30年ぶりの栄冠「ホンダF1 最後の戦い」~NHK BS1スペシャル~

2021年、ホンダは今シーズンでF1レースから撤退する、これが最後の戦い。
「絶対に負けられない!」・・・技術者たちの執念が爆発的なパワーを生み出す。

2020年10月、ホンダはF1撤退を決定。
この撤退の知らせは、パワーユニットの骨格から見直すという画期的な開発途中だったホンダのチームにとっては衝撃的な通告だった。社長と掛け合い、このパワーユニットの開発を前倒しすることの許可を取った。
金属の3Dプリンターを駆使しこのパワーユニットの骨格を半年で造り上げ、また強度を増すために、鋳造を堅い金属の削り出しに替え、この新骨格はこれまでよりかなりパワーアップしていた。
オールホンダ、全社体制での開発だった。特に試作部門、シリンダーの強度を鋳造からアルミ合金の削り出しに変えた。長年培った技術の蓄積がこの短期開発を成功させた。
成功のトークの中に“サプライヤー”という言葉も聞かれたが、間違いなくどこかの中小零細企業の技術が入っていたのかと思う。

6年前の屈辱的な敗退からの復活を目指す。
既に4度の世界チャンピオンをとっているレッドブルがホンダの技術に興味を持ち、2019年、ホンダと提携することになっていた。
絶対王者ハミルトンに挑む若き獅子フェルスタッペン、そしてこれは7年連続王者に輝くメルセデスとレッドブル・ホンダとの闘いでもあった。
山本雅史、田辺豊治、中村聡、浅木泰昭等の技術者の面々は、これに全てを掛ける。
スタートダッシュのローンチが難しく、順位を下げてしまう。
ローンチとは、アンチストールといってクラッチに繫いだ時にエンスト防止のためドライバーの意志に関係なく自動でクラッチを切り離してしまうようになっており、車が前に進まなくなる。
この影響でフェルスタッぺンはパワーのコントロールが出来なくなり順位を4つも下げてしまったことがある。メカは運転手の操作に正確に反応する必要があるのだ。
ローンチ時は、チャンバーという空気を貯める部分から勢いよくピストンに送り込むため、このチャンバーの容量を増やす必要があったのだ。
レッドブルの力が必用となり、ホンダとレッドブルとのコラボレーションが始まった。
レッドブルチームは、このチャンバーの管を普通の倍の長さにしてこの問題を解決した。
市街を走るモナコグランプリがその重要なレースだった。急カーブで低速にしてから高速にする場面が多いためこのローンチが重要となる。果たしてフェルスタッペンは圧勝だった。ホンダにとっては29年ぶりの勝利となった。

タイヤ交換も重要なポイント。
ソフトタイヤ、ハードタイヤ、ミディアムタイヤと3種類のタイヤを2秒以下で交換するチームがついている。

6年前間にはボロボロだったホンダが首位争いをしている。
過去の口惜しさをバネにし、MGU-Hというパワーユニットの改善をする。
パワーユニットはガソリンエンジンとモーター発電機のハイブリット。

いよいよ2021年の決戦
フェルスタッペンとハミルトンとのデッドヒートはすさまじく、第14戦ではどちらも譲らず、2台ともコースアウトしたりした。
直線コースで赤いランプが点くかつかないかがバッテリーの効率の違い。
高出力バッテリーが栃木のHRD Sakuraで8年間に亘って開発された。
この高出力バッテリーユニットはリチウムイオン電池にカーボンナノチューブを使ってパワーアップ。
2022年の完成予定だったが、2021年F1の参戦撤退の発表で1年前倒しとなり、撤退が決まっても陰で研究を進めていた。それを支えた上司が居た。
橋水純一氏がこのESSという新バッテリーユニットの責任者。40%パワーアップした。一週で0.1秒の違い。
「できない理由は言うな!」「出来るまでやれ!」がその時の合言葉。

2021年8月に完成。16戦は10月10日、しかし日本の鈴鹿サーキットがコロナで中止、結局トルコでのグランプリとなった。
20歳のルーキー角田佑毅が8週に亘り後方スタートのハミルトンの前に立ちふさがり、フェルスタッペンを助ける。その後レッドブル・ホンダのセルジオ・ペレスが立ちふさがる。結局、チームホンダで助け合い、フェルスタッペンは4番手でハミルトンにはなかなか追い抜かせなかったため、フェルスタッペンは2位でゴールし、メルセデスには勝てた。

