ。

 いつも迎えに来る女房は、道が雪のため混雑していて簡単には迎えに来られないということで、タクシーで帰ろうとしたが、いつもずらっと並んでいるタクシーが、よりによって一台もない。動いていないのだ。

 女房はちょっと可能性が無い為、息子に電話して迎えを依頼した。

 大分待つかと思ったが、30分位待って息子が到着してようやく帰路に付いた。

 普通の道はやはり車が立ち往生しており、全く動かなかったとのことで、車が一台しか通れない“ボブスレー道路=雪の壁の中を走る道路”となっている裏道をひた走り、ようやく暖かい我が家に着いた。

 この月曜日会社は結局、雪掻きがままならず開店休業に追い込まれ、明日重機を頼み、雪掻きをしてもらうことになった。

5200坪ある会社の敷地は、とても人手で雪を除去することは出来ない。

何十年ぶりとか、ここ70年位で初めて・・・と言われた“大雪狂想曲”であった。

[小林延行1]オトン違うのは

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