VWの問題から・・・

VWが大変な問題を引き起こした。

「米環境保護局(EPA)によると、VWグループは08年以降に米国内で販売したディーゼルエンジンの乗用車約48万台に違法ソフトを搭載し、大気浄化法違反の疑いがある。違法ソフトは「試験」状態を検知すると、排ガス浄化機能がフル稼働して基準を満たすが、実際の走行時には同機能が大幅に低下する仕組みになっている。不正対象車が実際に走行した際の窒素酸化物(NOx)の量は基準の最大40倍になるという。」
 
 今年、VWは販売台数を伸ばし、トヨタを抜き1位に踊り出た。
 トヨタは、むやみに台数は追わず、現状の生産拠点の強化をしていた。
 VWは中国の販売が落ち込む中、販売台数を維持し、伸ばすには弱いアメリカ市場を伸ばす必要がある。しかしアメリカの排ガス規制はかなり厳しく、これをジーゼルでクリアーするのは大変だったかと思われるが、まさか”インチキ“でクリアーしていたということはちょっとビックリだ!
 少し前に韓国が同様の問題で追及されたが、ドイツのナンバーワン企業が”まさか!”である。

 中国へ行くと、VWは圧倒的に強い。
 タクシーもVW社が多い。
 まさか中国と付き合いが濃く、長くなったため、感覚も中国になったということはなかろう!?
 
 私はいつも言う。
 モノ造りは”小手先の技術”は効かない。
 〝コツコツコツコツ”しかない。
 裸一貫、相撲の“ガチンコ勝負”と同じだ。
欧州はジーゼル大国で、世界のジーゼル車の3/4が欧州であり、約半分がジーゼル車ということである。
 これがNGということになれば、欧州の車は大きく変わって行く。
 トヨタのHV車か?あるいは低燃費ジーゼル車にこだわって2020年までにリッター50kmを目指すというマツダ車か?この際、100歩譲って軽自動車導入に踏み切るか?
 いずれも日本車が断然有利ということになりそう。
 今回の事件は、まじめでコツコツやっている所が最後には必ず勝つという私の”モノ造り論”の証明が、10年位経てば・・・と思っていたのが、意外と早く証明されてしまう可能性がある。
 
 先般ドイツの議会制民主主義の報道番組を見た。
 ドイツでは、先の大戦の反省を基に、完全な議会制民主主義を貫いている。時の政府がどんなことをやるにも議会での十分な議論が不可欠となる。
 先般の日本のケースを見ると、議員の数が上回っていれば、政府が決めたことは憲法違反であろうが、国民の多くが反対しようがなんでも通ってしまう国になってしまっている。
 同じ敗戦国でありながら、ドイツは今やEUにおけるリーダー的存在となって、様々な問題のオピニオンリーダーとなっているのに対し、日本は、隣国の韓国や中国、ロシアとの領土問題で揉めていて、とても“リーダー”の風格はない。
 その前にいまだにアメリカの属国から抜け出していない。
 
 政治家の人たちは、”外遊”で遊んでいないで、ドイツの政治を勉強しに行って来たらよいかと思う。 
 そう思っていた矢先のVWの失態は、私にとってはショックだった。 
“製高政低”というべきか、モノ造りは日本の方が上だが、政治は日本がはるかに下ということである。

 日本食のブームが世界中で広がっている。
 日本食レストランの数が2013年1月時点で約5万5千店が1.6倍増え、15年7月時点で約8万9000店になったとのことである。
 この調子で増えてゆくと、10年後には世界中で日本食が当たり前になってしまいそうだ。
 私が以前から唱えていることは、日本の”モノ造り“はこれまでの”コツコツ精神”を忘れずにきちっと対応していれば間違えなく世界に通用する。
 たとえそれが、僅かずつであったとしてもそのPRの度合いに応じて世界で増えて行くのは間違いないということだ。
 特に中国を含め東南アジアの人々は、多少の差はあるが、日本の”モノ造り“には一種のあこがれがある。
 それが、電気製品に始まり食や様々な文化に至るまで日本のものは結構もてはやされるのだ。
 日本は政治のレベルが低いため、アジアのリーダー的な存在にはなっていないが、間違いなく日本の文化やモノ造りでは、他の国を圧倒している。
 軍事力で相手を圧倒する時代はもう古い。
 安全、安心、平和(戦争の放棄、武器の廃絶)を旗印に、今は、日本の”おもてなしの心”、”思いやりの心“、”いたわりの心“、”もったいないの精神“等の日本固有の文化、そして間違いのない”モノ造り“を前面に出して”平和外交”、〝友好外交”を繰り広げていれば、間違いなく日本はアジアにおけるリーダーになっていたかと思う、
 具体的な戦いに巻き込まれる前に、どうにかしないと、日本は取り返しのつかない方向にむかってしまいそうだ。
 VWのことを心配している場合ではない。

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コイルの常識が変わってきた!?