本田宗一郎は、ホンダの技術向上を目指しF1に参加した。
若いスタッフの養成をした。ホンダは若い人達がエネルギッシュに活躍する会社。
ホンダはエンジンの改善もした。偶然の発見であったが、プラグ点火の火が上だけではなく、下からも燃え上がるパワーアップしたエンジン。
「人の真似をするな、やるなら独自のモノを考えて勝負しろ!」が本田宗一郎の言葉、その通りのエンジンが出来たのだ。

その後、ハミルトンは新エンジンを投入し、19戦、20戦と連勝。
ホンダ側も、エンジンを点検整備する。
21戦、両社一騎打ち、両社相譲らず接触し、フェルスタッペンがペナルティとなりハミルトンが3連勝。
最終第22戦「アブダビグランプリ」は二人全く同点で迎えた。
レースはハミルトンが早い、残り20周で差が17秒、このまま終わりかと思ったら、たまたま周回遅れの車がクラッシュでイエローフラッグ、全社速度ダウンで差が詰まった。その間フェルスタッペンはソフトタイヤに交換し、最後の一周に賭ける。
見事、フェルスタッペンがハミルトンを抜き去り、劇的な優勝。
まるで、映画のラストシーン!

ルーキー角田祐樹も4位で終わった。
有終の美を納めた。
諦めずに続け、執念を燃やしたホンダとレッドブル、レーサーと技術者たちの勝利だった。

<感想>
対象があまりにも当社とは違うため、意見を言うこともおこがましいという感じだが、ホンダの各面々のF1に賭ける情熱は間違いなく伝わってきた。
特にF1という、世界的な大レースでの勝利という目標、そしてその挑戦も最後になるという追い詰められた状態での開発は、我々が納期に追われてどうにか間に合わすというような生易しいモノではなく、極限状態での葛藤だったと想像される。
私の持論に、“開発”は実際にモノを造っている現場でしか生まれない・・・という考え方があるが、このビデオでも全ての発想はモノ造りから生まれている。
まず、必要となるニーズは、F1ドライバーの“現場”から出て来た。
ローンチ時にエンジンが一時的に作動しなくなる不具合は、様々な実験・検証の果てに、空気の入れ込む量の問題だと判り、レッドブル社と協働し見事解決する。
プラグの点火時のシリンダ内の火の燃え上がり方も実験時に偶然判ったこと。 またバッテリーの改善は、カーボンナノチューブを使用するという、これはあくなき探求心の産物だ。
いずれも、机上の3D画面からだけでは得られない発見や技術。

私は、ただただ安さを求めて海外に出、海外の方が安く開発できるというような考えを持つメーカーには、本当の意味の新しい発明は生まれないと思っている。
開発はタダの閃きだけでは生まれない。コツコツコツコツ・・気の遠くなるような繰り返し、繰り返しの果てに、偶然だったり、ちょっとした閃きから生まれるものだ。
これは、日本人に備わった独特の特性、そして開発者の信念の強さが必要になるのだ。

思えば、当社の高密度圧縮コイルの開発も、かなり追い詰められた状態から生まれた。
得意先から占積率90%以上と言われて、巻線で87%までは頑張ったが、それ以上はどうやっても無理だった。
ここで諦めるか?どうするか?
・・・という時に、当社の技術スタッフは、コイルを潰す・・というタブーの方式を取ることを選んだ。
かくて圧縮コイルという全く新しい概念が生まれ、納入実績を積み、その後「圧縮・成型」コイルが生まれた。

ホンダ社で、社長に直談判したり、隠れて開発していたりというようなちょっと間違えば、首か左遷か?というサラリーマンにとってはかなりのリスクを抱えながらの開発であり、凄いことだったかと思う。
しかし自分の信念に基づいて開発し続ける、そしてそれを最終的には認める社風が、このホンダ社にあったということが素晴らしいと思う。
これは間違いなく、次の時代に伝わるものだろう。

ソニーも昔は、自由闊達な雰囲気から新しいモノを産み出す元だったのが、一時普通の会社になり下がってしまったようだが、最近はまた以前のソニーが戻ってきたような話をあちこちで耳にする。
日本は、やはりどこにも負けない”モノ造り力“で、世界の頂点に立つべきだと、私は思う。                                    

以上

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第90回サンテラスロビーコンサート

丸山晩霞記念館企画展「水彩の明星」コラボコンサート
「心にしみる音」 By 神原恵里子& 近藤聡

丸山晩霞画伯の水彩画に魅せられて思いついたというドボルザークの新世界から始まったピアノとヴァイオリンのコンサート。
静かに荘厳な雰囲気の中で始まった。
神原さんの優雅で落ち着いたトークも秋の気配満載の東御市のサンテラスロビーに流れた。
3曲ほど済んだところで、近藤さんの例の大阪弁のトークが入った。
「今までしゃべるなと止められていたんですよー!」
・・・と一気にまくしたてる。
「サイン、コサイン、タンジェント、微分、積分、ええ気分!」・・・と、お得意の自分が数学の教師であることを紹介しながらの名調子に、会場は一転して寄席の雰囲気に変る。
しかしまた演奏が始まると、神原さんのピアノに乗せた近藤さんのヴァイオリンの音色は、聴いている人達の心に響く、このコンサートのテーマに合わせれば、“心にしみる”
演奏が終わると、また近藤さんの止まらないトーク、私は一番前の席で大笑い。
時々、近藤さんが神原さんをいびるのだが、神原さんは全く動じず平然とマイペース。
この二人のやりとりは、近年になく面白い。
ちょっと分析をすると、この二人は、それぞれ自分の音楽、自分の生き方が確立されており、相手に気を遣うことも無ければ、相手におもねる必要もないため、正に「マイ・ペース」なのだ。

神原さんは、元々はクラシックから始まっているが、これまで軽井沢星野リゾート、ブレストンコートでの2000回以上の演奏で、新郎、新婦を魅了しながら様々な曲を弾き演奏テクニックを鍛え上げて来ており、加えて、ポップス、歌謡曲、その他の様々なジャンルに挑戦、そして、ソロ、デュオ、バンドと演奏形態もこだわらずに何でもこなしてきて、自分なりの音楽を作り上げてきた人、そして近藤さんは、4歳からヴァイオリンを習い始め、信州大学交響楽団の学生指揮者と依頼演奏のコンサートマスターを歴任し、コロナ前までは、長野県内のみならず、札幌、大阪と全国を飛び回り、過去には、ウィーン学友協会やブタペスト宮殿、イタリア会館等海外での演奏も経験してきていて、トークの軽快さとは裏腹に、凄いヴァイオリンの奏者、そして彼の口笛はアメリカの大会にも出たほどの腕前=口前?であり、ヴァイオリン演奏と共にこの口笛も聴きものだ。
大阪の出身で今は東御市に住み、予備校の数学教師をしている。
私もスタジオをやっている関係から、色んなセミプロ演奏家と会ってきたが、彼のような演奏、口笛抜群、口八丁のトーク最高の人は見たことが無い。

この音楽的に、人間的に確立された二人の個性がそれぞれ輝いて、ぶつかり合い、協調しあいする様は、見ている人達を完全に魅了する。
これが普通の演奏会であったら、会場はいつもの普通に良かった演奏会になったと思うが、この静寂さとハチャメチャ感溢れるトークのコラボは、その”落差“が生み出す、不思議なハーモニーによって見ている人を魅了したのだった。
“笑う”、“泣く”という人間だけに与えられた感情・・・
これを操れる人が、映画で言えば大監督であり、小説家で言えば、大作家であり人の心を大きく揺さぶるのである。近藤さんのトークで大笑いした後、お2人の素晴らしい演奏が始まると、その揺さぶられた感情が、そのままストレートにその音楽に移入され、ピアノとヴァイオリンの調べに酔いしれてしまうのである。
だから、あの会場に来た人は、皆さん、この演奏会に酔いしれたのだ。


・・・ということで、私のこのコンサートについてのコメントを終わりますが、今回のお二人の演奏についての私の分析は如何だったでしょうか?

このコラボ演奏会は、途中から時節柄、ハロウィンの衣装替えもあり、曲は葉加瀬太郎の「ワイルド・スタリオンズ」、ジョージ・ウインストンの「あこがれ/愛」、鬼滅の刃の「紅蓮華」、「この道」、「千の風になって」等々…どれもそれぞれ素晴らしく、ピアノとヴァイオリンの音が、秋の東御市の青空に吸い込まれて行くような演奏会でした。

2021年10月31日
                         

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観戦しながらの感染!?