  これまで当社はこの日本を中心に「多品種小ロット」、「試作」、「開発品」を中心に少しずつ売り上げを伸ばしてきた。

  しかしここにきてちょっとばかり様子が変わってきた。
 当社の「高密度コイル」技術が必要となる製品が結構な量で出るようになってきた。
 また、そのようなコイルの引き合いが非常に多くなってきた。
 現在当社はその大量なコイルをタイで生産しているが、こちらは”ボビンタイプ”、そして今、引き合いが来ているのは”空芯タイプ”である。
 ・・・と云うことは、”ボビン”、”空芯”を問わず、世の中が当社で巻くようなコイルの高密度化=完全整列巻きを求め初めている…と云う事かと思う。
 私はこのコイルの高密度化の技術が確立した時に、世の中、最終的にはこのコイル技術は必ず世の中に広まると確信し、「この会社は将来間違いなくブレイクし、小さな高収益会社になる」と宣言し、それから10年以上経ってしまった。
 その間、リーマンショックあり、大震災ありで、何度も振りだしに戻され、私の言うことが信じられずに、辞めて行った従業員も結構居た。
 この技術は、医療、ロボットを始めとして、精度が必要な製品、各製品間のバラつきがない製品には間違いなく必要となるであろう。
 ただ、担当の技術者がこの「高密度コイルの威力に気付くか否か?」ということかと思う。
 これはあくまでも私の感だが、ハイブリット、EVが進む車のモーター開発は、未だ各社色んなトライをしているようだが、最終的にはこの技術に集約されて行くような気がする。

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平和憲法こそ日本の誇り

 MIT名誉教授 歴史学者ンジョン・ダワー氏の言葉は胸に沁みる。

 「以前、外務省の高官から『日本はソフトパワーを重視している』と聞かされたことがあります。日本車、和食、漫画やアニメ、ポップカルチャー。世界が賛美するものは確かに多い。しかし、例えばハロー・キティーが外交上の力になるかといえば、違うでしょう。世界中が知っている日本の本当のソフトパワーは、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」
 「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」
 「このソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」
 「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は、高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて、もう一つの重要な時期は、60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め、戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」

「平和憲法」こそ日本の誇りなのだ。
 戦争をやらない国、できない国こそが今この世界の中で必要であり、重要なのだ。
 このような根源的なことが、日本人の口から出たのは無く、アメリカの学者によって述べられ、それを大きく取り上げるということは日本人として誠に残念である。
私はこの事をずーと云い続けてきているが、残念ながら私の発言が、どこかに取り上げられることは無い。
 
 いつも言うように、軍事強化をいくらやってもアメリカや中国やロシアのレベルには程遠い。喧嘩は強い方が勝つ。抑止力というが、追い詰められれば、なりふり構わず戦いは始まる。
 原発を50基近く持つ日本は生半可なことでは守れない。
 今現在一番の防衛策は、「ひたすら平和を世界に訴え、他の国との外交努力を重ねること」である。
 今の政府の様に、今世紀最大のお客様の中国を仮想敵国とするなど、とんでもない方向違いなのである。”爆買いで潤った”国はどこかよその国だったんだろうか?

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お茶にしますか?コーヒーにしますか?(報道ステーション)

先日テレビで、養老猛さんと古舘伊知郎アナの対談の場面があり、養老さんの日本人と西洋人の違いに関する決定的な違いの指摘があって、これはとても面白かったし、私が主張する世界の中で特別の存在としての「日本人」を説明するには大変有効な話だと思った。

西洋人が良く「お茶にしますか?コーヒーにしますか?」と訊くが、これは日本人が聞くと、自分の好みを訊いてくれる「おもてなし」の一種と捉えるが、実は違うのだという。

これは、「あなたにはお茶にするか、コーヒーにするかを選ぶ“権利”がありますよ」と言っているという。

西洋人の”I am a boy”の”I”は日本では要らないが、英語では必ず”I”がついて回り、その人の主体の存在を主張するものだ・・と云う事なのだ。

日本では「行って来ます!」「只今!」と言って、決して「私が」を付けない。

「私が」は分かりきったことだから、必要がないのだ。

 ここに西洋人の「自我」と日本人の「無我」の意識との大きな差が出て来るというのだ。

 但し日本人はこれまで“滅私奉公”、“一億玉砕”、“本土決戦”と自分を殺しても会社のためとか国のため・・と極端な“無我”に走っていたことの反省と、西洋風な考え方の浸透に依り、最近の日本人はかなり「我」を意識した言葉や行動が多くはなってきているが、日本人のDNAそのものはそう簡単には変わらない。

 逆に西洋の方が最近では、日本的、東洋的な自分中心ではなく、全体のことを考えて行くような考え方になびきつつある・・と云う話もあった。

このような話から、私の主張する「日本は世界平和を唱えられる唯一の国」・・・と云う事が真実味を帯びて来る。

 西洋的な「我」を主体とした生き方の先には、必ず「戦い」「争い」がある。自己を主張し、双方が譲らなかったら間違いなく、その先は「争い」なのだ。

ところが、日本的な考え方で行くと、争いはまず起きない。

「無理が通れば、道理が引っ込む」的な主張の強い人の意見が通ってしまう(今の安倍首相)という弊害もあるが、総じて日本人は争いを好まない。

 この様な生き方、考え方が世界に広がれば、世界から争いが無くなり、戦争が無くなる可能性があるということで、私はこれまで「日本は世界を変えるべき国であり、武器を持って戦う国になってはならない」と言ってきたのだ。

 今回の養老猛さんのお話は、この私の主張を裏付けるものであり、またしても私の「直感」は脳科学的にも裏付けが取れた。

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