新型コロナウィルスは、益々猛威を振るっている。
デルタ株だかインド株が上昇中で、感染者は東京3865人の過去最多、全国で1万人を超した。

オリンピックを観戦しながら感染している
・・・と云うことになる。

伝家の宝刀のように言われていた「非常事態宣言」も、今や殆ど効果がない。
みんなもう「うんざり」で「慣れっこ」になってしまってきており、全く歯止めが効かない。
政府と国民の間の信頼関係は「ほぼゼロ」状態。
安倍政権から菅政権の間に、すっかり国民の信頼を失ってしまったためだ。
最近の政府のやり方を見ていると、「どうにかその場その場を上手くごまかしてでも切り抜ければ良い」、「国民はその時は騒ぎ立てるが、しばらくすれば忘れてしまう」、「マスコミさえ押さ込んでおけば、どんな大きな問題を起こしても全く問題ない」…と云うような非常に安易な進め方が、いくらお人好しな国民でも多かれ少なかれ分かってきてしまったということだろう。
それでも支持率が30数%と聞くと、私には全く信じられない。
尤も、それでは他の政党は?と問われても、「ここ」という政党はないのも事実。

私は今でも、この国の国民は、他のどんな国よりも「良い」国民だと思っている。
以前、このブログでも説明したかと思うが、この国は縄文時代、狩猟生活を2万年近くしており、その間全く争った形跡が無いということ。
そして今現在でもその縄文人のDNAを10%~20%、わたし達の遺伝子に残っているということが、日本が世界のどの国とも違う素晴らしい特性を持つ国民だということなのだ。
子役を使って子供が街で泣いていたら1時間に何因の人が、その子供に声を掛けるか?という実験を世界中で行ったところ、日本がダントツの27人、第2位はフランスで8人だったという。これが日本人の凄くて素晴らしい所だ。

また、戦後の焼け野原からの大復活、そして”メイド・イン・ジャパン“で世界を席巻し、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”といわれ、この小さな国が世界第二位の経済大国にまでのし上がった事実を考えても、「この国はただモノではない!」と思った方が自然かと思う。
然し、最近の日本の状態は、経済状態から、国状から、とても胸を張って「素晴らしい国」といえるような状態ではない。

今、オリンピックの最中に、コロナウィルスの蔓延が絶好調!ということだけとっても、ちょっと皮肉っぽく云えば“全世界の笑いもの”ではないか?
この素晴らしい国民が、何故こんなに“みじめな状態”に陥ってしまったのか?
前々回のブログ、安宅和人著「シン・二ホン」に寄れば、
「確かに日本はイケてない。技術革新の新しい波は引き起こせず、乗ることすらできなかった。企業価値レベルは中韓にも大敗。大学も負け、人も作れず、データ×AIの視点での三大基本要素のいずれも勝負になっていない。
戦後の高度成長期から今までで最も残念な20年だったと云える。」
…と云うことで、この20年余り、一体日本は何をしてきたのか?
これは歴代政府の責任大ではあるが、わたし達日本の企業にも大いに責任がある。
世界の趨勢…特に米国と中国がどんどん進めていた、先進技術、AI技術等への取り組みが遅れに遅れてしまっていたことは、悔やんでもどうしようもない。

しかし、今回のコロナに対する政府や関係機関の取り組みは余りにも後手後手でお粗末だった。
考えてみれば、日本という国は、これまでの様々な実績からいって、世界の中でこのような大変な問題に対して、最も統一がとれ、素早く対応が出来る国のはずが、当初のPCR検査の導入・活用は全くなし、海外渡航者に対する対応も後手に回り、薬も、ワクチンも自国製はとても間に合わず、オリンピック開催国にもかかわらず、ワクチン接種が未だに行き渡っていない。
驚くことに保健所とのやり取りは、未だにFAXしか使えないとか聞くと、背筋が寒くなる。今の時代、ネットが使えないなどと言っていて、きちっとした行政対応が出来るはずがない。
PCR検査装置も、日本で色んなメーカーが最新装置を開発しても、国内は許認可の問題があり使えない。フランスで使っているというニュースも流れた。
恐らく薬が出来ても、やはり許認可問題で投与できないかと思われる。
他の国が使って自国で使えない…などと言う不合理は、このような緊急事態時にはちょっと考えられない。
ワクチンも、途中かなり調子のよいことを言っていたが、今となっては大分トーンダウンして、オリンピックの最中に、これまでに最大の感染者数を記録してしまった。
オリンピックだからといって、感染者数の歴代の大記録を出したり、金メダルを取っても、誰も喜ぶ人はいないのだ。

 

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社員を育てる

私は今まで自分は人を育てることが苦手であり、自分が気付きを得た自己啓発系の研修が一番手っ取り早い方法と思い、会社に余裕が出来たタイミングで、3,4年前から2年間に亘り、講師に会社へ出向いてもらい、社内研修を実施した。
ほぼ2年に亘り計4度、2日間、3日間社員全員が一堂に介し、丸一日研修を受けた。
費用も生半可な額ではなかったが、私はこれこそ会社が変われる一番手っ取り早い方法と信じ、費用も時間も思い切りつぎ込んだ。
この研修で、結構涙の場面が有ったり、それぞれ協力し合う場面が有ったことから、これで万々歳!と思っていた。
しかし、その研修会での最終アンケートの結果は悲惨なモノであった。
上司の問題点、会社に対する否定的な意見、人間関係の希薄さを思わせる意見等々、まるっきり予想していたものとは異なる結果が出た。
自分の思ったことをそのまま言えるようになった…と云うのがこの研修の成果といえば成果であるが、会社自体は、全くナーンにも変わらなかったのだ。

ここで私は初めて気が付いた。
人は変わらない。
変えようとしても変わらない。
また、研修とか他の人に任せて変わるようなものではない…と。

その後、私の息子(現社長)と伊那食品工業の見学研修に一晩泊まりで参加した。
そして伊那食品さんの「年輪経営」とか「社員に対する考え方」を学び、二人でこの会社も伊那食品さんのような「いい会社」を目指そうということになった。
会社目標も「みんなでしあわせになろうよ!」とし、「明るく、楽しく、健康的で、ピカピカの職場を目指そう!」をモットーとした。
また、それまで他人に任せていた採用を私が全て担当することにした。
採用に際しての採用文には、会社の理念、社員に関する考え方。この会社の将来の夢、ビジョン等を掲げた。
無料の求人サイトにもかかわらず、私の採用文を読み、当社のホームページで私のブログ、そして出版本を読んだという人が結構応募してきた。その中から或いは他の関係からも候補者が集まり、この2年半余りで合計8名の新人が入って来た。
会社の新方針発表後、派遣の人とか、契約社員の人とか、あまり会社で人間関係を作りたくない人5,6人が辞めたこともあったが、従業員約40名中、8名の新人が入ったことになる。
ここで、新人の教育が問題となる。

私は、入社したての新人と比較的若い層の人達に声を掛け、毎日会社が終わる5時15分から45分の間の30分間、「社内勉強会」を開催し始めた。
自分の社員は自分が教育する。
今迄は、外部に頼っていたが、ダメモトでいいから自分でやってみることにした。
これは教育…と云うよりも、私の考え方をシッカリ頭に入れてもらうことを主とした。
当社は、特に「セルコ」の社名の由来である「セルフ・コントロール」=「自ら考えて自ら実行する」という、根本理念があるため、もし入って来たばかりの人に何も教育せずに自由に仕事をさせると、飛んでもない方向へ向かってしまうことがあるため、初めにきちっとした考え方を心に刻み込む必要がある。
最初は15名ほどの参加者であったが、自由参加で毎日、しかも原則残業が付かないため、徐々に減り始め、最終的には数名になった。
しかし、私は私が会社にいる日は一日も欠かさず毎日やり続け、現在に至っている。
そこに残った数名が、今会社の第一線で活躍している。
今現在も新しい社員が3,4名いるが、この人達がこの勉強をより長く続ければ、次のセルコを担う人財になることと確信している。
私が教えるのは、主に「人間としての生き方・考え方」、「常に前向き、プラス発想、積極的になれるような精神基盤の構築」であり、それらに関する本や、YouTube、私の体験から来る話等で学ぶ。

たまたま、先般、人間関係の勉強をしていたら、教材に「X理論、Y理論」、「PM論」、「マズローの法則」というような昔懐かしい言葉がずらっと出てきた。
このX理論、Y理論というのは、私の大学の卒業論文の題名になった、アメリカのダグラス・マグレガー氏が唱えた人間関係論である。
X理論は、「人間とは本来怠け者であり、しっかり監視し、指示・命令し、目を離さないようにする必要があり、アメとムチを使い上手く使うことが必要である」という性悪説に基づく理論であり、Y理論は「人は本来、自ら進んで仕事を達成しようとするものであり、出来るだけ自由に動けるようにしてやることが必要である」という性善説に基づく理論である。
私の卒論の結論としては、一応、出来ればY理論に基づいた人間尊重の管理をすべきだ…と云うような曖昧な結論しか出せなかったが、これらの命題は結局私の生涯の研究テーマとなった。
PM論は、昔セルコの研修会で勉強した管理者理論であり、ラージPはパフォーマンス(指導力)が強いタイプの管理者、スモールpは指導力が弱い管理者、ラージMはメンテナンス力(優しさ)がある管理者。スモールmはそのメンテナンス力が弱い管理者。これは最終的にはラージPとラージMが双方とも強い管理者が良いということ。

マズローの人間の欲求の5段階については、未だにあちこちで出てくるので皆さんもご存知の方が多いかと思うが、要するに人間は、低次な欲求=生理的欲求とか安全性の欲求を満たされると次の欲求=社会的欲求とか、調和の欲求を求めるようになり、そして最終的には「自己実現の欲求」に向かうということ。
これら「人間関係論」というものは、よくよく見てみると、全て繋がっている。

そして私の生涯を掛けた追求の結果はというと・・・・

人は、その時の成長度合い、その時の環境、その時の状態等でそれぞれ異なっており、一概に、あの人はX人間だ、この人はY人間だ、あの人はPM管理者だ…と云うような竹で割ったような言い方はなかなか出来ない。
誰もX理論だけの人はいないし、Y理論のみで生きている人もいない。
しかし、X理論寄りの人がいたり、Y理論寄りの人はいる。
必要なことは、そこに「人は、成長するもの」という人間の本質を信じることが必要であるということだ。

管理者のPM論は更に難しい。
それは全人格的なある程度の域に達しない限り、人が人を管理することはなかなか難しい。
私は人が人を本当に管理することなど出来ない…と思っており、当社は一般的な管理者という概念を取り払った。
組織はフラット組織にし、実際にモノを造ったり、運んだり、検査をしたりする各末端担当者が最も動き易くなるように配慮した。
管理者はサポーター役にまわり、各担当のスキル不足、知識不足を補い、大きく困難な問題には対処すべく動く。社長はスーパーサポーターであり、特に当社の社長はこの会社のあらゆる製造、技術に通じており、一次は「引っ張りダコ」状態になってしまったこともあった。
しかし、それを何回も重ねることによって、従業員と社長との距離が縮まり、お互いの信頼関係が徐々に培われて行く。

マズローの説は正しいと思う。
当社は私が社長になってからの14,5年間は、とても高次元の欲求を語るような状態ではなかった。昇給無しの年も結構続いたし、賞与なしも何回もあり、低次元の欲求が満たされていなかったのだ。
しかし、ここ4,5年はほぼ安定状態が続き、2年ほど前からの「みんなでしあわせになろうよ!」の目標の下、家族宣言をし、一人として会社を辞める人があってはならない…という方向付けが、ほぼ確立されつつあるように思う。
従業員と経営者…一見、全く違う人間、全く違う人種、と思っている人が大半かと思うが、私は本質的にこの両者はあまり変わりがないと思っている。
例えば、半田作業をやれと言われても私には出来ないが、一般作業員は問題なくできるし、巻線をと言われても私は巻けない。能力的に云えば、わたしより一般作業員の方が優れている。
社長と従業員は役割が違うだけだ。
社長だからと偉ぶる存在でもないし、従業員だからとへりくだる必要もない。
ただ、先輩とか年上とか多少の気は使う必要はあるかと思うが、技術的、業務的には全く対等の人間だ。
ただ、私は社長と従業員では、「意識の差」=会社の責任を負っているという自負の差は、とてつもなく大きいと思う
逆に、従業員で「自分がこの会社を背負って立つ」という意識を持った人がいたら、それは、経営者と殆ど変わらないということになる。
これは、私自身が、この会社に平社員で入り、その後、課長、部長、取締役と職階は上がったが、私はどの役職の時でも、常に経営者感覚で仕事をしており、最終的には社長になってしまったという経験がそんなことを言わせている。

そんなことで、この2年間程で、この会社が変わり始めた。
前述のように、2年半~2年位前に入った社員が、既に第一線で活躍しており、生産管理に至っては、女性社員三人がそれぞれの得意先担当を決め、受注から納品までを全て自分の責任でやり通す…というシステムをほぼ完璧にこなしている。
それと、毎朝全員で庭の掃除をし、ラジオ体操をやってから朝礼をしているが、庭も花を植えたり、整備したりで大分綺麗になると同時に、それぞれの人達の顔が明るくなってきた。

いい会社」になるのは、もうすぐ目の前だ!

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